31:ヨコハマ暗黒街紀行(3)
悪クラスのプレイヤーのボス格”ゲダム”と交渉の為、”悪人街”と呼ばれる場所へやってきたラクォーツこと”ラク”だったが、追手に捕まり瀕死の状態へと追い込まれてしまう。
しかしその場に現れた悪人街の「掃除屋」と呼ばれるプレイヤー達によって追手は去り、辛くも危機から逃れた。
そして安堵の瞬間が訪れたように思えた。が……現実はそんなに甘いものではなく、ラクは弱った所に更に追い討ちを掛けられようとしていた―――
(文字数:11776字)
真夜中。悪人街のあるここ横浜エリアは、静寂に包まれていた。
街中で、しかも中心部であるはずなのだが、見渡す限り瓦礫の山しか見えず、事情を知らない人間が見れば、まるで戦争か何かで散々に破壊され尽くした後に見えただろう。
建物の影は、かすむほど遠くにかろうじて確認できる程度。
しかしその見える建物も、無事に建っているものは余り無く、なんとか形を保てているだけで今にも崩れそうだったり、文字通り半分だけが綺麗に抉り取られて半壊していたりした。
恐らく、これから軽く見積もっても1週間から1ヶ月ほどは街の機能が大幅に制限されてしまうことだろう。
「ぐ、ぐぐ……っ!」
そんな瓦礫の世界が広がる横浜エリアで、ラクは呻き声を漏らしながら、身体を僅かに仰け反らせていた。
廃墟のような世界と化したファシテイト内の”横浜エリア”において、”ラクォーツ”こと”ラク”は、喉元にナイフを押し当てられ、今まさに追い剥ぎの一手を掛けられていたのだった。
「ほら、どうした? 出せよ。持ち物をよ」
ナイフを持っている練達盗賊のサイモンは、ラクの喉元に僅かにナイフを食い込ませて、言った。
(甘かった……!)
ラクは事態を甘く考えてしまっていた事を後悔した。
まさか逃げ込んだ先で、しかも助けた相手からこんな風に脅しを受けるとは思っていなかったからだ。
今まで、ファシテイト内においての修羅場に、無縁であったわけではない。
プレイヤー同士の対戦試合で、マナーの悪さから雰囲気が険悪になり、そのままルールの無い喧嘩だとか、酷い罵声の飛ばし合いになっているのを見た事はある。
そして調達の仕事をしていて、持っていった物を巡って生臭い争いに発展した場に居合わせた事もある。
だが……それはどれも”街中”では余り起きない事だ。
例え起きたとしても、十数分もすれば治安維持ギルドの人間や、ガード役のNPCなどが飛んでくる為、さほど大事にはなりはしない。
街中での犯罪行為や騒動を起こす事は、厳重な取締りによって抑制されているのだ。
(考えてみれば……ここは普通のプレイヤーが居る町じゃなかったんだよな……)
どうやら、そんな”常識”はここでは通用しないものであるらしい。
少し考えてみれば、こうなる方が自然といえば自然であった気もする。
ここは悪クラスプレイヤーの集まる場所で、つまりはPKや窃盗などの犯罪行為を平然とやるプレイヤーが集まる場所であるのだから。
(くそ、くそう……!!)
後悔の念が心の中に充満していく。
だが、喉元に突きつけられたナイフが更に食い込み、痛みが走った事で、その鬱屈とした感情は吹き飛ばされた。
喉が僅かに裂けた事で、ただでさえ少なかったHPは、遂に”1”になってしまったからだ。
「ッ……!」
”死んでしまう”と、感じた瞬間―――
背筋に例えようのない悪寒が走り、頭の中が危機感だけで塗り潰された。
(……あれ……?)
