15:寒い地方には謎が眠るというけれど
仮想現実体感ゲーム「ファシテイト・ファンタジー」から、三人は無事に脱出を果たした。
そして次の日、久しぶりに靖樹は学校へと行く事になった。
世の中はあの意識不明事件に湧いていたが、自分達は無事に脱出する事が出来た。
だが、彼はゲームから脱出する際に「マルール」と名乗った少女からとある事を頼まれていた。それは「後藤」という人間を探してもらいたい、という事。
誰かはわからない。何故探して欲しいのか、その意味も知る事は出来なかった。
探す理由も、こうして脱出できた以上、もはや無い。
静かにしていれば、このまま平穏は日々は続いていく。
だが靖樹の頭の中からは、その言葉が中々離れずにいた―――
(文字数:17524)
”あの事件”があった次の日―――朝方の学校。
わずかに空気に冷える感じが残る中、校舎の中に一人の影が現れた。
「ふぁぁ……」
口元に手を当てながら、一人の学生が校舎の中を歩いている。
痩身長躯の体型で、全体的に尖った感じの髪形をしている少年。
目元は睡眠不足なのか、だらしなく垂れており涙がやや滲んでいる。
鼻は高く通っていて、全体的に茫然とした印象をまとっている。
服装もはだけており、一見するとだらしないだけの学生に見えるが、どこか飄々とした感じを漂わせてもいる”中途半端そう”な男子学生。
彼の名は「天堂御津貴」と言った。
そしてクラスに入ると、見慣れた風景と共に、一人の学生の姿が目に入って来た。
「よう、ヤス」
御津貴の挨拶をした方向には、男子学生が机にかけている姿があった。
座っている学生は、一見するとふくよかそうな外見に見えるが、よく見ると無駄な肉が余りついておらず、少々ガタイのよい感じだ。
背丈は普通よりちょっとだけ上、と言った感じで高くは無いが低くも無い。
そして髪は漆黒の黒色で、寝癖なのか重力に逆らって僅かに先端が上を向いている。
顔で目立つのは、パッチリとした目元だろう。鼻がちょっとダンゴっぽくなっているが、眉が濃く、目元がハッキリとしている為に、強い意思をどこと無く感じる顔付きになっていた。
そんな「荒金靖樹」は、御津貴の声に応えた。
「おう。ミッキー」
「……なんか久しぶりだな……」
こうやって会うのは慣れた事であったはずだが、二人とも、会うのはひどく久しぶりの事のように感じられた。
御津貴は靖樹の前の席へと座った。
「あれから、どうなった?」御津貴が靖樹に訊ねた。
「あれからって、帰ってからか?」
「そう、あの後さ。俺は……家で起きたのはいいんだが、デバイスをもう付けさせないとか、ファシテイトをプレイするのは禁止するようにロックをかけるとか、色々と大変でさ」
「俺の方は……何事もなかったというかなぁ。サークルの活動で深夜だって知ってたから、余り騒いだりとか、そういうのもなかった。ただ……」
「ただ?」
「久しぶりに食べたメシがやたらと旨かった。なんでかはわからなかったけど……」
「俺も朝飯の味には感動しちまったな。何故か」
二人して話していると、他の学生も登校し始め、教室の中がにぎやかになっていった。
「オッス、ヤス」
「田倉か」
ホームルームまでの時間を潰していると、どんどん見慣れた顔が教室へと入ってきた。
■
そして―――ホームルームの時間がやってきたが、なかなか先生が入ってこない。
このクラスの担任は、「小山田」という馬面の先生で、ひょうきんだが規律に厳しい。
特に遅刻には相当厳しい人間だ。こんな風に遅れてくることなんて見た事が無かった。
「おっせーなぁ、オヤマ。どしたんだ? 病気か?」
「……もしかして……」
靖樹が呟いたすぐ後、一人の教師が室内へと入ってきた。
いつもは数学の担当をしている「長谷田」だ。
角刈りの頭が印象的な、ちょっといかつい顔をした男性教師だ。
なんでクラス担当じゃない人間が? とクラス内が一瞬ざわめいた。
「静かに。今日は、ピンチヒッターとして、私が臨時にこのクラスの担当をする事になった」
「小山田先生はどうしたんですかぁ?」
田倉がクラス内の心の声を代弁するように訊ねる。
すると、長谷田が理由を話し始めた。
だが―――その内容は、驚くべきものだった。
「小山田先生は、今―――病院で治療を受けている」
「病院……? なんか悪いものにも当たったんですか?」
「いや、ファシテイトを使っている最中に、意識不明になってしまったらしい」
「!」
その話を受けて、教室内が騒がしくなる。
「どうも今、世間を騒がせてる”あの事件”に巻き込まれてしまったらしい。で……私が今日は代わりにクラスの担当を行う、という形になったわけだ」
「へぇ」
「今日は休校にするべきかもしれない、とまで朝早くから話し合われたんだが、ファシテイト・スペースを使用しない事で決着がついた。だから、ワールドイン機能は校内では使用できないようになっている」
「えっ!? あ、本当だ……」
「どちらにせよ、学校エリアも使用は不可能だ。諦めるんだな」
「使用不可能ってどういう事なんです?」
生徒の一人が訊ねると、頭を掻きながら長谷田は言った。
「……実はなあ。昨日、校内エリアで戦闘行為を行った者がいるらしいんだ」
「学校で?」
ざわざわと教室内の声が大きくなっていく。
「そういや、昨日ギルドの活動やってるときに、なんか変な事になってたけど……」
「それが原因だったのか」
「でも、それでなんで使用不可能になるんだ?」
「クローズドされてたんだよ。中から弄ったのかわからないんだけど」
「クローズドに?」
生徒達が話していると、長谷田が付け足すように言う。
「それだけじゃないぞ。今朝方、メディア管理担当の熊田先生が、学校エリアにインしたら、内部はメチャクチャになってたそうだ」
「メチャクチャに?」
「ああ。メチャクチャって言葉では足りないほどにボロボロになってたらしい。校舎は3階より上は完璧に全壊。1・2階も全壊といっていいほど破壊されてるんだと」
それを聞いて、御津貴が後ろへと上半身を向けて、靖樹へと小さな声で訊ねた。
「おい、ヤス。まさかお前……」
「……」
(ま、まさか……学校の屋上でアレ、使いやがったのか?)
