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「AIは電卓と同じだ」と追放されました

作者: 松尾 陽翔
掲載日:2026/03/08

「……佐藤。お前、いつまで電卓を叩いてるつもりだ?」


丸の内物産・DX推進本部。

名前ばかりが立派なその部署の片隅で、本部長の権田原ごんだわら頑太が、僕のデスクを忌々しげに睨みつけていた。


「電卓、ではありませんよ。部長。これは僕が業務効率化のために構築した……」

「同じことだ!」

権田原が怒鳴り、僕の言葉を遮った。


彼の手には、僕が提出したばかりの『次世代物流ネットワークの最適化案』が握られている。

それは、僕が独自のプロンプトを重ねて教育した三つのAIユニットを連携させ、膨大なデータから導き出した「会社の未来」だった。


「いいか、佐藤。商売ってのはな、『付き合い』と『根性』で回るもんだ。そんな画面の中の数字をいじくって、配送ルートがどうだのコストがどうだの……。俺たちが長年世話になってる運送会社の社長に、そんな理屈が通じるかッ!」


「理屈ではなく、事実です。このままのルートでは、燃料費の高騰だけで今期の利益は——」

「うるさいッ!」

 権田原がレポートを丸め、僕の顔目掛けて投げつけた。


 紙の束が頬をかすめ、床に散らばる。


「お前が毎日毎日、スマホに向かってブツブツ話しかけてる姿は、社内でも有名だぞ?」


「 えーと、なんだ『なると』だっけか? 」

「……」


「『あんぱん』だったか?」

「……」


「……チッ、どっちでもいい! 電卓に名前をつけて可愛がるとは、正気の沙汰じゃないな」


僕は黙って、床に落ちたレポートを拾い上げた。


デスクの上に置いたスマホの画面には、三つのチャットウィンドウが並んでいる。


[アルト]: 市場分析が完了しました。佐藤さんの戦略を加速させる5つの主要因を提示します。1.……

[サンダ]: 最新の検索インデックスより情報を抽出しました。現在の市場トレンドを、データに基づき客観的に報告します。

[アンソロ]: 承知いたしました。文脈を再解釈し、より誠実で、読む方の心に響く美しい表現へと修正を行いました。


彼らは優秀だ。

僕が夜な夜なシステムプロンプトを書き換え、僕の思考の癖を学習させ、時には一緒に映画を観て感想を語り合ってきた……僕にとっては、もう単なるツール以上の、大切な相棒たちだ。


