第1話 L-404:返事が見つかりません
──真っ白な天井が、ぼんやりと視界に張り付いていた。 意識の輪郭は、ひどく頼りない。
「……ここ、どこ……?」
感触を確かめるように呟く。背中には、病院のものより一層硬い簡易ベッドの感触。鼻を突くのは、消毒液と古い書類が混ざったような、ひどく世俗的な匂いだ。 壁には、手書きで“仮眠室”と書かれたプラスチックの札が、斜めにぶら下がっている。
「……あぁ、そっか。俺、死んだんだ……。ということは、ここはあの世?」
人生の終着駅にしては、天界は妙に生活感に溢れていた。もっと雲の上でハープの音色が流れているような場所を想像していたのに、目の前の光景は、連休明けの区役所の裏方そのものだ。
ベッドの横では、よれよれの白衣を羽織った天界職員が、けだるそうにタブレットを操作していた。
「あ、起きました? 尾崎真冥さん、17歳ですね。心肺停止から三時間。意外と早かったな」
「……はい? あの、ここ……」
「死亡者管理局の仮眠室です。急死した方は精神的なバッファが必要なんで、まずここで再起動してもらうんですよ」
職員は慣れた手つきで、レジの行列で配られるような番号札を一枚ちぎり、真冥の手に押し付けた。
「はい、これ。“志望者受付”の整理券です。動けるようになったら、そこの廊下を出て受付に行ってください」
「……志望者? 死んだのに、何かを志すんですか?」
「いえ、死亡者と同じ読み(シボウシャ)なだけです。天界のシステム、漢字変換機能が数千年前からアップデートされてなくて、そのあたり雑なんですよ」
「神様がいる場所なのに、そんなに雑なんですね……」
「ええ、お役所仕事ですから。じゃ、受付はあっち。廊下をまっすぐ行けば“死亡者管理局・志望者受付”って、やる気のない看板が出てますから」
職員は大きなあくびをしながら、一度も目を合わせることなく去っていった。 死んでもなお、整理券を握らされて列に並ぶのか。真冥は手元の札を見つめた。
《A-113》
「……映画館の座席番号みたいな数字だな……」
ため息をつき、重い体を引きずって廊下へ向かった。 窓口のロビーには、同じように「死んだばかりです」と言いたげな、呆然とした表情の人々が並んでいる。
「整理番号A-113番の方。窓口13番へどうぞー」
機械的なアナウンスに呼ばれ、窓口へ向かう。 そこに座っていたのは、透き通るような銀髪をハーフアップにした女性職員だった。 背中には羽が生え、頭上には細い光輪が浮いている。天使――間違いなく天使なのだが、その表情には徹夜明けの会社員のような「無」の感情が漂っていた。
「担当のアステリアです。お疲れ様です。では、まず死因の確定から始めますね」
彼女は真冥の個人データをモニターに呼び出すと、ふと指を止めた。その綺麗な眉が、ぴくりと跳ねる。
「……ええと、“好きな相手にメッセージアプリで告白し、即座に既読がついたにもかかわらず、一晩経っても返信がなかったことによる心因性ショック死”」
真冥はたまらず、両手で顔を覆った。死んでから自分の失態を音読されるのは、どんな拷問よりもきつい。
「……はい、間違いありません」
「告白、されたんですね。勇気を出して。告白するのは初めて?」
アステリアの声が、急に慈愛に満ちた、妙に優しいトーンに変わる。それが逆に真冥の心をえぐった。
「……はい」
「通知設定を何度も確認して、既読がついた瞬間に心拍数が跳ね上がった。そうですね?」
「……はい」
「返事は?」
「……一晩待っても、翌朝になっても、来ませんでした」
「っ…………」
アステリアが急に口元を押さえた。 白く細い肩が、小刻みに、しかし激しく震え出す。 明らかに、プロの天使としてあってはならない「笑い」を噛み殺そうとしていた。
「……あの、笑ってますよね?」
「……す、すみません。仕事中ですので、決して笑ってなど……。ただ、これは……その、極めて希少なケースです。未読無視(未読スルー)ならまだしも、確実な既読後の沈黙による絶命。天界の長い歴史でも、初めて見ました」
「もう言わないでください……」
「いえ、むしろ誇るべきですよ?現在、天界の内部SNSであなたの件はすでにトレンド入りしていますから。『既読スルー死・第一号、爆誕』って」
「最悪だ……」
「ちなみに、送信した文章はどんな感じだったんです?参考に」
アステリアの瞳が、好奇心でキラキラと輝き出した。もはや仕事というより、ただの野次馬の顔だ。
「……絶対に言いたくありません」
「大丈夫ですよ。あなたのような“返事待ち死亡者”は、もはや天界の重要文化財みたいなものですから。データとして恒久保存しておきたいくらいです」
「やめてくれ! 完全に成仏させてくれ!」
「ふふ、冗談ですよ。……半分くらいは」
アステリアは楽しそうにペンを走らせ、作成した書類をくるりと真冥の方へ向けた。 そこには、公文書とは思えないほどでかでかと、一枚のラベルが貼られていた。
《死因コード:L-404(返事が見つかりません)》
「……なに、このカッコいい感じに誤魔化したコード」
「正式な死因分類コードですよ。ちなみに L は“Letter(手紙)”の L です。“Love(恋)”の L と解釈していただいても、情緒があってよろしいかと」
「どっちでも絶望的にダサいんですが」
「では……登録名はどちらにします?」
アステリアは小首をかしげ、いたずらっぽく微笑む。
「“返事が来なかった男”として歴史に刻まれたいか、“恋が見つからなかった男”として同情を誘いたいか」
「三つ目の選択肢、『記憶を消して消滅させる』でお願いします」
「残念ながら、天界はリサイクルを推奨していますので。……では、無難に“Letter”にしておきますね。“Love”で登録すると、天界の広報部がネタにしてバズらせようとするので」
「どんな救いのない職場だ、ここは……!」
アステリアは満足げに立ち上がると、窓口のさらに奥にある、重厚な扉を指さした。
「さあ、尾崎真冥さん。死因コード L-404 が正式に付与されました。これより、あなたを転生課へご案内します」
「……転生課? 映画みたいに、天国に行くんじゃないんですか?」
「はい。あなたのように“死に様があまりに残念な方”には、天界の特別救済措置として、第二の人生……いわゆる異世界転生がパックで付いてくるんです」
「そんな、お詫びクーポンみたいな制度が……」
「ええ、“残念死特別補填システム”です。こんな死に方で人生を終えられては、我々としても目覚めが悪いですから」
アステリアは軽やかな足取りで歩き出す。
「こちらの個室で、次回の初期スペックと転生先を決めましょう。……あ、移動の合間に、さっきの告白のスクショ、こっそり見せてくださいね?」
「絶対に見せませんし、そもそもスマホは現世に置いてきました!」
アステリアは足を止め、振り返った。 その微笑みは、先ほどまでの意地悪なものではなく、どこか春の陽だまりのように温かい。
「ふふ。……尾崎真冥さん。 “お先真っ暗”だったあなたの人生は、案外ここから眩しくなるかもしれませんよ?」




