任命
カインは、レイナの執務室の窓辺に立ち、外の風景をぼんやりと見つめていた。眼下には、整然とした城下の町並みが広がり、その奥には騎士たちが慌ただしく動いている姿が小さく見える。だが、その喧騒はここまで届かず、重々しい沈黙が彼の心にのしかかっていた。
カインが窓から外を眺めていると、陽の光が彼の顔に当たり、その目に映る街の風景はどこか遠く感じられた。広場で覚醒者の紋様が露わになったあの日から、すでに数日が経過していた。だが、彼に与えられた立場は、その日を境に大きく変わってしまった。
「征魔賊伐将軍」――かつての魔王討伐戦の英雄であっても驚くほどの役職をカインは背負わされていた。カイン自身、この役職に対してまだ感情が整理できていなかった。単に討伐隊の指揮官として呼ばれるだけならまだしも、「将軍」という称号を授けられるとは、全くの想定外だったからだ。
その肩書を与えられた日、彼はある種の違和感を感じずにはいられなかった。カインがまだその力を保持していることで、金品のみを褒賞に与えて野に放つわけにもいかなくなったのは理解できる。だが、それ以上に彼を征魔賊伐将軍という高位に就けるという動きには、何か裏があるように感じられたのだ。
「カイン」
背後から、いつもの冷静な声が彼に呼びかけた。振り返ると、そこにはレイナが立っていた。その無表情な顔立ちと鋭い眼差しは、まるで鋼のように揺るぎないものだった。
「レイナ……」
カインは、彼女に向けて静かに応じた。彼女との詰め所との会話が今回の任命の始まりだったが、この結果がレイナの本意ではないことも理解していた。
「まさか、『征魔賊伐将軍』だなんて……そこまで大仰な役職を与えるつもりはなかったんだが、他の連中が動いた。私の意図は、もう少し控えめなものだったんだ」
レイナの言葉には僅かな苛立ちが滲んでいた。彼女自身、カインを支持しているのは間違いない。だが、彼女が思い描いていた役職は、将軍といった重い肩書ではなく、もっと実務に即した指導者としての地位だったはずだ。しかし、背後には彼女の思惑を超えた権力者たちの介入があったのだろう。
「じゃあ、俺をそこまで大きな役職につかせたのは、誰かの思惑が働いているってことか?」
カインの問いかけに、レイナは一瞬言葉を詰まらせた。彼女は窓の外に目をやり、しばらく無言のまま考え込んでいた。
「……そうだろうな。あの場で私が推薦しなければ、もっと別の形で君に重責が押しつけられていたかもしれない。覚醒者としての力を持つ君が、今や恐れられているのは事実だ。だからこそ、君を一線に送り込み、その力を使わせる――そう考えている者たちがいるのかもしれない」
レイナの言葉に、カインは息を詰めた。彼女の冷静な分析は、間違ってはいないだろう。覚醒者としての力が残っている以上、それを隠しておくことはできない。逆に、それを表に出し、利用される形にすることで、周囲の人々は彼を制御しようとしているのかもしれなかった。
「けど……本当にそれだけなのか?」
カインは疑念を抱いたまま、再び窓の外を見た。彼を任命した者たちの本当の意図は何なのか。単に彼を一人の将軍として利用するつもりなのか、それとも別の何かを期待しているのか。その答えは、今のところ誰にも分からなかった。
「分からない。私にも、あの連中が何を考えているのかを知るすべはない」
レイナは冷静に続けた。
「ただ、君には覚悟が必要だ。この任務において、何が待ち受けているのか、すべてが明らかになるわけではないだろう。誰かが君を利用しようとしているのかもしれないし、逆に君を試そうとしているのかもしれない」
「試す……」
カインはその言葉に反応した。彼の覚醒者としての力は、魔王討伐の際に最大限に発揮された。その時、周囲の人々は彼を英雄と称賛したが、今は違う。彼の力が異端であり、脅威と見なされているのは明らかだった。だからこそ、その力をカインがどう使おうとするのかを試されている可能性も否定できない。
「いずれにせよ、この任命は避けられなかった。だが、私も可能な限り君を支援する。だから、あまり気負うな。覚醒者の力がどうあれ、それをどう使うかは君自身の判断だ」
レイナの言葉には、信頼とともに、どこか厳しさが感じられた。彼女自身、上層部の思惑に対して完全に無力ではないが、それでもすべてを掌握することはできない。カインの命運は、彼自身が切り開くしかなかった。
「ありがとう、レイナ。君の助けがあるだけで、少しは心が軽くなる」
カインは微笑みながら感謝の意を示した。レイナの存在が、彼の精神的な支えになっていることは間違いなかった。彼女がいなければ、この重い役職を引き受けることさえも躊躇しただろう。
「じゃあ、行こうか。準備はできたか?」
レイナが再び声を掛け、カインは頷いた。討伐隊は既に集められており、彼がその指揮を執ることになっている。目的は魔王軍の残党である魔物たちを討伐し、この世界に平和を取り戻すことだ。
だが、果たしてそれだけで済むのだろうか――カインの胸中には、まだ消えない不安があった。彼を征魔賊伐将軍に任命した権力者たちの真意が、どこにあるのか。それがカインにどのような影響を及ぼすのか、それはまだ誰にも分からなかった。




