第3話 筋肉はバッドエンドをねじ伏せる
魔法銃とは、簡潔にいえば、使用者の魔力を増幅して押し出す鉄の筒である。
日常生活でも利用される穏和な性質の多い水の魔法でさえも、魔法銃を使えば重ねた鉄板をも突き破る威力をもつ。
それが、火、水、土、風の4つの属性それぞれをもった選りすぐりの私兵隊から同時に射出されたのだから、たとえモンスター随一の頑丈さを誇るガチムチゴーレムであったとしても穴あきチーズのごとくに討滅されるのは自明であった。
しかし――
「筋肉を――解放する」
そのコマンゾネスのつぶやきは、群衆の悲鳴をふくめた騒音にとりまぎれて、だれにもとどかなかった。
しかし、同時に信じがたいほどにふくらんだコマンゾネスの筋肉を、いや、一個人ではありえぬほどに隆起した山脈――いわば筋肉大山脈を、一同はそれぞれが幻視したのである。
大いなる大地に、その目もくらむばかりの美しき稜線に、包まれるがごとく感じたのは群衆のみならず、私兵隊までもが同様であった。
火の銃弾が、コマンゾネスの全身を地獄の業火のごとく焼く。
が、筋肉の意図的な肥大でまたたくまに炎をはじいて消し飛ばしてみせる。
水の銃弾が、太く長く氷柱のごとく伸びていきコマンゾネスの心臓を貫かんと迫る。
が、固く締めた筋肉はまるで水浴びをする女神の絵画でも見るように、銃弾をただの流水にもどし、炎で熱されたからだを適温へと冷やしてみせる。
土の銃弾が、モンスターの頭部も粉砕しうる岩石となってコマンゾネスの肉体を激しく殴打する。
が、柔をあわせもつ筋肉はその衝撃を吸収してみせたばかりか、その凹凸を利用してむしろおのれの鎧として土を身につける。
風の銃弾が、高く舞いあがったあと雷と化してコマンゾネスの全身に致死量の電撃をあびせる。
が、全身の土から地面の土へと、まるでポンプのごとき筋肉の躍動でもって電流を押し流してみせる。
すべての銃弾がおさまったあとには――コマンゾネスがひとり、高く、あまりにも気高くたたずんでいた。
「いちかばちかだったけれど……なんとかなったわね」
からだについた土をはらいながら、コマンゾネスがつぶやく。
そう、ゲームでえがかれていたのは、あくまで「コマンゾネスに発砲がなされるまで」であったのだ。
販売にあたっての規制を避けるため、残虐なシーンの描写は忌避したらしく「コマンゾネスが惨死した」とまでは言及されておらず、そのまま混沌へと落ちていく王国を示唆して作中屈指のバッドエンドとして幕を閉じるのである。
(ならば、発砲させるまではシナリオに従い、そのあと「シナリオ外」にまで突入できれば自分が生き残る可能性も万にひとつぐらいはあるのでは?)
その可能性に、コマンゾネスは賭けたのであった。
そして――みごと鍛えつづけてきた強靭なる筋肉によって、その「万にひとつ」を獲得したのであった。
「バッドエンドは……わたくしの筋肉でねじ伏せる」
うろたえる私兵隊に、コマンゾネスは
「ぬぅん!!」
と両腕をあげてポージングしてみせた。
先ほどにがした電流が、コマンゾネスの筋肉の意に沿って私兵隊を気絶させていく。
「な、なっ……!」
うろたえる第一王子の背後へ、下半身の筋肉の爆発によって一瞬で移動すると、キュッと首を絞めて意識を失わせる。
ドタリと、第一王子が土へ落ちた。
「あとは……」
そうつぶやきながらコマンゾネスがふりかえると、どうしたことか、小枝のごとき華奢な女の子であったはずのベネクトリックスが、巨樹のごとき筋肉ほとばしる緑の肉体へと変異しているではないか!
