3話 死の民営化
3話『死の民営化』
「本日の死体験ツアーにご参加いただき、ありがとうございます」
綾の声が、まるでホテルのコンシェルジュのように洗練されて響いた。参加者たちは白い死体験用のガウンに身を包み、期待に満ちた顔で彼女を見上げている。宝石のような緑の光が規則正しく明滅する蘇生装置が、十二台整然と並んでいる。
「私は本日のガイドを務めさせていただきます、佐々木綾です」
参加者は12名。年齢層は様々だが、皆一様に興奮した表情を浮かべている。死体験ツアーは現代の最高級娯楽の一つとして定着し、予約は常に数ヶ月待ちの状態だった。綾は業界のカリスマ的存在で、この仕事に誇りと情熱を注いでいた。
「それでは、まず死体験の安全性についてご説明いたします」綾は慣れた手つきでホログラムディスプレイを操作した。「当社の死体験システムは、ニューエデンで開発された最新の生死制御技術を応用しており、脳の活動を一時的に停止させることで、限りなく死に近い状態を体験していただきます。医療チームが24時間体制で監視し、設定された時間後に確実に蘇生させますので、100%の安全をお約束いたします」
参加者の一人、30代の女性が手を上げた。「どのくらいの時間、死んでいられるんですか?」
「本日のコースは3分間です」綾は微笑んだ。「初回の方には最適な時間設定となっております。慣れた方でしたら、最大15分間のロングコースもございます」
感嘆の声が上がった。15分間の死──それは究極の贅沢とされていた。
最後の参加者を個室に案内し終えたとき、受付から声がかかった。
「佐々木さん、お客様です」
振り返ると、一人の老人が立っていた。背中は少し丸まり、白髪が薄くなっている。服装は質素で、死体験ツアーの高額な料金を支払える階層の人には見えなかった。綾は内心で眉をひそめた。
「申し訳ございませんが、本日の体験は満席となっております」綾は職業的な笑顔で説明した。「次回の予約をお取りいたしましょうか?料金は198万円からとなっております」
老人は首を振った。「いえ、私は死体験ツアーに参加したいのではありません」
「では、どのようなご用件でしょうか?」綾は少し苛立った。忙しい時間に、客でもない人の相手をする余裕はなかった。
「私の名前は鈴木一郎と申します」老人は深々と頭を下げた。「実は、自然死がしたいのです」
綾は瞬時に警戒心を抱いた。自然死──つまり、蘇生のない本当の死のことだった。現代社会では、死は完全に医療と企業の管理下に置かれている。そのような時代錯誤的で危険な考えを持つ人は、精神的に問題があると判断されていた。
「申し訳ございませんが、当社ではそのようなサービスは一切提供しておりません」綾は冷たく答えた。「精神的なご相談でしたら、専門のカウンセラーをご紹介いたします」
「いえ、あなたにお話ししたいのです」一郎の目に涙が滲んだ。「お願いします。少しだけでも」
綾は時計を見た。次のセッションまで15分ほどあった。この老人を早く帰らせるためにも、話を聞いてやった方が良さそうだった。
「5分だけです」綾は一郎を空いている相談室に案内した。
相談室の窓からは街の景色が見渡せた。整然と並んだ建物、そして向こうには遺伝子カウンセリングクリニックや存在給付センターの看板も見える。死すらも管理された完璧な社会の姿がそこにあった。
「鈴木さん、まず確認させてください」綾は事務的に尋ねた。「自然死とおっしゃいましたが、それは自殺志願ということでしょうか?」
一郎は首を振った。「違います。私は死にたいのではありません。ただ、自然のままに死にたいのです」
「意味が分かりません」綾は困惑した。「現在の死亡管理システムは、苦痛を完全に除去し、最高の尊厳を保って死を迎えるために作られたものです。なぜそれではいけないのでしょうか?」
一郎は窓の外を見つめながら答えた。「私の妻は3年前に亡くなりました。企業が管理した完璧な死でした。美しい音楽、香り、照明、すべてが計算されていました」
「それは素晴らしいサービスではありませんか?」綾は反論した。「弊社でも最高級の死体験プランをご用意しております」
「妻は最期まで『まだ死にたくない』と言っていました」一郎の声が震えた。「でも、医師は『これが最適です』と言って、予定通りに執行しました」
綾は眉をひそめた。「それは医学的に正しい判断です。患者の感情に左右されて適切な時期を逃すことの方が問題です」
