還章⑥ アリアスタ村Ⅱ
最期の瞬間を待つ──。
────────。
────。
──?
なにも、起きない。
体を引き裂かれる痛みも、姫様を喪う悲しみも。
ただ、オレの腕の中で、小さく震える彼女がいるだけだ。
「……やめてくださいよ。ほら、見てください、これ! ン!」
ゴンザレスの声。
その声色は厳しいが、温かくもあった。
ゆっくり、目蓋を開ける。
彼は、戦士の腕輪に付けた『結束の紐飾り』を見せていた。
「いくら姫様が竜魔四天王の関係者だったからって、『はいそうですか』と殺す訳ないでしょ。オイラたちは、イサムさんのくれた『結束の紐飾り』で繋がってるんでしょ」
まったく……と呟きながらおもむろに、ゴンザレスは腕を広げた。
……鼻の奥が痛い。
何故、オレは信じ切れていなかったのだ。
姫様は、鼻水と涙でグチャグチャの表情を、オレに向け、頷いた。
「──ゴンッ!」
オレたちは、ゴンの腕に飛び込んだ。
三人で、抱きしめ合った。
「姫様は、姫様です。ただの『リリス様』です。オイラたちの仲間です。安心してください。……バルムンクさんも、覚悟決めてないで、言葉に出してくださいよ」
「すまん……」
「ごめんなさい……」
「もしかして──オイラをダシにして、体良くイチャつきたかっただけじゃないですか!?」
鼻を啜っている姫様は、勢いよく首を振る。
「ち、違います! 私だって、覚悟を持って──!」
「決してそんなことはないが……いつも、お前に助けられているな。……感謝する」
「いいんですよ。オイラも、もう大人ですからね。そろそろ皆さんを引っ張っていかなきゃって、思ってたところですから! 『ザ・ウォリアー』の名に恥じない活躍をしますよ!」
名前──そうだ。姫様は孤独を感じていたのだ。
不敬だからと、オレは名前で呼ぼうとせず、『姫様』と呼び続けていた。
彼女はそれを嫌がっていたのに、頑なに変えようとしなかった。
なぜなら、彼女はメルキセデク王の子だから。
騎士だった頃の、主義だから。
だが、誰の子かなんて、関係がなかったのだ。
彼女は、彼女だ。
姫様以外の勇者一行は、お互いを名前で呼び合っている。
彼女だけは、『姫様』としか呼ばれていない。
それは、周りにも強制させてきた、オレの所為だ。
彼女を孤独にしてきたのは、オレの所為だ。
まったく、『勇者』の時から、オレは何も成長していない。
──その孤独が、少しでも和らぐのなら、このつまらない主義とやらを捨ててしまおう。いや、捨てなければならない。
……思えば、照れくさかったのだ。
愛するあなたの名前を呼ぶのが、気恥ずかしかったのだ。
まだ少し、面映ゆいけれど、
その名前を口にしたら、たまらなく幸せなのだろう。
「リリス様──」
「びゃっ!?」
驚いた様子で、飛び上がる彼女。
ゆっくりとオレを見つめるリリス様のお顔は、赤い。
思わず、喉から笑い声が漏れた。
「……いえ、何でもありません。そしてゴン──これからも、頼りにしているよ」
「はいです! あ、これから姫様のこと、名前呼びにするんですか?」
「ああ。もう、彼女を独りにはしない」
「はえ~……ですって、リリス様」
彼女は顔を隠し、脚と尾をバタつかせていた。
オレは無言で、ハンカチーフを差し出す。
それを奪い取ったリリス様は、「もう!」と言いながら、ハンカチーフで顔を隠された。
「というか、死ぬ覚悟はあったのに、バルムンクさんに気持ちを伝えてなくて良かったんですか?」「なっ……! なんでそれを! メルルさんですね!?」「いや……気付いてないの、バルムンクさんだけだと思いますけど……今、チョロっと言ってくれば良いじゃないですか」「んん~~! こら、生意気ですよ!!」「ひどい……同い年なのに……」
