ご近所防衛隊03 算数チャチャチャ
●数楽塾
残り少ない夏の日を咲く朝顔の紫。素晴らしい時はやがて去り行き。このくそ暑い最中に黙々と。隼人は汗まみれで机に座っていた。
「う゛~!」
半分は冷や汗。泣きそうな顔をして乱暴に、それぞれのマスに立て棒を引き、それぞれのマスに点を打つ。
「隼人。ここに麦茶置くわよ」
氷の触れる音。汗をかいたコップが、つーっと滴を机に落とす。
「毎年のことなのに。ちゃんと計画的にやらないからよ」
「おかあさん! 判ってるって!」
「あら。判ってたらこんな事にはならないんじゃないの?」
親ながらなま暖かい目。
「それよりも。休み終わったら算数のテストが有るんでしょ? ちゃんとやっとかないと」
道理である。日割にすれば1教科5分のワーク。国語・算数・理科・社会で20分の分量。しかし現実は、休みの終わりに地獄が待っている。
ただ隼人の学校では、宿題が間に合わなくても五月蠅く言われない。代わりに休み明けにテストがあるのだ。ワークとテストの分析で、先生がその子の弱点をチェックする。
「隼人。こんなものが来てるんだけど行ってみる?」
★千時間のハンディー。
ご存じですか? 今の小学校は、授業時間が親の時代より千時間も少ないのです。
しかも、中学校では親の時代と同じ学力があることを前提に授業が進められます。
本当に『ゆとり』の無い時代になりました。
★苦悶を離れて数を楽しもう~3日間の無料体験入塾~
まずは数楽塾にお出で下さい。最終日に実力テスト。進歩の度合いが分かります。
成績優秀者には月謝減額の特典付き。
それは、塾のチラシだった。
「数楽塾ねぇ……」
「幹部養成の塾が出来たの。講師が足りないから助っ人が欲しいそうよ。小さいうちから英才教育って話らしいけど、うちに行けそうな人いるかなぁ」
パネルに映るAIの少女、ノアは挑発的に情報を伝える。
「勉強と言っても小学生であるな」
それを教えるのが難しい。
「えっと……これが講師の課題だね」
パネルに映る。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
・わり算の導入に、次の例題どちらを使いますか? またその理由は。
ア.120枚のトレカを30枚づつ分けると、何人に分けられますか?
イ.80円を20円づつ分けると、何人に分けられますか?
・以下の事を教えなさい。
ある数を□にしてわり算の式を書きなさい。
□=54×18+28
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ノアちゃん。あたしは先生なんてちょっと無理だなぁ」
「そう? なんなら最近の子は大人っぽいから、6年生と言うことにすれば、男子なら中学生。女子なら高校生でも、生徒でごまかせるけど。とにかく手が欲しいそうよ」
同じ頃。空き地の秘密基地
「学習塾を利用して、幹部に為れる能力の者をチェックする。これがウィニーで流れた、ジョーカーサイドの計画です。元の形は暗号化されていましたがなんとか解析できました。生徒は勿論、一般講師も募集していますから、紛れ込めると思います」
AIであるケイはそこで講師の課題を映す。
「チョット待て。何年生の問題だ?」
「4年生です」
どう教えるのかと言われても、ここにいるのは学生が多い。ケイは一例を示した。
8÷2=4
↑ 2×4=『8』
+――――+
16÷2=8
↑ 2×8=『16』
+―――――+
9÷2=4…1
↑ 2×4+1=『9』
+――――――+
17÷2=8…1
↑ 2×8+1=『17』
+――――――+
□÷54=18…28
↑ 54×18+28=『1000』
+――――――――+
「あ! 検算かよ。これなら俺でも教えられるぞ」
判って見ればどうと言うことはない。検算を利用して教えるのが一つの定石であった。
●仮採用
一般に、高校教諭は中学校教諭よりも、中学校教諭は小学校教諭よりも教えるのが下手だと言う。生徒の理解能力と基礎学力が違うからである。それは学習塾であっても同様。
「とりあえず講師として潜入しなければいけませんわね。えぇと……」
烏鳩ことダウは四苦八苦。
目の前の課題はわり算の『導入』。初めてわり算を教える場面だ。120枚のトレカと80円。どちらを選ぶかが教員としての資質を見る判定基準なのだろう。
「むっ、くっ、これを解いて講師にならないと……清掃業者じゃ駄目かしら」
