第4章
ラカムとファルグは魔苦骸の住処があるという蒼穹の丘を目指していた。
蒼穹の丘とは、ヒチハ島の中心にそびえる天を貫くほど高いと言われている山頂のことで、島内が三六〇度一望できる観光名所のひとつでもあった。今は登山道の修復という名目で立ち入り禁止となっている。
領主であるゼニキタは世間に魔苦骸のことが露呈していまい、観光客が激減してしまうことを恐れていた。しかし、愛息が魔苦骸にさらわれたことが何よりも一番のショックだったらしい。金と権力の亡者と島民から嫌われていても、やはり人の親なのだろう。食事も喉を通らず不眠な日々を過ごしてきたということだった。
舗装されている中腹まではイーズが箱馬車で送ってくれたが、そこからは自分の足で山頂に登らなければならない。
大人二人が並んで歩ける程度の砂利道が山頂に向かって伸びていた。その両脇には大きな葉身が垂れ下がった、高さ二メートルほどの熱帯植物が青々と生い茂っている。
傾斜のきつい雪山で修行したこともあるラカムにとって、この程度の山道を歩くことなど造作もないことだった。
山頂が近付くにつれ、徐々に気温が下がってくる。
ラカムは一瞬背筋に冷たいものが走ったような感覚に襲われてぶるっと体を震わせた。
「怖いのなら、引き返せ」
先を歩くファルグが背を向けたまま、羽織っていたマントをラカムに投げつける。
「あの脂ぎった領主の顔を思い出して寒気がしただけよ。それにわたしは北部育ちだから寒さには強いの」
ラカムはファルグの前に出てマントを突き返すと、足早に歩き出す。
「気を付けろよ。あのゼニキタは無類の女好きだ。金と権力にものを言わせて今まで何人もの女たちを弄んできた。息子がさらわれたところを見ると、おそらく今回の魔苦骸は奴に泣かされた女かその家族の成れの果てだろう」
「成れの果て? それってどういう意味?」
ラカムは思わず足を止めて振り返ると、ファルグを凝視した。
「お前、ヴィルディアーノから何も聞かされていないのか?」
きょとんとした顔をしているラカムを見てファルグは躊躇した。その心情を察したかのように、砂混じりの風にあおられて葉身がざわめきだす。
しばらくして、ファルグは紫黒の双眸を曇らせると重い口を開いた。
「魔苦骸は、恨みや憎しみや妬みといった負の感情が増幅されて人間が変化して生まれたものだ」
「こ、こんな時に何冗談言ってるのよ?」
「冗談でこんなことが言えるか。俺は実際に人間が魔苦骸になっていく様をこの目で見たことがあるからな……」
ファルグは不快感をあらわにすると、唇を噛みしめた。
あまりにも唐突すぎて、ラカムは茫然自失していた。ファルグが言っていることが真実ならば、今まで魔苦骸ハンターが退治してきた魔苦骸はすべて人間だったということになる。
そう思った瞬間、ファルグの掌が真っ赤な血に染まっているように見えた。
全身が総毛立ち、震えが止まらなかった。
「大丈夫か?」
ファルグに肩を叩かれ、ラカムはしなやかな体躯を硬直させる。
(ファルグもヴィルも……みんな人殺し? でも、ヴィルは知っていたなら、どうしてそのことを教えてくれなかったの?)
ラカムは自分を抱きしめるようにしてその場にしゃがみこんだ。
ここにきてヴィルディアーノに対して初めて不信感を抱いた。彼は狡猾なところはあったが、孤児だった自分を引き取って魔苦骸ハンターにまでしてくれた大恩人だ。ラカムにとってヴィルディアーノの存在は神にも等しかった。しかし、そんな想いが今崩壊しようとしていた。
遠い記憶の中で、泣きじゃくる幼いラカムに手を差し伸べてくれたヴィルディアーノのやさしい手が真っ赤に染まっていく。
いや、違う。染まっているのは、自分の両手だ。
ヴィルディアーノの背後に、ラカムによく似た少女の屍が転がっているのが見えた。
(何、これ?)
記憶が混濁する。
「ラカム、返事をしろ!」
心配するファルグの声が遠くに聞こえた。
「わたしは信じない! そんな大事なことをヴィルがわたしに黙っているはずがない! お前はうそつきだ! 魔苦骸退治をわたしに先を越されて報酬がもらえなくなると困るから、そんなうそを言っているんだ!」
ラカムは顔を覗き込むファルグを突き飛ばすと、そのまま山頂に向かって走り出した。
「おい、待て! 一人で行くのは危険だ!」
ファルグの止める声はラカムにはもう届かなかった。
「まったく、あのブーツでどうしてあんな速さで走れるんだ? 一体、どんな修業をすればあんな風になるのか教えてくれないか?」
ファルグが毒づくと、熱帯植物の茂みの中から満面の笑みをたたえた黒衣の男性がおもむろに姿を現した。