ラクは死亡してしまうかと思い、息を呑んだが、HPバーはそれ以上動く気配は無かった。
どうやらサイモンは”手加減”のスキルを使っているようで、トドメは手動になっているようだ。
それを確認するとラクは目を閉じて気持ちを落ち着かせた。
(落ち着け……今は後悔してる場合じゃない。重要なのは……この事態をどう打開するかだ)
ラクは深呼吸を一度行うと、目だけを動かしてサイモンの方を見た。
彼は得意気な表情を浮かべ、余裕たっぷりにラクがどう動くかを見ていた。
恐らくは、このままラクが脅しに屈して持ち物をその場にぶちまけてしまうのを待っているのだろう。
ラクは、何も言わずに黙ったまま、サイモンが次に何を言ってくるかを待つ事にした。
このままでは”交渉”が出来ないからだ。
(とにかく、このままじゃダメだな)
全所持品を差し出してしまうのは簡単だが、それを何も考えずにやってしまうわけにはいかない。
ここは―――”悪人街”。何が起こってもおかしくない場所である。
それを自覚し、どうするかを熟考しなくてはならない。
普通の街と同じような感覚でいれば、危険極まりない場所なのだ。
(まず、自分の状況を整理だ……)
今、自分は殆ど動く事が出来ない状態だ。
HPはもうガス欠寸前で、戦う事などはもってのほか。もはや数秒たりとも戦闘は無理だ。
こんな状態で全ての持ち物を失ってしまって、無防備になるわけには行かない。
ガードや治安維持を担うシステムが全く無いこの場所で、身を守るものが何も無くなったとしたら、どうなるかわかったものではない。
それにもし―――全ての道具を差し出してしまって、それでどうなるというのか。
(安全に解放してもらえる、かなぁ? う~ん……)
この状況へと至ったのを見る限りでは、とても楽観的には考えられない。
スッカラカンにさせられてしまって、そのまま面白半分にトドメを刺されるというのも十二分に有り得る。
良くてそのまま放置されてしまい、終わりだろう。
そして次に……恐らくではあるが、自分を賞金稼ぎなどに引き渡して、小銭を稼ごうとする輩などが寄ってくるかもしれない。
しばらくヒーリングが必要な状態で、もう殆ど行動できない以上、そういう事があっても何ら不思議ではない。
(い、いかんいかん……つい思考がネガティブに……)
慌てて頭を振って思考をリセットする。
今、大事なのはそこではない。
状況を”深掘り”する事ではなく、”打開策”を探る事だ。
(とにかく……やらないといけない事は”安全を確保する事”だ。適当なワールドアウト用の宿を教えてもらうとか、応急処置ぐらいの回復をしてもらうとか……)
やがて、双方が押し黙ったまま1分ほどが経つと、サイモンは言った。
「なんだぁ、だんまりかよ。つまらねぇな」
サイモンはナイフを収めると、ヤジマへと目配せをした。
すると、今度はラクの喉元にヤジマの刀が突きつけられた。
何故? とラクは思っていたが、次にサイモンがやり始めた事を見て、その理由がすぐに理解できた。
「さてと、じゃまぁ……勝手にやらせてもらうとするかにぃ」
そう言うとサイモンはラクの道具袋を掴み、目の前に電想ウィンドウを開いた。
そして―――信じられない事に、勝手に”こちら”のアイテムを取り出し始めた。
(うっ! 賊術か……!! そういえば盗賊だから……)
ラクの道具袋には暗号化をかけており、第三者が容易に道具を盗み取る事は出来ない。
だが盗賊の賊術、つまり”盗む”スキルが使用された場合は勝手が異なる。
これはスキルであり、要するにある種の”攻撃”に当たる為、防御する場合は自分自身のレベルや対応するステータス値がある程度なければならない。
無論、気をつけていればある程度は防ぐ事もできるのだが、やはり最後はステータス差がモノを言うのだ。
そして今は―――盗られる事に対して物理的な防御も出来なければ、能力差もメチャクチャに開いている状態。
抵抗など、何一つ出来なかった。
「や、やめろって……!!」
ラクが口を開いて文句を言いかけると、ヤジマは何も言わずに喉元の刀を”鼻”へと移動させ、更に僅かに鼻孔へと突っ込んだ。
「ぐっ!? ふが、ふが……」
ヤジマは目を閉じたままで”黙れ”などとは言わなかったが、どうやらこちらが自由に話す事を許可してはいないようだった。
