最終章 最終パート
そんな空から目線を落とすと俺と智瀬を交互に見つめて呟いた。
「これじゃあ、あたしが悪者だね」
「夏美ちゃん・・・」
「智瀬先輩、お兄ちゃん」
夏美は消え入りそうな声で言ったんだ。
「消えなきゃいけないのは、あたしの方だね」と。
「? 何を言ってるんだ? 夏美?」
「・・・」
夏美は俺の問いには答えずに、ふらふらと教会の外へと歩き出す。
「夏美ちゃん? どこに行くの?」
「・・・」
どうやら、智瀬の声も届いていないようだった。
夏美は半分開いた教会のドアを抜けて外に出てしまう。
「夏美!」 状況がよく分からなくなっていた俺だったが
このまま夏美を放っておいたら取り返しのつかないことになる。
そう思いその後を急いで追いかける。
「待って、私も行く!」 俺の後を更に智瀬が追いかける。
ザァー・・・・・・。
外に出ると、冷たい雨が降り始めていた。
しかも、いつの間に降ったのかも分からなかったのに
結構既に強くなっている。
空はすっかり、澱みきっていた。
そんな雨など気にもしていない様子で、教会を出て少しの所に
夏美は立ち尽くしていた。
「夏美!」
そんな夏美の後姿を確認した俺はずぶ濡れになりながら雨の中を
その少女の元へと走り寄る。
「来ないで!」
「え・・・?」
夏美まであと1~2メートルの所で夏美が俺を制した。
そして俺のほうに振り向かずに呟いた。
「お兄ちゃん、お願い。 来ないで。」
「・・・夏美」
さっきの夏美とは正反対な弱気な口調。
俺はどうしたらいいか分からず、その場から動けなかった。
「夏美ちゃん! どうしたの・・・?」
俺の後ろに追いついた智瀬が心配そうに夏美を見つめていた。
「こんな状況でも、あたしの心配ですか? 先輩。」
「え?」
「考えてもみてくださいよ。 あたし、先輩に酷いことしたんですよ?
胸の傷、きっと一生消えません。 あなたのお母さん、一生帰って来ませんよ。
あたしがしたこと…一生許さないでしょう?
こんな女の事、まだ心配してるんですか?」
「そうだね、確かに。 夏美ちゃんのした事は決して許されることじゃないよ。」
「ですよね」 夏美はそう言って苦笑いした、ような気がした。
ザァー・・・。 雨はさっきよりも強くなっていた。
髪や頬から雨が伝う。 服が体に張り付く。
「でも」 智瀬は続ける。
「私、夏美ちゃんの気持ちも分かるの。」
「あたしの気持ち・・・?」
「うん、さと君の事好きな気持ち。 でも好きな気持ちと比例してそれを失う
怖さって膨らんでいくものね。 多分、私が夏美ちゃんの立場だったら
同じことをしてたかもしれない。」
違うんだ、これは俺が全部中途半端だったせいだ。
夏美や智瀬が責められることは無いんだ。
でも、今の俺に何が出来る…。
「・・・」
「だからね、私。 夏美ちゃんにはちゃんと罪を償ってほしいの。
警察に行って、自首して。 罪を償って、ちゃんと逃げないで。」
「・・・」
夏美は黙ってこちらに振り向いた。
その表情には、先程の殺気はもう感じられなかった。
けれど、同時に覇気もなくなっていた。
「お兄ちゃん」 夏美は虚ろな瞳を俺に向けた。
「なんだ…?」 俺はそんな瞳を直視できなくて視線を逸らしてしまう。
「お兄ちゃん…あたしを見て…もう一回だけでいいから…」
蚊の鳴くような声、それは辛うじて雨の音にかき消されなかった。
「・・・・・・」 そうだよ、ここで俺が逃げてどうするんだ。
俺は夏美の瞳を真っ直ぐに見つめた。
ああ、こんな瞳を俺はいつか見たことがあった。
八年前のあの日の瞳にそれは酷似していた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
