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闇の向こうに差す光

   闇の向こうに差す光



 その気配は常軌を逸していた。

 馬車の中で、先輩術師と世間話をしていたつい今さっきが、遠い昔のことのように、今と、隔絶してしまっている。

 眼前には深い傷を負い、血にまみれた旅人らしき若い男が仰向けに倒れて息も絶え絶えに何かを呻いていた。そして、遠く、数十歩先の砂に埋もれた岩陰には、大きな布袋のような物が無造作に転がっている。動かないそれをもう一度目を凝らして見直してみて、心臓が跳ね上がるのを感じた。

 ――あれは……まさか、人間?

 どこか澱んだ、現実感の無いその光景に息を呑みながら、違和感を振り払うように男に駆け寄った。

「しっかり、どうしました! 待って、今治癒を施しますから」

 言いながら、目だけは周囲の景色を何度も往復する。

 ――なんだ、この気配は……

 この旅人を襲ったのも、この気配を発する何かなのか?

 分からない、だが世界を(つんざ)く叫びにも似たこの気配はただ事ではない。

 一刻も早く彼を連れてこの場を離れなくては。

 本能が強く警鐘を鳴らしている。

 早く。

 早く。

 早く!

 焦れば焦る程、身体が空回りするように上手く動かせない。

 旅人を肩に担ぐ。ぐったりとした大の男一人を背負うには明らかに腕力と体格が不足していることを自覚しながら、構わず渾身の力で乾いた砂を蹴り歩を進める。

 ――いる。

 そこ、すぐ傍の岩陰だ。

 そいつはそこからこちらを見ている。

 西に傾きだした日差しがくっきりと影を作っているあの岩陰に。

 頭を固定されたかのように振り向くことが出来ず、ただただこの場所を離れようと躍起になった。

 しかし、足下の砂がそれを阻む。

「くっ……」

 喉の奥から、焦りが込み上げる。

 何をしているんだ、僕は――

「ルヤ……」

「えっ」

 背中の旅人の口から微かな音が漏れて、思わず彼の顔を覗き見た。

「ルヤ……」

「しっかりして下さい! ルヤって? 人の名前ですか? あなたを襲ったのは一体何なんです?」

 旅人の血に汚れた目が薄く開かれる。ぼんやりと焦点は定まっていない。

「ルヤに……伝えてくれ、みんな、死んだと……独りになっても……お前はッ――ゴホッ」

 そこで血にむせかえるように咳き込む男の酷たらしい姿は、生死の境を彷徨っている状態であることを肌で感じ取らせた。

「みんな? ……いや、取り敢えずこの場所から動きましょう。あなたはまだ生きてますよ! 大丈夫、そのルヤさんの所へ自分で伝えに帰れますから」

 精一杯の平静を装って、明るく旅人に語り掛ける。

 その声が聞こえているのかいないのか、男はうわごとのように続けた。

「あいつを……独り……ない」

「……なんです?」

 掠れた、絞り出すような声だった。

「独り……したく……ない」

 肉をむしり取られたような右腕の深い傷。否、それだけではない、胸や肩、腹や足、皮の胴衣を抉られ、身体中に切り裂かれたような傷があった。ぱたぱたと砂に落ちていく血は、夕日の赤に黒く染められていく。痛みに顔を歪めながら、旅人は必死に声を出していた。薄く開かれた目で何かを見ようとしていた。生きようと、していた。

 ルヤというのは、どうやらこの旅人にとって大切な人間であるようだ。それだけははっきりと伝わっくる。

 誰か、会いたい人がいるんだ。

 残して、逝けない人がいるんだ。

 そう感じた瞬間、不意に浮かんでくる名前。

 ――リリファ

 心の底にくっきりと刻み込まれて、消えない名前。

 この人は同じなんだ。

 リリファと。

「あなたを死なせません。絶対に」

 強く確信を持った声を旅人に投げ掛け、再び砂を蹴る。

「ルヤさんの居る所に戻れますよ、信じて下さい」

 一歩、また一歩と馬車のあった方角を目指す。

 ふと気付くと、あの気配――あの狂った叫びのような気配はもう、先程の岩陰にはなくなっているようだった。

 旅人に気を取られているうちに、何処へ消えたのだろう。

 周囲を見回そうとした時、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

「ローク……!」

 あの声は、先輩だ。

「ユジフ先輩……」

 叫び返そうとして、背後にあるものに気が付く。

 身体の芯が、凍り付いたように冷えるのを感じた。

 近くに在りすぎて、気配の歪みが大きすぎて、感覚に収まりきらなかっただけだった。少し視点をずらせば感じ取れる、内側に浸食してくるような、途方もない、望みのない何か。

 (にわか)に、呼吸が空転し始める。

 意識が、ゆっくりと握り潰されていく。

 抗うには、もう、振り向き、この目で見極めるしかなかった。

 例えそこに、何があろうとも――

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