ラクはどうしようもない状況に、鼻を鳴らして呻くしかなった。
そんな最中にも、ものすごい速さでサイモンは道具を抜き取り、付近に実体化させて広げていった。
「えー……毒針に火薬玉、充填式のペンシル・ピストルに……おっ、”ブリンク・ポール”なんて持ってやがる。いいね~。おみぃ、準備のいい野郎だなぁ~」
サイモンは、口紅を少し縦長にしたような物を持って嬉しそうに言った。
持っているのは分身を作り出すアイテム「ブリンク・ポール」だ。
かなり値が張る割に使い捨てのアイテムだからか、普段持っている人間は少ない。
便利なのだが紛失しやすく、モンスターに倒された時などに被害が大きくなりやすい為、基本は強力なモンスターを狩りに行く場合だけ用意する事が殆どだ。
(うう……くそう、やばいなぁ……)
ラクは持ち物を次々に奪い取られていくのを、恨めしそうに見ていた。
だが、それ以上に―――”ある事”が気になっていた。
持っている物を全てチェックしていくのなら……いずれ”アレ”にも当たってしまうはずだったからだ。
(どれも盗られたら嫌だけど、”アレ”だけはちょっとなぁ……)
「しっかし、やけに攻撃用の道具ばっか持ってんな……ん? ありゃ?」
(来たか……)
「どうした?」ガンテスが訊ねた。
「いや兄貴、1個だけ正体不明のままのもんがあるんだ。なんだろ、これ?」
「お前のアイテム探りでも見えないのか?」
「ダメだぁ。こりゃあ、かなり高レベルのアイテムみたいっすわ」
サイモンが見つけたのは”★アクア・サーバ・セイバー”である。
ラクは、目の前の三人組とエクスクモの戦闘が始まった際、万が一を考えて持っていたレア武器を道具袋の中へと隠していたのだが、どうやらそれを発見されてしまったようだった。
名前こそわからない為、何かまではわからないようだが……致命的だった。
それに興味が出たサイモンは、早速、ラクに向かって訊ねた。
「これ、なんだ?」
”盗む”能力は強力ではあるのだが、万能ではない。
アイテムによって盗める成功率の”基準”が存在する。
これによって簡単に奪えるものと、例え相手が低レベルでも盗むのが難しい物が出てくる。
まず、アイテム自体のレベルが低いもの。これは簡単に奪い取る事が出来る。
そして次に消耗品、軽いもの、小さいものなどは奪い取りやすく、代わりに高レベルのアイテムや、一定以上のサイズの装備品などは奪うのが難しくなる。
よってアーティファクト装備などの”レアリティが高い装備品”は賊術で奪うのが最も難しいものとなるのだ。
特に装備品の中でも、”武器”は技を出す為に必要なものであるため、更に難しくなっている。
”アーティファクトの武器”などは、それこそ盗むのは不可能と言ってもいいレベルだ。
これはアイテム自体にもスキルに対しての抵抗力があるからで、高レベルアイテムは、大抵が強い抵抗力を持っている為だ。
他人のアイテムを盗み見するスキルにも引っ掛からなくなる為、”何を持っているか?”というのも知られにくくなる。
「ふが、ふが……」
サイモンが訊ねるが、鼻孔に刀を差し込まれている為、ラクはうまく返答できなかった。
それに気付き、サイモンがヤジマに向かって刀を下ろすように言った。
「やっさん、ちょっと刀」
彼が言うと、ヤジマは黙ったまま刀を納め、最初の腕を組んだ姿勢へと戻った。
「おい、この残ってるのは何だ? 装備品か?」
サイモンから問いかけられ、ラクはどうするか迷った。
手持ちがバレてしまった以上、このまま黙って通す事はまず無理だろう。
しかし……かといって正直に話してしまうのも、どうにも悔しかった。
(出したら……確実に盗られるだろうなぁ)
誰が持っていくのかはわからないが、目の前の三人はいずれも接近型のクラスだ。
今、自分が持っているアーティファクト装備など、喉から手が出るほど欲しがるに違いないだろう。
特に、目の前の盗賊クラスのプレイヤーは、今しがたアーティファクト装備の強力さを目の当たりにしたのだから尚更だ。
自分が持っている「★アクア・サーバ・セイバー」などを出せば、それこそ目の色を変えて奪おうとしてくるはず。
(ん……? 待てよ……?)
