8章Eパート
帰り道、オレンジ色に染まった風景を智瀬と二人で歩く。
特にこれといった会話はなく、終始智瀬はムっとした表情だった。
いつもの商店街の定位置に着くと智瀬は俯き、俺に問いかける。
「明日も会える?」と。
「・・・・・・」
明日、明日はもう帰らなきゃいけない日だ。
朝一の電車に乗って、俺は元の住んでいる町に帰る。
でも、智瀬の瞳は凄く切なげでそんなことは言えなかった。
「ねぇ、会える?」 もう一度、同じトーンで問う。
「ああ、会えるさ」
「本当? 約束だよ?」 少女は小指を差し出してきた。
「・・・ああ」 その小指に、自分の小指を絡ませる。
ドクン・・・
指きりを、した。
「ゆぅびきった!」 女の子は笑顔で指を離すと
「これで明日も会えるね!」 と言った。
ドクン・・・
なんて無垢な笑顔なんだろう。
「あの・・・智瀬ちゃん・・・」 言おうと思った、でも
「そろそろ、お母さん達が帰ってくるかもだから家に戻るね。 バイバイ」
何かを悟ったかのように、智瀬は足早にその場から走り去っていった。
「言えなかった・・・畜生・・・」 その場で一人佇む。
何とも言えない、モヤモヤした感覚の名前が分からず
俺はただ、ギュっと拳を強く握った。
そして、翌日。
その日は昨日同様晴れていた。 不快なくらいに暑かった。
でも、何よりも不快だったのは智瀬ちゃんに“お別れ”を言えなかった事。
俺と母さんは、叔母さんや親戚の叔父さんたち別れを告げると
二人で肩を並べて駅まで歩いていた。
肩を並べてっていうのも、変かもしれない。
まだ当時小学生の俺と大人の母さんじゃ、背丈の差があり過ぎたから。
・・・・・・。
・・・。
駅に着いた。
そこは小さな駅で、切符の自動販売機と線路への進入用と出口用の片道ずつの
自動改札があるだけだった。
切符は今買った。 後は、この改札を通るだけ。
この改札を通ってしまえば、もうこの町には来年まで戻っては来れないだろう。
「さぁ、行こう?」 ボーっと改札を見つめていた俺に母さんは背中を押す。
「うん、そうだね…」 行こう、立ち止まっていても仕方ない。
俺が改札を通ろうとした、その時だった。
「どこ行くの?!!」
後ろから、女の子の声がしたんだ。
「!!」 その声に、咄嗟に振り向く。
そこには、肩で息をして苦しそうにこちらを見つめる智瀬がいた。
「智瀬・・・ちゃん、どうして・・・」
「ねぇ、どこ行くの?」 智瀬はそう問いかけながら俺に近づいてくる。
「・・・・・・」 俺は答えることができず、俯く。
「あれ、この子。 まさか・・・」 母さんが眉をひそめる。
「違うよ! この子は・・・」 言おうとしてハっとした。
この子は、なんだ? 俺のなんだ?
ただの知り合い? それとも友達? それとも?
分からない、全てが曖昧な感じだ。
「私は、聡くんの彼女だもん!!」 智瀬は叫んだ。
「なっ・・・!!」 思わず固まる俺。
「ちょっと待ってよ、いつから俺たちは恋人に?」
「今は違うけど・・・聡くんは・・・さと君は私の未来の恋人さんなの!!」
ギュっとワンピースの裾を掴んで俯く。
「智瀬・・・ちゃん・・・」
「ねぇ・・・行っちゃうんでしょ?」 俯いたまま、声を震わす。
「・・・うん」
そうか、智瀬は全部知っていたんだ。 俺の昨日の様子から悟ったのだろう。
全部、知っていて。 笑顔を見せて、我慢していたんだ。
「なら、約束して」 智瀬の頬から、光の軌跡が伝った。
「約束・・・?」
「また会うことが出来たら・・・私と今まで以上に一緒に居て。
そして、私と・・・恋人になって・・・?
それを約束してくれたら、お別れがなかった事許してあげる」
ポタポタと、堰を切ったように溢れ出してくる。
初めて出来た友達だ、居なくなるのが寂しくない訳ないじゃないか。
多分今の俺には何もする権利はないかもしれない。
こうなると、智瀬が悲しむことになると知っていて言わなかったんだから。
それでも、俺に出来ることは。
「うん、約束する」
そう言って、頭を撫でてやることだけだったんだ―――。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・。
「・・・ねぇ、パパ。」
少女は父に問う。
「なんだ?」
「あの人が、あたしのお兄ちゃんなんだよね?」
その視線の先を、うっとりとした表情で見つめながら。
「ああ、そうだ。 今日からお前の家族になる人だ。」
「ふふ・・・写真で見たことはあったけど実際に会ってみても良い人だった」
「ああ、あの公園のときか。 確かに、兄にするには申し分ないかもな」
ハッハッハ、と父は笑った。
「・・・ふふっ、これから“お兄ちゃん”と過ごせるなんて・・・
あたし、すごく楽しみ。」
その笑みの裏で、黒い感情が渦巻く。
――― 何が『恋人になって』よ、あの女・・・そんなことあたしが許さない。
だって、先に“約束”したのはあたしなのよ。
ずっと傍に居てくれるって、約束したのはあたしとなのよ。
お兄ちゃんは“渡さない”。 絶対に。 ―――
* * * * * * * * * * * * * * * * *
泣いている智瀬を宥め、今回はきちんとお別れをした。
また会おうね。 そう言って智瀬は手を振ってくれた。
電車に乗り込んだ俺を待っていたのは、昨日の少女、夏美とその父さんだった。
いきなりだった。
どうやら、前から夏美の父さんと俺の母さんは昔からの知り合いだったらしく
結婚を機に会わなくなっていたらしい。
でもお互いに、一人身になった時からまた再会するようになって。
気がつけば、お互いに惹かれあっていたんだそうで。
「さぁ、聡。 今日からこの人がお父さん。この子が妹よ。」
そうやって二人を電車の中で紹介されたときには、度肝を抜かれた。
何せ、その二人は昨日モリコーで会っているんだから。
家族が増える分には嬉しい、そして同時に昨日の夏美との約束も果たせるから。
これは、嘘にならなくて済むから。
でも、一言くらい相談しても良かったと思うのだが。
いきなり再婚するとか言われても、普通混乱しますよ。 母上。
電車の中で、夏美は昨日とは違う。 どこか恍惚とした笑顔で俺に笑いかけた。
「お兄ちゃん、あたしの傍にずっと居てね。」