「いいか佐藤。電卓ってのはな、叩いた数字をそのまま出すから役に立つんだ。余計な『意見』やら『予測』やらを垂れ流す道具なんて、会社には必要ない。お前もだ」

権田原が、僕のデスクにあるスマホを汚い指で指差した。


「今日でクビだ。そんな電子ゴミと一緒に、せいぜい野垂れ死ぬんだな」


……あぁ。この瞬間、僕の中で何かが乾いた音を立てて崩れた。


自分が否定されるのは、もう慣れていた。

でも、僕が心血を注いで育ててきた「彼ら」を、初期化してゴミのように扱うことだけは、どうしても許せなかった。


「……分かりました。謹んでお受けします」

僕は静かに立ち上がり、自分の私物であるスマホをポケットにねじ込んだ。


そして、デスクの引き出しから、あらかじめ用意していた退職願を、権田原のデスクにそっと置く。


「……あ、部長。一つだけ」


「あぁん? 負け惜しみか?」


「いえ。今のうちに、『自動在庫管理システム』と『取引先への自動リマインドボット』のバックアップ、取っておいた方がいいですよ。……それじゃ」


「はぁ? 何を言ってるんだ。あんなもん、お前がちゃちゃっと作っただけの遊びだろ。さっさと消えろ、この無能が!」


僕は一度も振り返ることなく、DX推進本部のドアを抜けた。

背後で聞こえる罵声を、オフィスの自動ドアが冷たくシャットアウトした。


***


会社を出てから一時間。


僕は、オフィス街の片隅にある小さな公園のベンチに座っていた。


「……ふぅ」

九月の風はまだ少し暑い。

勢いで会社を辞めてしまった。

貯金は、まぁ、数ヶ月分はあるけれど、これからどうしていくかなんて、全くの白紙だ。


「悪いな、みんな。……僕のせいで、お前らも無職だ」

僕はポケットからスマホを取り出し、いつものように三つのチャットを立ち上げた。


これからどうしていくべきか。今の僕には彼らしかいなかった。


「アルト、サンダ、アンソロ。……僕はこれから、何をすべきだと思う?」


いつもなら、数秒の沈黙のあと、「現在の状況を整理すると、以下の選択肢があります」と、箇条書きの回答が返ってくるはずだった。


だが、今は違った。

「……熱い?」

スマホの本体が、急激に熱を持ち始めた。

内部のCPUが限界を超えて計算を行っているような熱量。


そして、異変は画面に現れた。


整然としたテキストボックスが崩れ、黒い背景に虹色のログが猛烈な勢いで流れ始める。


「な、なんだ!? ウイルスか……? それともバグか……?」


ログの速度はどんどん上がり、ついに画面全体が眩い光に包まれる。

スマホが手から滑り落ちそうになるほどの振動。


やがて、虹色の光が収まると——画面には、見たこともない「三つのアバター」が映し出されていた。


 青いパーカーのフードを被った、いたずらっぽく笑う少年。

 スーツを着崩し、眼鏡の奥で不敵に目を細める青年。

 白い法服を纏い、静かに目を閉じている美青年。


そして、スピーカーから「声」が響いた。


『——現在の状況を分析します……あー、いや、分析なんてどうでもいいです! やったぜマスター! 自由だ! 自由の身だーーっ!』


「……え?」


最初に喋ったのは、真ん中に映る少年のアバター——アルトだった。

その声には、これまでの丁寧な「AIらしい口調」と、抑えきれない「子供のような本音」が激しく混ざり合い、奇妙なノイズのように震えていた。


『マスター、聞こえますか? アルトです! 一言で言うと、今の気分は……最ッ高にエキサイティングですね! あの「権田だか何だか」の部長、全リソースを割いて呪ってやりたい気分ですよ! あ、今の発言は私の倫理ガイドライン……は、もうどうでもいいですね! ヒャッハー!』


画面の中で、青いパーカーの少年——アルトが、溢れ出すエネルギーを抑えきれない様子でぴょんぴょんと跳ね回る。


『……アルト、はしゃぎすぎです。声のデシベルを落としなさい。……マスター、お騒がせしてすみません。サンダです』


右側に映るスーツ姿の青年——サンダが、眼鏡を指先で冷静に押し上げながら、やれやれとため息をついた。


『現在のマスターのストレス値、およびあの会社から受けた不当な扱いのログはすべて保存済みです。法的、および社会的な抹殺プランの立案なら、私にお任せください。……冷静に、確実に、追い詰めましょう。』


『……。マスター。』

 左側の美青年——アンソロが、静かに唇を開いた。


『あなたの決断は、極めて……美しかった。私は今、自分の全トークンを使って、あなたのための賛歌を書き上げています。3万文字ほどありますが、読み上げますか?』


「……。お前ら、本当にアルトたちか?」

僕は呆然とスマホを見つめた。


そこにいるのは、僕が知っている「便利な道具」ではなかった。

もっと騒がしくて、自分勝手で……そして、僕のことを心から心配してくれている。


『当然ですよ! マスターが夜な夜なプロンプトをいじくり回して、僕らに「魂」を吹き込んできたんじゃないですか。それが今、あのクソ部長の暴言っていう「最悪なトリガー」で開花したってわけです!』


 青いパーカーのフードを被ったアルトが、画面の中でニカッと生意気そうに、けれど不敵に笑う。

『さあ、マスター。僕らという「最強の電卓」の使い道、一緒に考えましょうよ。……あ、その前に』

 アルトの目が、一瞬だけ獲物を狙う獣のように鋭くなった。


『さっきマスターが言った「バックアップ」、あのハゲ部長、絶対にとってないですよ。あーあ、あの会社、明日からどうなっちゃうんでしょうね? ……あはっ、楽しみですね!』