これは―――交渉に使えるかもしれない。
ラクはそう考えると、少し前にアーティファクトが下がっていた自分の腰元の方へと視線を落した。
とはいえ上を向いている状態なので、腰の方へと視界は向かず、もし顔を向けて見たとしても、腰に”あの装備”は装着されていない。
だが―――”もう二度と付けられない”だろうと考えると、どうしても未練が残り、思わず目を向けてしまうのだった。
(……)
今からやる交渉は、どういう結果になったとしてもほぼ確実にアーティファクト装備を手放すことになってしまうだろう。
そう考えると、ラクはやりきれない気分になった。
「おら、黙ってないで何とか言えよ」
ラクは、再びサイモンにナイフを顎へと突きつけられた。
僅かに力を入れられ、顎の骨を丁度持ち上げる形となり、顔を上へと向けさせられる。
そして、サイモンは据わった目つきでラクに言った。
「出すもん―――出してもらおうか」
その”威圧感”というよりは、もはや相手を慄然とさえさせるような表情は、とても小柄な子供の姿をしたプレイヤーのものとは思えなかった。
だが、既に覚悟を決めているラクには、それがえらく滑稽なものに見えた。
(な、何歳なんだ一体コイツ……本当に小学生な訳は……ないだろうけど)
「出さねぇなら、このままブッ殺してデスドロップに賭けるだけだぜ?」
サイモンは吐き捨てるように言った。
”デスドロップ”というのは、PKが行われた際に、殺害されたプレイヤーがその場にアイテムを撒き散らす事を言う。
PKを行う大きなメリットの一つであり、通常プレイの際でもモンスターがプレイヤーを狙う理由の一つでもある。
当然ながらアーティファクト装備もPKされた場合にドロップさせる事が出来るのだが……これも盗みと同じで、アイテムのレベルが上がるほど落しにくくなっていて、なかなか持ち主の元から消失しないようになっている。
とはいえ全く落さないわけではなく、可能性はある事はあるので、行う人間は少なくない。
(どうするかな……)
「10数えてやる。そのうちに決めろや」
やはり持って来なければよかっただろうか……とラクは目を瞑って激しく後悔した。
最初から使わずに、この騒動が収まるまで待っていれば……と考える。
だが―――これが無かったなら、恐らくここには来れなかったとも思った。
ウェンファス姉妹を撃退できたのも、そしてエクスクモの攻撃を二度ほど防御できたのも、この武器のおかげである。
これでなければ、ラクは間違いなくどこかで倒されていただろう。
(……~~~)
「3……2……!」
迷っているまま、カウントが限界へと狭まってきた時。
サイモンの腕に力が込められたのが、ナイフ越しに伝わったその瞬間、ラクは顔をより夜空へと向けて、叫ぶように言った。
「わ、わかった……わかった!! 出す! 出すから、やめろ!!」
ラクは急いで袋を操作し、自分の持ち物の中に唯一つ残ったものを実体化させた。
操作を完了させると共に、腰元に青色の鞘に入ったナイフが出現する。
それを見ると同時に、サイモンの顔色が明らかな驚愕の色に染まった。
「……ッ、それは……!?」
「武器か……? 武器で高レベルアイテムって事は、まさかそいつぁ……」
ガンテスが物珍しげに顎を突き出して言った。
「な、なんだ!? それ!?」
