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人の恋は蜜の味

恋の劇薬 〜囚われた影~

作者: ヒロオカ トモエ
掲載日:2026/05/31

これは乙女ゲーム『人の恋は蜜の味』に登場する攻略対象、アンソニー・フォレストの物語。

 アンソニー・フォレストは、昔から知っていた。

 自分が二番目だということを。

 一卵性双生児。同じ日に生まれた兄弟。

 それなのに、ルーカスは王太子で、自分は第二王子だった。


「ルーカス殿下はこちらへ。」

「王太子殿下、おめでとうございます。」

「さすが王太子殿下です。」


 祝福される兄。

 称賛される兄。

 期待される兄。


 ……そして、その隣に立つ自分。


 誰もアンソニーを無視しているわけではない。

 だが、誰も最初には選ばない。

 それだけだった。

 それだけなのに、胸の奥は少しずつ削られていった。


 兄は優秀だった。

 剣術、学問、社交界においても、皆、兄を称賛する。

 

 生まれた時から兄の背中を追う毎日。

 努力しただけ、兄は先へ行く。

 その背中は遠かった……。



 ある日、夜会でユア・スタールと出会った。


「第二王子殿下。」


 ストロベリーブロンドの髪をなびかせ、彼女は微笑む。

 エメラルドブルーの瞳に自分が映った。


「なんだ?」


「少し嬉しくて。」


「何がだ?」


「今日、初めて殿下とお話しできたので。」


 アンソニーは思わず笑った。


「変な奴だな。」


「そうですか?」


「皆、まず兄上に挨拶行くのが貴族だろう。」


 何気なく言った言葉だった。

 だが、ユアは不思議そうに首を傾げた。


「どうしてです?」


 ユアは首をかしげた。


「だって今、私がお話ししているのはアンソニー殿下ですよ。」


 胸の奥で何かが揺れた。

 兄ではなく、王太子ではなく、自分を見ている。

 そんな人間は今までほとんどいなかった。


「殿下は優しいですね。」


 ユアが笑う。


「兄上ほどではない……。」


「また王太子殿下ですか。」


 ユアは少しだけ不満そうな顔をする。


「私はアンソニー殿下のお話をしているのに。」


 心臓が強く鳴った。

 それは初恋だったのかもしれない。

 あるいは……もっと危険な何かだったのかもしれない。

 気付けばアンソニーは、彼女を思い出すようになっていた。


 兄を見上げることに疲れた時、婚約者のフローラと顔を合わせるのが苦しくなった時、自分の居場所が分からなくなった時。


 ユアは必ずそこにいた。


 ある日、ユアが呟いた。


「もしアンソニー殿下が王太子だったら……」


 アンソニーは顔を上げた。


「兄上ではなく?」


「ええ。」


 ユアは微笑む。


「みんな……今より幸せだったと思います。」


 その言葉が誰よりも欲しかった。

 甘い毒のように胸へ染み込んで広がっていく。理性を曇らせる危険な媚薬。


 アンソニーは初めて考えた。

 兄がいなければ……どうだったんだろうと。


 兄の椅子に座る自分――。皆に囲まれ賛辞を受ける自分――。国民が歓声を上げながら手を振る――。その中心に立つ自分。



 自分でも何をしたかったのか分からない。

 ペーパーナイフを、兄から借りた書物に挟み込み、兄の部屋に向かう。弟である自分が兄の所へ向かうことに城の者は誰一人、不審に思わなかった。


「アンソニー、どうした?」


 兄の顔を見て曇りに光が差し込む。

 兄は何も悪くない……。

 兄は昔から優しかった。剣術で負ければ手を差し伸べてくれた。勉学で悩めば相談に乗ってくれた。王太子として選ばれたのだって、兄のせいではない。


 悪いのは悲劇に浸る自分だ。

 兄と比べられるたびに傷ついて、兄を羨み続けて、兄の隣で上手く笑うことが出来ない、自分の弱さだ。


 そう言い聞かせる。


「借りていた本、面白かったよ。」


 ルーカスに本を手渡す。


「おい、アンソニー。ペーパーナイフが入ってるぞ。しおりを使えよ。」


「あー……ごめん、つい。」


 自室に戻る廊下で繰り返されるのは優しい兄の顔ではなく、ユアの声だった。


『みんな……今より幸せだったと思います。』


 その声は、まるで呪いのように、甘く、優しく、心を蝕んでいく。


『みんな……今より幸せだったと思います。』


 何度も、何度も頭の中で繰り返す。

 

 兄ではなく、王太子ではなく、アンソニー・フォレストを見てくれた少女。

 彼女が望むなら、彼女が正しいと言うなら、もしかしたら――。


 窓の外では、王城の塔が月明かりに照らされていた。

 静かな夜だった。

 その夜、アンソニーは、兄のいない未来を想像した。



 同じ夜。

 スタール男爵家の庭園では月明かりの下に一人の少女。

 ユア・スタールは踊るように影を踏む。


「ふふっ。」


 楽しそうに笑うユア。


「あーやっぱり、兄弟って面白い。」


ここまで読んで頂きありがとうございます。


今回の短編は、“もし誰も彼らを救えなかったら”という可能性の一つとして書きました。

本編『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』では、ルーカス&アンソニーの母親が破滅回避のため奮闘中です。


少しでも【恋蜜こいみつ】の世界に興味を持っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると今後の執筆の励みになります。

よろしければ、本編の方も読んで頂けると嬉しいです。

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