22:黎明期の記憶
荒金靖樹たち三人は、不思議な少女「マルール」から頼まれた人探しのために
北海道エリアの「ルサーラ」から、雪山の探索へと出発した。
そして通常は入り込めない「第二の山頂部」へと進み、雪山の奥深くへと入り込んだ。
吹雪の中を進んでいくと、遂に三人は「後藤」と呼ばれるラビラントを見つけた。
彼は言う。自分は「ゲームとしてのファシテイト」を作った開発者達の一人だと―――
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山奥のロッジの中は、外から見たよりもかなり広い空間となっていた。
ラビラントは、グンバをソファーへと寝かせて毛布をかけた。
そして、部屋の中央にあった円筒形の設備へとコップで水をかけた。
すると水が弾ける音と共に湯気が上がった。
どうやらあれは、ストーブであるらしい。
「さて……まぁかけてくれたまえ」
ラビラントはロッジの奥の方へと引っ込むと、ポットからお湯を入れ始めた。
そして、棚の方から適当な粉のようなものをふりかけると三人の前へと持ってきた。
「飲むといい。オニオンスープだ。身体が温かくなる」
「い、いただきますだ……」
グンバはがっつくように出された器に口をつけ、スープを飲み始めた。
「オレは……こうかな?」
デアルガは器を傾けずに、口元をつけた。
するとスープから僅かにだが、水気が抜け始めた。
「こうだな。スケルトンの飲み方ってのには中々慣れねェぜ」
「……あたしは温かい物はちょっと……」
「おっと、すまない。こちらの方がいいか」
そう言うと、ラビラントは奥の方から氷の入ったコップを持ってきた。
コップには橙色の液体が注がれている。
どうやらオレンジジュースのようだ。
「ありがとー!」
コップがテーブルに置かれると、キッチェは身体の一部を伸ばして触手のようにし、コップの中にある液体を、触手づたいに飲み始めた。
■
やがて、ロッジ全体が暖かくなりはじめると、キッチェは余り温度の上がらない隅の方へと避難した。
「なんか暖かくなってきた……火が点いてないのに、なんで?」
「暖炉に”暖炉鉱”と呼ばれるものを置いているんだ。水をかけることで、高熱をしばらく発してくれるというアイテムで、砕くと”カイロ石”というものになると言う話だ」
「カイロ石の方は聞いた事あるが……元の方は、確か結構なレアアイテムだったような気がするな」
「マルールが持ってきてくれたものだ。最初は薪を持ってこなければならなかったが、これのおかげで大分楽になった」
そして―――ラビラントは、静かに話し始めた。
「さて……私のフルネームは”後藤安綱”と言う。まず、君たちの事を聞きたいのだが、いいかね」
ラビラントの「後藤」は、どこか厳かな雰囲気を纏わせながら、訊ねた。
「オレはデアルガ。リアルネームは”天堂御津貴”って言う。高校二年の学生だ」
「あたしは”世々乃喘里”って言います。中学三年です。あ、スライムの時の名前は”キッチェ”って言います」
遅れて、グンバも震えながら声を発した。
「お、オラ、は……”荒金靖樹”って言いますだ。この、モンスターの時の……名前は……”グンバ”って名乗ってますだ」
グンバの声は、まだかなり震えが残っていた。
どうやら、かなり無理をしていたらしく、まだ寒気が取れないらしかった。
「君達は……何故そんな姿になっているんだ? そして、マルールと出会って、何と言われてここへやってきたんだ?」
「オラ達は……」
後藤から訊ねられ、グンバはここまで来た経緯を話した。
普通にゲームをプレイしていたら、この姿になっていた事。
ゲーム内の”ムー大陸”にて蟻の町を経由して、ファシテイトの運営会社へと行こうとした事。
そして運営会社へと行く前に学校へと赴き、そこで”ワールドマスター”と名乗る存在と戦った事。
その戦いを何とか乗り越えて、それから”マルール”と言う別のワールドマスターと出会い、パッチを貰ってやっとの事でゲーム外へと出れた事。
しかしその後、彼女から頼まれた”探し人”を探す為にここまでやってきた、と。
「……」
全てを話すと、後藤は口元を押さえ、うろたえ始めた。
