薬
…
「…で、出来た。ようやくメモまとめきった……」
「お疲れさん。ほい、飲み物持って来たから飲みな」
「あざましゅ……」
ぷしゅ〜、と口から魂を出すかのように机に突っ伏したミディに労いの言葉をかけ、温かな紅茶が目の前に置かれる。
ギルドマスター、ニーゼンの鼻炎によるメモ取りの待ち時間が運良くあったとはいえ、その仕事の量は膨大で二冊のメモ帳になんとか収まる程であった。
とはいえあのギルドマスターの性格上、メモを取るくらいの時間は待ってくれるのだろうが……あの辛そうな鼻炎で待たせてしまうのは申し訳なかった為に今の今まで殴り書きとも言える物を改めて書きまとめたのだ。
「どれどれ…うへぇ、すげぇびっしりじゃん。相変わらず綺麗に纏められてるから見やすいし分かりやすいけど」
「ありがと…はぁ〜おいし。やっぱり紅茶の淹れ方はセレナの方が上手だなぁ」
「それは光栄でございますお嬢様」
ミディの賛美の言葉に、しゃなりと手を前に傅き、まるで執事のように優雅にセレナが一礼した。
高身長で顔の良いセレナがやるととても様になる。
じとーっとした目で彼女の方を見ながら、ミディは口を開く。
「で、此処ではどれだけの女性を〝落とした〟の?」
「うっ……す、数人……」
びくりと一瞬震えるセレナの後ろの机にはこんもりと乗った手紙とプレゼントであろう小物が見えた。
明らかに数人どころでは無い。桁が一つ違うであろう。
ミディはその友人の至って普通に行っていたであろうイケメン行為によって〝落とされた〟女性を学生時代から数多くしっている。
高身長、高成績、そして男性に負ける事の無い戦闘能力。
それだけの材料が揃っていながら、紳士的な心を持っているのだ、モテないはずが無い。
「まぁ、職場案内の時に見てたから知ってるし、いつもの事だから深く言わないけど。同じくそこに配属された男性職員さんの目が引き攣ってたからなぁ…可哀想に」
「はっはっは、あの後職場仲間の男性にコツを聞かれたよ。……それで……どうなんだい?〝ちょっと好意をもった男〟の側に居た感想は?」
「ごびゅッ!?」
口から吹き出す茶葉を煮出した液体。
げっほげほと苦しそうな声と共に辺りがその濃厚な紅茶の香りで満たされた。
落ち着いていた筈の思考はその爆弾によって乱され、ミディの顔を紅く染める。
「んぬぁわに言ってんのよアンタわぁ!!?」
「あれー?違うの?」
「違うに決まってるでしょ!!」
「そかー違うのかー。おかしーなー、英雄の生まれし場所にあるギルドは他にもあるんだけどなー。おかしーなー、資料の各支部のギルドマスター一覧でじーっと顔写真やらを見てた気がするんだけどなー」
先ほどの執事のような優雅な仕草から一変、ぷぇーと口を尖らせてセレナはあれれーとわざとらしく棒読み口調でそうミディをおちょくった。
その言葉にバタめいていた手を止め、やがてふるふる震えながら小さな声を零す。
「……見てたの?」
「男が苦手な方のアンタがあんだけ資料ガン見してたらねぇ……安心しなよ、知ってるのあたしだけよ。好みなんでしょ?」
セレナの吐息混じりの声に、小さく頷く。
そこまでバレていたとは思わなかったが、どうやら誤魔化しようが無いと観念した。
「あたしが此処に志望したのは〝炎雷流武術〟を本格的に習う為だけど……えへ」
「な、何よその顔は……」
自身がここに来た目的をぽそりと口にした後、にたぁりと口角を上げたセレナにミディは後退りをした。
これはアレである……面白い物を見つけた、悪戯の合図だ。
「そうかそうか!ついにあの魔道具集めが趣味の変人の類いに入るミディたんも好きな人が出来たかぁ!!うしうしうしうしィ!」
「だーっ!抱き寄せるなぁ!頭をわしわしするなぁ!」
長い手足を最大限に活かしたその魔の手から逃れられる筈も無く、まるで小動物のようにミディは愛でられた。
口では拒否の言葉を吐き出すものの、身体にはあまり抵抗の様子は見られない。
それもその筈、こうなったセレナを無闇に止めると分かりやすい程に落ち込み、まるで自身が悪いような罪悪感に駆られるからだった。
「はぁ…時たま来る男性にゴミを見る目線をいつも送ってたのを見ててどうしたもんかと嘆いていたけど…良かった良かった…!」
「むぐぐ!はーなーせぇえええ!!」
セレナの愛玩は数分続いたという。
その叫びを伴う様子に惹きつけられた同期の女性数人がひっそりと興奮していた事を二人は知らない。
もちろんセレナ自体そういう趣味では無いしミディも無い、ただの友人のじゃれ合いなのだが……それこそ誰も知るよしも無い。
…
勤務一日目。
「ミロディアさんおはぶえっくしょーい!」
「ミロディアさんおはよう〜」
「おはようございます。ニーゼンさんは相変わらずですね【秘書】の作業の確認をしたいのですが……」
「えっぶし!ぶえっくし!……ぷきゅん!!」
(ぷきゅん?)