泣き言が入る。散々悩んだあげく徹夜。やっとの事で結論を出し、授業計画を立てて面接に臨んだ。
「ハム博士!」
烏鳩は知り合いを見つけほっとする。試験官がハムであった。
「えーと。トレカを題材にいたしますわ。興味を持っている事柄を題材にしたほうが勉強も頭にはいるはずですもの。実物を使って教えるのも簡単ですしね」
ハムは冷徹に
「0点。あなたには講師は無理ですね。一応、最後まで聞きましょうか?」
詳しく説明させた後只一言。
「熱意はあるので、ぼくの助手をお願いします。暫くはぼくの授業を見学して下さい」
烏鳩。なんとか参加に成功。
●資質
講師候補のほとんどが、せいぜい学生アルバイトでとして家庭教師をやった程度の素人であり、ほとんどが失格した。
「結城夏岳さん」
呼ばれてドアの向こうへ。そして課題について口頭試験。
「勿論。80円を20円づつ分ける方です」
試験官は論評を加えずその理由を聞く。
「トレカの場合。ダブリは? とか これいらない等で混乱します。例示にはお金のように、全て同質な物で揃えた方が良いと思います。更に言えば『全部5円玉の場合は何人に分けられる?』とか『全部10円玉なら?』とか……」
皆まで言わせず、
「8点。間違ってはいませんが、不十分です」
「あの、満点は幾つですか?」
「100点満点の8点です。でも、今までで最高点ですよ。良いですか。課題はわり算の導入です」
最高点と言われても素直に喜べない。どこか大きく外していたのだろう。
「結城さんは体育の教師を目指して居られるのですよね?」
試験官は訊いた。
「はい。教職課程をとる積もりです」
「結城さんは、子供全員に跳び箱を跳ばせれますか?」
跳び箱指導法は、1970年代まで高名な専門の先生方が指導法を研究し続けて、一向に実現しなかった難問。しかし1981年に最終解決し、今では常識である。
「ええ。あたしでも一人15分頂ければ。健常者なら飛ばしてみせます」
「なら早い。わり算を跳び箱の指導のように、間違えないスモールステップに分解し、跳び箱で言うなら体重移動する感覚を身体に覚えさせる部分に当たるキモを体得させれば良いのです」
なんとなく解ったような気がした。
「結城さん。やってみますか?」
どうやら合格したようだ。
「鈴生蘭さん」
現れたのは見た目たおやかな女性。
「今の世の中、『頭がいい』だけでは渡って行けません。元不良の先生や、成績は悪かったと話す社長さんも多いですし。勿論成績も重要ですが、独自の考えや感性を持っている子はその部分を伸ばす事も視野に入れております」
いかにも組合おばばの言いそうなセリフを並べたが、試験官の質問に対し
「120枚のカードと8枚のコインでは、どちらが子供にとって扱いやすいかと言うお話ですね。80円なら、10円玉8枚をノートに書いて実際にやってみることが出来ます。10枚づつ束にするなど余計な作業が入らない分、導入問題として適当です」
「合格です。子供の考え方の流れが見えているようですね」
正規採用が決定した。
●エントランス
マンションのエントランス。受付1時間前と言うのに、無料の効果か校区内に配っただけなのに結構子供達が集まっている。
「また、集まったもんだぜ」
辺りを見渡し南風極楽丸は呟く。
「それにしても、幼稚園の子じゃあるまいし。たかが近所の塾に行くのにママに来てもらうなんて、すげー甘えん坊じゃん」
「お母ーさん! 帰ってよ!」
聞こえたのが、顔を真っ赤にして母親に怒鳴る男の子。
「はいはい。脱走なんて恥ずかしいことしないでね。隼人君」
「わ、かってるよ! いーから、帰って!」
どっと笑う回りの子。
「ごめん。そう言う理由か。悪い悪い」
極楽丸はむくれる男の子に声を掛けた。
「こないだちょっと家に帰んなかったら、ああだもん」
「家出? やるじゃん」
「へへへ。まあね」
極楽丸の声に、隼人はちょっと照れる。実はそんな上等な物ではない。ハム博士の薬でプチ巨大化したため。中和剤が出来るまで家に帰れなかっただけなのだ。
「へー。あんた家出したの? 良かったら聞かせて」
覗き込んだのは藤堂緋色。
「言えない。男と男の約束だから」
その背伸びした威張り方がなんとも可笑しくて、思わず緋色はくすっ。
「なんだよブス!」
隼人は拗ねる。
「気にするな。おまえが誰もが可愛いって思える子だから、こいつもそう言う口が利けるんだぜ。本当にブスなやつにそんなこと言ったら格好悪いイジメじゃん」
物は言い様。極楽丸がフォローする。ちょっと大人の感じがした。
