7章Aパート
「・・・・・・」
何回コールしたかなんて覚えていない。
『お兄ちゃん? どうしたの?』 少しして、夏美はいつもの声で電話に出た。
「夏美、お前今日俺の部屋に入ったか?」
『入ったよ』 即答だった。
「やっぱり・・・机の上の写真立て、お前の仕業だな?」
『そうだよ』 これもまた即答だった。
「なんでこんなことするんだよ? ひょっとして、智瀬に対する復讐でも
企んでいるのか?」
『復讐なんてしないよ。』
「本当か?」
『お兄ちゃんは、本当にあの女が好きなんだね』
受話器の向こう側で、夏美はため息をついた。
「彼氏だからな、当然だろ?」
『・・・。 でもあたしは今まで誰よりもお兄ちゃんの傍にいた。
傍に居て、ずっとお兄ちゃんを見てきたんだよ?』
だから譲れないんだ。 と夏美は微笑んだ、そんな気がした。
『お兄ちゃん、写真大切にするね。 夜も胸に抱いて寝るから・・・
あ、でもお兄ちゃんがしてほしいなら本当にお兄ちゃんの体を胸に・・・。』
「何言ってんだよ、お前は妹だろう?」 そう妹だ、血の繋がった。
『なら、何故キスしたの?』 夏美の声が冷たく凍りつくのを感じた。
まるで、俺のことを蔑んでいるかのような。
「それは・・・」 それを言われると、反論できなくなる。
『でも、大丈夫。 あたしはお兄ちゃんのそんな所も好きだから。
優柔不断で、誰にでも優しくて、こんなあたしを“愛して”くれて。
良いとこも、悪いとこも、全部好きだよ。 お兄ちゃん。』
「夏美・・・」 なんて言って良いのか分からず。
『あたし、お兄ちゃんのためならぁ・・・なんでもするんだから。』
楽しげなその声で、電話は切れた。
一人部屋の中、俺は携帯の画面を
時間経過でバックライトが消えた後もじっと見つめていた。
そして、急に切ない気持ちになった。
―――俺は・・・最低だ。
【8月9日】
結局、昨夜は夏美は帰ってこなかった。
俺との電話後、夏美は母さんに『友達の家に泊まるから心配しないで』と
連絡を入れていたらしい。
母さんはそれで納得したらしいが、もちろん俺はそんなの信じていなかった。
いや、本当に友達の家に泊まって楽しくやっているのならそれでいい。
寧ろ、これが俺の杞憂であってほしいと思う。
でも、ここ数日の出来事や夏美の様子を見るとそうは思えなかった。
さて、今日は緑夏祭りの日だ。
天気も良好。
俺は灰色の浴衣姿で、夕日の中を一人歩いていた。
せっかくの祭りだ、浴衣を着ていかなければ意味がない。
きっと智瀬も浴衣を着てきてくれるはずだし。
それが少し楽しみだったりもする。 男だったら大体の人は理解できるはずだ。
祭りは日が暮れるより少し前、6時30分からの開始になる。
俺の家からモリコーはそんなに離れていないのでゆっくりと歩いていく。
正直、祭りに行く気分ではなかった。
でも年に一度の行事だし、智瀬も楽しみにしている。
だから、今日くらいは今までの事を忘れて楽しもうと思った。
「・・・・・・」
俺はまるで気づかなかった。
後ろを、同じく浴衣姿で追いかけてくる少女の存在を。
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
待ち合わせは7時、モリコーの入り口。
少し早く着いてしまったようだ、携帯を開くとまだ6時50分だった。
「仕方ない、待つか」 そう呟き、公園の中を覗き込む。
もう、中は人でごった返していた。
流石に町を挙げた年に一度のお祭りだ、この客の数は凄まじいの一言だ。
・・・遠くに、小さな子供が手を繋いで歩いているのを見かけた。
多分、見た感じ兄妹だろうか。 男の子が小さな女の子の手を引いている。
パタッと、女の子はいきなり転んでしまった。
そして『痛いよぉ、お兄ちゃぁん』と泣き叫ぶ。 その声はここまで聞こえてくるくらい。
その声は、遠い記憶の中。 まだ幼かった頃の夏美の泣き声に怖いくらい似ていた。
俺たちもこんなことがあった気がする。 でも、その時俺はどうしたんだっけ?
「ちゃんと掴まってないからだぞ?」 男の子は女の子に手を差し出す。
「だってぇ・・・」 鼻を啜りながらも、しっかりと女の子はその手をとった。
「もう離すんじゃないぞ?」 男の子が女の子の頭を撫でてやると嬉しそうに微笑む。
「うん!」 女の子はすっかり泣き止み、二人は仲良く手を繋ぎ直し奥へと消えていった。
・・・あの頃に戻りたいと思った。
“好き”とか“好きじゃない”とか。
“妹として”とか“一人の女の子として”とか。
何も考えずに、ただ二人で笑い合えていた頃が今は物凄く遠い昔のように思えた。
―――なんだろ、男の子の言った言葉。 なんとなく、懐かしい感じがした。
「さと君、待たせちゃった?」
いつの間に来たのか、智瀬が目の前に来て俺の顔を覗き込んでいた。
「いや、ついさっき来たところだ」 使い古されたようなそんな台詞。
でも、嘘はついていない。
「良かった、それよりさ。 何か言うことない?」
智瀬はこれ見よがしにクルっと一回転してみせた。
これは、浴衣を褒めろ。 ということなのか?
智瀬の浴衣はピンク色で、箇所箇所に花の柄が装飾されていてなんとも可愛らしい
デザインだった。 手には巾着、足には下駄。 帯には扇子まで差してある。
「・・・・・・」
「さと君? どうしたの?」
「・・・まぁ、悪くねーんじゃね? その浴衣。」 照れ隠しに、鼻の頭を掻いた。
普通に可愛くて見惚れてました。 なんて恥ずかしくてとても言えない。
「えへへ、ありがと。 さと君に褒めてもらえると嬉しいっ。
この浴衣、今日の為に買ってあったんだぁ」
「・・・・・・」
智瀬、俺と行けるかも分からなかったのにこれを買っていたのか。
それとも、俺がOKすると心のどこかで確信でも持っていたのだろうか。
なんにしろ、本人が喜んでいるんだからそこでいいか。
智瀬は目を『く』の字にして「あう~」と喜んでいる。
それがまた可愛い。
「よし、中に入ろうぜ。」 俺は智瀬の手を握った。
「あ・・・」 智瀬は一瞬驚いたように体をビクリとさせた。
「ん? どうした?」
「んーん、なんでもないの」 そう言うと恥ずかしそうに俯いてしまう。
「あはは、変なやつ」
「もう、笑わないでよぉ。 さと君の意地悪!」 智瀬はそうムクれるのだった。
「ははは、ごめんごめん」
そう、こんなやり取りがしたかったんだ。
いつも通りで、馬鹿みたいで。 とても心地いい会話。
からかわれて、ムクれてる智瀬の手を握りながら、肩を抱きながら過ごす。
この時間が。 こんなにも愛しいなんて。
屋台から聴こえる、祭囃子と明かりの中を
俺と智瀬は、手を繋いで歩いていく。
まるで、後に引く陰を振り払うかのように。