12.精神科への受診
相川は佐伯から来たメッセージを読み、精神科への受診を決めた。どこの精神科にかかろうか迷ったが、老害審判に関わる家族や本人のメンタルサポートの窓口になっている橋田という精神科医の元を訪れる事に決めた。
東京二十三区の千葉県寄りにある単科精神科病院が橋田の勤務先だった。紹介状と予約は必要無く、初診の受付を終えると精神保健福祉士による予診があった。待合室にいる人間を見ると、精神を病んでいるのが信じられないというほどに見た感じは普通の人間が多く待っていた。待合室には有名画家の絵画のレプリカが飾られていて、メンタルヘルスに関する小冊子も多く置かれていた。BGMは流されておらず、患者の話し声と事務員が呼び出しを行う声だけが聞こえる待合室だった。
診察室は一番診察室から三番診察室まであり、どうやら一番診察室が女医で、二番と三番が男性医師のようだった。どの呼び出しコールも優しい口調の声色で、相川は「とりあえず怖い先生がいるわけではなさそうだ」と安心をした。
しばらく待合室で待つと、三番診察室から相川の名前が呼ばれた。
「初めまして相川あずささん。今日は良く私を訪ねて来て下さいましたね」
橋田は三十代後半といった感じで、髪には緩くパーマが掛かっていて、白衣の中のワイシャツとネクタイのセンスも良く、おしゃれな精神科医といった風体だった。
「今日は何がお辛くて来院されましたか?」
先ほど精神保健福祉士にも話したのだが……と相川は思ったが、一から説明をする事にした。
「私、老害審判にかけられた老人のプロフィールムービーを作ったり、その他事務処理をする担当だったんです。あのおじいさんが銃殺されてから、気分が塞ぎ込んだり自然と涙が出てきたりして、とても辛いんです。仕事にも行けていません」
「それはお辛かったですね。老害審判を担当されていたんですか。それはとても大変な仕事でしたね。夜は眠れていますか?」
「眠れません。眠ろうとすると毒島さんが銃殺されたシーンが頭をよぎるんです」
「食欲はありますか?」
「ありません。ここしばらくはゼリー飲料とスポーツ飲料しか口にしていません」
「お風呂には入れますか?」
「入る気力は無いですが、臭くなるのもあれなので二日に一度はシャワーを浴びています」
「自分は無力だと思われますか?」
「ええ。ええ! とても思います。私には何の力も無い。私は無力です。毒島さんを助ける事が出来なかった。私たちがもう少し上手く立ち回っていたら、毒島さんは死なないで済んだかもしれないし今でも生きていたかもしれない。私は無力です。無能です! 毒島さんは少しは社会に迷惑をかけていたけど、でも死刑になるような重罪を犯したわけではないんです! 本当はいい人なんです。なのに私は彼を救えなかった。私には生きている意味なんてありません! 生きる価値なんてないんです!」
気付けば相川は涙を流しながら叫んでいた。魂の叫びだったのだろう。自分たちのせいで毒島巌が死んだと思っているのだ。
「相川さん、あなたは老害対策法には反対ですか?」
橋田は動じる様子も見せずに相川に対して丁寧に尋ねた。
「えぇ。えぇ。私は老害対策法には大反対です。こんなご高齢の方の命をないがしろにする法律なんて、すぐに無くなってしまえばいいと思っています」
「なるほど……。相川さん、今までのお話を伺って、私はこう思いました。あなたは鬱状態が酷いようですね。一度入院して気分を落ち着けませんか?」
「入院?」
「えぇ。この病院にはバラ園に囲まれた療養に最適な病棟がある。そこで一休みされてはいかがでしょうか?」
「……私は入院するほど悪いんですか?」
「いえ、そうではありません。あなたには休息が必要です。精神の休息がね」
「そうですか……では、よろしくお願いします」
相川にとって入院という決定は青天の霹靂であったが、精神科医がそう勧めるのだからそれがベストなのだろうと思った。「看護師と入院の手続きをして下さい」と橋田に言われると、診察室を出て手続きに向かった。
橋田は診察室でひとりになると、にやりとほくそ笑んだ。
「老害審判の実情を知る女……そして、老害対策法に反対する女……。この女が声を大にし始めたら面倒な事になりかねない。よくぞ僕の元に来てくれた。老害対策法に反対する者はどんな虫けらでも排除しておく。それでいいんですよね、大豆生田先生……。あなたの邪魔になる輩は私が排除して差し上げますよ。相川あずさ、もう……出さないからね……」
橋田は意地悪くそう呟くと、相川の入院に必要な書類の手続きを始めた。




