第十六話:蒼き赤薔薇
日も落ちた夜半の事、月明かりだけが室内を照らす中。
とある貴族の邸宅で計画は進む。
「つまり、僕の目的はこのフェイル=プロテイン殿を倒して衆目で笑いものにしてやる事にあるのですね」
「その通りザマス! 憎きエルネスティ家! とは言え、直接手をだす訳にはいかないザマス! なのであの娘についている家庭教師とやらを打ちのめして意趣返しをするのザマスよ!」
一人はゴテゴテとした装飾が特徴的な女性――マーザス婦人だ。
先日桜花英雄祭にて息子が瀕死になり、生死の境を彷徨う様を目の前で見せつけられた憐れな女性でもある。
もう一人は男。
身長は高く、スラっとした華奢な印象がある。身に付ける物も羽根帽子や、装飾と魔法が施された衣装など、どこか貴族のそれを思わせる物がある。
だが、その瞳にたたえる獣性を帯びた気迫だけが彼を戦に携わる者だと証明している。
――それも、一流の。
「ふっ、なるほどね。しかし彼も災難だ。この僕に狙われる事になるんだから……」
「自信あり気ですが、本当に倒せるのですか? しくじったただじゃおきませんわよ!」
「お任せくださいマドモワゼル。この僕が必ずやマッコイ君の無念を晴らしてみせましょう」
「どうだか……」
滔々と語る男に気負いは一切ない。まるでなんの変哲も無い日常の一幕、明日の食事のメニューを語るかの様な気軽さだ。
威勢だけは良い男に婦人は胡乱げな視線を向ける。
噂だけで雇ったものの、彼の実力を目の当たりにしたことが無かったからだ。
本当に大丈夫なのだろうか?
生来の神経質さを遺憾なく発揮した婦人が、またもや彼に与えられた仕事について念を押そうとする。だが、彼女の言葉を遮るように……。
ヒュン――と、柔らかな風が婦人の頬を掠めた。
「ふふふ、 愚かなる獲物は、さしずめ黒色の未来を宣言されたと言っても過言ではない。我が技の前に顔面を青くさせる様が今にも見えてきそうだ」
窓を開けていたであろうか?
頬を撫でた風に、婦人が訝しげにベランダの方へと視線を向ける。
そこには、見事な切り口を見せ、芸術品を思わせる程の技によって切り刻まれたカーテンがあった。
いつの間に――否、どうやって!?
驚愕と同時に婦人を襲ったのは歓喜だ。彼女が想像する以上に、目の前の男の実力は本物だったらしい。
これならば、あの憎き仇敵であるエルネスティ家に一泡吹かせられるだろう。
「さぁ、今宵この街は最高の劇場と化し、観客は黄色い歓声を上げることでしょう。マドモワゼル、貴方の未来は既に虹色に輝いております。勝利を、何よりも絶対的な勝利を捧げましょう!」
「――この、蒼き赤薔薇のポニーテルが!!」
高らかな笑いがひっそりとした夜に響く中……
切り刻まれたカーテンの代金はきっちりと報酬より天引きされるのだった。
◇ ◇ ◇
……その日、珍しい事にエルネスティ家は困惑と驚愕に包まれていた。
「なにっ!? クシネが誘拐されただって!?」
「はい、そうなんです。朝起きたら枕元にこんな置き手紙が……」
『クシネ=アイブライト殿は預かった。返して欲しければ空に日が登り切るまでに門前の広場にやって来たまえ――』
朝起きて寝ぼけ眼で廊下を歩いていたら突如の凶報がメイド長より齎される。
彼女より受け取った手紙を確認してみると、確かに異常事態が発生している事を証明していた。
メイド長の慌てた様子からクシネが行方不明、つまり攫われている事も事実なのだろう。
だが、ここで一つ疑問が起こる。
奴はいつ誘拐されたんだ?
昨日確かに夕食の後に一緒にこっそりとお菓子をつまみ食いしたはずだ。
その後別れて各々の部屋に行った。誘拐する隙があるとも思えない。
「けど、いつ誘拐されたんだ? 昨日はあれからずっと家にいただろう? まさか、俺に気づかれずに屋敷に忍び込まれたのか!?」
「きっと夜食を買いに深夜に街を出た所を狙われたんです。あの子、最近深夜にお菓子を食べる事にはまっていましたから……」
「何やってるのあいつ?」
太るよ?
