番外編 もう二度と(前編)
リアム視点で回帰前のお話
暗いです
鈍色の空の下、俺は白い花束を手に重い足取りで貴族街の端にあるその場所へと向かう。
黒い服を身にまとった俺は、きっと陰鬱な顔をしているだろう。
ふと見上げると白い鳩が何羽も学園のほうから飛んできて、花束を握る手に力が入る。今日は入学式の日だということに今気づいた。
もう何度目かもわからない、激しい後悔が頭の中に広がっていく。
二年前の今日。
あの入学式の日に、戻ることができたなら――。
***************
何年かぶりに見たローゼリアは、とても綺麗になっていた。
以前よりも伸びた鮮やかな赤い髪に、以前と変わらないエメラルドのような瞳。
少女と大人の女性の中間のような魅惑的な美しさを持つ彼女に、胸が高鳴ったのを憶えている。
入学後、ローゼリアとは幼馴染という感じでそれなりに話したが、必要以上に近づくことは避けていた。
もし俺が公爵になれずに婚約話が流れた場合、学園で俺と親しかったという事実があれば彼女の縁談の妨げになると思ったから。
その判断がすでに間違いだった。
夏休み明けくらいから、急に彼女の悪い噂を聞くようになった。
ルビーノ公爵令嬢を直接的に虐げるような人間はいなかったとはいえ、彼女はアンジェラといるとき以外は居心地が悪そうだった。
探ってみると、どうもアンジェラが怪しい。
だから、ローゼリアに何度か忠告した。アンジェラと距離を置いた方がいい、悪い噂の原因はおそらくアンジェラだと。
だが彼女は怒り、俺を避けるようになってしまった。
幼馴染とはいえ入学後あまり交流がなかった俺と、ずっと一緒にいて唯一彼女の“味方”だったアンジェラ。
どちらを信用するかは、少し考えればわかることだ。言い方が直接的すぎたとまた後悔する。
彼女と仲直りしようとしても、彼女は俺を避けるばかり。
思春期とはいえローゼリアはこんなに頑固でピリピリした性格だったろうかという疑問がわく。
その後どうやっても彼女の心の壁を取り払うことができず――俺はアメイシス公爵という地位に少しでも近づくべく、学園の二年生にならずに学院に飛び入学することを決意した。
もし、彼女が学園生活がつらくて学園を辞めたいと思ったとして。
彼女の家は裕福だし、学園を辞めたところで生活に困ることはまったくないだろう。
だが、社交界にも直結する学園をトラブルで辞めるということは……いや、たとえ辞めなくても悪い噂が学園内で蔓延するということは、社交界での立場が非常に厳しくなるということを意味している。
貴族の、特に女性にとってはつらい事態だ。今はルビーノ公爵令嬢という地位があるが、いつまでも令嬢でいられるわけじゃない。
だから、アメイシス公爵になろうと思った。
四大公爵家の次期当主の婚約者、ひいては未来の公爵夫人ともなれば、少なくとも表立って侮る人間はいなくなる。
俺が彼女のためにしてやれることは、もうそれくらいしか残っていないと思っていた。
初恋の頃と同じほどの情熱があったわけじゃない。だが彼女のことはやはり好きだし、とても感謝している。
だから、どうにかして彼女のために確たる立場を用意し、いざというときの彼女の逃げ道になりたかった。
アメイシス家は「知のトパーゼ」や「剣のサファイエル」と同じく、より優れた子供を次期当主とする傾向がある。
だから第二子で庶子とはいえ俺にもじゅうぶんチャンスがあることはわかっていた。
ただ父上は、能力や性格において俺の方が次期公爵にふさわしいと思いつつも、夫人や兄上への罪悪感からなかなか決断できないでいたことを知っている。
それでも、より優秀なところを見せれば、やはり俺を次期公爵にという思いが強くなるかもしれない。
そう思って寝食も忘れるほど勉強に没頭し、剣術にも励み、魔術を磨いた。
そのすべては、あの日、無意味なものになった。
父上からの知らせを受け、馬で王立病院へと向かう。
廊下でアンジェラとすれ違った気がするが、どうでもよかった。
ノックもせずに病室に飛び込んだ俺の目に映ったのは、全身を包帯で巻かれ、今にもこと切れようとしている彼女。
「ローゼリア!」
名を呼ぶと、彼女の指がわずかに動く。
もう一度声をかけようとしたそのとき、彼女はうっすらと開いていた目を閉じ――そして二度と目を開けなかった。
「いやああぁぁー!」
夫人が叫んで気を失い、ルビーノ公爵が慌てて支える。
アイザック卿は崩れ落ちて膝をつき、ベッドに突っ伏して肩を震わせていた。
そこからはもう、記憶が曖昧だ。
葬儀に参列したが、よく憶えていない。
唯一憶えているのは、憔悴した様子ながらも涙を見せず気丈に喪主をつとめた公爵と、すっかりやつれて魂が抜けたようになっていた夫人。
どう行ってどう帰ってきたのかすらよくわからない。
ただ、俺の傍に義母上が寄り添ってくれていた気がする。
***************
過去をなぞりながら歩いていると、いつの間にか目的地に着いていた。
葬儀以降初めて来る……今まで来ることができなかった貴族用の墓地。
その一番奥の繊細な意匠の柵で囲まれた区画に入り、真新しい墓の前に立つ。
花を供え、そこに刻まれた文字を読んだ。
――ローゼリア・ルビーノ ここに眠る
その下にある生没年を見る。
没年から生年を引けば、十七年。十七歳という若さで、ローゼリアの人生は終わった。
俺を救ってくれた彼女に何一つ返せないまま、十七年という短い生涯を絶望の中で終えさせてしまった。
「ごめん……ごめんな、ローゼリア……」
声が震え、喉の奥が苦しくなる。
「何もしてやれなくてごめん。助けてやれなくてごめん。公爵になればなんて考えず、たとえ嫌われていようと君の傍にいるべきだった。先ばかり見ず、君を近くで支え、助けになるべきだったんだ……」
俺の判断がすべて裏目に出た。
見通しが甘すぎた。
俺はなんて馬鹿なんだろう。初恋の少女一人守れずに。
力が抜けて、その場に手と膝をつく。
いくつもの雫が墓を濡らした。
「ごめん……つらかったよな。悔しかったよな。俺があの場にいれば、君をかばえたのに。本当に……本当にすまない……」
どれほど悔やんでも、彼女は帰ってこない。
自分の愚かさを悔いながら、ただ無様に涙を流し続けた。




