番外編2 「アンジェラ」の人生(後編)
その日の夕食の席で、子爵が嫌な笑みを浮かべながら「黒髪に紫の瞳の少年に会ったそうだな」と言った。
思わずフォークを取り落としてしまい、また罰せられるのかと思ったけれど、子爵は珍しく上機嫌にただ笑うだけ。
監視がついているのは知っていたけど、秘密を覗かれたような不快感を覚えた。
「……偶然出会って、少し親切にしていただいただけです」
「少し親切に、か。その顔立ちだけでなく男を誑かす才能も母親譲りなのだな」
「……」
「褒めているんだよ。ルビーノの小娘を陥れるのに、その才能は大いに役に立つ。ああ、お前が今日会ったのはアメイシス家の次男リアム・アメイシスに間違いないだろう。お前と同じく下町育ちの婚外子で、年齢も同じだ。気が合いそうだな?」
その言葉に心臓が跳ねた。
婚外子で下町育ち。私と同じ。しかも同い年で貴族だから、学園に入学したら彼に会える。
その日から彼のことを考えることが多くなった。
入学後、彼と仲良くなれるかな。もっと彼のことが知りたい。
そんな淡い気持ちを抱き続けて一年と少し。
入学のひと月前、制服が届いてもうすぐ彼に会えると心を躍らせていたその日の夜、子爵がわざわざ私の部屋にやって来た。
訝しんでいると、「一つ言い忘れていたことがあってな」とまた嫌な笑みを浮かべる。
「……なんでしょうか」
「リアム・アメイシスはローゼリアの婚約者候補だ。しかも幼馴染で、リアム側が夢中になっているとか」
「……っ!」
初めて、子爵に憎悪の表情を向けるのを止められなかった。
アメイシス公爵子息だから婚約者がいるかもという思いはあったけど、それがルビーノ公爵令嬢だったなんて。
子爵は私が入学を楽しみにしながらリアムに想いをつのらせているのを承知の上で、一番ショックを受けるタイミングでこのことを告げた。ルビーノ公爵令嬢を憎むように。
「ははっ、そんな顔をするな。お前がローゼリアを追いやってリアムを手に入れればいいだけだ。公爵子息とはいえ次男で婚外子だ、お前にも可能性があるぞ」
そう言って笑いながら去っていく子爵の背中を刺してやりたい気持ちになった。
そして決意した。もし闇の星獣が私の中で孵化したら、死ぬときは子爵をその力で道連れにしてやると。
そして、いよいよ迎えた入学。
子爵の監視が入り込めないから、学園はとても楽しかった。学園にいる間は自由で、何もかもが輝いて見えた。
ルビーノ公爵令嬢ローゼリア……ローズは、思っていたのと少し違っていた。
その立場ゆえにもっと高慢だと思っていたのに、素直で不器用で笑ってしまうほどお人よし。
何の苦労もせずに家族に大切にされて育ったからだろうなと思うと、その素直さにいら立った。
しかも、残滓を押しつけられる量は、他の精霊術師とは桁違い。精霊術のルビーノというだけあって、精霊術師としての器もまた桁違いということなんだろう。
結局、生まれがすべてということ。
何もかもを持って生まれたくせに、それがどれほど幸運かも気づかない能天気さに腹が立って仕方がなかった。
最高の教育をいくらでも受けられる環境なのに、努力もせずに馬鹿なのも気に入らない。
それが嫉妬からくるいら立ちだとわかっていても、止めることはできなかった。
その嫉妬の一因であるリアムはさらにかっこよくなっていて、相変わらず少しぶっきらぼうだけど優しい人だった。
そう、同級生としては優しかった。
けれど、一歩踏み込もうとするとさっと壁を作られる。
婚約者候補と言いつつローズとはさほど親しくない様子なのに、彼女を遠くから見守っているようだった。
彼女はそのことにすら気づかない。
許せない、と思った。
何もかも持っていて、その上さらに私の初恋の人までも当たり前のように手に入れるであろう彼女が許せない。
――だから、彼女を貶めることに決めた。
決意した私に、子爵はたいそう喜んだ。それはそうでしょうね。
くっだらない復讐を果たせるし、私がやらなければ次はクレオに卵を植えつけると脅す必要もなくなるんだもの、さぞや満足だったでしょう。
子爵に対する憎しみをつのらせながらも、ローズを貶めて学園から追い出すための作戦を開始した。
まず事前に子爵にもらっていた資料をもとに、トパーゼ家のデリックとサファイエル家のオリヴァーに好意を抱かせた。