靖樹は目を閉じて眉間に皺を寄せ、苦々しい表情になってから、頷いた。
それを見て、御津貴は大きな溜息を吐いた。
(……そりゃあ吹っ飛ぶはずだぜ。使い方によっちゃ、小さな町エリアを一撃で消し飛ばす武器だったからな。あれ)
「本当ならSGMから、データの破損を修復に来てもらわなきゃいけないんだが……」
長谷田は椅子に座ってから、話を続ける。
「今はあの事件が起きてるからな。こっちにまで手が回らないんだそうだ」
ファシテイト内のデータの復旧には、時間が掛かる、との事だった。
通常ならデータ上の破損をさっさと元に戻してしまえば、と思われるかもしれないが、実はファシテイト上における地形データは、0を1に戻すような、そういった論理的な手順で戻せるものではないのだ。
何故ならファシテイト内の処理は、かなり特殊なものが使われているらしく、基本的に通常の情報処理における”アンドゥ・リドゥ”だとかの処理(この場合は”ロールバック”とか言った方が良いかもしれない)は、実質的に行う事ができないようになっている、という話だ。
だからこの場合も、本来ならば学校の管理を担当している人間が、一つ一つ手作業で直さなくてはならない。
無論、運営だとか管理の方に頼めば、会社側で使う事の出来る専用のツールなどで、早めに元に戻す、というような処理も可能ではあるのだが、それも本来の復旧作業を高速化している、と言う程度でしかなく”2日前の状態へ戻す処理で一瞬で戻す”という風な事は行えないというわけだ。
これは、余りに複雑なロジックでプロブラムが組まれている弊害であるらしい。
代わりにチートなども、オンラインでは実質的に使用不可能の状態になっており、これはこれでメリットにもなっているのだが。
「というわけで、今日の”仮想空間リテラシー”は中止だ」
先生がそう言うと、生徒達から不満の声が上がった。
どうやらみんな、楽しみにしていたようだった。
「あ、危なかったな……」靖樹が思わず呟く。
「なんで?」
呆然とした声で御津貴が返すと、靖樹が小さな声で応えた。
「いや、考えてみれば……まだキャラが元に戻ってるか、確かめてないんだよ」
「……あああ、そういえば……!!」
(……迂闊だったなぁ)
御津貴の顔が見る見る青くなっていった。
”あの事件”から無事に現実世界へと戻ってこれた事に安堵していて、全てが元に戻っているのか、というのを全く確かめてなかったからだ。
いや、それどころか「あのパッチによる変化」なども全く確かめていない。
これは、今の二人にとってはかなり「痛い」事であった。
■
幸いな事に、学校での授業中にファシテイトに入る事は無かった。
世間では大騒ぎになっているために、見合わせるという事になったのだろう。
だが―――帰りのホームルームにて事件、いや”事故”は起こった。
(なんとか、今日はやり過ごせたみたいだな……)
一日の全ての授業が終わり、後はホームルームを終えて帰るだけ、だ。
これで問題は無い。少しでも時間が取れれば、確認する時間がある。
ゲームアウトできるようにしてくれているのだから、もしかしたらあの”マルール”と言った少女は、恐らくは何らかの対処をしてくれているかもしれない。
そう言った淡い期待を抱きながら、帰ろうとした時―――。
『全学年のギルド構成員に告ぐ。今日は”2年次生の学年別組み手の日”である。くれぐれも、そのまま帰る事のないよう』
校内放送で、学校ギルドのリーダー「早渡」の静かながらもよく通る声が響き渡った。
それを聞いて、靖樹は顔から血の気が引いていくのを感じた。
(しまった……きょ、今日は―――”組み手”の日だったぁー……!!)
学年別組み手とは、学校ギルド内にて行われている催事の一つだ。
ギルド員としての昇格試験をも兼ねており、抜ける事はまずできない。
すっかり忘れてしまっていた。
憶えていれば最悪、仮病を使って逃げる事も出来たというものだが……。
もう帰りの時間帯。この組み手は、このまま教室内に残って”半強制的”に受ける為、逃げる余裕が無かった。
「おっしゃー、今日こそは勝ち越し、狙ってみるかね!」
田倉が「やってやるぞ」とばかりに腕を回しながら、椅子を伸ばしはじめた。
背もたれの部分を延ばし、既存の学習型の椅子からリクライニング式のものへと変更させる。
そして身体を椅子へと預けて、仮想空間へとインするために、パーソナルビュー画面を弄っていった。
「あれ? ヤス、お前座らねーの?」
田倉が言うと共に、クラス内のほかの学生達も一斉に靖樹と御津貴のほうを見た。
「ヤベェ……」
なんとか逃げ出したい所だったが、もう手遅れだった。
この”組み手”は、ギルド内での行事としてはかなり大きな立ち位置を占める為、簡単に抜けるわけには行かなかった。
ここでいつもなら、一応参加だけはしておいて、適当にやっておくのだが……。
(……ヤバイ)
組み手、もとい対戦は完全な切り離し空間(要するにオフライン)で行われる為、学校エリアが使えなくとも、問題はない。
そして、能力の調整などは、全て仮想空間内で行われる。
”全員が同じ空間に一同にイン”して、だ。
臨場感を高める為だとか、そんな理由であったと思うが……。
もし今のまま入って、モンスターの姿を見られてでもしてしまったら―――
(ど、どうなるかわかったもんじゃない……!)
