番外編2 「アンジェラ」の人生(前編)
アンジェラ番外編(書籍1巻掲載)
ローゼリアとの決着がついた後のお話です
馬車に乗ってからどれくらい経ったのだろう。
罪人を運ぶ馬車にしては乗り心地は悪くないと思うけど、今日はやけに暑いしさすがに疲れてくる。
外から鍵がかかっているとはいえ、手を縛っていた縄を外してもらっただけマシなのかな。
窓は少しだけ開いているけど、これ以上は開かないようになっているので風はあまり入ってこない。
そんな私の不満を察したかのようなタイミングで、馬車が停まる。どうやら休憩場所に着いたらしい。
ダメ元で降りたいと言うと、願いを聞いてもらえた。
女性騎士が傍で私を見張り、もう一人の騎士は騎乗したまま。
別に逃げるつもりはない。私が逃げたら、弟クレオの西方教会入りが台無しになってしまうかもしれないもの。
馬車の馬が水を飲んでいる小川の下流側に行って靴を脱ぎ、足を浸す。
冷たくて気持ちいい。でも、やっぱり水の精霊の気配を感じない。
本当にいろんなものを失ったのだと、今さら実感する。
私はどこから間違えたのだろう。
ローズの提案を拒んだあの屋上?
彼女を貶めると決意したあのとき?
リアムと出会った教会?
それとも、あの孤児院からだったのかな。
ガーネット子爵に会う前にあの孤児院から逃げ出していれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
* * * *
「あーお姫様になりたい」
洗濯物を干しながら、親友のマリーがいい加減聞き飽きたことを言う。
「何度も言ってるけど、孤児がお姫様になれるわけないじゃない。私たちもう十二歳なんだから、現実を見ないと」
「ほんとつまんないよねー、アンって。夢がないというか」
「ここを出るまであと三か月もないんだから、夢なんて見てる暇はないよ。さっさと手を動かして。早く終わらせないと私まで院長先生に叱られるんだから」
「はいはい」
二人で手早く洗濯物を干していく。
もう手慣れたものだ。
「じゃあ現実的な話をするとー、私は貴族の愛人になりたい!」
マリーが満面の笑顔でそんなことを言う。
「愛人って……」
「別に愛人じゃなくてもいいんだけど。たまーに貴族が子供を引き取っていくじゃない? 愛人でもお嬢様の遊び相手でもなんでもいいから、今よりいい生活をしたいな」
「まあそうだね」
「なんてね。もう三か月もないもん、時間切れだよね。現実はここを出たら私は酒場の下働き、あんたは劇団の下働きだもん。あーやだやだ」
「仕事が見つかっただけましだよ。それより、ここを出てもたまには会おうね」
「うん、もちろん!」
マリーには現実を見ろなんて言っていたけど、実は私はひそかに夢を見ていた。
いつか舞台女優になって、人気者になってみたいと。
たくさんの人に愛されるってどんな気分だろう。人気者になったら、きっと素敵な男性とも出会えるはず。心から愛し愛されるってどんな気持ちだろう。
自分とは無縁だった愛というものに抱いたそんな憧れと幻想が、心の支えになっていた。
私が院長室に呼び出されたのは、それから数日後のことだった。
そこで貴族が私を引き取りたいと申し出ていると知らされた。
愛人にされるのでは? という恐怖があったけど、貴族の申し出を断れるわけがない。
院長室から出ると、そこには険しい顔のマリーがいた。
「ふーん、あんた貴族に引き取られるんだ? たしかに顔はかわいいし、珍しいきれいな髪色だもんね」
「マリー」
「なんであんただけ……」
マリーが背を向けて部屋に駆け込む。それが彼女との最後の会話で、彼女は見送りにも来なかった。
ショックだったというよりも、親友なんてこんなものかと、ひどく冷めた気持ちになったのを憶えている。
結局自分だけが大事で、他人の成功なんて妬ましいだけなのだと。
ガーネット子爵邸に到着し、案内された部屋で子爵を……正確には子爵の髪色を見たとき、不安がかすかな期待に変わった。
今まで自分以外に見たことがなかった、ストロベリーブロンドの髪。
「あの平民女によく似ている。そういえばあの女は私の子を宿したと訪ねてきたんだったな。誰の子かわかったものではないから追い返したが……本当に私の子だったか」
冷たい声に、その期待は消え去る。
子爵の言葉で、自分の出自を知った。
「お前は精霊術を使えるな?」
「精霊術……?」
「自然の中に存在する精霊に働きかける力だ。使えるだろう」
なんとなく秘密にしてきた、でも一度だけ院長先生に見られてしまった「秘密の魔法の力」。
確信を持っている様子から誤魔化しは通じないと思い、うなずいた。
それからは部屋を与えられ、私と同じく精霊術を使える子供と一緒に自立支援という名のもとに色々なことを学んだ。
子爵の娘なら愛人にされることはないし、日々の生活に自由はないけど将来的に自立させてくれるならありがたい。
そう思って一生懸命学んでいたある日、私と同い年くらいの女の子が地下にある私の部屋を訪ねてきた。
私と同じ髪色に、私よりもやや赤みの強い茶色の瞳。顔立ちも少しだけ似ている気がする。
「あなた……お父様の子なのよね? 偶然聞いてしまったの」
お父様の子ということは、その子は子爵の娘。服装から見て、自分のような婚外子ではなく「お嬢様」なのだろうと思った。