「馬鹿な……遂に、始めたというのか……」
「あんた、本当にゲームの開発者なのか?」
訝しげにデアルガは訊ねた。
「ああ。とはいえ……わたしが作ったのは、この世界の大元。最初の立体型インターフェースの部分だ。その後、こんな精巧な世界が作り出されるなんて……その時は思いもしなかった」
「ゲームのはず、なんだど? この”ファシテイト・ファンタジー”は……? 変な事を聞くようだけどんも……」
グンバが訊ねると、後藤は力なく応えた。
「ゲームのはず、だ……」
「はず、って?」
キッチェが訊ねると、後藤はカップに注いであったコーヒーを一口飲み、大きな溜息を吐いてから話し始めた。
「私は……現実時間でおよそ10年。だからもうかれこれ”30年近く”ここに囚われている」
「さ、30年……!?」グンバが思わず声を発した。
「このファシテイトは、運営が開始されてからおよそ”30年”になる。製作までに4年掛かり、安定するまでに更に2年掛かった巨大プロジェクトだった。私は……確か運営が始まってから15年目にこの世界へと囚われた。いや……”幽閉された”と言うほうが的確かもしれないな……」
「幽閉……?」
「少し、昔話をしようか。私が……この世界へと来るまでの話を」
そう言って”後藤”は、やや上へと視線を移しながら、話し始めた。
■
「あちゃー……これからどうしようかなぁ……」
後藤安綱―――30歳。
彼は、20代の頃からプログラマとして働いていたが、この度、勤めていた会社が清算される事となってしまった。
早い話が”クビ”であった。
「はぁ……」
冬の寒い風を受けながら、安綱は考える。
彼は前の会社では、様々なシステムに携わりつつ、目立たずも堅実に成果を上げる人間だった。
だがいくら本人が有能であろうと、会社が無くなってしまえば仕事は無い。
このままでは生活が立ち行かなくなってしまう。
「仕事探さなきゃな……」
安綱は、ふと立ち寄ったデパートで「書店」を探した。
求人誌を読む為だ。
(あー、くそう。本なんてしばらく探してなかったからな……)
中々書店を見つける事が出来ず、安綱は大きく溜息をついた。
そして、ちらりと道行く人たちを見た。
通行人は、その殆どが眼鏡に似た端末を身につけて町中を行き交っていた。
当時、世の中にあった携帯情報端末は、どれも眼鏡の形状をした「グラス型」というものとなっていた。
コンピュータを構成する機器の小型化が進んだ事により、パーソナルコンピュータは、ウェアラブルデバイス化、つまりは「着るコンピュータ」としての進化が著しく進み、やがてディスプレイ画面を眼鏡のような小さなものとして、その他のメモリや制御部分などの機器部分を首輪や腕輪などのアクセサリーとして身につける、というのが主流となっていた。
紙媒体は、その中で存在意義を段々と失って廃れていき、やがて、白紙ばかりのページに「ブックデータ」を入れて、そのままどんな本をも再現できてしまうデバイスが登場して、ほぼ完全にその役目を終えてしまっていた。
だから、こうやって求人誌一つと言っても、探すのには大変に苦労するのだった。
「えーっと……」
この時、安綱は運悪く自分のグラス・コンピュータを失くしてしまっていた。
会社の整理を聞かされた時に、思わず近くにあった机に八つ当たりをしてしまい、その時にショックで壊してしまって、修理に出していたのだ。
こうなると、日常生活の大半に支障が出てくる。
まさしく、悪い事は重なるものだ。しかし……だからこそ、彼は”その情報”を見つける事が出来た。
「ああ、やっとあった……」
歩き回って、彼はやっとの事で書店を見つけた。
そしてその片隅で、ほんの僅かに置かれてあった求人誌を、彼は手にとった。
主な求人情報は、ほぼ全てがネットにて掲載されるのが普通の世の中であった為、当然ながら簡単なアルバイトなどしか載っていない中、安綱は”ある求人”を見つけた。
「ん……? これは?」
ふと、目に留まった求人誌の1ページには、びっしりとプログラム・コードらしきものの羅列があった。
