6章Dパート
―――“真っ暗闇の景色の中、一人佇む。 心の中の誰かが語りかけてくる。
『それでいいのか?』と。
『このまま負けていていいのか?』 と。
良いわけ…。 でも、あたしはそれを望んでもいいの?
黒い影が、近づいてくる。 あたしの耳元に口を近づけてそれは不気味に笑った。
『良いに決まっている』と。
あなたは・・・誰? なんであたし、こんな所に居るの?
お兄ちゃんは・・・どこ? お兄ちゃん・・・怖いよ・・・暗いよ・・・。
影は、心を見透かす様にあたしに語りかけてくる。
『お兄ちゃんは…居ないよ』と悲しげな声で。
いない・・・? どこに行っちゃったのぉ・・・?
急に心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。
今、あたし恐怖してるんだ。 居ないって聞いただけで…怖くなったんだ。
それがハッキリ分かるほどに、心の中に切ない気持ちが込み上げてくる。
『・・・あの女』
影は指を差した。 その先には仲良さそうに微笑を交わし、寄り添いながら
肩を寄せて歩いていくお兄ちゃんと・・・《あの女》。
その横に、当然だけど・・・。
『あそこに、あなたの居場所はないよ』と影は冷たく言い放つ。
え、イヤだよ。 居場所がないなんて、イヤだよ・・・。
『嫌なら…どうするの?』 どうするって・・・?
『わかんないの?』 ・・・・・・。
『本当は分かってるんじゃないの?』 え・・・?
『あなたの後悔のないように・・・行動すればいいのよ』
そう言うと、切なげに笑ったような気がした。
あなたは・・・誰なの? なんでそんな事・・・。
影は応えない。
その刹那、視界は開けていった。 眩しくて目が眩むほどに―――”
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
智瀬は答えて欲しげに俺を見つめていた。
そんな真剣に見つめられると、少し困ってしまう。
「あ、ああ。 勿論空いてるけど」
「本当? じゃぁさ、明日二人で“緑夏祭り”行こうよ!」
智瀬はその大きな瞳をキラキラと眩しい位に輝かせた。
緑夏祭り。 それはモリコーで行われる年に一度の夏祭りのことだ。
モリコーは大きな公園だ。
入り口入ってすぐの遊具が置いてある広場の奥の方。
それは、この前夜のモリコーで夏美を見つけた場所。
そこは『散歩コース』と呼ばれていて、奥の方にある展望広場まで
道なりにずっと煉瓦ブロックで舗装された道が続いている。
普段、その道はジャージ姿のお兄さんや近所の主婦たち何人かで
井戸端会議の場として使われている。
その広く、長い散歩コースに恒例の“チョコバナナ”や“リンゴ飴”などの
出店が軒を連ねる。 毎年、賑やか過ぎるくらいの人が集まって
それぞれの買いたいものを買ったり、射的などとで一喜一憂したりする。
そして、最後には展望広場から見る約2000発打ちあがる花火大会。
何もないこの町の、まさに町を挙げての一大イベントだ。
余談だが、町長曰く。
『祭りは緑(自然)の中でこそ相応しい。 自然の中でやるからこそ楽しい』
だそうだ。 とにかく自然が大好きらしい。
そうか、緑夏祭りは明日だったのか。
ここ数日のゴタゴタで、すっかり忘れていた。
断る理由など、なかった。
寧ろ、俺も智瀬と行きたいと思った。
「いいよ、“二人きり”で行こうか。」と、そっと智瀬の頭を撫でてやる。
「やった・・・えへへ」 智瀬はくすぐったそうに笑った。
こうやってまた微笑んでくれるのなら…俺はいくらでもこうしたい。
もう・・・あんな智瀬の顔なんて見たくない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
少しの間俺たちは見つめ合った。
今までも、何度もしてきた行為。
なのに、今日はやけにドキドキする。 いつも以上に意識してしまう。
「ねぇ・・・さと君?」
「ん・・・?」
「夏美ちゃんにした事と、同じ事…してほしい」
恥ずかしいのだろうか、そんな遠まわしな言い方をして頬を赤くする。
夏美にしたこと…それはキス。
俺だって、したい。 いや寧ろずっとしたかった。
でも“変化”が怖かったから敢えてしなかった。
…だが俺たちは変わってしまった。
『夏美』の告白によって、変わってしまった。
だから訊いた。
『俺で・・・いいのかよ』と。
やはり、あんな事をした手前すんなりキスをするなんて少し気が引けた。
罪悪感・嫌悪感。 暫くは俺の中でモヤモヤとしているに違いない。
「さと君が・・・いいの」
智瀬はベッドから這い出てくる。 そして俺の前に少しふらつきながら立った。
「してほしいから・・・言うの。 お願い・・・さと君・・・」
部屋の空間の中に、消え入りそうな声だった。
「・・・・・・」 俺も立ち上がり、両手で智瀬の肩を掴む。
「初めてだから・・・優しくしてね」 そっと瞳を閉じた。
「智瀬・・・」 俺も瞳を閉じて、智瀬の顔に自分の顔を近づける。
―――息のかかる位の距離、今まで踏み出せなかった距離。
そこに俺と智瀬は、やっと進み出せた。
トクン・・・トクン。
智瀬の唇に近づくほど、智瀬の甘い香りが鼻をくすぐる。
とても、心地いい。 温かくて安心する、そんな感覚を覚えた。
トクン・・・トクン・・・トクン・・・。
…唇が重なり合う、まさにその時だった。
「!?」
ピーンポーン♪ ピーンポーン♪
いきなり、家の呼び鈴が鳴らされた。
「・・・・・・!!」 その音に、反射的に俺たちはお互いの体を離す。
まだ心臓がバクバクしている。
ピーンポーン♪ ピーンポーン♪ ピーンポーン♪ ピーンポーン♪
呼び鈴は連呼されている。
「あれ・・・お母さん居ないのかな?」
智瀬が不思議そうに首を傾げた。 確かに、誰かが出る気配はなかった。
「んー・・・つか、うるせーな。 誰だよ、こんなに呼び鈴連呼するなんて」
呼び鈴は4回、5回と連続して鳴っていて止む気配はなかった。
なんだ? 訪問者はそんなに急いでいるのか? この急かし様は普通じゃない。
「ちょっと、私行ってくるね」 智瀬はそう行って部屋を出て行った。
「・・・・・・ていうか、なんつうタイミングだよ」
そう心の中で毒つく。
でも、内心少しだけホっとしている自分がいた。
唇が重なり合おうという瞬間
何故か俺の瞼の裏には夏美の泣き顔が浮かんだから…。