決まった時間に監視つきで裏庭に出られる以外はずっと地下にいるから、初めて彼女を目にした。
疎まれるのかと思ったけど、アンジェラと名乗ったそのお嬢様は「私には弟がいるけど、姉か妹も欲しかったの!」と喜んでくれた。
その後も周囲の目を盗んで度々訪ねてくれたアンジェラと、すぐに仲良くなった。彼女の弟クレオも無邪気に私を慕ってくれた。
二人とも自由に外出できないから、友達も作れずきっと寂しかったのだろうと思う。
アンジェラとクレオと過ごす時間は楽しくて、幸せだと初めて思えた。
けれどそんな日は長くは続かず、ある日青ざめた顔をしたアンジェラが訪ねてきて「ここから逃げて。お父様は異常よ」と言った。
聞けば、アンジェラは子爵に「おぞましいもの」を体に埋め込まれたのだという。
そしてそのおぞましいものから身を守るために、私や他の精霊術師に害になるものを押しつけなければならないと。
アンジェラの協力のもと、一度は逃亡を図ったけれど、見つかってひどい折檻を受けて終わった。
日に日に様子がおかしくなっていくアンジェラ。イライラしたりぼーっとしたりすることが増えていき、私を訪ねてくることもなくなった。
そうしてある日、クレオが泣きながら私を訪ねてきた。
アンジェラ姉上が亡くなった、葬儀すらしないままどこかに密かに埋められてしまったと。父に愚かなことはやめるよう言いながら亡くなったのだという。
そして「大好きな私の妹、アン。なんとかここから逃げて、あなたには幸せになってほしい」という私への伝言を聞いたとき、涙があふれて止まらなくなり、クレオと抱き合っていつまでも泣いていた。
それから何日後だったか。食事をとった私は意識を失い、気づいたときには私の体の中におぞましいもの――闇の星獣の卵が埋め込まれていた。
ぞわぞわと体の中で何かがうごめくような不快な感覚に耐えられず、お願いだから取り出してと泣き叫ぶ私に、子爵は「お前が今日からアンジェラだ」と言い放った。
逃げることすらできない私に、拒否権なんてあるわけがない。
亡くなったアンジェラの部屋に移され、貴族としての知識や教養を叩き込まれた。
アンジェラは最後まで拒否していたけど、私は闇の残滓を他の子供に押しつけた。
だって彼女のように一年も経たないうちに死にたくなかったから。私は天使のような彼女とは違うから。
押しつけたところでその相手が死ぬわけじゃない。そう自分に言い聞かせて罪悪感に蓋をし、厳しい教育の日々を必死に耐えた。
その「教育」には、ルビーノ公爵令嬢ローゼリアを入学後に貶めるというものも含まれていた。
彼女がいかに恵まれているか、私と違ってどれほどのんきに幸せを享受してきたか、嫌というほど聞かされた。
「お前がローゼリアの評判を徹底的に落として修道院にでも追いやれば、特殊な方法を使って体から闇の卵を取り出し、自由にしてやる。望むなら貴族に嫁がせてやってもいい。なにも殺せと言っているわけじゃないんだ。悪い話ではないだろう?」
逆らうことは許されないから「わかりました」と言ったけど、気乗りしなかった。
アンジェラを殺したも同然の男に従いたくないし、信用もできない。
しかも、ルビーノ公爵令嬢を貶めたい理由というのが、子爵の横恋慕の末の失恋だというのがこの上なく馬鹿馬鹿しい。
子爵の曽祖父の代からの恨みだとは言っていたけど、あの男はルビーノ公爵と公爵夫人の話になると冷静さを失ってペラペラしゃべるから、わかりやすすぎる。
そんなことのために……あの子は死んだなんて。
こんなくだらない男の言うとおりになんてしたくない。でも、死にたくない。
どうしたものか決めかねていたある日、頑張っている褒美にと外出が許された。
飴と鞭と言うには鞭が多いけど、たまには飴も与えられる。遠巻きに監視役がついてきているとはいえ、街への外出は楽しかった。
そこでふと目に入った廃教会。アンジェラは今、神の御許で安らいでいるのだろうかという思いが胸をよぎり、そこへと足を踏み入れた。
手入れされていない、埃まみれの教会の内部には誰もおらず、それでも正面の神の像だけは神々しさを保っていた。
長椅子に座り、墓も作ってもらえずその死すらなかったことにされた、ほんのふた月だけ年上の姉のために祈る。
どうか安らかに。あなたが私の幸せを願ってくれていたのなら、私は「アンジェラ」として幸せに生きてみせる、と。
そのとき、背後で扉を開ける音がした。
振り返ると、そこに立っていたのは同じ年頃の黒髪の男の子だった。
誰もいないと思っていたのか、少し驚いた顔をしている。
宝石のような紫の瞳ときれいに整ったその顔に、なぜかドキドキした。
その彼が、私にそっと近づいて無言でハンカチを差し出してくる。
自分が涙を流していたことに気づき、あわてて涙を拭いた。
そこでふと「紫の瞳を持つのはアメイシス家の中でも魔力が強い者だけ」と習ったことを思い出す。
「……アメイシス公爵家の方に失礼いたしました」
「いや……俺が勝手にあとから来ただけだから」
少しぶっきらぼうな物言いだったけど、声音は優しかったので怖くはなかった。
差し出されたままのハンカチを受け取らないわけにはいかず、おずおずと手に取ると彼は「じゃあ」と去っていった。




