9章Dパート
「この傷はね・・・」
その言葉に、俺は耳を疑った。
「え、そんな。 まさか?」
「信じられないよね、そりゃいきなりこんなこと言われても」
恥ずかしいのか、いそいそと下着を付け直す。
「でもね、私嘘ついてないんだよ」
「・・・」
「さと君、覚えてるかな?」
上着を着直した智瀬は、女神像の近くにあった木製の小さな椅子に腰掛けた。
「私、少し前まで水泳部員だったんだよ?」
「ああ、知ってる」
流石に、そんな前でもないことは忘れない。
智瀬は泳ぐのが得意で、一年の頃から水泳部に所属して一生懸命に練習に
励んでいた。
その努力の甲斐があって、かなりのいい成績を残していたと風の噂で聞いている。
智瀬が『今日はとっても良い記録が出たんだ』とよく笑っていたのを覚えている。
3年生になり智瀬は功績と真面目さが、かわれ部長になった。
『部長、うまくやれるかな?』なんて不安そうなくせに、大好きな水泳部を
引っ張っていけるのが嬉しくて堪らない、そんな風に目を輝かせていた。
それなのに、智瀬は。
「でも、私辞めちゃったでしょ?」
そう、今年5月の中頃に智瀬は突然水泳部を辞めてしまった。
「そうだったな・・・」
退部届けを出した、と打ち明けられた日。
俺はびっくりして『なんで辞めちゃったんだ? あんなに好きだったのに。』と
問うたことがあった。
けれども、理由は『ちょっと、いろいろありまして』と結局はぐらかされて
まともな答えを貰えずにいたんだ。
「もしかして、その傷の所為?」
「うん、そういうこと。」
「そして、その傷は・・・」
「うん。 夏美ちゃんにやられたの」
改めて聞くと、先程より強く。
鈍器で頭を殴られたかのような鈍い痛みが俺を襲った。
智瀬は少し俯き気味にこう言った。
「あの日、私が退部届けを出す少し前。 部室で部活の片づけをしていたの。」
「一人でか?」
「うん、私部長さんだから皆より頑張らないといけないから。
勘違いしないで? 押し付けられたとかじゃないの。 私が自主的に皆を先に
帰しただけのことなんだから。」
「・・・そうか」
「うん、それでね。 片付け終わって、着替えようと思って更衣室に行ったの。
水着を脱いで、下着を着けて。 その時にね、ドアがいきなり開いたの。
びっくりして、そのドアの方向に体を向けたらね。
目の先から私の胸の方まで、パって光が走ったの。」
「光?」
「うん、光。 光が自分の体目掛けて突き刺さってくる感じ。
それでね、気がついたら胸元に紅い線が出来てて痛くて。
なんだろうと思ったら、知らない女の子が立ってたの。
この学校の制服で、どこか見覚えがある顔で。」
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最初は分からなかった。
でも、その女の子の一言でピンときたの。
『久しぶり。 智瀬先輩。 お兄ちゃんは、どこ?』って。
前々から、さと君に新しく両親が再婚して妹が出来たことを聞いていたから。
そして、この学校に入学してきていたことも。
本当にあの時以来の、久しぶりの再会だった。
『お兄ちゃん? ・・・さと君の事?
じゃぁ、あなたひょっとして・・・・・・』
『覚えててくれたんだ? 嬉しいなぁ、それでこそぉ・・・』
夏美ちゃんの手には、カッターナイフが握られていた。
そのカッターナイフが私に向けられた。
そして、こう言ったの。
『殺し甲斐があるってもんよね』って。
『え、ちょっと待ってよ』
ゾクっとした。
手に刃物を持っている人が言ったら洒落にならないよ。
『だって、さっきの一振りで“ヤる”つもりだったのに。
あたしとしたことが外しちゃうんだもん』
クスクスと楽しそうに笑う。
『さっきのって・・・まさか今のって・・・』
ズキズキ、胸が痛み出した。
血も出てたと思う、どのくらいかは分からない。
でも、とにかく痛かったのは覚えてる。
『そう、あたしがこのカッターで斬りつけたわけ』
『どうして? 私あなたに何かした?!』
『ええ、したよ。』
『何をしたって言うのよ!』
『あたしから、お兄ちゃんを奪った。 それだけで万死に値するわ』
『奪ったって、私はそんなつもりじゃ・・・』
『それに、胸にそんな傷。 お兄ちゃんに見せれるかな?』
『それは・・・』
『見せても良いよ? でも、お兄ちゃんが真実を知ったとき
お兄ちゃんは、あたしを嫌うのかもしれない。
でも、あなたはそんな事できないよね?
その傷を見せて、お兄ちゃんに全部事実を伝えて。 あたしとお兄ちゃんの
仲を壊してまで“性行為”できないよね??』
『・・・それが、目的だったの?』
『さっきも言ったけど、あたしの目的はあなた・・・っていうかは。
あたしとお兄ちゃんの仲を邪魔する人をコロすこと。
今日のは警告。 ゆっくりゆっくり、あなたをコロしてあげます。』
不敵に笑う。
『・・・なんで・・・こんなことするの・・・』
『何回も言わせないでよ』
『あなた、さと君のこと好きなんでしょ? ならどうして、その好きな兄の
幸せを見守ってあげるとかできないの?』
『・・・・・・』
『私は別れないよ、あなたもさと君が好きかもしれないけど。
私もあなたに負けないくらい、さと君が好きだもの』
『・・・・・・付き合ってられないわ。 でも、分かってる最後に“勝つ”のはあたし。』
『ちょっと・・・どこ行くのよ?!』
そのまま、夏美ちゃんは更衣室から出て行った。
それ以来、私はこの胸の傷を皆に見られたくない為に水泳部を辞めた。
そして、さと君。 あなたとの関係を“進める”事も辞めた。
進めてしまえば、何れこの傷を見せることになる。
その時に、私は嘘を付けるほど器用な人間じゃないから。
そうしてしまうと、表面上だけでも仲良く出来てる3人の関係が壊れてしまうから。
私の中の時間はこの時から止まっていたのかもしれないね。
ていうよりかは、私が自分で止めて現実から逃げていたのかもしれない。
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