「おい荒金、お前今日はインしないのか?」
「まさか。アラヤン、最近調子よかったしよ」
「それにサークルのポイント、足りてないだろ。出席しねぇとよ」
今日ばかりは学校を抜けてしまうべきだろうか?
そんな考えが靖樹の頭を掠めたが、もう逃げる事は出来なかった。
第一、靖樹にしろ御津貴にしろ、ギルド内での立場はかなり低い。
余りに目に余る行為をすれば、ギルドに居る事すら難しいかもしれないのだから。
「おいヤス、お前、ズル休みはもう許さんぜ。お前、ポイントもう殆ど無かっただろ?」
「いや、ちょ、ちょっとさ、俺は今日は……」
拒否する暇も無く、二人は他の生徒に椅子に座らせられてしまい、そのまま強制的にインする事となってしまった。
靖樹と御津貴は、半ば諦めた状態のまま、仮想対戦空間へと入っていった。
■
いつものように別世界へと入り込む独特な感覚の後―――
靖樹は、顔を隠した状態のまま、仮想空間に立っていた。
真っ白な大地と、やや薄暗めの緑色の空が続いており、遥か彼方で陸地は途切れている。
途切れた場所からは絶壁の崖となっており、落ちてしまうとそのまま死亡扱いになってしまう。
ここは、簡易的につくられた「練習空間」だ。
全プレイヤーが作り出せるもので、本来は待機用に使われるものだ。
(ヤバイ……ど、どうなってるんだ……!?)
靖樹は「きっと大事になっているんじゃないだろうか」と顔を隠したまま、気が気ではなかったが―――周囲はさほど騒がしくならなかった。
もし、モンスターの姿のままなら、叫び声の一つでも上がりそうなものだが、談笑の声が響いているばかりだ。
「……」
靖樹は、恐る恐る顔の目の前にやっていた手をどけて、自分の姿を確認した。
足の方には―――前に見た事のある靴が見えた。
「―――あッ!?」
靖樹は、あわてて練習空間に備え付けられている鏡の前へと立った。
目の前に映っていたのは、あのオークの姿ではなかった。
ボサボサの黒髪、自分を模した感じの顔、胸部だけがややゴツイ感じの金属製のアーマーに、茶色と黒の革鎧を下に着込んでいる騎士というよりは傭兵と言う感じの姿。
その姿は―――あの”ラクォーツ”のそれだった。
自分の姿は、元に戻っていた。合成騎士の姿へと。
「も、元に戻ってた、か……」
しかし―――何か、違和感を感じる。
前とちょっと姿が違うような……。
「おい、ラクォーツ!」
「ん?」
聞き覚えのある声に背後を振り向くと、これまた見覚えのある姿がこちらへと近づいてきているのが見えた。
長身のそのキャラクターは、大きな刀を腰に下げている。
お腹と腰周りに少し大きめの鎧を身につけているが、上半身は動きやすいように鎖帷子とマントのような布……というかボロ切れをまとっているだけだ。
全体的には「流れ者」もしくは「無法者」といった雰囲気を感じさせる。
彼がエスニックザムライの「セイグンタ」こと、御津貴のキャラクターだった。
「セイグンタ! うっわ、久しぶりに見た気がする……」
「おいおい止めろって、そういう珍獣発見みたいな言い方」
「それより……これ、どうなってんだ? なんで元に戻ってる?」
「さぁ……? あのパッチが効いたんじゃないか、と思うが」
「でもパッチの効果なら、その場で発揮されるんじゃないのか? 時間が経ってから効いて来るってなんか変というかなぁ……」
「まぁ言われて見れば……」
基本的にゲーム上のデータを直接弄っているだけのはずなので、その場で元のキャラクターに戻らずに、こうして翌日にやっと戻れるというのは、言われて見れば変にも思えた。
キャラクターは個人で完結しているものなので、データを弄る事は時間が掛かるが、反映は比較的早いのだ。
「まぁ、反映に時間が掛かっただけなんじゃないかなぁ」
「そんなもんかねぇ? う~む……」
あれこれと考えようとすると、パーソナルウィンドウ越しに声が聞こえてきた。
「さて、それでは組み手を始めようか。今日は一人3戦。ランダムに組み合わせは決定される」
喋っているのはギルドの統括者の一人「輪島」だった。
バトル関係の事を取り仕切っている、学校で最強のソロプレイヤーだ。
「はいはい」
二人は、気乗りはしなかったが、元の姿に戻っているのなら事故はないだろうと、渋々組み手を始めた。そして靖樹こと”ラクォーツ”は初戦の相手に当たり、対峙したが―――
「……?」
対峙して武器を取り始めたあたりで、突然、相手の様子が変わった。
不思議がるような表情を浮かべて、こちらを見ている。
そして、言った。
「お、おい……ラクォーツ。そのレベル、一体どうしたんだ?」
「……へっ?」
相手に言われて、自分のレベル表示を見てみると、不思議がっていた理由がすぐにわかった。
表示を見て、ラクォーツは双眸を見開き、驚愕の声を上げた。
「れ、レベル……にっ、”21”!?」
そう言った途端、周囲にざわめきが走った。
驚いてあたふたとしているラクォーツに、対戦相手が続けて言った。
「ど、どうしたんだよ。お前調達組だったけど、レベルもっとあっただろ?」
「な、なんで……!? い、一体どうして……!?」
ラクォーツはただただ事態が飲み込めず、あたふたとしていた。
「対戦、どうすんだ? 俺のレベル45だぜ?」
「き、棄権する……これじゃあ勝負にならん」
ラクォーツは対戦を中止し、控えの場所まで移動してから、口元に手をやって考え始めた。
(な、なんでこんな事に……?)