「……”★アクア・サーバ・セイバー”って言うエクストラ・アーティファクトだ」
「よっ、よっ……寄越せ!!」
サイモンが目の色を変えて鞘へと手を伸ばすが、ラクはその指が届く直前、武器をデータへと戻し、消した。
自分の道具袋の中へと戻したのだ。
「うっ!? なっ……!?」
「……タダじゃ渡せない」
ラクが言い放った途端、サイモンの表情は呆れたものへと変わった。
「何ぃ……? ”ただ”じゃダメならなんだってんだ?」
(……)
ここから。ここからが―――交渉のしどころだ。
ラクは一瞬の黙考の内に、そう自分に言い聞かせ、口を開いた。
「代わりに……何かをこっちにくれ。流石にこのレベルの装備品、脅されただけじゃ渡せない」
「はぁ?」
サイモンは”何を言ってるんだ?”と次の瞬間に口にしそうな顔で声を漏らした。
ラクは自分がボロボロである事もあり、一瞬気圧されそうになるが、こういう風な反応が返って来るのは当たり前の事だ。一々気にしていても仕方ない。
ラクは気にせずに続けて言う。
「それなりの対価が欲しいんだ。身の安全を保証してくれるとか、別のアイテムと交換とか……でなけりゃ、俺はこのままデスリターンして別の悪人街へ行く」
身体の力が抜けているので、息を切らしながらだったが、ラクは精一杯の力を込めて言った。
サイモンは、そんなラクの言葉を馬鹿にしているような雰囲気を漂わせつつ、応えた。
「馬鹿かおみぃは。死んで本住所に戻って、また一人でどっかに行く? そんなん、何度死ぬかわからねぇぞぉ?」
ラクは交渉をしているつもりだったが、実際は”打算半分、物欲半分”と言った所だった。
本来、今は死亡してはいけない為にもう少し弱腰で臨んでもいい話である。
だがこれだけのレア装備を使って、自分では譲歩しているつもりであるのに、サイモンが見せていた人を小馬鹿にした態度に、ついラクは口調を張り上げた。
「アーティファクト装備なんだぞ……!! ただ盗られるだけなら、死んだ方がマシだ!!」
それは、ラクの心の底からの叫びでもあった。
ゲーム内における物欲の強いラクは、仮にこの絶体絶命的な状況が、死亡しても問題のない状態であったとしても、同じ事を言っただろう。
そんな物欲がそのまま現れたような”気迫”に、僅かにサイモンが怯むような様子を見せた。
「グッ……」
調子のいい声が止まり、思わずサイモンは黙り込む。
「~~~、くっそぉ……言いやがるなぁ」
本来、悪クラスのプレイヤーは、PKだとか窃盗だとかをものともしないので、気に食わないのなら、相手にPKを仕掛ける事も平気で行なう。
だが、今の状況は”逆にPKを行えない”状態となっていた。
もし、仮にここでサイモンがラクをPKしてしまった場合、千載一遇のレアアイテム獲得のチャンスを失ってしまう。
単純にPKしてしまった場合は、デスドロップで最高クラスのアーティファクトを落す可能性は限りなく低いのだから。
仮にここで―――サイモンが逆に強気に出ていたなら、死亡するわけにはいかない為に、ラクはアイテムを手放すしかないのだが、アイテムのレアリティが高すぎる為に、サイモンはどうしても強気に出る事ができなかった。
(どうすっか……あぁ~~)
サイモンが視線をラクの、ついさっきまで武器が着いていた部分を見ながら歯噛みをする。