昨日まとめたメモが合ってるかどうかを確認しようと思っていたミディだが、ニーゼンの怒涛の鼻炎《弱体化》に言葉を詰まらせた。
ぷしゅ、と短い音と共にイカついマスクが左右に開くと、ずびび、とちり紙で鼻をかむ。
「そう開くんだ……」
「んえー…ごめんね、今日は一段と酷い日みたわぶっしゅん!!」
ちり紙で鼻を押さえたまま、また一つくしゃみをしたニーゼンの様子にこりゃ無理だなぁと思っていると、ゲーネンが口を開いた。
「今日は大人しく横になってなさい。仕事はミロディアさんと私が何とかするから〜」
「そんなっぷしゅん!それじゃっぷしゅん!ギルドマスターのめいもっぶしゅーん!」
「はいはいお薬飲みましょうね〜」
間伸びしたゲーネンの流すような返答で椅子ごと、まるで車椅子のように隣りの仮眠室へと運ばれていくニーゼン。
バタバタとした音と「あー、僕はギルドマスターだぞぶっしょーい!」と言う悲鳴にも似た声が聞こえる。ごぼぼぼ、と何かの液体の音が聞こえ、しん、と静かになるとゲーネンがにこやかに戻って来た。
「薬飲ませて寝かせたわ〜。さぁ仕事に向かいましょ〜?」
「アッハイ。向カイマショウ……以外トパワフル……」
手をぱんぱんとほろいながら、厄介ごとが終わったかのようにすっきりした顔を浮かべるゲーネン。
恐らく強制的に飲ませ、寝かせたのであろうゲーネンの笑顔に少し顔を強張らせながらミディは返事をした。
あっ、この人は怒らせたらダメな人だ、と頭にそっと刻み込んでは仕事へと取り掛かる事にした。
…
「うしッ!終わりました先輩!」
「おお、早いな、もう目的数終わっちまったか!」
目的である猛獣の角を数十本取り終えたセレナが、先輩である男性に声をかけた。
セレナの実力を見るのも兼ねた、猛獣の角だけを取る依頼。
元々優秀だとは聞いていたがここまで早いとは思っていなかったので驚きの声を上げた。
「なぁに行ってんすか、既に終わって休憩の準備にお湯沸かしてる先輩に言われたくないですよ」
「ははっ、もう少しかかると思ってたからな」
「ところでこれは何に使うんすか?」
「気付けと酔い覚ましの薬になるんだ。なんでも〝飲み過ぎた若い奴〟が出たらしくてな。お前も飲む時は気を付けろよ?」
「へーい。…ミディの奴は今頃何してっかな」
…
「ええッ!?こんな大量の液体が鼻炎の薬なんですか!?」
目の前に置かれた、大きなジョッキ一杯並々に注がれた薄紫色の液体にミディは目を白黒させた。
ギルドマスターの鼻炎の薬の改良…そんな壁にぶち当たった瞬間である。