確か、あの事件に巻き込まれる前、自分のレベルは―――「49」あったはずだ。
そこそこのEXP(経験値)を稼いでいたため、もうすぐ上級ランクの端が見えるぐらいにまで上がっていた。
それが……21。21といえば、初心者をやっと脱した程度の―――
(……まさか……)
嫌な予感がラクォーツを襲った。
そしてすぐさま、パーソナルウィンドウを開き、色々なデータを確認し始めた。
自分のステータス、持ち物、詳細なキャラクターの身体情報。
そして他に以上が無いのか。それを調べていった。
すると―――
(あ、アイテムが……!!)
確認すると、持ち物の数がとんでもなく減少していた。
所持金も恐ろしく目減りしており、確実に”以前の10分の1以下”と断言できるほどに無くなっていた。
「そ、装備品、も……!!」
所持品と共に、装備品も無くなっている。
一番最初に感じた違和感は”自分の装備品が減っているせい”だったようだ。
そして―――レベルが下がっているからか、自分のステータスも恐ろしく下がっていた。
レベルだけではない。能力値自体が大きく減衰しているような感じだった。
キャラクターには、能力値やスキル全てに”熟練度”が設定されている。
これをアビリティ、もしくはスキルEXP(それぞれA-EXP、S-EXPという)と呼称し、単純にレベルを上げるだけで能力が決まるわけではない。
だがステータスを見た限りでは、その”熟練度自体も全てリセットされてしまっている”という感じだった。
ただレベルが下がっているだけじゃなくて、まるで”新しいキャラクター”にでもされてしまったような……。
(……)
ラクォーツは、思わず口を開いたまま茫然自失の状態になってしまった。
余りにもショックな光景だった。
なにせ、時間に直すとおよそ「6年分」のプレイの賜物が、消し飛んでしまっていたのだから。
「……ウソ、だろう……」
ガックリと下を向いて項垂れると共に、思わず、絶望の台詞が口からこぼれた。
(元に戻ったんじゃなかったのかよぉ……ッ!!)
「お、おい、ラクォーツ、お前大丈夫だったか!?」
遠くから、御津貴のセイグンタが駆け寄ってくるが、憔悴しきったヤスキことラクォーツの耳には、全くその声が入らなかった。
「なんでレベルが下がってるんだよ!!」
「……」
「おい、聞いてんのかラクォーツ!」
「うっせぇよ!! こっちも半分以下にまで下がってるんだよ!!」
ラクォーツは、大声でセイグンタに食って掛かった。
その余りの迫力に、思わず彼が引いてしまうと、ラクォーツは両手で目元を覆い、泣くような声で呻き始めた。
「なんなんだよこれ……ちくしょう……」
「アイテムとかは無くなってないみたいだけど……」
「俺はアイテムとか殆ど全部無くなってるみたいだ……」
「……~~~」
その答えを聞いて、セイグンタが苦い顔をする。
どうやら、被害の程度はラクォーツのほうが上のようだった。
「まぁ、それはそれでともかく……俺が来たのはそれじゃなくてもう一個のほうだ」
「もう一個?」
セイグンタが次に言った言葉に、ラクォーツは驚かされる事になった。
彼は、誰にも聞こえないよう、小さく呟くようにラクォーツに言った。
「メニュー画面の下の方にあるヤツの事だ。お前の方にもあるんじゃないのか?」
「……下?」
セイグンタに言われて、ラクォーツがメニュー画面を開いてみると、下のほうに、見覚えのない項目がある事に気付いた。
【キャラクター変更 -RAIZON EXCHANGE-】
【ランクアップ -RANK UP-】
「……な、なんだこれ?」
こういうものに、まずラクォーツは反応せず、様子見をする人間である。
”よくわからないものは、基本的に絶対安全な状況下でしか試さない”と、彼は決めていた。
いつもならば、だが。今回は憔悴していた事もあってか、彼は思わず―――メニューを選択してしまった。
「ば、馬鹿! よくわからねぇってのに……」
セイグンタがそう言った途端、周囲にシステムアナウンスが流れ始めた。
『マスター・コマンドが選択されました。”存在原核”を変更します。コマンド実行名【キャラクター・チェンジ-RAIZON EXCHANGE-】』
「うぇっ!? な、なんだこれ!?」
そしてアナウンスが流れた直後―――ラクォーツの身体に、何かのエフェクトが掛かっていった。それは一見すると光が鏡によって屈折させられるような”視覚の歪み”。そして、それに加えて”薄い青色の光の筋”が発生し、ラクォーツの身体を包み込んでいった。
そして、一瞬閃光が走り、光の帯のようなものが弾けると―――
「う……な、何事……」
その瞬間、ラクォーツは何か周囲の雰囲気が変わった事に気付いた。
談笑と組み手の掛け声が全て消え―――急に静まり返った。
ラクォーツはそれ怪訝そうに見ていたが、やがて周囲をよく見てみると、視線が全て”自分に集中している”事に気付いた。
(……な、何だ?)