話し込む内、三人は悪友としていい感じになってくる。学校のこと、ゲームのこと。話題は尽きない。
「ハヤト、おまえそんなにカセット持ってるのか。いーなー」
「でも、さー。うちDS買ってくれないんだ」
親の方針だろう。友達と遊ぶために多めにカセットは買うが、熱中させないために本体は買わない。その場で遊ぶ以外の貸し借りも禁止している。
「動物の森あるの? 今度遊びに行っていい?」
緋色の後ろから女の子が身を乗り出す。
「まてや。俺が先約」
極楽丸が宣言する。そして小声で。
「女子が来る前に片づけとけ。手伝ってやるよ」
「ハヤトの部屋。そんなに散らかってるの?」
緋色はジト目。
「……」
急に黙る隼人。どうやら図星だったらしい。
気が着くと、いつのまにか回りに人垣が出来ていた。
「あれ?」
一人話に入れずポツンと佇む女の子。
「おい。おまえ……」
アンモニアと接触したフェノールフタレンのように見る間に染まる顔の色。かなり人見知りする感じの子だ。背は高めだが華奢な女の子。病気がちなのか、一等目立つ色の白さ。それが、今にも泣き出しそうに見えたため。
「……ごめん」
反射的に極楽丸は謝った。
「ぴーちゃん。ラヴラヴ?」
隼人がからかう。
パコーン。いい感じの音がした。
「痛て!」
「おまえなぁ~」
辺りから起こる笑い声。
「はーい。皆さん入ってください」
塾の人がやってきた。
●捜索
辛うじて講師採用された漆原静流は、ハム博士が監督する実力テストの時間、控え室に残った。
「静流さん。頑張るね」
基地で事前打ち合わせをしていた夏岳が覗き込む。
「でもちょっと拍子抜け。もっと苦労するかと思ったわよ」
カリキュラム確認は講師の義務である。向こうから細かい内容を記したプリントが渡された。大体5分刻みのスケジュール。しかし所々未定とあり、講師独自の授業も組み込める形になっている。算数のゲームなどもやって下さいと書かれて。ゲームの写真が貼られていた。
「ノートの使い方から始まって、内容は足し算引き算のおさらいから分数の計算までね」
ミニ定規で数式を書かせる。採点は赤鉛筆のみを使わせる。消しゴムは使用禁止等、講師が生徒に徹底させる事項が書かれていた。求める理由としてこう書かれていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
美しいノートは最良の参考書です。
丁寧に定規を使って書かせるだけで、ケアレスミスはなくなります。
大事なのは、実際に間違えた過程や内容がこれは間違いですと記録されていること。
その子の為に作成された間違い例示となるからです。
算数は『型』の教科です。補助算・検算の書式徹底し、自力で解けない子には、模範
解答を丸写しさせて、それが出来たら丸をつけて下さい。出来るようになります。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(「なんだか凄くまともね。ほんとうにジョーカーの幹部養成塾なのかしら?」)
チラシの言葉通り、数楽塾が本当に子供達に「学ぶことの楽しみ」を教えてくれるだけのように思えた。
(「絶対にそれだけで済むはずは無いわよね……。だって講師があの基地外博士のハムちゃんだもの」)
何度も読み返し、自分のノートに書き写し、内容を事細かく吟味する。
「おさらいが中心なだけあって、進行が早いんだよね。みんな着いてこれるかな? 一部の優秀者を集める事が教育じゃなくて、全員を優秀にすべく頑張るのが教育だよ」
夏岳はすっかり教員モード。どこかの組合活動家に聞かせたいものである。
「でも、このカリキュラムの通り進んで効果が現れると、親も子供達もこの塾を信頼しちゃうわよね」
それは下手な洗脳よりも手強い相手に成る。長丁場の戦いになるかも知れない。
「それにしても、規模が小さいせいかコンピューター以外のアナログが多いわね」
「アナログと言うか、アナクロと言うか……」
静流と夏岳は顔を見合わせる。
業務日誌は手書きかプリントアウトにサインした物をファイリングして行く。出欠簿はチェック方式だ。幹部候補のデータが記録されているのが、ハム博士の手書きのえんま帳だったりしたら、プログラムでは破壊出来ない。それに、たかが40人足らずの生徒では、頭に記憶する事も可能だ。
急がないと戻ってくる。静流は急いで調べた。怪しげな物はとりあえず無い。アロマCDの類はかなりあったが市販の物だ。
ブッ……姉貴どうだ?