彼らの好みどおりに振る舞えば、闇の卵の力もあって面白いほど私を好きになる。
男性に好かれるってこういうことなのかと、とても気分がよかった。
私には天性のコミュニケーション能力があったらしく、友達も次々にできる。一度好感を抱かせれば、あとはこっちのもの。
目指していたのとは違う形だけど、人気者になれた。毎日が本当に楽しかった。
一方でローズは私の印象操作と闇の残滓の作用で嫌われていく。
彼女を陥れることが楽しかったかといえば、案外そうでもない。
だからといって罪悪感があったわけでもなく、仕事のような感覚でやっていたと思う。
でも、彼女がリアムを遠ざけたことは素直にうれしかった。
――そうしてすべてが上手くいっていたはずだったのに。
なぜローズが二年生になってから急に私に心を許さなくなったのか、それは今でもわからない。
闇の残滓を押しつけられなくなったから負の感情の増幅効果がゆるやかに減っていくのはわかるけど、皆のローズへの態度の変化はそれだけでは説明できないほど急で、まるで残滓がすべて無くなったかのようだった。
周囲がローズを認めるほどに私の立場はどんどん悪くなっていき、最後に私はあの屋上で致命的なミスを犯し――負けた。
本当はずっとわかっていた。
彼女を貶めるのではなく、彼女を通じてルビーノ公爵に助けを求めるべきだった。
だけど、私が欲しいものすべてを手にしている彼女が私を救い、私が彼女に感謝する。それだけはどうしても受け入れられなかった。
そんなくだらない意地に命を懸け、その結果が修道院行きだというのだから、私も馬鹿よね。
* * * *
「そろそろ出発します。馬車に乗ってください」
女性騎士にそう言われ、素直に馬車に乗る。外から鍵をかける音が聞こえた。
――昨日の夜、クレオが私に会いに来た。
扉についた小さな窓の格子の向こうに見える顔は、泣き顔だった。
何もできなくてごめんなさいと謝る弟に、あなたは何も悪くない、私は自由になったのだから泣かないでと伝えた。
「僕が自由に遠出できるようになったら、真っ先に姉上に会いに行きます」
優しい言葉に、ただうなずく。
涙をこらえるだけで精いっぱいだった。
身勝手な私のことなんて忘れて、あの子には幸せになってほしい。
かわいい弟を思い出しながらしんみりしていると、馬車の外から馬のいななきが聞こえた。
馬車の馬のものにしてはその音は遠くて、何気なく窓から外を見る。
道から少し外れた位置、何もない野原に、騎乗した男性の姿が見えた。
「オリヴァー……?」
「アンジェラ!」
彼は私の名を呼ぶと、馬車とは一定の距離を保ちながら馬車と同じスピードで馬を走らせた。
「すぐには無理でも、俺がきっと君を自由にしてみせる! だから、待っていてくれ……!」
彼の必死な叫びが、私の心を揺さぶる。
ここまでです、という護送の騎士の声。あわてた様子はないから、事前に許可を取っていたのかもしれない。
オリヴァーの馬はスピードを落とし、やがて彼の姿は見えなくなった。
――殿下の命令に背いてあなたを助けようとするほど、あなたを好きだった男もいたわ。
ふと、ローズのそんな言葉を思い出す。
私に騙され利用されていたことも、闇の卵の効果ももう知っているでしょうに、わざわざあんなことを言いに来るなんて。馬鹿ね、オリヴァー。
そんなことを思いながらも、口元に笑みが浮かぶ。
彼が四大公爵家の嫡男でも、私を解放できるなんて思っていない。彼は私に希望を捨てずに生きるよう言いたかったのだろう。
でもね、オリヴァー。そしてローズ。
私、絶望なんてしていないわよ。
だって、私を縛るものはもう何もないもの。
命を脅かす闇の星獣もいなければ、私とアンジェラを道具のように扱った子爵も二度と外の世界に出てこない。いい気味だわ。
これから行く修道院は、自由はないけど話を聞く限り牢獄のようなひどい環境でもない。
それに、重罪人ではないから一生修道院から出られないということはないはず。
模範的な態度で過ごせば、案外早く出られるかもしれないわね。いい子のふりはお手の物よ。
もちろん修道院でも泣き暮らすつもりなんてないわ。
だって、「アンジェラ」は幸せでいなければならないから。
まずは修道院一の人気者にでもなってみようかしら?
そんなことを考えていたら、なんだか楽しくなってきた。