何の話をしているんだか。
そんな微笑ましい言い合いを耳に聞きながら、オレは身支度を整えた。
汗が、頬を伝う。
すぐにイサムとメルルを捜さなければならない。
探し物をしているイサムはともかく、メルルが心配だ。
気絶した審問官たちを一カ所にまとめていたゴンが、声を出す。
「なんか、熱いですね」
「えっ!? 私、まだ顔赤いですか!?」
手扇で顔を冷やしていたリリス様が振り向く。
「あ、違います。そういうことではなく、気温というか。ですよね?」
確かに、言われてみるとそうだ。
気温が上昇している。
嫌な予感がして、窓の外を見る──村が、燃えていた。
「──嘘だろ? 二人とも、外を見てくれ!」
二人も窓の外を見て、息を呑んだ。
誰が火を付けた? 村人? もしや、イサムかメルル? それとも、他の何か。
否、そんなものはどうでもいい。
「すぐにイサムとメルルを探すぞ!」
同意を示すように頷いた二人と、階段を駆け下りる。
一階の隅に、リーネが震えていた。
衣服は乱れ、目の周りが腫れている。
……ザイラス共の仕業か。彼女に、乱暴を働いたのだ。
オレが必要以上に近寄ってはいけない。
既に、リリス様がリーネの前に跪き、回復魔術をかけていた。
彼女は、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
と、繰り返した。
おそらく彼女は、最後まで口を開かないようにしていたのだろう。
「リーネさん。ここは危険です。もし動けるのであれば、村の入り口にある我々の馬車に隠れていてください」
その献身に報いるため、彼女に選択肢を与えた。それを選ぶかどうかは、彼女に任せる。
現状のオレたちも、切羽詰まっているのだ。
「行くぞ!」
宿を飛び出した。
蒼い炎が、村を焼き尽くしている。
言葉を失った。
目の前の地面に、ナニカが倒れている。
燃えるナニカが。
蒼く燃えるナニカが。
眼孔からは黒煙が立ち上り、その口は、笑うように歪んでいた。
燻られた、村人だ。
首飾りを握ったその腕は、空を目指そうとして……そして、倒れた。
首飾りが音を立てて、地を舐める。
「──!」
リリス様が即座に上級回復魔術をかけた。
蒼炎が消え、村人の肉体は修復される。だが、もう動きはしなかった。
魂は、立ち去ってしまったのだ。
「リリス様──」
「……分かっています」
目の前に落ちた、村人の首飾りを拾う。せめてもの慰めだ。
オレたちは、走り出す。
まずは、現状の確認だ。
アリアスタ村の各建物から、蒼い炎が発火している。
燃え移ったのか──? なら、出火場所は?
広場に辿り着く。
変わらず、像に祈っている村人たちがいた。村が燃えていると言うのに、何を──!
「貴様ら! 何をしている!? はやく避難しろ!」
そう叫ぶ。
瞬間、肌が粟立った。
感じたのは恐怖。
いま、この場に居るのは不味いと、直感がそう伝えた。
村人どもを立ち上がらせようとしていたリリス様とゴンを、突き飛ばすように跳ぶ。
オレたちの体が広場から離れた瞬間、それは着弾した。
像は砕かれ、村人は恐怖の叫び声を上げながら、燃えていく。
蒼い炎。
炎の具現化。
影姿は竜──しかし、覆う炎がその認識を阻害する。
いや……頭上に鎮座するは双角。
竜魔四天王──! 暴れ狂う元素は、炎!
「炎の児か──!」
『────────!!』
雄叫びのような咆哮が響き渡る。
蒼炎を纏う巨躯から、炎の奔流が四方へ散らばった。
それは周りに飛び火し、燃え広がっていく。
アリアスタ村を灼いたのは──こいつか──!