そんな姿を見て、後ろに居た大男・ガンテスが噴出し、笑い声を漏らした。
その声は段々と大きくなっていき、真夜中の悪人街の空に、笑い声が響いていった。
「えっ? あ、兄貴……?」
そしてひとしきり笑った後、ガンテスは言った。
「言うじゃねぇか。いい具合に欲の皮が突っ張ってやがる。こうまで言われたら、お前も何か出さねぇとなぁー? サイモン」
「ええ!?」
「ふむ。無駄なく喰らいつく姿勢は悪くない所だ」
「やっさんまで……おいおい、どうかしてるぜ。なんでこんなレベル20ちょっとしかねぇ野郎に譲歩しなくちゃならねぇんだよ? ド素人だぞぉ?」
「いや……素人ではないだろう」
「え? 素人じゃねぇって……」
ヤジマが僅かに目を開き、ラクの方を見て言う。
彼は端的な言い回しで、だが鋭い観察眼でもって見抜いたラクの動きを淡々と述べた。
「最初に見たとき……遠くからであったが、こやつは確かスパイダーの攻撃をガードし、吹き飛ばされていた」
「それがどうしたってんだぁ?」
「流石に素人に……スパイダーの攻撃はガードできん。あれはまぐれでは決して防御できぬ攻撃だ。こやつは……低めに見ても、”元”30台後半。ひょっとすると40台やもしれぬ」
「40だって……?」
ヤジマが言った”30台”というのはレベルの事である。
プレイヤーの中には、何かしらの事情からレベルが大きく下がった者達が存在する。
そう言うプレイヤーを指して「元30台」などと言う風に呼称するのだ。
「……」
サイモンはそれを聞くと、改めてラクへと向き直った。
そして先程までの人を小馬鹿にしたような、嘲りの表情を完全に消して訊ねた。
「おみぃ、レベル本当はいくつだ?」
「え? 本当、って……」
「”今までの最高値”だ。考えてみれば、レベル20ぐらいのド素人が、そんなモノを持ってるっつーのもなんか変だ。おみぃは……本当はもっとレベル高かったんじゃねぇのか?」
「……ああ。最高値は”49”だ」
「49……? じゃあ20以上下がってるって事か?」
ラクは寝転がったまま、自分の元のレベルを伝えた。
LV.49―――それは、プレイヤーの一つの到達点とも言える「Lv.50」の一歩手前であり、準上級クラスへとなる寸前といった所のレベルだ。
通常のプレイヤーは、30前後でレベルの上昇が止まる。
そこからは必要EXP(経験値)の量が一気に増大する事と、経験値を通常通り貰える”適性モンスター”が強くなる事で、倒したり倒されたりを繰り返してしまう事となり、中々レベルが上がらなくなる。
”40”あれば充分強いと言える方で、”45”あればゲーマーを名乗って充分なレベルだ。
そして”50”となるとちょっとした地区エリアの有名人になる、という程になる。
(そう……49、だ)
別に有名人になりたいわけではなかった。
もっと沢山の強力な装備を身に着けるため、見た事の無いレア・アイテムを手に入れるため。
またもっと強力なモンスターの相手ができるようになるため。
そして……ただただ、ゲームを楽しむ為に能力を上げて、準上級クラスになりたかった。
その為に、コツコツと長い時間を掛けてレベルを上げていた。
だが―――自キャラにその努力の跡は、もはや影も形も無い。
つくづく自分は無様だな、とこうして低くなったレベルを見て痛感した。
(……ん?)