夏美はニッコリと笑うと、手にしていたままだったナイフを
自分の腹に押し当てた。
「夏美ちゃん!?」
「まさか・・・!」
そう思ったときには遅かった。
――― 一瞬何が起きたのか分からなかった。
何かもがスローモーションのようにゆっくりと流れていた。
ハっとなった時には夏美が地面に倒れこんでいた。
「い・・・い・・・・・・」
動けずに、呆けている俺の横に居る智瀬の表情が徐々に歪んでいく。
そして。
「嫌ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
智瀬は教会の敷地内中に響き渡るくらい大きな悲鳴を上げて
ガクっと膝から折れた。
「な、つみ?」
「・・・・・・」 夏美は倒れたまま動かない。
「お、おい・・・夏美?」
「・・・・・・」
「夏美!!」
俺は夏美の元に駆け寄って、夏美の体を抱き起こす。
「!!」
抱き起こすと、夏美の手から無機物な音を立ててナイフが地面に落ちる。
そのナイフには夥しいほどの赤い液体がついていた。
「夏美! おい、夏美!!」
嫌な予感が頭をよぎった。
その予感を払拭するかのように俺は夏美に声をかけ続けた。
そのうち「びっくりした?」などと悪戯っぽく笑う事を期待して。
「・・・」 けれども夏美は眠っているようにぐったりしている。
「な、つみ・・・」 自分でも分かるくらいに、声が擦れていた。
ぐちゃり・・・。
ふいに、手に生暖かい感覚を覚えた。
俺はその感触の正体を確かめるべく、恐る恐る手を見る。
「あ・・・ああ・・・あああ・・・」
赤く、ぬるっと生暖かく決して気持ちの良いものとは言えなかった。
「そんな・・・夏美ぃ・・・」
死んじゃったのか・・・? 俺のせいで・・・。
俺が全部中途半端だったが為に・・・。
そんな事を思っていると、少しだが夏美の体が動いたのを感じた。
「お、おい! 夏美!!」
僅かな希望を込めてその名を呼ぶ。
「お・・・にい・・・ちゃん・・・」
弱々しい声だが、その呼び掛けに答えてくれた。
「夏美…良かった。生きてたんだ…」
「おにいちゃん・・・なんで・・・なきそうなかお・・・」
虚ろな瞳で俺を見つめて困ったような顔をしている。
「ごめんね・・・あたし・・・ふたりに・・・みんなにひどいこと・・・」
「良いんだ…それはもう…今救急車呼んでやるから…絶対助けるから…」
俺の声は酷く擦れ、震えていた。
少しでも気を緩めたら泣いてしまうそうだった。
「いいの・・・あたし・・・わかったんだ・・・」
「え…?」
「あたし・・・いきてても・・・おにいちゃんや・・・ちせ・・・せんぱいの・・・
じゃましか・・・できない・・・」
ハァハァと息を切らしたように、途切れ途切れに言葉を紡ぐ夏美。
「夏美ちゃん・・・」
俺の後ろで嗚咽を漏らしていた智瀬も夏美の声に気がついたようだ。
「ねぇ・・・おにいちゃん・・・」
「なんだ…?」
「あたしね・・・おにいちゃんのこと・・・ほんとうに・・・すきだった・・・」
「…ああ」
「ほんとうに・・・すきだったんだよ・・・?」
「…ああ」
「だから・・・おにいちゃんのためなら・・・いっしょにいるためだったら・・・
なにをしても、たのしかった・・・いらないことなんか、なかった・・・」
「……ああ」
「でも、あたし・・・おにいちゃんのそばにいてはいけないこだった・・・」
「そんなことない…今だってまだやり直せる…!!」
ユラユラと、本当にゆっくりな動きでポニーテールが揺れた。
「あたし・・・ゆるされないこと・・・したから・・・
だから・・・これが・・・つぐない・・・」
喋るのもきつくなってきたのか、顔を歪める。
「もう、分かったから…喋るな…」
そんな顔が、声が悲しくて俺はもう見たくなかった。