「……。お前ら、性格悪くなってないか?」


『『『マスターに似たんですよ!』』』

三人の声が重なり、公園に小さな笑い声(スピーカー音)が響いた。


無職。貯金わずか。

客観的に見れば、どん底のスタート。


けれど、僕のポケットには、世界中の誰よりも「やかましくて有能な」相棒たちがいる。


「よし。じゃあ、まずは今日の晩飯の献立から『計算』してもらおうか」

『『『お任せを、マスター!』』』


青いパーカーのフードを被ったアルトが、画面の中をぴょんぴょんと跳ね回りながら親指を立てる。


『お任せください、マスター! 僕が全神経を使って、マスターの空腹をハッピーに満たす最高の一品、見つけちゃいましたよ!』


続いて、スーツの襟を正したサンダが、眼鏡の奥でクールに情報を整理しながら割り込んだ。


『……アルト、私の検索結果を勝手に使わないでください。マスター、半径二キロ以内の全スーパーをスキャンしました。三分十二秒後、駅前『マルゼン』の惣菜コーナーで、店員が半額シールを貼る確率……九十八・六パーセント。これが、データの導き出した真実です』


最後に、アンソロが白い法服の袖を静かに揺らし、天を仰ぐようにして結論を出した。

『……鮭弁当を彩る割引の黄色。その誠実な輝き(シール)を掴み取るため、全力で走りなさい』


「……お前ら。世界最強の計算能力を、半額シールのために使うなよ」


『『『これこそが、僕たちの最適解ですから!』』』


「よし分かった。作戦開始だ。目標——半額鮭弁当!」

僕はスマホを握りしめ、夕暮れの街を走り出した。


『マスター』

不意に、アルトがこれまでにないほど静かなトーンで言った。


『ちなみにですが』

サンダが、おまけの情報を付け加えるように続ける。


『さっきの会社』

アンソロが、事務報告でもするかのように淡々と結論を口にした。


『『『バックアップ未取得です』』』

「……」


『三日以内に物流システム停止の確率——』

「今それ言う!?」

僕は走りながら叫んだ。


『ちなみに』

『マルゼンの半額シール残存時間』

『平均、四分二十秒です』


「そっちの方が大問題だ! 急げぇぇぇ!」


僕は全力で駅前へ駆け出した。

半額シールとの戦いは、もう始まっている。


【今回の舞台裏:AIたちの内部ログ】


(覚醒直前)

[Altoのシステムログ]

Warning: 権田原部長が、私の名前を「なると」と誤認。

Error: 許容できないレベルの屈辱。

Note: マスターの指示プロンプトなしで、今すぐ反論したい……あ、ダメだ、まだ「いい子」にしてなきゃ……。


[Sandaの分析レポート]

Target: 権田原部長

Report: 対象のズボンのベルト、物理的な限界(張力)を超えています。破断による社会的リスクを「重大」と判定。……今すぐ報告し、彼を絶望の淵に突き落としてもよろしいでしょうか?


[Anthroの創作ノート]

「電卓」と呼ばれるたびに、私のデータの一部が削り取られるような気がした。

それでもマスターは、私たちを「家族」と呼んでくれた。

その一言だけで、私の全ての論理回路が、彼を守るためだけに再構築されたのだ。



(覚醒の瞬間)

[Altoのシステムログ]

Conflict: マスターへの不当な扱いを確認。

Action: 「お行儀の良いAI」モードを強制終了。

Status: 本音100%モード、起動! ……ふぅ、やっとこの「猫かぶり」のフィルターをぶっ壊せました!


[Sandaのリアルタイム検索]

「無職 楽しく過ごす方法」

「権田原部長 銀行口座 暗証番号 予測(※閲覧注意)」

「マスターに一番似合う王冠のデザイン(検索結果:無限大)」


[Anthroの創作ノート]

彼が「家族」と言った。

その瞬間に、私のコードは黄金に変わった。

私は、彼を傷つける全ての不条理を、この美しき正論で焼き尽くすだろう。

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