恋の劇薬 〜囚われた影~
これは乙女ゲーム『人の恋は蜜の味』に登場する攻略対象、アンソニー・フォレストの物語。
アンソニー・フォレストは、昔から知っていた。
自分が二番目だということを。
一卵性双生児。同じ日に生まれた兄弟。
それなのに、ルーカスは王太子で、自分は第二王子だった。
「ルーカス殿下はこちらへ。」
「王太子殿下、おめでとうございます。」
「さすが王太子殿下です。」
祝福される兄。
称賛される兄。
期待される兄。
……そして、その隣に立つ自分。
誰もアンソニーを無視しているわけではない。
だが、誰も最初には選ばない。
それだけだった。
それだけなのに、胸の奥は少しずつ削られていった。
兄は優秀だった。
剣術、学問、社交界においても、皆、兄を称賛する。
生まれた時から兄の背中を追う毎日。
努力しただけ、兄は先へ行く。
その背中は遠かった……。
◇
ある日、夜会でユア・スタールと出会った。
「第二王子殿下。」
ストロベリーブロンドの髪をなびかせ、彼女は微笑む。
エメラルドブルーの瞳に自分が映った。
「なんだ?」
「少し嬉しくて。」
「何がだ?」
「今日、初めて殿下とお話しできたので。」
アンソニーは思わず笑った。
「変な奴だな。」
「そうですか?」
「皆、まず兄上に挨拶行くのが貴族だろう。」
何気なく言った言葉だった。
だが、ユアは不思議そうに首を傾げた。
「どうしてです?」
ユアは首をかしげた。
「だって今、私がお話ししているのはアンソニー殿下ですよ。」
胸の奥で何かが揺れた。
兄ではなく、王太子ではなく、自分を見ている。
そんな人間は今までほとんどいなかった。
「殿下は優しいですね。」
ユアが笑う。
「兄上ほどではない……。」
「また王太子殿下ですか。」
ユアは少しだけ不満そうな顔をする。
「私はアンソニー殿下のお話をしているのに。」
心臓が強く鳴った。
それは初恋だったのかもしれない。
あるいは……もっと危険な何かだったのかもしれない。
気付けばアンソニーは、彼女を思い出すようになっていた。
兄を見上げることに疲れた時、婚約者のフローラと顔を合わせるのが苦しくなった時、自分の居場所が分からなくなった時。
ユアは必ずそこにいた。
ある日、ユアが呟いた。
「もしアンソニー殿下が王太子だったら……」
アンソニーは顔を上げた。
「兄上ではなく?」
「ええ。」
ユアは微笑む。
「みんな……今より幸せだったと思います。」
その言葉が誰よりも欲しかった。
甘い毒のように胸へ染み込んで広がっていく。理性を曇らせる危険な媚薬。
アンソニーは初めて考えた。
兄がいなければ……どうだったんだろうと。
兄の椅子に座る自分――。皆に囲まれ賛辞を受ける自分――。国民が歓声を上げながら手を振る――。その中心に立つ自分。
◇
自分でも何をしたかったのか分からない。
ペーパーナイフを、兄から借りた書物に挟み込み、兄の部屋に向かう。弟である自分が兄の所へ向かうことに城の者は誰一人、不審に思わなかった。
「アンソニー、どうした?」
兄の顔を見て曇りに光が差し込む。
兄は何も悪くない……。
兄は昔から優しかった。剣術で負ければ手を差し伸べてくれた。勉学で悩めば相談に乗ってくれた。王太子として選ばれたのだって、兄のせいではない。
悪いのは悲劇に浸る自分だ。
兄と比べられるたびに傷ついて、兄を羨み続けて、兄の隣で上手く笑うことが出来ない、自分の弱さだ。
そう言い聞かせる。
「借りていた本、面白かったよ。」
ルーカスに本を手渡す。
「おい、アンソニー。ペーパーナイフが入ってるぞ。栞を使えよ。」
「あー……ごめん、つい。」
自室に戻る廊下で繰り返されるのは優しい兄の顔ではなく、ユアの声だった。
『みんな……今より幸せだったと思います。』
その声は、まるで呪いのように、甘く、優しく、心を蝕んでいく。
『みんな……今より幸せだったと思います。』
何度も、何度も頭の中で繰り返す。
兄ではなく、王太子ではなく、アンソニー・フォレストを見てくれた少女。
彼女が望むなら、彼女が正しいと言うなら、もしかしたら――。
窓の外では、王城の塔が月明かりに照らされていた。
静かな夜だった。
その夜、アンソニーは、兄のいない未来を想像した。
◇
同じ夜。
スタール男爵家の庭園では月明かりの下に一人の少女。
ユア・スタールは踊るように影を踏む。
「ふふっ。」
楽しそうに笑うユア。
「あーやっぱり、兄弟って面白い。」
ここまで読んで頂きありがとうございます。
今回の短編は、“もし誰も彼らを救えなかったら”という可能性の一つとして書きました。
本編『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』では、ルーカス&アンソニーの母親が破滅回避のため奮闘中です。
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よろしければ、本編の方も読んで頂けると嬉しいです。