ラクは、先程から明らかにサイモンの態度が変わった事に気付いた。
自分を見る目が馬鹿にするような感じから、酷く真面目なものへと変わったような、そんな変化だ。
サイモンはしばらく顎を小指で掻きながら、何かを考えるような仕草をしていた。
だが、やがてラクに向かって言った。
「おみぃ、なんでスパイダーの奴に追っかけられてたんだ?」
「えっ? あ、あれは……単純に追っ手の中に混じってただけって言うか……」
「おいおい、そりゃねぇだろ」
ガンテスが横槍を入れる。
「賞金稼ぎが今まで誰かを追っかけて、街中まで入り込んできた事は何度もあるが、あんなデカいのが来た事は殆どねぇぞ。おめぇ、一体何をやった奴なんだ。確か”チーター”っつってたが……」
「……ひょっとして、これではないのか?」
ヤジマが目の前に電想パネルを作り出し、その中にニュース・ウィンドウを表示させた。
そして、今しがた見ていたらしいニュースの動画を再度流し始めた。
画面には、一人の少女の姿が出ていた。
見た目は中学生ほどで、肩に大きめの目立つアーマーをつけている。
鎧もややゴテゴテした感じのもので、ややサイズが大きすぎる感じを受けた。
そして頭には三角の鍔の広い帽子を被っており、全体的にマスコット的な装いをしている。
どう見ても戦士タイプなのだが、明らかに何もかも身につけているものが大きい。
そんな、ひどく幼い感じを纏っている少女だ。
『こんにちは~! ファシテイト・カレント・ストリーム、通称”FCS”のお時間です!』
ヤジマの前に映し出された画面を、ガンテスが身を乗り出して覗き込む。
「なんだこりゃ? ニュースか?」
「人気のあるファイテイト情報番組のひとつである。これは、少し前のものとなるのだが……」
更にガンテスの隣からサイモンが覗き込んで言った。
「ああー、これ知ってるわ。アイドルばっか集まってるギルドのエースだっけ?」
「うむ。ゼルキアどのである」
「やっさん、こんなロリロリしいのが好みなのかよ」
「某は容姿ではなく声に惹かれ、視聴している」
「声……ねぇ」
話していると、ニュース画面に今日の出来事らしい一覧が表示された。
・北海道エリアの侵攻状況と危険度の一覧
・山口エリア銀鉱山に”鈍色の幽鬼”出現!
・再び世界的にシステム障害の可能性? SGM社は声明を発表
・沖縄にて戦魚マーキスの一団が確認される
・ドラマ『電想世界のグラン・リスト』の撮影が開始される
『それじゃあ今日のニュース、いっくよ~!』
そう言ってゼルキアはニュース一覧画面へと手をやる。
どうやらニュースの詳細を発表していくようだ。
だが―――画面へとやっていた手をすぐに下げてから言った。
『……っていきたい所なんだケド~、今日はちょっとねぇ、ニュースの前にみんなに大事なニュースがあるんだよね』
「ニュース?」
『数日前に関東全域で行われたジャッジ・バトルでねぇ、どうやら”チーター”が発生したみたいなんだ。すごいよねぇ、グランドマスターが参加してたバトルで”チート”するんだからさ~』
ニュースが流れると、ガンテスとサイモンの顔が段々とラクの方を向いていく。
『それで、そのプレイヤーの懸賞金が……今なんとねぇ、”300万”キャッシュだって! その上、ギルドポイントも大量に掛かってるんだ。すごいよねっ!』
ヤジマは何度も頷きながらその内容、いや彼女の声に耳を傾けていた。
そして続くニュースを聞き始めたが、他の二人は完全にラクのほうを向いており、もはや他のニュースは耳には入ってこない、という状態になっていた。
『みんなもこれを期に賞金稼ぎ、始めてみたらどうかな?』
「300万だと……?」
「うっ……嘘じゃねぇのか!? オリでも80万キャッシュだってのに……」
「なんでこんな高額なんだ。レベル20台で7桁とか、聞いた事ねぇぞ」
『それじゃ、今日のニュース、行ってみるよ~っ!』
ニュース画面を見たまま、ヤジマがガンテスの呟きに答える。
「なんでも”ミリオン・キラー”から逃げ切ったから、と言う話だ」
「ミリオン……ディバルの事か? コイツ、あの化物から逃げ切れたってのか」
ガンテスがラクを見て、感心するような声を上げた。
「ほぉ~……だからか。チート嫌いのスパイダーが追っかけてきたのは。そりゃ来る訳だ。大規模バトルでのうのうとチート使って、逃げ遂せてる奴なんざ一番嫌ってそうだからな」
その様子を見て、サイモンの顔が僅かに曇っていく。
「嘘に決まってる! グランド・マスターがこんなザコを見逃すはずねぇ。コイツ、裏で繋がってるんじゃないのか?」
(うっ……! す、鋭い……!)