オレは、下敷きにしてしまった二人の肩を叩き、眼を合わせた。
言葉は要らない。イサムとメルルは居ないが、やるべき事をすると。
オレたちは立ち上がる。
「この騒ぎだ。二人もすぐに来てくれる」
──彼らが死んでるわけがない。そう信じている。
槍を構え、駆け出した。
蒼炎が拳を振り上げる──その着弾点を予測し、直前でオレは跳んだ。
狙いは奴の顔面。槍を突き立てる直前──。
オレは視た──その眼を。
眼が合う。
確かに合ったはずだ。
だが、眼には意思を感じなかった。
瞬間、右から強烈な熱源が迫る。
気が付いた時には、既に吹き飛ばされていた。
黒煙が揺らめく屋根に叩きつけられる。
「ッッッ──!!」
振り上げられた炎の拳が軌道を変え、オレを捉えたのだ。
肚の底から、鮮血が噴き出る。
加えて、右腕が灼けるように痛む──否、灼けていた。
鎧にある耐火の施しは機能している。なのに、灼かれた。
耐火の施しが無ければ恐らく、右腕だけでは済まなかっただろう。
油断した。
蒼炎は狙いを変え、リリス様に襲いかかる。
間一髪、ゴンの盾が拳を弾き──煌めく盾光が、炎を散らした。
弾かれた奴の腕を貫かんとするように、彼女が跳躍する。
突き出された細剣が見事に、無防備となった炎の腕に刺さる──!
炎に穴が空く────それだけだった。
奴の動きは停まらない。
「『──脚よ、駆動せよ』」
オレは、脚に肉体強化魔術を。
跳ぶ──彼女と視線が、中空でぶつかった。
お互いの足底を合わせ、蹴り合う。強化魔術を施した分、オレの方が力は強い。
リリス様のお体をゴンに向けて蹴り飛ばし、彼女の脚力によってオレは、滑るように着地した──再び、喉から鉄の味がする。
ゴンは、リリス様の緩衝材となった。
炎の拳が空を焦がす。
分かったことがある。奴に物理攻撃は通用しない。
地と水の四天王には、実体があった。素体である竜人の身体に、元素を纏っていた姿だった。
だが、こいつは違う。
素体が無いのだ。『炎の元素』そのものが竜の形を保っているのだ。
しかし、ゴンの盾光は一時的に炎を散らせていた。
残念ながら、今のままでは出力不足だ。
直撃で致命傷となりえる相手に、『出力を上げるために攻撃を受けてくれ』などと言うつもりも無い。
──魔術ならば攻撃が通る、と仮定する。
攻撃魔術を使用できるイサムとメルルはここに居ない。
ならば。
オレは、懐から首飾り──魔導器を取り出す。
『魔力を溜めておける、魔導器です』
村人はそう言っていた。
「リリス様、ゴン。あとは任せろ」
オレの魔力器官は小さく、大魔術が使えない。
──魔導器を掴み、砕く。
魔力器官、そして身体に魔力が満ち溢れる。
だがそれでも、今のオレでは、『決戦詠唱』を発動できない──!
ならば──引き摺り出すしかあるまい。
オレの、星を。
──満ちる魔力は、心の底を照らす。
かつては憎悪と嫉妬、傲慢に塗れ、隅に追いやっていた星。
星はいま、中央に鎮座し、輝きを放っている、
それを、掴み取った。
心臓から引き摺りだすように、噴き出た光は、身体に纏われる。
黒鎧と成った泥濘は、白く輝く鎧へと顕現した。
槍に注がれるは風の元素。
柄に握る力を込め、魔力を流す。
白鎧から直接、魔力のパスが接続され、一つの回路となる。
鼓動のように脈打つ魔力、それを石突に叩き込む!
槍は、待っていたと言わんばかりに煌めいた。
撃ち出すように、槍を前方に突く──!
槍から解き放たれるは『金色の風』。
蒼炎の心臓をめがけ、螺旋状の風は飛ぶ。
時を同じく、燃え盛る掌を突き出した蒼炎の竜。
炎の奔流が吐き出された。
周囲の大気と元素を灼き尽くさんとする奔流は、オレを丸ごと呑み込もうと迫る。
金色の風は、止まらない──! 奔流を切り裂くように、進み続けた。
風は、炎の竜魔四天王を貫く。
奴の胴体には、大きな孔が空いた。
憤怒を思わせるように吐き出された炎は収まり、ピタリと動かなくなった。
ただ、炎が揺らめくのみである。
心臓──核を吹き飛ばしたのだ。
再生するには時間が掛かる──今のうちに、イサムを探し、聖剣で双角を──!
