悠久に抱かれし場所
悠久に抱かれし場所
いつも通りの風景だった。
延々と続く荒野の彼方に小さな村の影を見付け、安堵感に包まれながら皆で顔を見合わせて笑う。
宛てのない、気ままな放浪の日々。生活は厳しく、時にはその日の食事にさえ困り、身に付ける物も汗と埃が染み付く着古したものばかり。これといった楽しみもなければ、心からの安息もない。そんな、割に合わない、飾り気もない旅暮らしだったけれど、たったひとつ、居場所だけが、生まれてから欲しくて欲しくて堪らなかった自分の居場所だけがそこにはあった。自分を真正面から受け止めてくれる仲間達と心から笑い、苦しみも悲しみも分け合う。そのことが、ただそれだけのことが、全ての欠け落ちた部分を溢れる程に満たしてくれた。
まるで、奇跡のようだと思った。
きっとここが、私が最後に還ってくる故郷なんだろう。
「いいから、お前は大人しく寝てろって言ってんだろ」
苛立たしげに言い切られ、怯みながらもふくれ面になる私を見て、目の前の見慣れた旅仲間、ジェドルはうんざりした様子で肩を竦めた。その仕草は、日干し煉瓦の壁に灯るランプの光に揺れ、酷く気怠そうに見える。
「少し熱っぽい気がするだけだよ? 行けるってば」
「だから、足手まといになるって言ってんだろーが! 置いてかれるのが嫌なら自分の体調くらいしっかり管理しとけ、無理して悪化でもされたら俺達全員が足引っ張られることになるんだぞ! いいか、これ以上言わせんな、お前は留守番!」
捲し立てられるその一言一言は、確実に私の胸をぐさりぐさりと突き刺して、食い下がるために用意しておいた台詞の数々は強く噛んだ唇の奥でしぼんで消えていく。
悔しいけれどジェドルの言う通りだった。一緒に旅する四人の仲間の中で、私が最も未熟であることは疑いようのない事実。何をしても皆のように上手くはこなせないし、強くもない。どんな場面でも結局最後は皆に守られるような形になってしまう。こんな風に体調を崩しやすいのも私だけだ。放浪者としていつまでも一人前になれない自分がもどかしくて悔しくて、つい、我慢できずに今のような無理を言ってしまう時がある。それこそ、半端者の子供っぽい我が儘にしかならないのに。
私が俯いている間に、ジェドルはこちらに背を向け、淡いオレンジ色の光に浮かぶ宿の廊下を歩き去ってしまっていた。
呼び止めることも出来ずその後ろ姿を見送っていると、通路の向こうからジェドルの肩を軽く小突くようにして、旅仲間の一人ビスラが顔を出す。
「ジェドル、なに病人のルヤいじめてんだお前は、ホントは心配なくせして」
長身で、短く刈り上げた淡い金髪と濃紺の瞳をした、穏やかでいつも私達を優しく見守ってくれている、兄がいればきっとこんな風なんだろうと感じさせてくれる人。剣の腕も四人の中で頭一つ飛び抜けていて、多分、何処かで本格的な実践訓練を積んできたんだろうとジェドルは言ってた。
「ジェドルの言ったこと、あんまり気にすんなよ? こいつ偉そうにしてるけど、言ってることはいつも勢い半分なんだからな」
ビスラはこちらに向かって手を振り、優しく声を掛けてくれた。
その言葉は本当に有り難かったのだけれど、ジェドルの指摘が否定しようのない事実だと実感している私は曖昧に笑い返すことしかできなかった。
と、後ろから肩を叩く手があり、振り返るとそこにいたのは同じく旅仲間のサーナ。
「ビスラの言う通り、あいつ、ジェドル、あんなこと言ってるけどあんたに無理な鍛錬指示したこと後悔してんのよ。あそこまで真面目に、欠かさずやるとは思ってなかったんじゃないの? それでなくても、ルヤは食事当番とか細々としたことまで人一倍頑張ろうとするのにさ」
長い髪と褐色の肌が印象的な、明るくさばさばとした大人の香りを持った女性。口調はきつめだけれど誰よりも周囲に気を配り、自分の取る行動一つ一つにきちんとした信念を持つ人。私のことを妹のように可愛がってくれて、でも時には厳しく叱ってくれる。この人に会って私は少し自分の過去を後悔した。この人のように、あの女性、私の本当の姉も私を思ってくれていたのかもしれないと。もう、全てが遅すぎるけれど。
「でも、この程度で無理をしたことになる私が情けないんだよサーナ。これくらいで熱を出す私が」
「また、あんたは……いい? あんたは十分このパーティの一員として役に立ってる。それを分かろうともせずに、無茶して周りに心配掛けることの方が情けないことなんだよ?」
「……サーナ」
「今回はゆっくり休みなさい。それで私が今言ったことを肝に銘じて、また一緒に旅を続けよう、ね」
「ありがとう、サーナ。……だけど、きっとジェドルの考えは違うんだと思う」
私が目を伏せて力無く笑うと、サーナは大きく息を吐いてやれやれとばかりに首を振った。
「違わないって! ねえルヤ、村で一番宿泊料の高いこの宿、きちんとしたベッドがあるからって理由で取ること決めたの誰だと思う?」
「え?」
「ジェドルだよ。口ではああ言ってるけど、一番あんたのこと心配してんのはジェドルなんだよ。まったくいつまで経っても感情表現が子供なんだから、あいつは」
予想もしていなかったサーナの言葉に驚いた。
まさかあのジェドルがそんな気遣いをしてくれていたなんて。ただ呆れられて、苛つかせているだけだと思っていた。もしこの宿が私の為だというのなら、それはやはり皆の負担になっているということで、申し訳ないことに変わりはなのだけれど、それでも、心に溢れてくるこの気持ち、嬉しいという気持ちは消すことができなかった。
「ジェドル」
私は思わず、ビスラと別れて通路の奥の階段を降りようとしているジェドルの元まで駆け付けていた。
一拍おいて振り返るジェドルは、いつもの仏頂面。
「ジェドル、さっきは我が儘言ってごめんね」
少し驚いたような彼に構わず続ける。
「私、宿で待ってるから、ちゃんと体調戻して、今度はもう、みんなに迷惑掛けないようにする。だから気をつけて……早く帰ってきてね」
一瞬、ジェドルは複雑な表情でこちらを見詰め、何かを言おうとして、でも結局言葉にせずにやめたような仕草をして黙り込んだ。
そして今度は気を取り直したように口を開く。
「あぁ、簡単な依頼だ、すぐに戻る。それまでに完璧に治しとけ、安宿とはいえ、タダじゃないんだからな」
その、何処か温かい響きを持った憎まれ口に、私は笑って頷いた。