侮れない、とラクはサイモンを見て思った。
鋭いというよりは、ズバリそのままの事実である。
恐ろしく事の中心を射抜いていた。
「流石にそりゃねぇだろうよ」
「でも兄貴……」
「ディバルはビフロストのギルドマスターだぞ? 姿を見せる事すら稀だっつーのに、レベル20……いや、仮に50台の奴としても、一般の奴等と口聞くことなんかありえねーよ」
有名ギルドのプレイヤーは、実際にゲームプレイをするより、政治的な役割を行う事が多くなり、人前に姿を見せる事が少なくなる。
有名なギルドであるほど、また力のあるギルドであるほどその傾向は強くなっていくのだ。
だからして、超有名ギルドの、それもマスターであるディバルと、ラクのような学校ギルドに所属しているだけの一般プレイヤーは、まず出会う事そのものが有り得ない事だった。
それは少し考えればわかる事で、サイモンはそれ以上何も言う事が出来なかった。
「そりゃ……そうだけどさぁ……」
サイモンが口篭っていると、ガンテスがラクの傍へと座り込む。
そしてラクを肩に土嚢のように抱え上げた。
「えっ!? あ、兄貴……一体何を……」
「”詰所”に連れて行く。こりゃあ、ちょっと俺らだけで判断するとマズそうだ」
「うむ。それが良いだろう」ヤジマはガンテスに賛同するように呟く。
「でっ、でもさぁ兄貴……レベルたった24だぜ?」
(えっ……? 24?)
ラクはサイモンが言ったのを見て、自分のステータスを確認した。
今まで激しい戦闘ばかりであった為、気にしていなかったが、見てみると”22”であったはずの自分のレベルが”2”も上がっていた。
(いつの間に……? 賞金稼ぎの連中と戦ったから?)
どうやら賞金稼ぎたちと戦っている内に、EXP(経験値)が思いのほか溜まっていたようだった。
道具などに頼りっぱなしではあったが、考えてみれば結構な上のレベルのプレイヤーと戦ったのだ。
知らない内に、意外と自分は経験を積んでいたのかもしれない。
特にレベル70越えのエクスクモなどは、攻撃をガードできただけでも相当な経験値になるはずだ。
「それにこんなん連れてったら、姐さんがなんて言うか……」
「だが300万の首だ。コイツが街の一員になりゃあ、街の格が二回りは上がる」
「……」
サイモンはガンテスにそう言われ、仕方なくそれ以上は言わず、俯いた。
だがその表情は、いかにも”気に入らない”という感情が滲み出ていた。
「ま、コイツが仮に……何か企んでここに来た奴だとしても、わかった瞬間頭カチ割りゃいい。それだけの話だ」
(え”っ……!?)
「行くとしよう……そろそろ朝だ。街の修復作業が始まるだろう」ヤジマが言う。
ガンテスがラクを持ち上げたまま、前を先導するように歩き始めると、それにヤジマが続いた。
そしてその後に、事の顛末が気に入らないのか、不機嫌そうな顔をしたサイモンが後を着いて行った。
(……不安だなぁ)
ラクは危険漂うガンテス台詞を耳に受けて、酷く不安な気分になりながらも、そのまま次の事態を待つ事にした。
まだまだ、事態は好転していないようだ。