「バルムンクさん! 凄いです!」
「やりました!」
二人の歓声。
「言っている場合じゃないぞ、すぐにイサム──を、」
言葉を飲み込んだ。
喜びで飛び跳ねている二人の背後──その影から、赤鎧の悪鬼が現れた。
異様に凹むヘルムの隙間からは、血が滴り落ちている。
審問官、ザイラス──!
彼は、足を引き摺りながら、一歩、また一歩と迫る。
だが、リリス様とゴンは、まだ気が付いていない。
──肉体強化を!
「『脚よ、駆、動──がッ」
魔力器官が悲鳴を上げ、喉から血が噴き出す。
──無理を、しすぎた。
加えて、白鎧の顕現と『金色の風』によって、魔力は空になっている。
心臓に鞭を打ち、駆け出す──膝から、崩れ落ちた。
「危ない──!」
オレは、気力を振り絞って叫んだ。
だがザイラスは、リリス様とゴンの間をすり抜けるように、進む。
足取りがおぼつかないまま、歩いた。
オレすらも通り越して、歩いていた。
ひたすら、真っ直ぐに。
──炎の竜魔四天王のもとに。
「──ハハ、神よ。我々の神よ」
行かせてはならない──又もや、直感が警鐘を鳴らす。
「戦姫ッ! オレに回復を──!」
駆け寄ってきたリリス様が、中級回復魔術を施してくださった。
右腕の焼き焦げた傷と内臓の損傷が、修復されていく。
これなら、動ける。
オレは彼女に、感謝の意を込めて深く頷いた。
「ザイラス──!」
その名を出しながら、追った。
だが、奴の歩みを止めるには、間に合わない──なら、投擲しかないだろう。
残る力を振り絞り、脚を踏み込んだ。そして、槍を投げる──!
槍は、まるで吸い込まれるように、ザイラスの脚を捉える。
その閃突は腿に穴を空け、奴の体勢を崩した。
だが、止まらない。
這いずるように前進を続ける姿には、狂気的なモノを感じさせた。
「お救いください……我々を、お救いください……あなた様は、神なのです」
首飾りを掲げるザイラス──その頭上に、影が揺らめいた。
微動だにしなかった炎の四天王が、拳を振り上げたのだ。
「ハ、ハハ──! ハハハ! ハハ──」
その哄笑の続きは、最後まで続くことは無かった。
空気を裂く音がして、巨大な炎拳が叩きつけられる。
ザイラスは蒼炎に呑まれ、燃やされた。
「クソッ……」
思わずオレは呟いた。絶望的だ。
炎の竜魔四天王は、既に行動を再開させていた。
絶体絶命だというのに、脳だけは妙に冷静だった。
オレにはもう、戦う力は残されていない。動くだけが精一杯だ。
ならば……まだ体力に余裕のあるリリス様とゴンを、イサムとメルルに捜索に回す。
こいつの相手は、オレがするしかない。
何度目になるか分からない覚悟を、オレは決めた。
──生命力を使う。
この作戦を──作戦と呼べるのか分からないが──二人に伝えようとした時。
炎の竜魔四天王は突然、飛び去っていった。
困惑した。意味が分からない。
村を覆っていた蒼炎は、何もなかったように掻き消え、煤に塗れた建物だけが残った。
だが、
「助かった──のか」
それだけは、間違いがなかった。
──ザイラスを確認せねばならない。
「バルムンクさん、すみません……オイラが気が付いていれば」
「私も……」
「いいや、仕方が無い。奴にどんな目的があったのかは知らないが、あれほどの執念を見せつけられると、どちらにせよ逃していただろう」
ザイラスの鎧も、その肉体も、既に燃え尽きていた。
灼き削げて、糸のように飛んで行きそうな身体になっていた。
貴様の顔を見ることは叶わなかったが、神とやらに、会えるといいな。
そう、合掌した。
「……行こう。イサムとメルルを探さなければ」
『────────!!』
ああ──次から次へと……今度は何だ?