その筋肉量は、コマンゾネスに劣らぬボリュームであった。
「あともう少しだったものを……」
群衆の悲鳴がみだれ散るなか、聞くだけで心胆寒からしめる怨念に満ちた声で、ベネクトリックスであったものがしゃべる。
「やはりこれはCルート――いわゆるカオスルートに入っていたようね。あなたは聖女に憑依した悪魔……その邪悪なる魔術で、王子たちを操作していたというわけね」
カオスルート、それはゲームのプレイヤーたちも「これ誰得なの?」「予想を裏切ろうとして期待を裏切っちゃった好例」「聖女もどして」と作中でもとりわけ悪評が集中したバッドエンドであった。
この悪魔がすべてを巻きこみ、コマンゾネスを、そして王国をも瓦解させんと企んでいた、というわけである。
「まさか、そんなことまで知っていたとは……しかし私は、王子の奥底にある本音を引き出したにすぎない。先ほどの罵倒は彼の本心から出たものであって……」
「むぅん!!」
話し途中の悪魔の顔面を、すさまじい膂力でもってコマンゾネスがぶん殴る。
「いや、ちょ、まだ話し中」
「ぬぅん!!」
次いで、悶絶必至のボディブローが悪魔をおそう。
「ま、待っ、このからだは聖女のものなんですけど」
「せいやぁ!!」
エンジンのかかってきたコマンゾネスは、左頬、肝臓、のど、右側頭部、心臓、あご、みぞおち、肩、眉間、などまるで局所的に竜巻が発生したかのごとく悪魔をタコ殴りにする。
それは、生物を効率よく破壊する方法を極めたかと思うような、凄惨かつシンプルな暴力であった。
「あなたは、わたくしのみならず、わたくしのたいせつな人たちまでも害そうとした……わたくしはゆるしても、わたくしの筋肉はゆるさない」
「ゆるしてる人間がここまで容赦なくぶん殴る? 『わたくしも筋肉もゆるさない』のほうが正確じゃない……?」
「チェストぉぉ!!」
コマンゾネスの猿叫とともに発せられた最後の一撃に、断末魔のうめきをあげ、顔面のふくれあがった悪魔が地にうずまるようにたおれた。
少しの静寂ののち、息を切らした第三王子マクシミリアンが駆けつける。
「コマンゾネスさまッ! 当家の家宝である『真実の鏡』をおもちしました! これで悪魔を聖女さまから追い出して……死んでる」
大きな鏡を抱きながら、マクシミリアンが瞠目してつぶやいた。
コマンゾネスは菩薩のごときほほえみを見せ、マクシミリアンの頭をなでる。
「マクシミリアンさま、ありがとうございます。しかし、筋肉を鍛えさえすれば、肉体には影響を与えず精神だけをぶん殴ることも可能になるのです……ご覧なさい」
そうコマンゾネスのたくましい指の先を見ると、まるで浄化されていくような光を発し、殴殺された悪魔がその姿を消してゆく。
そのあとには、やはり小枝のような肉体の聖女ベネクトリックスのみがすやすやと眠っていた。
コマンゾネスはそっと、第一王子が着ていた外套をひきはがしてそのからだにかけてやった。
彼女の左頬が少しだけ腫れており、「やべちょっとだけ肉体のほうにもあたってたかも」というあせりがあったのかは、だれも知るものはない。
「これでわたくしの復讐は終わりました……。操られていたとはいえ、アレクシスさまをはじめ、みなさまに手をあげたのは事実ですし、わたくしはこの国を出ますわ。マクシミリアンさまにおかれましては、いつまでもお健やかに……」
そう別れを告げるコマンゾネスに、おともへ家宝の鏡と交換に受けとった筋肉図鑑を胸に抱き、マクシミリアンはニッと笑った。
「ぼくはコマンゾネスさまに、コマンゾネスさまの筋肉に、どこまでもついていきますッ! お兄さま――第二王子もいますし、ぼくひとりいなくてもどうということはないでしょう。ぼくはッ、絶対にッ、コマンゾネスさまから離れませんからねッ」
そう言いながら、んしょんしょとコマンゾネスのからだをのぼっていく。
大木の枝に座るように、その雄大な肩に鼻息あらく腰をおろすのでコマンゾネスはつい笑ってしまった。
そのあとのふたりの行方は、杳として知れない――と言いたいところだが肉体がデカすぎるためにわりと各地での目撃談も多く、ふたりはその後しあわせに暮らした、との伝である。
〈完〉