最初から最後まで、傍目から見ると全く意味のわからないものだったが、プログラマであった安綱は、すぐに最初の方に記述されていたコードを読み解いた。
すると―――そこには求人募集の文句が出てきたのだった。
『求ム! 下記のコードを読む事が出来るプログラマ!』
それは、まるで風変わりなパズルのように面倒な書き方をされていたが、何とか読む事が出来る。
「このコードは……」
やがて読み解いていくにつれて、そのページに書かれているプログラム・コードが、どの言語で書かれているのかを、安綱は見破った。
それは、かなりマイナーなプログラミング言語であったが、安綱は過去に”ある事”を行う為にその言語を習得していた。
それは―――”人工知能の研究”だった。
「えーと、番号は……」
コードを全て解読すると、電話番号らしきものが弾き出された。
すぐさま安綱はその番号へと電話をして応募を行い、無事に選考と面接を通過した。
その時に入社したのが、現SGMの前身である企業。
「SC社」だった。
■
この時のSC社は、ソフトメーカーとしては中堅よりやや下の小さな会社だった。
入社してからわかった事だったが、採用試験に人工知能に関しての問題が出ていたのは、これから作る「あるもの」に大規模な処理プログラムが必要であったため、人工知能プログラミングのような、サーバーサイドで動くプログラムを書ける人間を探していたから、だった。
私は、入社してしばらくはゲーム用のプログラムばかりを作っていた。
「ゲーム開発とは、難しいものだなぁ……」
SC社内の机に座り、安綱は思わず愚痴を零した。
(しかし……作れるのだろうか? あんなものを……)
この時の「サイバティック・クリエイターズ」では、ゲーム開発を主な業務としていた。
それも、主にグラス型AR機器で使われる「VRゲーム」というものだ。
これはいわゆる「仮想現実としてのゲーム」を楽しむものであり、当時もっとも流行っていたゲームジャンルだった。
だが―――「仮想現実を作り出して遊ぶゲーム」とは名ばかりで、どれも単純に眼鏡型のディスプレイに映像を投影し、そしてそこに簡単な選択肢のイベントをくっつけて、ジェスチャー操作で進める、というものが大半だった。
当然だが……せいぜいBGMがある程度であり、「仮想現実」と呼べるほど空気感を感じる事も出来なければ、触れたりする事など持っての外であった。
しかしそんな折―――SC社では、とあるゲームの企画が始まっていた。
当時、開発が進んでいた「感覚を再現する」技術というものを利用してゲームを作ってみてはどうだろうか? というのがその発端だ。
企画名は『触れられる仮想世界』。
コンセプトは「”仮想の現実世界”を”電子的な実体世界”として作れないだろうか?」というものだった。
現在ある「ただのリアルな映像投影に、申し訳ばかりのゲームシステムを付与したもの」から、それを更に進化させた「体感世界を遊べるゲームを作り出そう」という試みだった。
この始まった企画名を”電想世界計画”といい、後にそれは『ファシリティ・ワールド・プロジェクト』と名を変えた。
これが―――今の『ファシテイト・ファンタジー』の始まりであった。
■
だがこの計画は、始まってそう大した時間が経たない内に行き詰った。
理由は簡単な事だった。
「どうして……進まないんだッッ!!」
社内において開かれる会議にて、安綱は同僚のそんな言葉をよく聞いた。
「どうして」、「なんで」、「何故」
髪を掻き毟りながら、狼狽しながら、そんな台詞が、多くのメンバーから吐き出されていた。
理由は単純なことで「電想世界計画」が全くと言っていいほど進まないからであった。
「ここまで大変だったとは……」
かねてより”仮想世界を作り出すゲーム”というものはいくつか存在した。
「空想上の世界で、まるで別世界を生きるように遊べるゲーム」などと言うのは、人類全員の夢だったと言ってもよかったのだから。
でも、そのどれもが完成の目を見る事は無かった。
何故か? それは実に簡単な理由だった。
視覚効果だけを作り出すのならば、それは簡単だ。ビデオなどを投影すればいい。
でも―――触覚や嗅覚、味覚を再現するには?