いい加減、静かに二人を探させてほしいものだ。
耳を劈くような叫び声が、教会から聞こえた。
直感だが、二人はあそこに居る。そんな気がした。
「いい加減、休ませてほしいものだな……行けるか? 二人とも」
「次は私が前に出ます!」
オレに回復魔術をかける彼女が、意気込んだ。
「……ゴン。彼女に付いてくれないか? 念のためだ」
「分かりました」
教会まで走る。心臓が軋む。
荒れる息遣いの中、リリス様が呟いた。
「今日は……長い一日でしたね」
「そうですね。日が昇ったら、すぐに発ちましょう。……魔王領に入る前に一日だけ、みなで休息をするというのは如何でしょうか。まだ存在していればですが……近くには温泉が湧いているのです」
「へえ~……。オイラ、温泉に入ったことないです」
「私もボレアスの直轄領から出たことがありませんから……水浴びとは違うのですか?」「オレは一度だけ。熱くて良いモノですよ、温泉は。心の洗濯と言ってもいい。リリス様は、メルルを誘ってやってください。オレとゴンも、イサムと『裸の付き合い』をしなければな」
頷く二人を視界の端に捉えた。
教会の前に辿り着く。
オレは突入しようとしたが、リリス様が孤児院を気にしていたのが見えた。
例に洩れず、その建物も、煤に塗れていた。
「私……子どもたちを見てきます。無事な子がいたら避難させて……怪我をしていたら、回復魔術を行使します」
「……承知いたしました。ゴン、リリス様を頼む。オレは先に行く」
「分かりました、お気を付けて」
「そっちこそ気をつけろよ!」
オレは再び、教会の扉に向き合った。
「──バルムンク!」
彼女に名を呼ばれる。
「また、五人が揃ったら、ちゃんと話そうと思います。角と、親のことを!」
「──分かりました。ご安心を、オレとゴンが居ますから」
「……うん。二人を、お願いします! ゴン、行きましょう!」
扉を蹴破る。
奇怪な状況だった。
薄暗かった教会は、炎によって明るい。
蝋燭の代わりに、長椅子が発火しているのだ。
四天王による蒼炎ではない──赤く輝く炎だ。
奇怪なのは、それだけではない。
オレの足下には、司祭ガルディスが居た。
司祭ガルディスが、死んでいた。
腹這いのまま、喉を右手で押さえ、扉に左手を伸ばしていた。
死因は、失血死だろう。
──ガルディスだけではない。
教会には、多くの死体があった。
計二十名ほどだろうか。聖職者が何人か、その他に、年老いた村人や中年の村人たち……。
どれも、斬撃によって葬られている、
叫び声が聞こえた。
錆びた臭気と、赤黒い水溜まりの下──地下からだ。
オレは、地下への階段を目指すために歩く。
粘り気のある液体を踏む度に、足底から不快な音が鳴った。
一歩、また一歩と進むごとに、足が重く感じる。
この先に進むべきではないと、警告するように。
階段を駆け下りた。
──地下聖堂だ。大地に聳える大樹のような石柱が、等間隔に並んでいる。
奥に祀るは、巨大な角の神像──その眼前、聖剣を抜剣した勇者イサムが、オレに背を向けていた。
彼の前にあるのは、講壇。
講壇に背を預けていたのは、上半身を裸にした、助祭クレアスだった。
奴の足首は切断され、地面に血溜まりが出来ている。背中にも傷を負っているのだろう──誰でも無い、イサムの手によって。
イサムの聖剣と装いは、血に濡れていた。
視界の端──聖堂の壁際に、メルルが座り込んでいるのが映った。
まずオレは、彼女に駆け寄る。
無事かどうか、何が起こったのか、確認せねばならない。
「メル────ッ!?」
呼びかける声が、衝撃で掠れた。嫌な予感が身体を走る中、彼女の姿が視界に飛び込む。
メルルの表情には、恐怖が貼り付いていた。
乱れた服、無残に露わとなった肌。震える指先が、それを隠すように握り絞められている。
察してしまったのだ、オレは。
すぐにマントを外し、肩にかけた。白い陶器のような肌を覆い隠すように。
彼女の肩が、ビクリと跳ねる。
「大丈夫。オレだ、バルムンクだ」
言葉にならない怒りが、胸を灼いた。
だがそれは、彼のモノとは比べ物にならないだろう。
オレは、ゆっくりとイサムを振り向いた。
血飛沫に濡れた横顔……瞳の奥にあるのは、暗闇だ。
──信じたくはない。けれど、理解してしまう。
この殺戮空間は、イサムが作り出したモノだったのだ。
だが、駄目だ。
お前は勇者だ。
これ以上、人殺しを重ねるな。
「勇者さまァ! 冗談ではないですカ!? このクレアス、死んでしまいますゥ!」
クレアスの不快な声。
──奴はその声と同時に、首飾りを引きちぎり、砕いた。
パチパチと、火花が散るような音が鳴る──発生源は、神像。
瞬間、神像の外殻が爆発するように砕けた。
顕現したのは、双角を持つ、翠色の球体──! その周囲には、風が渦巻いている──!