組み手をしている者は戦いを止めて、そして談笑している者は話すのを止めて。
場に居る全員が自分の方を見ている。
中には、驚きのあまり口を開いたままの者もいた。
何故、そんなに驚いているのだろうか? と彼は思ったが―――ふと、ギルド員のある者が声を上げた。
「な、なんで……オークがいるんだ……!?」
そしてその時、理由をようやく知った。
全員がこちらを見ているのは、自分が―――”オークの姿になってしまっていたからだ”という事を。
■
思わず、目の前に居たセイグンタが声を上げた。
「ヤスッ……じゃない、ラクォーツ! お前それ……ッ!!」
「えっ? あ、ありっ? なっ、なんだこりはっ!?」
オークと化してしまった靖樹を見て、何人かが敵だと勘違いして武器を構えた。
靖樹は、自分がまたオークに戻ってしまっている事を知り、慌てて叫んだ。
「ちっ、違うだ! オラだよぉっ! ラクォーツだった靖樹だぁっ!」
「なっ!? 何ッ!?」
「荒金……? お前、ラクォーツの荒金なのか!?」
とてつもない勢いで靖樹は首を縦に振り、肯定の意を見える者全員に示した。
それでとりあえず、敵がいきなり出現したわけではなかった、という事が判明し、武器を構えていた者は、戦闘準備をやめて武器を収めた。
そして、代わりに数人が近づいてきて質問を浴びせ始めた。
「な、なぁ、ホントに……お前、荒金なのかよ?」
「んだ……」
「どうしてオークになってんだ? 変身魔法? じゃねーよな」
「変身できるのは悪魔とか巨人、もしくは大型の猛獣系モンスターだったろう。オークになんてなれないはずだ」
(や、ヤバイ……)
靖樹は先程までの自分の行動を、酷く後悔した。
いくら憔悴してしまっていたとはいえ、余りにも行動が軽率すぎた。
”いきなり出現した項目”なんて、どう見ても怪しすぎる。
それを何も考えずに押してしまうなんて、アホ以外の何物でもない。
とことん、馬鹿のやる行為だった。
(~~~……)
頭を抱えつつも、靖樹はこれからどうするかを考えた。
起きてしまった事をいつまでも引きずっていてもしょうがない。
それだけステータスや持ち物の大量喪失が自分とってショックであった、という事なのだろう。
問題は起きてしまった事ではない。これからの事である。
つまりは―――”この場をどうするか?”だ。
このまま、色々と問い詰められる前に、さっさと逃げてしまうべきか?
「どうなってるんだよ、おい!」
「どういう事なんだ?」
いや―――この場から恐らく逃げてはならない。そんな気がする。
第一、このまま何も説明せずに逃亡してしまったら、間違いなく大騒ぎになってしまう。
そうしたら人間の姿へと戻れた所で(恐らく、戻れるはずだが)
町の中をまともに歩くのが、非常に難しくなってしまうだろう。
それだけは避けなければならない。
(何か……説明、もしくは弁明をしなくちゃあ……)
しかし、どう説明するべきだろうか?
今―――自分の状態は”異常そのもの”である。
絶対になる事が出来ないはずのモンスター・キャラクターになってしまっているのだから。
これはチートを使用しても現在、弄る事が出来ず、不可能な行為の一つだ。
だから”特殊なツールだとかソフトを使っている”という弁明は出来ない。
どうやってこれを説明したものか?
召還魔法だとか変身魔法をバグらせた、と話すか?
「どうやってなってるんだ? 是非聞きたい」
「バグ? チートじゃあねぇよな。テクスチャを弄ってるだけには……ちょっと見えない」
(……無理だぁな、多分)
靖樹は、その方法は確実に失敗すると感じた。
何故なら、彼らは全員、相当なゲーマー達だからだ。
バグの研究だとか、今こうして居る”練習空間”など、プレイヤー側で作る事の出来る空間で、チートや自前のプログラムなどを試している者などさえ居る。
だから、中途半端な知識で嘘をついたところで、すぐに看破されてしまうだろう。
なら―――素直に数日前から起きた事を話すべきだろうか?
(……いんや、それも……多分、やっちゃダメだぁ)
直感だが―――あの事件の事は、余り人に話してはいけない事である気がした。
”誰かを巻き込むような事をしてはいけない”というか。
どれ一つを取っても―――例えばあの”プリブラム”と名乗っていたプレイヤーの件一つ取っても、だ。
今、あの”意識不明”事件は、一応は”事故”の扱いとしてニュースになっている。
そしてファシテイトを運営・管理するSGMが、その原因の解決・究明に今当たっている。
そう言う事になっているが……靖樹にはとてもそうは思えなかった。
”事故”ではなく、間違いなく”意図的”。そして―――。
『ゲームマスターじゃない。僕は”この世界の主”―――ワールド・マスターだ』
『ですが……もはや、この状況を私達だけで打開する事は、不可能だと判断しました』
今まで起きた事を思い返すと―――「何かの”企み”が背後に存在する」そんな風に思えた。
だから、ここで全てを彼らに明かしてしまってはいけない。
もしかすると”運営側が敵”であり、人間の意識を乗っ取るような技術を持っている者達が相手かもしれないのだ。
真相を知った者達に何をするか―――わかったものではない。
(……)
グンバはその時、一つの言葉を、ある光景と共に思い出した。
『どうか……私達に、力を貸して欲しいのです』
あの硝子のように不安定な映像の姿をした少女の姿。
そして、自分達に助けを求めてきた光景を。
それを思い出すと同時に、彼は決心した。
”あの頼みを受けよう”と。
(どうやら……”見て見ぬフリ”ってのは、出来ないし、オラにはやれないもんなんだなぁ……)
このまま何にも関わらずに、知らないフリをしていれば、もう事件に巻き込まれる事は無いかもしれない。それなら、あの命を懸けた恐ろしい”ゲームを越えたゲーム”をやる事はないだろう。
だが―――それでいいのだろうか?