クシネの宜しくない行動に今度あったら全力で体型と体重の事をからかってやろうと心に決める俺。
だが、実際彼女が誘拐されているのであれば早く行動に移さなければならない。
それなりに実力のあるクシネを誘拐する相手だ。
舐めてかかっていては足元を掬われる。
「ど、どうしましょうお師匠様! このままではクシネさんが! クシネさんが!」
「ああ、なんだかんだ言ってもクシネは俺の大切な……仲間? まぁ、友達? いや、知人? 顔見知りだ! このまま放っては置けない!」
話を聞きつけたのだろう。
どこからともなくだばーっとやって来たピュセラを宥めながら対策を考える。
クシネの誘拐。恐らくは政治がらみだろう。
となれば目的があるはずだ。すぐに彼女がどうこうされる心配は無いだろう。
だが、このまま呑気に事を進めるわけにもいかない。
ぶっちゃけあんまり乗り気ではないが、流石にこのまま放置してクシネがひどい目にでもあえば流石に少ししか笑えない。
気持ちを切り替える。
となれば行動に移さねばならない。
涙目のピュセラとメイド長を引き連れ、俺は早速ダンチ伯爵の元へと向かう。
………
……
…
「ふむ。なるほどな。実は今回の件、どうやら先方は例のマーザス伯爵婦人らしい……」
「ああ、やっぱりアレ、根に持っていたんだな」
「お前をご指名だよ。あっちが用意した人物との決闘をお望みとの事だ」
執務室にて脅迫文を隅から隅まで読み込んだダンチ伯爵は、顔を上げると溜め息混じりにそう答えた。
俺は途中までしか読んでいないが、どうやら俺の予想は当たっていたらしい。
先日の件。
うちのピュセラちゃんがマーザス婦人の息子であるマッコイ君をワンパンでボッコにした件。
…………うん。根に持っても仕方がないよね。
「貴族同士が表立って揉めると問題だからあくまで決闘と言う形にするわけか……」
俺が出るのはピュセラの師匠だから。
ここで俺をボッコにすれば相手の溜飲も下がるし、同時にエルネスティ家の名を落とす事にも繋がる。
面倒事を極力避けた上でのとてもシンプルな解決案であると思う。
「そういう訳だからクシネについてもある程度は安心していいだろう。もちろん、お前が逃げ出さなければの話だがな……」
「お師様! クシネさんを、クシネさんを助けて下さい! お願い致します!!」
「ああ、俺に任せるんだピュセラ。なんとしてでもあいつを助けてみせる。そうして、クシネに返しきれないほどの恩を売るんだ!」
「ありがとうございます、お師様!」
グッと握り拳を作り、高らかに宣言する。
ピュセラから受ける尊敬の眼差しが心地よい。
相手が何を考えているか分からない現状では少々無責任な発言かとも思えるが仕方ない。
ピュセラにとってクシネはとても大切な人物だ。
今にも泣き出しそうな彼女を安心させるにはこの位の事を言ってやらないと駄目だと、そう思った。
メイド長に目配せし、ピュセラを伴い退席させる。
後は大人の時間。
クシネを取り戻し、恩を着せるための作戦を練らなければならない。
ピュセラの気配が間違いなく部屋より離れたことを確認した俺は、やや緊張した面持ちの伯爵へと本題を切り出す。
「相手の情報に見当はついているの?」
「知らぬ。だが相手が用意するのは恐らく対魔法使い用のスペシャリスト。幾らお前が賢者であっても苦戦は必須だぞ」
対魔法使いのスペシャリスト。
ウルスラグナで存在したその特殊なスキル構成を思い出す。
それは魔法使いに対向するために詠唱阻害や耐魔法といった技術を重点に鍛えたプレイヤーの総称を言う。
魔法使いに特化している数々のスキルは魔法使いにとってはまさに鬼門であり、一対一の戦いでは相当なレベル差が無いと魔法使いが勝つのは難しいとさえ言われている。
おそらく、この世界でもその本質は変わらないだろう。
だが、苦虫を噛み潰したような表情で答えるダンチ伯爵に俺は密かに笑みを見せる。
「なんだ? 何がおかしい? 相手は対魔法使いのスペシャリストだぞ!」
俺の表情を見て不機嫌あらわな伯爵。いまだ分かっていない様子の彼に答えてやる。
「その点は心配ないんだよ。なんせ俺は――」
「――魔法が、使えないんだから!!」
「あっ、そういえばそうだったな」
どう考えてもこれ勝ち確定じゃね?
悪い表情を見せる伯爵と一緒に俺達は早速勝利の後にどのようなお返しをマーザス婦人にしてやるのかを相談を始める。
今夜の夜食は美味しくなりそうだ。
すでに俺たちは自分の勝利を疑いもしていなかった……。
◇ ◇ ◇
戦いの場として指定された入場門前。
クシネの身を案じながら急ぎやってきた俺達を迎えたのはマーザス婦人と呑気にお茶を楽しむクシネだった。
「あっ、フェイル! ピュセラ! やっほー!」
「よくぞ来ましたザマスね! その度胸だけは褒めて上げましょう!」
「クシネさん! 無事でよかったです!」
「ピュセラもお菓子食べるー?」
「食べます!」
入場門前には何やら複数のテントが張られ、巨大な看板に『臨時決闘場』と綺麗な文字で記載がされている。
花火がバンバンあがり、何やら出店的な物まで開かれている始末だ。
なんだこれ、おい……なんだこれ?