不定形な風の腕が、イサムの横面を殴り抜いた。
宙を舞う身体──オレは受け止めようとするが、彼は聖剣を地面に刺し、耐える。
床を引き裂く剣痕から、炎が噴き出した。
吹き飛ばされまいと、イサムは一歩、強く足を踏み込む。
──イサムは、助祭クレアスを殺す気なのだ。
駄目だ、イサム。これ以上、人を殺すな。
強い魔力風が吹く。
双角の球体──以前、話に聞いた、風の眷属。
──否。その双角は、竜魔王の児の証明──! 風の竜魔四天王──!
既に、竜人としてのシルエットを捨てていた四天王は、不定形の腕を再び広げる。
襲いかかるは、暴力的な風元素の魔刃。
風を受けた者たちの魔力を奪い、身体を切り裂く風刃と化した──!
歩けないほどの風圧。
せめて、メルルの陰となるように、立ち上がる。
助祭の狂気的な哄笑が聞こえる中、オレは反射的に顔を腕で隠す。
飛び交う魔刃の中、腕の隙間から、眼を開けた。
イサムは──聖剣を大上段に構えていた。
剣身に沿うように、回転する炎が巻き上がる。
回転する炎は、瞬く間に出力を上昇させ、圧倒的な炎の巨刃へと変貌した。
教会の悉くを斬り裂くかのように、天を穿つ。
赤く燃え盛る、強烈な灼光。もはやそれは、宙をも呑み込む炎柱。
「聖剣【ラーハット】、解放」
イサムの言葉に呼応するように、落下する耀きの光焔。
聖堂が縦に斬り裂かれる──追跡するように炎が奔り、空気を焦がす。
星の軌跡を思い起こさせる巨大剣。天地を断つ閃光の奔流──!
炎柱に呑み込まれた風の四天王は、耐え切れないとでも言うように、奇声を上げながら蒸発した。
だが、魔力風は止まない。
となると、発動者は、風の四天王ではなく助祭クレアス。
イサムは魔力風を一身に受けていた。
それでも歩みを止めない。
「ひ、ヒィ!? なんデ、止まらなイ!?」
クレアスは後退るも、すぐに行き止まりにぶつかる。
──オレは逆風の中、脚を動かす。
軋む心臓に鞭を打つ。
まるで大海の中を歩くように、脚が重い。
イサムを止めなければならない。それが、オレの役割──。
彼は横薙ぎの構えで、クレアスに迫る。
暴風が、イサムの肌を切り裂いているのに。
その魔力を吸い出しているのに。止まらない。
──手を伸ばす。
「チクショォオ!? 何が神ですカ!? なんの役にも立たないじゃないカ! あの馬鹿司教とクソ審問官メ! こうなれバ、この命デ──!」
一層、強力な風が吹き荒れる。
イサムを切り裂いた風が、オレのこめかみを掠めた。
断続的な閃光のように、記憶が脳裏を駆け巡る。
オレは、剣を司祭ガルディスの喉元に突き立てていた。
力を込めた瞬間、イサムに腕を掴まれる。
『お前は、殺すな。姫様の前だろ』
──分からない。なんの記憶だろう。だけど、こう口にするしかなかった。
「お前は言っただろ──!? オレに殺すなと! なら、お前も──!」
一瞬だけ、イサムの動きが止まった。
だが、すぐに動作が再開される。
諦念の表情を浮かべた助祭が、壊れた玩具のように口を開く。
「ヒヒヒ! あア、その形相ォ! まるデ、まるデ──! 魔王ダァァァアアア!!」
「待て──! イサ──!」
聖剣が、首を薙いだ。
風は、止む。
放物線を描くナニカ。
それが床に落ちると同時に、クレアスだった肉袋が静かに倒れる。
イサムはゆっくりと、振り向いた。
その表情はまるで、■■のようだった。
オレはその場で、膝を崩す。
止められなかった。
止まらなかった。
駆ける足音が聞こえた。オレの横を通り過ぎる影。