このまま、事件の真相を知ることなく、気持ちのよくないままでいる事が果たして正解なのか?
それは違うはずだ。自分が好きで好きで溜まらないゲームの世界。
そこで、こんな風に後ろめたい気分でこれから先居るなんて、自分に耐えられる事じゃないはずだ。
どちらにせよ―――このままで居て、巻き込まれない保証も無い。
ならば―――
(やってやるだ……!!)
―――”もう一度、真相を知る為に、行動しよう”と、彼は決心した。
そしてそうすると共に、彼の中の闘争心が触発され、思考力が急激に高まってきた。
だが、まずはこの場を解決しなくてはいけない。
そのためには、どうするべきか?
その考えは、ほどなく、次の一言を聞いて閃く事ができた。
「いや、これは……なぁ、なんていうか、俺らがSGM社の起こしたあの事件で、えーっとなぁ……」
靖樹が攻められているように見えたのか、御津貴が自分を擁護しようとして出た一言。
それを聞いて、靖樹の頭の中で、一つの閃きが生まれた。
そして、それから起きた考えを纏めると、靖樹ことグンバは話し始めた。
「いんやぁ、すまなかっただぁ」
「えっ?」
「このキャラ……というか仕様。実はだなぁ、ちゃんと理由があるんだぁよ」
(おっ、オイ! 何言ってんだお前……)
グンバが手をかざして、セイグンタに”それ以上言うな”とサインを黙って送る。
それを見て、そしてその”目”を見て、何か考えがある事に気付いたのか
セイグンタはそれ以上、言葉を続ける事を止めた。
(な、何を考えてやがるんだ……?)
「理由って何だ?」
「これは、SGM社の懸賞みたいなモノに当たって、それを試しているんだぁ」
「懸賞……?」
「懸賞って言うか、新しい仕様の”ベータプレイ抽選”みたいなものに当たったんだぁ」
「そんなものやってんのか?」
「初耳だな」
「全世界のプレイヤーの中から、ほんのちょっとを選んでやってるらしいだ。で、それの内容が……今、オラがなってるみたいな”獣人・亜人”種族のプレイヤー使用キャラ化の調査だぁ」
「マジかよ? そんなもん今やってんのか……」
「今、世界中で起きてる事件も、この仕様を試しているせいで起こってるんだぁよ」
「ほ、ホントなのかよ!?」
「ホントだぁ。大掛かりな仕様の変更を試してたから、あんな風になっちまっただよ」
「じゃあすぐに復旧するって事か」
「んだな」
ざわざわと一気に騒ぎが大きくなった所で、グンバが、すかさず畳み掛けるように言った。
「みんな、ちょっとこの事は絶対秘密って事にしといてくれだ!」
「どうしてだ?」
「今、ちょっと手違いでキャラ変更権をつかっちまったけんども、これはちょっと契約で言われた”秘匿権”ってのに抵触するのに気付いちまっただ。だから―――もし漏れちまったら、オラ含め、この場に居る全員にすんごい賠償だとかが発生する可能性があるだよ」
「ば、賠償だって……!?」
「だからとにかく、他言無用にだのむだよ!」
「オイオイ、冗談だろ……」
「すまねぇだ」
(なるほど……考えやがったな)
グンバが言った事は、明らかに嘘である。
それはセイグンタにはすぐにわかった。
そしてこの嘘が実に”巧みなもの”であるという事にも。
まず、本当かどうかを確認する術が本人の証言以外に無い。
”本当にSGM社が依頼したものか”などは誰にもわからない。
しかし、目の前でキャラのチェンジが起こっている事から、非常に現実味があって疑いようが無い。
そして次に言った責任の所在についても上手い。
責任が如何に大きく、そして大きなものになるかわからない、と言う事を匂わせており、単純に噂として流すのにも、充分な抵抗のある話になっていた。
「しかし本当にオークなのかぁ……?」
「触ってみるだか?」
「モンスターキャラ仕様のテストなんてものをやってたのか、しかし……よく出来てるな」
その後、グンバは大勢のギルド員に囲まれ、身体を触らせたり、武器などを持たされたりしていた。
それを見て、ひとまず危機を回避は出来た、とセイグンタは胸を撫で下ろした。
■
組み手が仮想空間内で続けられる中、靖樹はレベルが下がっていて戦う事が出来ない為、一足先に組み手から外れ、現実世界へと戻った。
「う、う~む……」
起きると脱力感が身体を包み込んだが、身体に鞭を打ち、すぐさま靖樹は立ち上がった。
そして駆け足で教室の中から抜けていった。
もちろん、全てはこれ以上の追求を避ける為だ。
「おい、どこ行くんだ」
靖樹は、背後から突然掛かってきた声に、思わず足を止めた。
後ろを振り返ると、御津貴も椅子から起き上がっていた。
「あの言い方だと……お前、行くんだろう? 北海道エリア」
「……ああ。なんか気持ち悪くてな。解決しないままだとさ」
「一人で行く気か?」
「それは……」
出来れば仲間を連れて行きたい。
しかし、この件は”誰も巻き込めない話”だ。
知り合いや、ギルドの戦闘要員の一人や二人でも連れて行ければ楽なのだが……。
「俺も行くぜ」
「えっ? いやでも……大丈夫なのか? 親に心配されるだろ」
「なぁに、ネカフェとか家じゃなくて、もっとデカイ施設の中からなら大丈夫だろう。ちょっと一度家に帰って相談してくるからよ、待っててくれ」
「……わかった。何時に落ち合う?」
「今日はサークル活動の分が浮いたからな……あと30分後ぐらい。4時半あたりからやろうぜ」
「わかった。場所は……”いつもの”でいいか」
「ああ……」