「あなたにはわからないでしょうね」一郎は悲しそうに微笑んだ。「若い方には理解できないかもしれません」
綾は一郎の発言に腹立たしさを感じた。自分は死のプロフェッショナルとして、最高のサービスを提供している。この老人の時代遅れな考えを理解する必要はない。
「鈴木さん、申し上げにくいことですが」綾は冷静に説明した。「あなたの考えは現代社会に適応できていません。自然死などという危険で非効率的な死に方は、もはや野蛮な行為です」
一郎の顔が曇った。「野蛮、ですか」
「ええ。私たちは死からすべての苦痛と不確実性を取り除きました。なぜわざわざ苦しみたがるのですか?」
「苦痛も人生の一部だと思うのです」一郎は静かに答えた。
「それは錯覚です」綾は断言した。「苦痛に価値などありません。私たちが提供するのは、科学的に設計された最高の死の体験です」
その時、個室から参加者の一人が出てきた。死体験を終えた女性は、興奮した表情で綾に近づいてきた。
「素晴らしい体験でした!」女性の目は輝いていた。「死ぬって、こんなに美しいものだったんですね」
綾は誇らしげに応じた。「ありがとうございます。当社の技術の結晶です」
「光に包まれて、すべての苦痛から解放されて…まるで天国のようでした」女性は陶酔した表情で語った。「来月もまた予約させてください」
「喜んで承ります」綾は満足した。これこそが正しい死の体験だった。
女性が去った後、一郎が小さくため息をついた。
「あの方は本当に死を体験されたのでしょうか?」
「もちろんです」綾は自信を持って答えた。「医学的に証明された、完璧な死の状態です」
「そうですか」一郎は諦めたような表情を見せた。
綾は時計を見た。既に10分が経過している。
「鈴木さん、申し訳ありませんが、お話はここまでにさせていただきます」綾は立ち上がった。「自然死などという危険な考えは捨てて、現代の素晴らしいシステムを受け入れることをお勧めします」
一郎は深々と頭を下げた。「お忙しい中、ありがとうございました」
「何かございましたら、精神科医をご紹介いたします」綾は名刺を渡した。「きっと正常な考えを取り戻せるでしょう」
一郎は名刺を受け取ると、静かに立ち去った。
綾は一郎との会話を忘れて、次のセッションの準備に取りかかった。午後の参加者は15名で、全員がプレミアムコースを選択していた。一回500万円の最高級体験だった。
「皆様、本日は特別なコースにご参加いただき、ありがとうございます」綾の声に情熱がこもった。「最新技術により、15分間の完璧な死を体験していただきます」
参加者たちは期待に満ちた表情で綾を見つめている。年収数千万円の経営者や著名人ばかりだった。
「当社の死体験は、単なる娯楽ではありません」綾は続けた。「人生の最高の瞬間を、安全に、美しく、何度でも体験できる革命的サービスです」
その日の夕方、綾は同僚の山田と売り上げについて話し合っていた。
「今月も順調に売り上げを伸ばしていますね」山田は満足そうに言った。「綾さんのおかげです」
「ありがとうございます」綾は誇らしげに答えた。「お客様に最高の死体験を提供することが私の使命ですから」
「今日、変わった客が来ませんでしたか?」山田が尋ねた。「受付が何か言っていましたが」
「ああ、自然死がしたいとかいう老人ですね」綾は軽蔑的に答えた。「時代錯誤もいいところです。精神科医を紹介しておきました」
山田は笑った。「まだそんな人がいるんですね。死を商品化することに反対する活動家でしょうか?」
「そうかもしれません」綾は考え込んだ。「でも、私たちの仕事は正しいことです。人々を苦痛から解放し、最高の体験を提供している」
「その通りです」山田は頷いた。「私たちは人類の進歩に貢献しているんです」
その夜、綾は自宅で一日の仕事を振り返っていた。今日も多くの人に素晴らしい死体験を提供できた。一郎のような時代遅れな考えの人もいるが、それは少数派だった。
翌日、綾は早めに出勤し、新しいプロモーション企画の準備をしていた。「死の究極体験・夏季限定スペシャル」というキャンペーンだった。
「死体験ツアーをもっと身近にしたいですね」綾は企画書を見ながら考えた。「若い世代にも死の素晴らしさを知ってもらいたい」
午前中の最初のセッションが始まった。今日の参加者は20代から30代の若い客が中心だった。
「死って怖いものだと思っていましたが、こんなに美しいものだったんですね」一人の女性が感動して言った。