メルルが、イサムに駆け寄って抱きついていた。
彼女は子どものように声を上げ、泣いた。
……なんなんだ。もう何も、分からない。
誰かオレに、説明してくれ。
『うわっ!? こっち来ちゃ駄目です!』
上空から、声が聞こえる。
聖剣は、教会を裂き、破壊した。
一階と屋根の一部を吹き飛ばしたのだろう。
遠くを見つめると、闇をぶちまけた空に、星が輝いた。
オレはゆっくりと立ち上がり、地上へと戻る。
リリス様には、この空間を見せたくなかった。
床の半分を覆うように、巨大な穴が出来ている。
出入口に戻ると、ゴンがリリス様を通さないよう、立ち塞がっていた。
「……ゴン」
「バルムンクさん! 何が、何が起きたんですか!? それに、傷だらけだ!」
オレは後ろ手で、扉を閉めた。
ゴンの顔色が悪い。おそらく、リリス様の前にゴンが突入したのだろう。
イサムのやった事を話すべきなのか、逡巡してしまう。
何かの間違いなのではないかと、オレの脳が拒否していた。
「それは……オレも、知りたい」
二人は言葉を失う。
「オレは、あいつらと話す……だからゴン。リリス様を宿まで送り届けてくれ……」
「は、はい……」
「バルムンク……まずは傷の回復を……」
「いえ、オレはまた後で──」
扉が開かれる音がした。
振り向くと、メルルとイサムが教会から出てくるところだった。
メルルは装いを直し、マントを肩に羽織っていた。オレたちと目を合わせ、少しだけ泣きそうな顔をする。
だがイサムは、目を合わせようともしなかった。
その手には、一本の杖。
「──リリス様、ゴン。宿に戻ってくれ」
「……分かりました」
二人が宿に向かう。
それを見届け、イサムに立ちはだかる。
オレが言葉にしなくとも、分かっているはずだ。
「イサム……何故、殺した。ここまで殺し尽くせた。……オマエは勇者だろう? なのに、何故──! それでは、魔王軍と同じだ! 説明してくれ、イサムが言葉にしてくれれば、納得できる。頼む」
オレは何を言っているのだ。
言葉にしてくれれば納得するなど、今までのオレでは考えられない。
だけど、決別したくは、ない。
彼は、オレの言葉に答えなかった。
「メルル。魔器──魔杖【エイハ】だ。聖堂の奥にあった。使い方は任せるよ」
メルルに杖を手渡すイサム。
魔器。イサムが探していた、強力な力を持つ武器の一つ。
諦めずに、声を上げた。
「オマエが魔器を探していたのは勿論理解している! だが、そのためにあんなことをしたとは思えないんだ!」
メルルが、イサムの代わりに口を開こうとした。
だが、それは叶わない。イサムが止めたからだ。
「いい。話さなくて」
その言葉に、オレはショックを受けた。
最近は、全部が上手くいっていると思っていた。
一行と絆を深められたのだと信じていた。
喉から迫り上がった言葉が、詰まる。
「オレたちは、仲間だろ?」
出てきた声は、掠れていた。
「いいや、竜魔王を倒すために集められただけだ」
彼は冷徹に言い捨てた。
──何故だ。
ふつふつと、湧き上がるモノがあった。
それは、紛れもなく怒りだった。
オレの横を通り過ぎていったイサムの背中に、言葉を投げかける。
宿でゴンが見せてくれた『結束の紐飾り』が思い起こされる。
「ふざけるな! お前は、オレたちに──! オレたちの──!」
言葉にならない激情が、喉の奥でせき止められる。
「クソッ! よくも、こんなものを……!」
大声を上げながら、リリス様と同じ位置に付けられた、オレの『結束の紐飾り』を引きちぎる。
大きく腕を振りかり、投げ捨てようとした。