靖樹は、御津貴が何か考えているような風でいるのを見て、訊ねた。
「どうした?」
「なぁ、あのスライムだった”センリ”って子も誘えねぇかなぁ?」
「あー……それは……ムリじゃないかな」
「どうしてだ?」
「いやさ、昨日一度電話した時に聞いたんだけど……なんか親が大切にしてそうだったって言うかな。もの凄く心配させた後だから、そういうのは許さなそうって言うか」
「でもよ。”エゾ”地方に行くなら、二人だとちょっとキツイぜ。レベル的にもよ。合計レベルが60ぐらいは欲しい。それに―――華がないとつまらないと言うかよ……」
不満そうにそう言う御津貴に、靖樹は溜息を吐いてから言った。
「わかった。一応誘うだけはやってみるよ」
■
靖樹は、御津貴と校門から出て分かれると、すぐさま耳のデバイスを操作し、通話機能を起動させた。
そして、センリへと通信コールを行った。
「―――……はい、世々乃です」
”向こう側”から聞こえてきたのは、聞き覚えのある女の子の声だった。
「キッチェ……じゃない、えー……センリ、……さんですか?」
「あれ? その声……グンバ?」
「うん。グンバじゃなくて、荒金ってんだけど……」
「どしたの? 電話なんてさ」
「いや、実は……」
靖樹は今から北海道の方へと行く事をキッチェこと「世々乃 銑里」に話した。あの”ワールドマスターの少女”の頼みを受ける事にした、という事も。
「へぇー……行くんだ」
「ああ。それで……事情を知ってる奴だけで、パーティを組もうと思ってさ」
「それで連絡をくれたってワケね」
「出来れば……でいいんだけど、来れるか?」
「うんうん行く行く! あたし、そういう”本当の冒険”って感じ、もの凄い好きよ! 絶対行くわ!」
「ええっ!?」
思いがけず肯定的な返事を貰い、戸惑う靖樹。
「で、でもさ……昨日の件で、ゲームとか出来ないんじゃないか?」
「あー……その辺はなんとかしてみるわ。それより……何時から行くの?」
「えーっと、4時半から。場所は……東京エリアの外れにある”大木の根元”って言えばわかるか? エリアゲートの前にある奴」
「ああ、あれね……わかったわ」
そう言って通信は切れた。
(だ、大丈夫なんだろうか……?)
そして靖樹は家へと戻り、プレイする為の準備を一通り整えてしまってから、最後に少し考えた。
これから、どうなるんだろうか……と。
時間の流れは、ゲーム内に入ってからのほうが緩やかであるため、本当なら考え事はファシテイトの中でやる方が良いのだが、最初に考えられる事は考えておきたい。
行動し始めてからとなると、うまく頭が回らないからだ。
(……とはいえ、沢山の事がいっぺんに起きすぎたなぁ……)
色々な事があって、靖樹は心の中の整理が全く追いついていなかった。
これでは、時間が掛かるだけである。ヘタに頭の中を引っ掻き回さない方がいいだろう。
そう彼は判断したが、一つだけ―――どうしても考えたい事。頭の中で引っ掛かっている言葉があった。
それは、プリブラムが自分にトドメを刺そうとして話をしていた時に、言っていた言葉だ。
『”電想世界は理想の世界へ、そして理想の世界は―――真世界へと変わって行く”』
プリブラムが”あの人の言葉”と言って、自分に対して放った言葉。
それが靖樹は、全てが一段落した今、とても気になっていた。
(理想の世界……真世界……)
だが―――数分ほど経って、それ以上の考えが何も浮かばない事を悟ると、唐突に靖樹は、ファシテイト・ファンタジーを起動した。
『これから、ファシテイト・ファンタジーを開始いたします』
無機質な、しかし丁寧な合成音声が頭に響くと共に、靖樹の意識はゲーム世界へと沈んでいった。
■
16時25分。
靖樹ことラクォーツは一人、東京エリアの端に立っていた。
目の前にはエリアごとを区切る白い石造りのゲート。
通称「出立の門」と呼ばれるものが口を開いている。
ラクォーツは買い物や能力の調整など、全ての準備を済ませてから待っていた。
「さて……そろそろ時間だけど……」
新しく買った大きめの胴を持つサバイバル・ナイフの調子を見ながら、物思いに耽る。
今、持っている道具は、残っていたなけなしの素材アイテムなどを売り払い、町で揃えたものばかりだ。
アイテムの大量消失の判定が、どうもあの”パッチ”を適用してから起きているらしく、前に持っていた虎の子の道具は悉く消え、今、全くと言っていいほど手元に無い。
あの「マナ・エネルギー・ランチャー」もだ。
「フゥー……」
大きく溜息を吐いて、ラクォーツは空を見た。
気持ちはさほど落ち込んではいなかった。
全てのアイテム喪失を確認したのは、つい先程ワールドインして、改めて所持品を確認してからだったが、何故かショックは少なかった。
恐らく、自分が新しく手に入れたシステムのショックの方が大きかったからなのだろう。
「よぉ、待ったか?」
「いや、そんなには」
背後からの声に気付き、ラクォーツが振り返ると、そこには御津貴のセイグンタが居た。
持つ部分が長めの長刀「鋼牡丹」を携え、こちらへと歩いてきていた。
どうやら、彼はアイテム消失からは免れたらしい。少なくともメイン武器は。
「……なんか装備が変わってんな」セイグンタが訊ねた。
「さっき言っただろ? なんかアイテムが無くなってるんだよ。お前はどうだったんだ?」
「俺は別に……」
「ホントに何も無くなってないのか? じゃあ、レベルが下がってるだけ?」
「ああ。レベルが……俺は"29"ある」