脳から出る信号をどうやってカットする? そして、人間の脳から出る信号をどうやって受け取って、ゲームでの処理に適合するようにする?
仮想世界を作り出すのと違い、”体感世界”を作るには―――余りにも処理する情報力が多すぎた。
重力や触感、世界の距離感、空気感……。
それらを本気で再現しようとなると、当時、最高の処理能力を誇った『素粒子コンピュータ』をフル活用しても難しいのではないか、とさえ言われた。
今まで、誰も”本当の仮想現実”を作ろうと試みなかったわけではない。
誰もその余りの難しさに”作る事が出来なかったのだ”と、参加していたメンバー達は思い知った。
そして……もう一つ。
必要な情報処理の膨大さもさることながら、その肝心の処理を行うプログラムの作成も遅々として進まなかった。
何せ処理が膨大な上に、単純な羅列のプログラムではない。
リアルタイムで動作するものであり、更に一定したものではない為に、仕様をある程度固めて進めても、途中からの更なる新発見や論文の発表によって破綻してしまうばかりだったのだ。
物体の触感一つ取っても、まともに再現する事は困難を極めた。
そして……しばらくの開発期間を経て、社内の会議にてある事が決定した。
「……本当にいいのか?」
「ああ。もう続ける事は難しいだろう。”電想世界計画”は……ただ今を持って凍結するものとする」
全ての処理プログラムの作成に失敗した挙句、開発計画は―――遂に凍結される事となってしまった。
上層部は、もう続行は不可能であると判断したのだった。
そして急遽、このプログラムはゲームとしてではなく、現実を視覚的に再現する”仮想旅行システム”として作り直される事になった。
これが「ファシテイト・ファンタジー」の元となった「ワールドトレーサーゲーム」だった。
中途半端に感覚再現システムを搭載したそのゲームは、非常に稚拙なものだった。
しかし……確かにそれは、世界最初の革新的な感覚再現インターフェースを搭載していた”体感型ゲーム”であった。
だが―――画期的ではあっても、出来自体が良くなければ人が集まる事は無い。
当然ながら「ワールドトレーサーゲーム」は、殆ど利用者が集まらなかった。
そして……このタイトルに社運をかけていたサイバティック・クリエイターズは、あっという間に倒産の危機に直面する事となった。
「全ての開発は失敗。無残なものだな……」
本業のグラスAR機器対応のゲームソフトの開発は、この企画の失敗によって引き摺られるように次々と不発に終わっていき、会社は見る見るうちに窮していった。
■
会社は、体力があるうちに……と色々な事を行った。
だが、SC社は様々な分野を選考した人間が集まっており、そして尚且つ生粋の”理系人間”が多かった為なのか、それとも急激に社の体力が衰えていってしまった為か、奇妙な企画が多数通ってしまい、社内はさながら研究室の万国博覧会のような構図となってしまった。
会議にて通った研究内容は「人間の人格を転写する」、「電子回路を特殊な合成金属などで設計する」というものから、果ては「”地球外の物質”つまり”隕石内に含まれる物質”を使用して集積回路を製作してみる」なんて事までが行われた。
「はぁ……」
安綱は、この中でゲームの開発とは別に、新技術によって作られた”新型コンピュータ”のテストを行う部署にて、仕事をする事になった。
「こんな事をやっているようじゃ、この会社も、もう先は長くないかもしれないな」
そして、安綱はある日―――”嵐”が吹きあられる中で、社内で作られた『新型のコンピュータ』をテストする事になった。
電源を入れて、テスト用のプログラムを走らせるというだけの簡単な仕事だ。
だが、電源を入れようとした”その日”―――事件は起きた。
「うわっ!?」
