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ここに来てからおよそ2週間が経った。
それくらい経てば、ここの生活にも慣れ、生活のサイクルも確立する。
そして、自ずとここの雰囲気も分かってくる。
今、巡が生活している場所は本部とはいえ、どうやらこの棟には矛の訓練生と盾の訓練生とその関係者しかいないようだった。
盾の訓練生と矛の訓練生には明らかな違いがあった。
それは双方の訓練生が醸す空気感によるものだ。
だから簡単に見分けることができる。
大勢でいるのが矛の訓練生で、一人で過ごしているのが盾の訓練生だ。
こればかりは母数が違うため仕方ない。何せ、矛は盾の10倍の人数がいるのだから。
ただ、この盾の独特の空気感は人数差のみから来るものではない。そんな気がしていた。
これが顕著になるのが食堂で、矛の訓練生はわいわいとやっている一方、盾の訓練生は端の方でもくもくと食べている。
巡と在業含めて、盾の訓練生は全部で9人といったところか。
9人が1つの机を囲って食事をするということは一切なく、それぞれがそれぞれの席で食事をする。
時折、同じ部の者同士が喋っていることもあるが、矛の訓練生の声にかき消されて内容までは聞こえない。
もう1つ、交流の場を挙げるとすれば、宿泊棟だろう。
こちらは矛と盾とでは宿泊棟が別になっている。
1人部屋ではあるが、収容施設の時よりも互いの部屋の間隔は近い。
そのため、ここでも盾の訓練生と廊下などですれ違うことはある。
が、基本、干渉することはない。
まるで、そこに存在していないものとして扱われているかのようだった。
盾の訓練生たちはそれぞれのパーソナルスペースに侵入することはないのだ。
それがここの暗黙の了解のようであった。
最初、巡もそれに困惑したが、次第に慣れていった。慣れてしまえば、案外、居心地のいいものですらあった。
結局、今、巡が接しているのは星宮と在業の2人だけだ。
と言っても、星宮は忙しいため、毎日、訓練に付き合ってもらえるわけではない。
ちょうど2日に1回のペースだった。
訓練がある日は10時に集合し、星宮と共に異能の扱い方を効率的に学んでいく。
星宮が天才だからか、それとも今までの訓練担当として培ってきた経験からかは分からないが、星宮は巡の異能の力を次々と引き出していった。
一方で、在業とは良き友としての関係を築いていた。
共に食事をし、共に宿泊棟へと帰った。
だが、訓練を共にすることはなかった。
彼は毎回、奥の部屋に誰に言われるわけもなく入っていってしまうからだ。
中で彼が何をしているのかは不明だ。
しかし、彼は異能がまだはっきりと現れていないと言っていた。
それと何か関係があるのだろう。
一度、巡は星宮にそのことについて聞いてみたことがある。
「潤は大丈夫なんでしょうか?」
それは巡にとって3回目の訓練の日だった。
「異能のことを聞いたのか?」
星宮はちらっと奥の部屋の方を見る。
「はい、ここにいられるのもあと1ヶ月しかないのにまだ異能がよく分からないって……」
巡は可能な限り、平静を装って質問する。
「彼なら大丈夫だ」
巡はその続きを期待したが、特に何かが語られることはなかった。
普段ならば、あれほど喋る星宮が口を噤んだ。
「そうですか」
当人の間でしか語れないこともあるのだろう。
それから、巡は在業の異能のことを聞くのをやめた。
それに巡自身も人の心配をできるほどの余裕がなくなってきていた。
訓練がある日は、思いのほか、体力を消耗しているようで、一度眠りにつくと決まって10時ごろまで寝てしまっていた。
それでも疲れが取れていないのか、どうしようもないほどの眠気に襲われて、そのまま二度寝をしてしまうことも少なくなかった。その後、提出するべき書類やら履修するべき科目を大慌てで片付けるわけだが。