「俺は……"21"だ……」
「うっわ……ご愁傷様としか言えねぇな……」
「……29? なんでそんなに……俺と同じぐらいじゃないのか」
「いや、それについて、ちょっと考えたんだけどよぉ。もしかして……これ”足された数値”なんじゃねぇかな」
「足された数値?」
「俺の元のレベルが、確か”43”。モンスターの時のレベルが……自信がねぇが18ぐらいだったはず」
「それを丁度足したらこんな感じじゃねぇかなと……」
「……まさか……」
そう言われて、靖樹は一つの仮説を頭の中で考えた。
ならば―――今のこの状態は、その”ステータス計算”と、もしかしたら”デスペナルティ”なのかもしれない、と。
靖樹のレベルも似たような49。そしてグンバのレベルは……確かデアルガと同じぐらい。少し上の19ぐらいであった。だから、今の物差しに当てるとおおよそ”30”程度になるはず。
そして―――後で色々な処理がなされた、という事は、もしかしてあの”プリブラム”が自分を乗っ取ってプレイしていた時のダメージも、計算されていたのではないか? と。
身体が”四散”……いや直撃していれば”蒸発”するような攻撃を喰らい、それが計算に反映されていたならば、全て辻褄が合う。
レベルは1ずつ下がっていくわけではないのだから。
「~~~……じゃあ、デスペナ喰らったって事なのか……この状態は……」
靖樹は、それを理解すると共に、改めてショックを受けた。
声にならない呻きを漏らしつつ、頭を抱える。
傷口の深さと、怪我によって内臓がどれだけのダメージを負ったか改めて知らされたような、複雑な気分だった。
「……ん? ありゃあ……?」セイグンタが遠くを見て、言った。
「あ、居た居たッ! グンバ! デアルガ!」
聞き覚えのある声が遠くから聞こえ、ラクォーツも顔を上げて、声の方向を見た。
すると―――都会の建物が立ち並ぶ遠景をバックに、一人のアバターが駆けて来る姿が見えた。
その姿を見て、思わず二人は驚きの声を上げた。
「いっ!? ま、まさかキッチェ……!?」
「よ、よ、世々乃……さん!?」
彼女の外見は、薄い革鎧を基本にして、赤色を基調にした服装で整えられていた。
その姿は、一見すると”剣士”という感じだが、背丈が小さい。
そのせいで盗賊だとかレンジャーだとかいった高速型のクラスに見える。
しかし、背中に抱えている物を見ると、それは全く違うと断言できた。
背中には―――とてつもなく巨大な”剣”を背負っていたからだ。
「……」
余りにもアンバランスな装備だ。
どうやら……彼女をパーティに加えたのは間違いだったかもしれない。
しかし、彼女がかなり近づき、その姿が詳細になっていくにつれて、その考えは吹っ飛んでいった。
「どうかな? 家にあったものを、とりあえず着てきたんだけど」
髪は赤毛で、ややボーイッシュ目の短髪をしている。
そして眉が太めで、目が大きくツリめにパッチリと開いているせいか、その顔はどこか猫科の生き物を髣髴とさせた。
髪は短くなっているが、後ろでひとまとめのサイドテールスタイルにしており、それを解くと恐らくそこそこの長さになるだろうと思われた。
唇は遠くからでもみずみずしさを感じさせるほどに照りが見え、そして頬はやや上気しているような感じにも見える。
彼女を一言で言うなら”元気娘”と言った感じだった。
「ん? どしたの?」
「い、いや……なんでもない」
「それよりさ、自己紹介してよ。どっちがどっちなの? なんとなく、わかるっちゃわかるけど……」
センリからそう言われ、二人はハッと我に返った。
そして御津貴が、一つ咳をついてから話し始めた。
「俺が”デアルガ”の方だ。本名は”天堂御津貴”。そしてキャラ名が”セイグンタ・ヒヲウキ”だ」
「剣士……じゃないかな?」
「俺は”エスニックザムライ”って奴だ。どこか見知らぬ場所を彷徨う”異国の侍”って感じだな」
「よろしくね!」
センリが手を出すと、セイグンタは両手で彼女の手を握り締めた。
顔がにやけており、かなり嬉しそうな感じだ。
まぁ、当然と言えば当然かもしれない。
年齢の近い世代の女子とパーティを組むなんて、そうそう無い事なのだから。
「じゃあ、あんたがグンバの方ね?」
センリがラクォーツに向かってそう言い放ち、彼も一呼吸置いてから、自己紹介を始めた。
「ああ。グンバの方だ。名前は”ラクォーツ”」
そして続けて話そうとしたが、声に力が篭らず、続かなかった。
「どしたの?」
「いや……色々とあってな……」
なんとなく、ショックを受けているラクォーツに気付いたのか、センリはそれ以上は訊ねなかった。
「さて、まぁやっとこさ三人集まった所で……」
セイグンタがそう言って”旅の始まり”を告げようとすると、センリが割り込んで言った。
「ちょっと待って、私の自己紹介がまだ」
「ああ、悪いな」
センリは一旦地面の方に視線を落としてから、顔を上げると共に自己紹介を始めた。
「あたしは……”世々乃 銑里”。あの時のスライム。キャラの名前は”アリカ・グランサー”」
「クラスは……なんだ?」セイグンタが訊ねる。
「よくわかんないから剣士にしてる。なんでもできそうだし」
「……」
靖樹ら二人は、その言葉に小さく舌打ちをしてから、細長く深呼吸をした。
そして額に手を当てて、声の詰まったような息を吐き出しながら、思った。
これは―――ちょっと大変な旅になるかもしれない……と。
銑里ことアリカは、その様子を首を傾げて不思議そうに見ていた。