「おい、クシネ。お前後で説教部屋行きな」
「そんな酷い!」
「酷いも何もあるか! 完全に懐柔されやがって! まったりするにも程があるだろう!」
「だって!」
なんだか知らないがテントの一つでまったりしているクシネを引っ張ってきて伯爵と一緒に睨みつける。
無事なのは良かったが、それにしてもちょっとふざけすぎだ。
しかもピュセラまで一緒にお菓子を食べる始末。
俺だってお菓子食べたい。
だが、クシネを注意するのにかこつけて俺もお菓子を食べようとしたその時だ。
突然背後に気配を感じ、思わず勢い良く振り返り距離を取る。
……そこには、一人の男がいた。
悠然と佇むその男に、俺の眉が歪む。
油断していたとは言え、間合いに入られている。
その事実が、女の子ではなく男が平気で俺の間合いに入ってくるという事実が、最下層にあった俺の機嫌をさらに落とし込む。
その男は仰々しい態度で礼をしながら、先程から殺気を放つ俺に対して平然と立ち向かってきた。
「まぁまぁ、そう言わずに。レディをおもてなしするのも紳士の役目だ。こちらからご足労をお願いしたんだ。これくらいは当然じゃないかな?」
相手は相当のやり手だ。特にイケメンと言うのが気に食わない。
イケメンは全て殺すべきだ。現にウルスラグナでは目についたイケメンは全て殺してきた。
今にも拳を放とうとするイケメンに対する憎悪を必死で抑えながら成り行きを見守る。
不意打ちは大好きだが、流石にこの場で行うにはマズイ。
その程度の分別は俺にだって存在するのだ。
不意打ちは出来るだけ証拠が残らない形で。
MMOと言うゲームジャンルに教えられた大切なこと、その一つだ。
「…………何者だ?」
問いは短い。
俺はイケメンと長く話すと死ぬ病気にかかっているので簡潔に済まさなければいけない。
これ以上話す事はできない。
「初めまして、僕の名前はポニーテル。蒼き赤薔薇のポニーテルと呼ばれているよ」
「えっ、どっちなの?」
青いの? 赤いの?
目の前にいる軟派な男は帽子のつばを軽く持ち上げると、ニヒルな笑みを浮かべて一回転ターンをやってみせる。
「蒼き赤薔薇。それが……僕さ」
「いや、だからどっちなの?」
そしてターンは必要だったの?
もうなんかどこから突っ込んでいいのか分からない俺に対して、目の前の男……ポニーテルは更に二回転ほどターンする。
「君は赤く血に染まり、そして絶望に顔を青ざめる……。つまりそういうことさ」
「えっ!?」
もちろん言っている意味はなんとなくわかるが、ちょっと違う気がする。
「つまり、蒼き赤薔薇さ!」
「お、おう……」
俺は速攻で思考を放棄する。
こういうちょっと頭のネジが外れた奴と会話するのは心の安定によろしくないのだ。
俺のように平凡と小市民という単語が服を着ているような人間には、こういう少し変わった社会からの逸脱者の考えていることは分からない。
ともあれコイツがマーザス婦人が用意した決闘相手となると多少の用心は必要だろう。
相手も無策で来るわけはないし、俺のことはある程度調査しているだろうしな。
ともあれ今重要なのはさっさとこの茶番を終わらせてクシネに盛大な恩を売った挙げ句意気揚々と帰ることだ。
辺りは静まり返っている。
軽く微笑みながら、何処か見下したような視線を向けてくるポニーテルとやら。
なるほど、佇まいに隙がない。
俺もすでに一段階警戒レベルを上げている。
少しばかりバトル展開的な雰囲気が流れる。久方ぶりに感じた空気だ。
だがピュセラ達は……皆お菓子を食べるのに夢中で、俺達のやり取りを聞いていなかった。
……つらい。
「さぁ、舞台は整った! 後はこの数多くの観衆の中、僕が華麗に君を打ち倒せば終わりさ。なに……安心したまえ、命までは取らない」
「くくく、安心しろよ。それは俺のセリフだ。この偉大なる賢者、フェイル=プロテインのな!」
もうなんか疲れてきたので勢いに任せる。
だって皆みてないし適当でいいよね。
後は適当に流れで任せてドンって感じでお願いしたい。
そう想いを込めて目の前でステップを踏むポニーテルを眺める。
目の前に突如現れたマーザス婦人の刺客。
だが俺は、彼との戦いがまさかあのような結果になるとは思いもよらなかった。
―――――――――――――――――――
ポニーテル
【職業】 メイジキラー
【称号】 蒼き赤薔薇
HP 850/850
MP 250/250
筋力 50
強靭力 80
魔力 20
知能 60
素早さ 120
技量 100
―――――――――――――――――――