安綱が電源を入れた瞬間―――
突如として巨大な雷が落ち、会社中の電気が消えてしまったのだった。
「な、なんだ!?」
SC社内は、阿鼻叫喚の渦に包まれた。
全ての開発部署と、研究中の研究室から電気が消えたのだから、どんな事が起こったのかは想像に難くなかった。
「どうやら、雷が落ちたらしい」
安綱は、ライトを点けてすぐに研究室に飛び込んできた同僚に言った。
「馬鹿な。ちゃんと落雷対策はされてるんじゃなかったのか?」
「わからん。とにかくすぐに電源を復旧させる。予備電源でしばらく実験を続けてくれ」
後でわかった事だったが、社の経営事情が悪化したせいで、落雷対策の設備は随分と前から整備が行われていないらしかった。
まさに起きるべくして起きた事故であった。
「ったく……続けると言っても、これじゃあろくに……」
だが―――私は、薄暗くなった実験室の中で、見た。
ディスプレイに”奇妙な反応”が現れた事を。
「ん……?」
それは―――『”とある信号”が出現したまま、消滅しない』という謎の現象だった。
まるで、無作為に周囲に手当たり次第に信号が送られているかのような、一見するとエラーのようにも見える状態だった。
だが……不思議に思ってそれを解析した所、これがシステムの”どの動作にもよらない特別なもの”だという事がわかった。
「なんなんだこれは……!?」
コンピュータの意図しない行動。どのプログラムでも想定されていない処理。
システムの誤作動によって起こっているわけでもなかった。
それは―――”完全に自律した処理”だった。
■
「何? 正体不明の反応がある?」
「はい」
安綱が会議でその事を報告した時、様々な憶測が飛び交った。
なにせ停電事故によって色々な部署で原因不明のエラーが出ていたらしかったから。
そのどれもが、安綱の言うものと同じような状態にあった。
安綱は、いくつかの事象を推測した上で、言った。
「これらは、一見するとバグのようにも見えますが……調べた所、ちゃんと全てが整合性を持って動いている事を確認しました。私は―――これは、もしかすると”電子的な自我”なのではないかと、ここに提言いたします」
そういった途端、会議室内は騒然となった。
一気にざわめき始めたその中で、安綱に問い掛けが放たれた。
「つまり……どういう事かね?」
「……月並みな表現の仕方で言えば、真の意味での”人工知能”が生まれたのではないかと。非常に幼稚なもので、泣き喚くしかできない子供のようなものですが……」
安綱は、大きく深呼吸をしてから、続けて言った。
「これは、今、世間一般で言われているような、ただの複雑な応答が出来るだけの”人工知能”ではなく、自らの存在意義を何にも頼らずに、間違いなく”自己完結”させている”何か”です」
「そんな馬鹿な!!」
「何を以ってそう断言できるのかね?」
取締役から訊ねられ、後藤は言った。
「コンピュータは、詰まる所”プログラム”によって動作を行う機械です。”決められた物事”を”1か0”か。つまりは”YESかNO”かという判断子によって処理していき、単純な処理を重ねる事で、複雑な物事へと対応していく、というのがその本質です。だから……コンピュータはプログラムされた事、つまりは決められた物事、想定された事に対応する処理しか行う事が出来ません。しかし―――この”情報を発信している存在”は、どのプログラムにも、システムにも依存していません。完全に独立した処理を行っています。これは、情報工学の常識ではありえない事です」
安綱がそう言うと、会議室の各所から、疑問の声が上がった。
「しかし……そんな、夢物語みたいな事を言われてもな……」
「それだけでは判断する材料として乏しいな」