rPhoneからの定期連絡。
「あ、祐。足りないのはモヤシと白滝よ。判った?」
『手懸かり無し、調査継続中』の符丁を送信したところでチャイムが鳴った。
●わり算
ハム博士は、烏鳩と夏岳を連れて教室にはいると、
「今日は、僕のやり方を見学して下さい」
そう言って授業を開始した。声は小さく騒いでると聞こえない。
「教科書を開きなさい。P15。ノートの新しいページを広げ、見開きの左上に今日の日付を書きましょう。その横に『13 わり算のひっ算』と書きなさい」
いきなりの指示にみんな吃驚。
「その下に問題を書き写しなさい。72枚の色紙を3人で同じ数に分けるといくつになりますか? 指2本開けた下に式を書きなさい。また指2本開けて教科書の説明図を書き写しなさい。出来たら持ってきなさい」
言われるままに作業をする。作業スピードの差のためか、列は出来ても3人くらい。
「えー。なんでだめなの?」
ノートには大きく赤鉛筆で『×』。
「消しゴムで消さず。書く場所を指2本分下に移動してやり直し」
と只それだけ。それでも、問題と式と解説図を写す作業である。10分程度で全員が丸を貰った。
「図では、色紙は10の束に為ってますね。ノートに書きなさい。初めに10の束から分けます」
黒板にもでかでかと書いた。そうしておいて。板書しながら説明して行く。
「72わる3をノートに書きなさい。初めに10の束から分けるのですね? 72の2を指で隠しなさい。7の中に3はいくつありますか?」
「「2つ」」
「2を7の上に書きます。これを『たてる』と言います」
各ステップを図解するように、漢字の筆順のようにステップ毎の変化を並べて行く。
「次に3と2をかけます。いくつですか?」
「「6です」」
「6を7の下に書きます。これを『かける』と言います。7から6を引きます。いくつですか?」
「「1です」」
「1を6の下に書きます。これを『ひく』と言います」
(「へー。こういう風にやるんだ」)
緋色は横目で隣を見た。隼人も極楽丸も授業に集中している。
「1の位に2をおろして来ます。これを『おろす』と言います。12の中に3はいくつありますか?」
「4つ」
「4を2の上に書きます。これをなんと言うんでしたっけ?」
「「たてる」」
「『たてる』の次にする事は何?」
「「かける」」
「何と何を『かける』の?」
「3と4です」
「『かける』の次にすることは何?」
「「ひく」」
「何からひくの?」
「12から」
「ご名答。……このようにわり算は、たてる・かける・ひく・おろす・たてる・かける・ひく・おろす、の繰り返しです」
言いながら各ステップを板書し、
「全員起立。5回続けて読みなさい」
教室に全員の声が響き渡る。
「3かける2って難しいですか?」
「全然」とか「簡単」と言う声が聞こえる。
「7引く6が出来ない人!」
「せんせー。いくら俺がバカだって、そこまで落ちこぼれてないよー」
極楽丸はちゃかして言う。どっと教室大笑い。
「わり算で難しいのは『たてる』ところだけです。あとはかけ算と引き算の問題です。ゆっくりやれば誰でも出来ますよ。途中の計算を間違えないためには、横にこのように補助算をします。引き算は繰り下がりに注意して、消して1減らした下の位に10を書きなさい。順繰り下の位に持ってくるときは、その10を消して9にした後で、下の位に10を書きなさい」
そして、練習問題1の91÷7を全員で解き、81÷3の問題が出来た子から授業を終えた。
●夏の終わり
最終日。夕日が背中を押してくる。極楽丸と緋色と隼人とは、残り少ない夏休みを楽しくやろうぜと遊びの計画。
「今日ってさ。皆既月食があるんだぜ」
「皆既月食?」
「そう。月が消えちゃうんだよ。それも夜の7時半過ぎに」
2007年8月28日は皆既月食の日である。
「ぴーちゃん物知り」
えへんと威張ってみる。伊達に最年長ではない。
「でも、子供だけじゃ集まれないね」
緋色が言ったとき。
「君たち。よかったらうちにこない?」
講師の蘭が声を掛けた。
「やったぁ!」
隼人は大喜び。
「命さんもどう?」
蘭は少し離れて一人歩いてる命に声を掛けた。お勉強はとても良くできるけど、友達づきあいが下手な子だ。命は少し考えて、こくりと頷いた。
「ぴーちゃん良かったね」
「おまえ、まだ言ってるのかよ」
隼人の頭をパシッと叩く。隼人は堪えた風もなく、
「ひゅー! ラヴラヴぅ~」
と、五月蠅い。
「そんなんじゃねーよ。頭のいい子が仲間にはいると、宿題仕上げるの楽勝じゃん」
「こら。ちゃんと自分でやる」
蘭はチョットだけ叱った。
●アジト
一同。手書きのメモを見ながら幹部候補の物色。
「隼人くんの伸びが頼もしいですね。おとなしすぎますが、命さんは参謀として逸材です。緋色さんは一般大衆のカリスマ指導者になる素質を持っています。極楽丸くんは司令官としての素質が認められました」
「博士。ぴーちゃんはこっちの人間です」
どうやら、授業を通して幹部候補の目星はついたようだ。
「あせってはいけません。ゆっくり時間を掛けて信頼を創り、育てて行くのです」
ハムはそう皆に告げた。