番外編 もう二度と(後編)
ルビーノ家に招待されたのは、それから間もなくのことだった。
応接室に通され、公爵が出迎えてくれる。
夫人の姿はない。おそらく寝込んでいるのだろう。
「わざわざ呼び出してすまないね。本来ならこちらからアメイシス家に伺うべきところだが、込み入った話になるので少々都合が悪く……」
「いいえ、お気になさらないでください」
勧められるままソファに掛けると、公爵が向かいの席に座った。
込み入った話とはなんだろう。
婚約にかかわることかとも思ったが、今さらだし何より父上がいないところで話すことはないだろう。
紅茶を運んできた執事がいなくなると、室内は静まり返った。
公爵は、なかなか話を切り出さない。
俺は一口紅茶を飲み、口を開いた。
「……申し訳ありませんでした」
「! なぜ君が謝るんだ」
「僕は……ローゼリアの傍を離れるべきではありませんでした。僕が飛び入学などせず彼女の傍にいれば、こんなことには」
「待ってくれ。それは違う。君には君の目指すところがあるだろうし、そもそも君を遠ざけたのはローゼリアだったと聞いている。どうか気に病まないでほしい」
「……」
「それを言うなら、家族である私たちがもっとローゼリアを気にかけるべきだった。つらいことなどないという娘の言葉を真に受けず、学園内のことを詳しく調べて無理にでも学園を辞めさせていればと何度も後悔した。いずれにしろ、君は何も悪くないんだ」
「……ありがとうございます」
公爵の言葉に、喉の奥が苦しくなる。
婚約者候補なのに何をやっていたんだと責められることも覚悟して来たが、こんな温かい言葉をかけてもらえるとは。
だが、それで俺の中の後悔が薄れることはない。
「ところで今日は、僕に何か御用があって招待してくださったのでしょうか」
「……」
公爵が複雑な顔で口をつぐむ。
とそこでノックの音が響いて、アイザック卿が入室してきた。
手には布に包まれた何かを持っている。
「来てくれてありがとう、リアム」
「お久しぶりです、アイザック卿」
「ああ、葬儀以来だね」
公爵も彼も、ひどく顔色が悪い。
俺が遊びに来ていた頃の笑顔の絶えない明るい家族は見る影もなく、胸が痛む。
「今日は君に……お願いがあって来てもらったんだ」
「なんでしょう」
アイザック卿が布を解き、手に持っていたものをテーブルの上にそっと載せる。
それは砂時計だった。
金と青い宝石で装飾された、ギリギリ片手で持てるほどの大きさの美しい砂時計。砂は虹色に輝いていた。
「これは?」
「……女神の砂時計だ」
公爵が答える。
「女神の聖遺物ですか!?」
「ああ」
「いったいどこから入手を」
「……すまないが、それは言えない」
「……わかりました。それで、どういうものなのでしょうか」
「時を、戻すことができるんだ」
今度はアイザック卿が答える。
「時を……!?」
心臓が早鐘を打つ。
二人が、俺を呼び出しこれを見せた理由。
たしか女神の聖遺物は魔術系統の魔力に反応すると聞いたことがある。
そして、大きな効果をもたらすものほど、強力な魔力を必要とすると。
公爵が立ち上がり、俺の傍に来て片膝をついて頭を下げた。アイザック卿もそれに倣う。
「……どうか。どうか……その砂時計を使って時を戻してはくれないだろうか」
俺も慌てて立ち上がる。
「お二人とも、立ってください。こんなことをなさる必要はありません」
そう言っても、二人とも膝をついて頭を下げたまま。
ルビーノ公爵と次期公爵、さらには星獣の契約者である二人が、庶子にすぎない俺にここまでするとは。
「君を婚約者候補などという中途半端な扱いをした私が、こんなことを頼めた義理ではないとわかっている。だが、私たちはローゼリアをどうしても諦めることができない。それがどれほど身勝手な願いだとしても」
「僕たちの魔力は魔術系統とは異なっていて、砂時計を起動させることはできない。起動させるにはかなりの魔力を必要とするが、魔力量でいけば現アメイシス公爵よりも君の方がはるかに上だ。だから……」
「やります。僕が、時を戻します」
即答する俺に、二人が顔を上げる。
「婚約者候補の件は何も気にしないでください。貴族、ましてや四大公爵家の婚約なのですから、気持ちだけでどうこうできるものではないとわかっています。それよりも、こんなチャンスを僕に与えてくださってありがとうございます。是非やらせてください」
「とてもありがたい話だが、まずは砂時計について知った上で判断してほしい。リスクもある」
アイザック卿が冷静に言う。
「どんなことでしょうか」
「成功すれば、君は記憶を持ったまま過去に戻る。通常、それができるのは術者だけだが、死者の魂なら巻き込むことができるそうだ」
「じゃあローゼリアも記憶を持ったまま過去に戻せるということですね」
「そういうことになる。そしてそれが成功した時点で、今のこの世界線は“なかったこと”になるらしい。確かめようはないが、まさに時間が巻き戻るということなんだろう」
「リスクというのは?」
「記憶を持ったまま過去に戻るというのは、魂の一部を過去へと送るということらしい。術者が過去への扉を開くことができれば、扉をくぐった魂の欠片は過去の自分と融合する。だが、失敗したら魂の一部が抜け落ちた状態、つまり完全な記憶喪失になった君がこの世界に残る。人格すら保てるかどうか……」
申し訳なさそうに告げられたが、俺はあの日以降初めて笑みを浮かべた。
「記憶喪失。いいじゃないですか。ローゼリアを喪って後悔しかない人生ですから、時間を戻せないのなら全部忘れてしまったほうが幸せです」
「こちらから頼んでおいてこんなことを言うのは失礼だが、君には未来がある。アメイシス公爵になれる可能性も少なくないというのに」
公爵の言葉に、俺は首を振る。
「僕が公爵になりたかったのは、ローゼリアがいたからです。その彼女がいないのなら、何の意味もありません」
「……君はそんなにも、ローゼリアのことを思っていてくれたのだな」
そう言う公爵の声は震えてて、俺が「はい」と答えると、公爵はついに涙を流した。
俺が引き受けたことで気が緩んだのだろう。葬儀の時ですら涙を見せなかった公爵が、嗚咽を押し殺しながら跪いたまま泣いている。
アイザック卿も目元を覆った。
ローゼリア。
君にはこんなにも思ってくれる家族がいるんだ。
君はこんなに早く死んでいい人間じゃない。
だから。
「絶対に成功させます。他でもない、俺自身のために」
初恋の情熱とは違っていても、やはり俺にとって大事なのはローゼリアだけだったのだとあらためて気づいた。
自分の人生を懸けたいと思える相手は、彼女だけだった。
取り戻す、絶対に。
そうして俺は、時を戻すことに成功した。
それを確信したとき、真っ先にルビーノ邸へと向かった。
先ぶれもなく勢いで来てしまったのでどうしたものか迷っていると、偶然馬車が門から出てくるところだった。
馬車の窓からちらりと見えた、まだ少しあどけなさの残るローゼリア。
涙が一筋、俺の頬を伝った。
もう、間違えない。
前回はローゼリアの気持ちに寄り添おうとせず、彼女の心を閉ざしてしまった。
だから、今回はどんな時でも彼女の味方でいよう。
他人の感情に疎い俺だが、できるだけ彼女を理解するようにしよう。
アメイシス公爵になるのは二の次だ。
もう二度と――君を死なせはしない。