「これが本当に”人工知能”であるのか、しばらくの間、分析してみたいと思います。その為の予算を認めていただきたいのです」
「君が研究したい、ということか?」
「はい。ただ……私一人の手には到底余ると思いますので、他の部署からの人員も申請したいと思います」
こうして―――安綱は新しい部署を立ち上げて、この”人工知能らしきもの”を研究する事となった。
なんでも、他の部署内のサーバーにも似たような反応を発するものが発生していたらしく、それら全てを社の中心部にあったサーバー内へと誘導して、安綱は引き取る事となった。
そしてこれをオンラインからは勿論、メインシステムからも切り離して、さしずめ”檻”のような形にして彼らの変化を観察する事となったのだった。
「ふむ……しかし、信じられんなぁ」
彼らを隔離したサーバーは、複数のサーバーで論理的に繋がっており、当時としては膨大すぎるほどの容量を持っていたが、彼らはそれに合わせるようにとんでもない速さで容量を肥大化させていった。
「もっと大きなモノにするべきだろうか?」と、安綱は何度か増設を繰り返したが、それに合わせるように”彼ら”は大きくなっていき、やがてキリがないと一度止めて様子を見る事となった。
どうやら彼らは、一定の容量の中でも常に何らかの処理を繰り返して自分達を最適化しているらしく、日々彼らから発生する信号は、別のモノへと変わっていった。
「さて……」
安綱は”彼ら”の観察や分析を続けると共に、新しいデバイスの開発をも行っていった。
今使われている「グラス型コンピュータ」では、やはりどうしても感覚の再現を行う事はできない。
”脳と直接信号をやり取りをするような機械”がなければ、ファシリティ・ワールド・プロジェクトは、ゲームとしての完成を見る事は無いだろうと思っていたからだ。
これが後に”ユニオンデバイス”と呼ばれる物になっていった。
「ううむ……ダメか」
とはいえ、彼はソフト開発が本業であった為、電子回路云々や組み込みなどのハード屋的な知識は余り持ち合わせておらず、企画とプロトタイプを作った後は、マイナーなアップデートを行うのが精一杯だった。
大抵は、社内で行われた大規模な改良を施されたものをコピーし、研究室に持ち込んでは弄っている程度だった。
そして研究が始まって……丁度、半年ほどが経ったとき。
”彼ら”に変化が現れ始めた。
「会話……!?」
”彼ら”が会話らしきものを始めたのだった。
一定の信号に基づき、別の”彼ら”が対応した反応を返していくという現象。
それは一定したものではなく、全てが違うものであり、恐らくは会話だろうと推測された。
ただ……何を言っているのかは、全くわからなかった。
数字のみで構成された純粋な機械語のような時もあれば、特定の言語の文字だけだったり、絵文字だけで会話をするものもいた。
■
やがて……ある日。
私が研究室で眠っていると、遂に決定的な事件が起きた。
「……ん?」
『あなた に 聞きたい です』
起きると、画面にポップアップが表示されていた。
回答用なのか、ご丁寧にテキストウィンドウも表示されていた。
私は、それを見てから、震える手で文字を打ち込んだ。
「な……”何を聞きたい?”……っと……」
『わたしたち の いる ここ と……』
次に現れた文字を見て、私は息が止まるかと思った。
『あなたたち の いる そちら に ついて』
「ッ……!!」
この日が、安綱にとって運命が変わった日となった。
同時に、恐らくは人類にとっても”重大なる分岐点”というものだったのだろう。
「やったっ……! やったぁ……!!」
ここで―――彼が狂気に触れて、すべてを破壊してしまっていれば、まだ良かったのかもしれない。
だがこの時、安綱は喜びで一杯だった。
幸せを掴む事が出来たと―――明るい未来が開けたと思っていたのだから。