訓練が進むにつれて、巡は自身の異能をうまく使いこなせるようになってきていた。
はじめは1秒を2秒に、次に1秒を10秒にといった具合で時間を拡張させていく。
6回の訓練を経て、巡は60倍の拡張を可能とするまでに至っていた。
だが、やはり感覚的にきついものがあった。60分過ごしたと思っても、実際には1分しか経っていないのだから。
辟易してしまう。
そういったものの積み重ねで疲れがたまっているのかもしれないと、そう巡は思った。
そして、今日は7回目となる訓練。時刻は15時を迎えようとしていた。
いつものように巡は星宮の指導のもと、異能を扱う練習をしていた。
「時間ぴったりだ。悪くない出来だ」
疲れ果てた様子の巡に星宮はそう言った。星宮のストップウォッチはちょうど1分を指していた。
たった今、巡は1冊の本を読み終えた。とても1分で読み終えられる量ではない。
そう、巡は1分を120分に拡張させていたのだ。
読み終えてから、ところどころページが破れていることに気が付く。
いくらページを丁寧に捲ったとしても、実際の時間の中では、それは乱暴な行為に変換されてしまう。
星宮は、巡が時間を拡張させている間に様々なことをさせた。
歩く、走る、読む、観る、殴る、蹴る。
今までは歩くことで秒数を数えていたが、実戦ではそうはいかない。
歩くことに頼らずとも時間の拡張を行えるようにということだろう。
異形との戦いではより複雑な動きを必要とするだろう。
その中でも、時間への意識を途切れさせてはいけない。
時間の感覚をこれでもかというほど体に染み込ませる。
どんな時も、どんな精密な時計よりも、正確に時を刻む。
巡は、この2週間、ひたすらそれを行ってきた。
この苦痛を想像するのは難しいが、巡の表情がその過酷さを物語っていた。
深呼吸をする巡の肩に星宮は手を置く。
「休憩したらもう1セット行こう。次は5分を10時間だ」
この男、なかなかのスパルタであった。
◆◆◆◆
無限とも思えるような訓練を終え、巡は在業と共に部屋に向かっていた。
在業が何か話しているのを巡は上の空で聞いていた。
在業の言葉が何も頭に入ってこない。
聞こうとしても、耳鳴りがしているかのように言葉がよく聞こえない。
「大丈夫?」
急に鮮明に声が聞こえてきた。
巡は頭を振って、意識を戻す。
数歩先から在業は心配そうな目で巡に問いかけていた。
「ちょっときついかも……」
巡は元気なさげな笑みを浮かべて答えた。
開いた距離を埋めようと巡は足を踏み出す。
だが、その足取りはぎこちなかった。
「本当に大丈夫? 医務室に行った方がいいんじゃない」
在業は一歩こちらに駆け寄りそう言った。
そんなに顔色が悪かったのだろうか。在業は本気で心配しているようだった。
「そんな大袈裟なことじゃ……」
これ以上、心配させまいと巡は足に力を入れた。
その時だった。
足元がぐらりと揺れた。
そこだけ大地が急に割れたのかと思えるほどだった。
世界が揺らぐ。在業の姿が視界から消える。
次の瞬間、体全体に衝撃が走る。
巡は自分が倒れたことにようやく気が付く。
(全然、大丈夫だよ)
そう言おうとした。
だが、言葉を発せられていなかった。
口が痺れているかのように、何も言うことができなかった。
(あれ、おかしいな)
巡は起き上がろうと試みる。
が、体が動かない。
手も足も、自分のものじゃないかのようにだらしなく床に投げ出されていた。
それが見えたのも一瞬で、すぐに何も見えなくなった。
暗闇が広がった。
誰かが耳元で叫んでいるのが聞こえる。体も揺さぶられる。
それも聞こえなくなった。分からなくなった。
自分という存在を認識できなくなっていた。
考えることもできなくなった巡が最後に感じられたのは、頬に伝わる寒々とした廊下の床だった。
それもすぐに感じなくなった。
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