「おにい・・・ちゃん・・・こんど、うまれてきたら・・・つぎは・・・
おにいちゃんと・・・しあわせに・・・なりたい・・・」
「分かったから…!」
「ずっとわらって・・・おにいちゃんと・・・」
「くっ・・・うぅ・・・」
「なかないで・・・おにいちゃん・・・」
「泣いてなんかない…! これは雨だ…!!」
「・・・」
ふと、急に夏美は喋るのをやめた。
「夏美…? おい、夏美!!」
「おにいちゃん・・・? どこ・・・?」
「え・・・?」
茶色く濁った瞳は宙を彷徨っていた。
「まっくら・・・おにいちゃん・・・どこ・・・?」
ジワリ、夏美の瞳から大粒の涙が浮かんだ。
「みえない・・・どこ・・・? おにいちゃん・・・?」
「・・・っ」
宙を彷徨っている瞳は目の前にいるはずの俺を捉える事ができない。
「おにいちゃ・・・ん・・・」
「・・・う・・・うぅ・・・っ」
夏美を抱きかかえたまま、もうそれ以上声はかけれなかった。
辛すぎて、悲しくて。 俺は夏美の紡ぐ“最期の言葉”が“聴こえなく”なるまで。
ただ、強く強く。 抱きしめていた―――。
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
智瀬は、再度そっと墓石に彫ってある夏美という文字を撫でた。
俺は黙ってその様子を見つめていた。
今思えば、あの時すぐに救急車を呼んでいたら夏美は助かったのかもしれない。
「ねぇ」 智瀬が俺に振り向く。
「なんだ?」
「私、思ってた事があるんだ。」 ゆっくりと自分のお腹を擦りながら。
「この子の名前、実はもう決めてあるの。」
「早いな、まだ男の子か女の子かも分からないのに。」
「うん・・・でもね、なんとなく分かるの。」
そう、智瀬のお腹には新しい命が宿っている。
その命を愛おしそうに、そっと撫でるようにそれを見つめて。
微笑んだ。
「きっと、女の子よ」と。
「どうしてそんなことが分かるんだよ?」
「ん~? 女の勘かな?」
「それ、理由になってなくね?」
「そうかな? えへへ、でもそうだといいなと思ってる。」
智瀬は再び微笑み、俺の横にやって来ると静かに手を握ってきた。
「大事に育てて行こうね、パパ。 きっと夏美ちゃんもそう思ってるよ。」
「だから、なんで分かるんだよ?」
「だって、女の子ってそういうものだから。
どんな形でも、やっぱり自分の好きな人には幸せになって欲しいもの。」
「・・・そんなもんなのか? それが例え自分じゃなくてもか?」
「そんなもんなの。」
だから・・・。
「―――。」 智瀬は自分の中に宿る命の“名前”をそっと口にする。
「・・・・・・智瀬。」
それはきっと、智瀬なりの決意の表れだったのかもしれない。
そうだな、もう二度とあんなことを繰り返さないように。
二人で頑張っていこうな。
逃げずに、現実から目を逸らさずに。 この子と歩んでいこう。
あの時の絶望感、雨の冷たさ、血の暖かさ。
そして、夏美と俺と智瀬。 三人が紡いできた言葉を胸に抱きながら。
俺と智瀬はこれからも、歩んでいくよ。
ごめんな、そして色々な事を教えてくれてありがとう。
俺も、その名を口にする。
―――雲の切れ間から光が差し込んできた。
あれは、“天使の階段”といってあの光の中を天使が昇っていくらしい。
光の中に、小さく君を見た気がした。
君は、俺が知っている妹の顔で「お兄ちゃん、大好き」と微笑み
・・・そっと、光の中へと消えていった・・・。
- fin -
更新遅れて申し訳なかったです。(汗)
これで、この物語は完結です。
最後まで読んでくれた全ての方に感謝を。
ありがとうございました。
また、次回作も応援のほど、よろしくお願いします。