「そうなんです」綾は微笑んだ。「死への恐怖は無知から生まれるものです。正しい知識と技術があれば、死は最高の体験になります」
昼休み、綾は同僚たちと食事をしながら業界の話をしていた。
「最近、自然死支援なんて活動をする人たちがいるらしいですね」同僚の一人が言った。
「危険な思想ですね」綾は眉をひそめた。「昨日もそんな老人が来ましたが、完全に時代に取り残されています」
「政府も取り締まりを強化するべきです」別の同僚が付け加えた。「せっかく完璧なシステムを構築したのに」
綾は頷いた。確かに自然死支援などという活動は社会の害悪だった。
午後、綾は新人研修を担当していた。死体験ツアーガイドになるための厳しい訓練だった。
「皆さん、覚えておいてください」綾は研修生に語りかけた。「私たちは死を扱うプロフェッショナルです。お客様に最高の死体験を提供することが使命です」
研修生の一人が手を上げた。「自然死を望む人がいた場合はどうすればよいでしょうか?」
「完全に拒否してください」綾は即座に答えた。「そのような考えは病的であり、危険です。精神科医への受診を勧めてください」
研修生たちは真剣に頷いた。
夕方、綾は一人でオフィスに残り、月次報告書を作成していた。売り上げは順調に伸びており、顧客満足度も最高レベルを維持していた。
窓の外では、完璧に管理された街の夕景が広がっている。人々は皆、幸せそうに見えた。死への恐怖から解放され、いつでも安全で美しい死体験を楽しめる社会。これこそが理想的な世界だった。
その時、受付から内線が入った。
「佐々木さん、昨日の老人の件で警察から連絡がありました」
綾は受話器を取った。
「実は、鈴木一郎という老人がお宅を訪問されたそうですが」警察官の声が聞こえた。「73歳の元建設業で、成人した息子が存在給付制度で問題を起こしていた記録があります。家族の影響で父親も不安定になり、自然死支援の地下組織に関わっている疑いがあります」
綾は驚いた。やはり一郎は活動家だったのか。
「何か不審な発言はありませんでしたか?」
「自然死がしたいと言っていました」綾は報告した。「私は精神科医への受診を勧めました」
「適切な対応でした」警察官は満足そうに言った。「今後、同様の人物が現れた場合は、すぐにご連絡ください」
電話を切った後、綾は安堵した。自分は正しい対応をしていたのだ。
数日後、綾は新聞で一郎の記事を読んだ。「自然死活動家逮捕」という見出しだった。一郎は地下組織の一員として、違法な自然死支援活動に関わっていたのだ。
綾は満足した。危険な思想を持つ人物を早期に発見し、適切に対処できた。これも社会の安全を守る重要な役割だった。
その日の夕方、綾は息子を迎えに幼稚園に向かった。息子の友達で翔太という子がいたが、最近元気がないようだった。
「翔太くんのお父さん、お薬を飲んで元気になったんだって」息子が話してくれた。「でも、翔太くんは悲しそうだった」
綾は息子の話を聞きながら、現代社会の素晴らしさを実感していた。病気は薬で治され、死は企業が管理する。完璧なシステムの中で、皆が幸せに暮らしている。
一郎のような時代錯誤な人もいるが、それは例外だった。適切な治療により、そのような人々も正常な状態に戻ることができる。
その夜、綾は家族と夕食を取りながら、一日の出来事を話した。
「今日も多くの人に素晴らしい死体験を提供できたわ」綾は満足げに言った。「人々が死への恐怖から解放される瞬間を見るのは、最高の喜びよ」
夫は頷いた。「君の仕事は社会に貢献している。誇りに思うよ」
息子も嬉しそうに言った。「お母さんの仕事、かっこいい!僕も大きくなったらお母さんみたいになりたい」
綾は息子を抱きしめた。この子が大人になる頃には、さらに進歩した死体験システムができているだろう。自然死などという野蛮な考えは完全に過去のものになっているはずだ。
その夜、綾は深い満足感と共に眠りについた。自分は正しい道を歩んでいる。死を科学的に管理し、人々に最高の体験を提供する。これこそが人類の進歩であり、自分の使命だった。
一郎のような迷える人々を正しい道に導くことも、重要な社会的責任だった。綾は明日もまた、多くの人に死の素晴らしさを伝えることを楽しみにしていた。
窓の外では、完璧に管理された街が静かに眠っている。そこには苦痛も恐怖もない。ただ美しく計算された死だけが、人々を待っているのだった。