4章Bパート
「お兄ちゃん、まだ起きてる?」
ふいに、夏美が小さな声で話しかけてきた。
「…ああ」
「そっち向いても…いい?」
「…ああ」
「ん、ありがと…」
ゴソゴソ。 夏美の動く気配がした。
きっと夏美は今、俺の後姿を見つめているに違いない。
「お兄ちゃんってさ…いつの間に、こんなに大きくなったのかな」
夏美は少し切なげに呟いた。
さっき俺が思った事と同じ事を思ってたんだな… と俺は心の中で苦笑する。
「そんなこと、俺に訊くな」
「うん…そだよね…ねぇ、お兄ちゃん?」
「なんだ?」
「昔、覚えてる? よく二人で遊んだよね? 一緒に町に探検に出掛けたり。
海や山に行って事故に遭いかけたり…大変なこともあったし、泣いたこともあった。
でもね、それは同時に楽しくもあったから。 あたしにとって大切な思い出なんだ。
お兄ちゃんが居た風景は、全て特別に見えたんだよ?」
「・・・・・・」
「お兄ちゃんが居れば楽しかった。 お兄ちゃんが居れば嬉しかった。
悲しいことも、寂しいことも、怖いことも。 何もかも、嬉しかった。
喧嘩もいっぱいした。 仲直りもいっぱいした。 あたしが泣く度に頭を撫でてくれた。
イケナイ事をしたら、怒ってくれた。 その優しいお兄ちゃんは………。
あたしにとってはとても近い存在で同時に遠い存在でもあって。」
「・・・・・・」 俺は夏美の話を黙って聞いていた。
「そのお兄ちゃんは、昔は近くに居た筈のお兄ちゃんは。
今は凄く“遠く”感じる。 別の世界に行っちゃったみたいで。」
夏美は俺の背中に手をそっと当てると、こう静かな声で呟いた。
「智瀬さんのこと、好き?」
「………」 俺は少しの間を空けて、「ああ」と答えた。
「あたしの、ことは?」
その声は消え入りそうな程微かな、でも俺の耳にはきちんと聞こえた。
遠慮しがちではあったものの、夏美は俺に“何か”を期待しているようにも思えた。
「好きだよ、お前は俺の妹だからな」
その期待を裏切るかのように、俺は夏美に言った。
―――俺はずっと前から気づき始めていた。
「妹として? そんなの嫌だよ…」 夏美はキュっと俺の背中を掴んできた。
―――ずっと前から、薄々そうなんじゃないかと思っていた。
でも、気づかないフリをしていたんだ。
「あたしは…本当はずっと前から…智瀬さんよりも前から…」
夏美の手は震えている。 その感覚が背中を通じ伝わってくる。
―――やめてくれ。
「お兄ちゃんのコト…」
―――やめてくれ!
「す――――――」
「やめてくれっ!!!」 俺は思わず口にしていた。
「っ・・・!!」 びくんと、俺に触れた手が震えた。
でも、その手は離れなかった。
「俺たちは、兄妹なんだ。 だからそれ以上は言ったらダメだ」
淡々と言う俺に夏美は「でも・・・」と、まだ何か言いたげな様子だった。
「でも、もヘチマもない。 俺たちは血の繋がった家族なんだ。
…それ以上でも、それ以下でもない。」
分かっている、この言葉は夏美を傷つける凶器にしかならない。
俺は、夏美を傷つけてしまっただろうか。
「・・・・・・」
それを最後に、二人の会話は途切れた。