だが、結局──その腕を振り下ろすことはできなかった。
□ □ □
宿に戻る。
一階には、リーネが居た。
馬車に行ったのでは、ないのか。
目の周りはもう、腫れていない。
彼女はオレを見て、ビクリと体を震わせる。
だが、臆してはいなかった。
「騎士様……大丈夫でしょうか?」
「……何故、そう思う?」
「お顔色が、優れなかったから……その、先ほどは申し訳ありませんでした……怪我は、メルル姉さんが治してくれて……」
自分の顔に触れた。
他人に心配されるほどか。どのような表情をしていたのだ。
「……そうか」
「でも姉さん。凄く辛そうな顔をしてて、ちゃんと話も出来なかった……もし良ければ、ひと言お伝えくれたら、嬉しい、です……」
ああ、疲れた。
ぽっかりと、気力が抜かれたような感覚。
「…………」
自分で言えと、そのひと言すら捻り出せない。
リーネは慌てながら、口を開いた。
「その! 子どもたちは、馬車で休ませています。助けてくれた二人には、お礼を言えました……。その、子どもたちを連れて、すぐに出発しようと思います」
子どもたち──ああ、そうだった。リリス様とゴンが逃がしてくれた、孤児院の子どもたちだ。
疲弊した脳で問う。
「行く当ては……行く当てはあるのか?」
年若いリーネと、子どもたちで旅をさせるなど、死にに行くようなものだ。
「……それは」
リーネは自分のお下げを掴む。
行く先が無いのか。
なら──。
「馬車は、乗れるか?」
リーネは、首を傾げながら頷いた。
オレは、腰の短剣に手を伸ばす。
「ッ!」
また、彼女は体を震わせる。怖がらせてしまったようだ。
「すまない。違うんだ」
力の入らない指で、剣帯から短剣を鞘ごと外す。
それを、近くのテーブルに置いた。正確に言えば、上手く力が抜けず、叩きつける形となってしまったのだが。
「……紙とペンを」
怖ず怖ずと差し出された紙とペンを、ひったくるように取る。
早く、休ませてくれ。
オレは、簡易的な書簡を記した。
宛先は、父上だ。
このアリアスタ村で起きたこと。馬車と物資を提供すること。
オレ本人が記しているという証拠に、短剣を添付すること。
リーネという女と孤児たちを、しばらく世話してやって欲しいということ。
それを簡素にまとめた。
「リーネさん、これを持って、馬車でウェルバインド領に行け。きっと、助けてくれる。……朝日が出たら出発しろ。物資も、好きに使ってくれ」
テーブルにそれらを置いて、二階に向かう。
早く、泥のように眠りたかった。
背後から、鼻を啜る音が聞こえる。
「ありがとう、ございます……あなたたちに、ご加護を……」
二階は、ザイラスの斬撃によって一角が無残に崩れ落ちていた。
階段を上がる。
上がってすぐの部屋──そこに、リリス様とゴンが壁に背中を預け、疲れ果てた様子で座っていた。
二人はオレに気が付くと、何かを言いかける。だが、すぐにその口は閉じられた。
イサムとメルルの姿はない。別の部屋で休んでいるのだろうか。
だが今は、探し出して何か言ってやる、という気分ではない。
疲れたのだ。
「二人とも。そろそろ休んでくれ……オレも、疲れた。少し……休む」
言葉を終えると同時に、睡魔が押し寄せた。
──睡魔も、魔物の一種なのだろうか。
口に出したら馬鹿にされるであろう事を、思った。
床に倒れ込む肉体に後を任せ、オレは静かに意識を手放した。
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