変わっていると言われませんか?
●お申し出内容を教えてください
「長野さん!」
背後から緊急性の高い事を僕の名前で知らせる声がした。振り向くと一人の女性社員が電話の子機を持ったまま眉尻を下げて立っていた。
「お客さんが店長に代われってお怒りで…。対応変わって頂けますか?」
心で小さくため息をついた。電話が保留状態だった事もあり一先ず「簡単に申し出内容教えて」と聞いた。
その社員はハッとした表情を浮かべ、「なんか…」を前置きにお客さんとのやりとりを蛇行運転な説明でしてくれた。どうやら電話に出て否や、怒り口調で「そちらで購入したシューズありゃ、ダメだ」と言われたものだから、咄嗟に「…はい」と返答してしまったところ、「はい?ふざけるな。どんな教育を受けているんだ」とさらに着火。主旨がズレたクレームになっているとの事だった。
「そうか、まずは落ち着いて謝罪。その後に詳細を聞けたら良かったね。」
「はい。申し訳ありません。」
「次から注意してもらえれば大丈夫。切り替えて」
と小さくフォローを入れながら、電話の子機を引き受けた。既にこの時点で数分は経っていた。
「お待たせしており、大変申し訳ございません。お電話代わりました、店長の長野と申します。」
電話口では五秒程沈黙があった。透かさず、
「最初に対応させて頂いた社員の教育が行き届いておらず、お客様に大変ご不快な思いをさせてしまっております。代わって謝罪申し上げます。」と沈黙を埋めた。
僕はゆとり世代で大学へは行かずに2年間の専門学校へ行き、20歳から現在のスポーツの会社に入社。外勤社員として5年目になった時、渋谷にある今のスポーツショップの雇われ店長になった。現在店長歴三年目だが正直ここまでトントン拍子で、僕からしたら接客マナーはさっきの社員と同等。いや、さっきの社員は名のある大学を卒業してきているから、それ以下か…。ってぐらいのマナーしかない自負がある。正直『どういう教育しているんだ』と聞かれたら、平謝りする事しかできない。こういう経験は今までも何回かあったが、いつまで経っても慣れないものだ。
60代ぐらいの男性の声をお店の受話器がキャッチした。
「…何分待たせるんだ」
「申し訳ございません」
「何が申し訳ないんだ」
「長らくお待ち頂いてしまった事をまずは、謝罪いたしました。」
「俺は、何分待たせるんだ。と聞いている」
一瞬返答に困ったが幸いにも保留時間が電話機に表示されていた為
「5分程になりますか…申し訳ございません」
「『程』と言うのが気に入らない、何分何秒か言え」
ドン引きだった。こういうお客さんは、こちらを困らす事しか考えてないから手が付けられない。
「5分13秒になります」
秒数は大体で答えた。
「違う。5分38秒だ」
しょうがなしに「失礼致しました」と謝罪した。
「お前達の部署はなんて部署だ」
と続けて溜息を漏らしながら言ってきた。
「店舗販売部になります」
「それはどんな部署だ」
「お客様を最前線に考え、商品の提供をさせて頂く部署になります」
「最前線とはなんだ」
この人はあーいえばこーいうタイプで上げ足を取りに来ているのがわかった。このラリーの打ち合いが四十分程続いた時、おっさんはこう言った。
「…お前じゃ話ならない、お前より上の奴をだせ」
イレギュラーでない限り店長より上へ極力流さないと言うのが会社のルールだった。しかし、正直こちらも長いラリーで正気を失いかけていたので、マネージャーへ流す事にした。
「承知いたしました。私の上長は店舗勤務ではない為一度連絡を取り、改めてお客様へご連絡を差し上げます。ですので、大変恐れ多いのですがお客様のお名前とご連絡先のお伺いさえて頂いても宜しいでしょうか?」
店舗の電話は履歴が残せない電話だった。
「信用の無いところに個人情報は預けられないな。それに、どうせ電話を切って折り返さない作戦なのは見え見えだ。繋いだ状態で構わないから今すぐ連絡しろ」
電話は一台しかないのでその事を伝えた途端切られてしまった。
この事はマネージャーに伝えた。マネージャーも元々店舗勤務だった事もありすぐに理解してもらえた。
「そういう方は、折り返し無いかもねー」
と最後に言って報告の電話は終わった。一先ず連絡先がわからないのでじじぃの折り返しを待つ事にした。
30分程で店舗に連絡が入った。大阪の店舗からだった。
「長野店長、ちょっと前に商品の不良に関して問い合わせってありましたか?」
え、が思わず声で漏れてしまった。
「30分程前に申し出を受けましたが、お客様情報を聞く前に電話が切れてしまいその後は折り返し待ち状態でした。そちらに電話がありましたか?」
「ええ、『渋谷店の店長から折り返し連絡があると言われたが全く来ない。折り返し掛けさせろ』との事でした」
あのじじぃ…こっちに電話しろや。という気持ちは抑え、
「そうですか。大阪店に入り電あったのですね。お騒がせしております。お客様情報って伺えましたか?」
どうせ同じ様に情報は聞けなかったのだろうなと思いながら聞いてみた。
「はい、タマキ様という方で、連絡先が090の…」
少しだけ言葉が詰まったが、
「あ、ありがとうございます。こちらから改めてご連絡いたしますね。」
と電話を切った。タマキが大阪店に連絡先を教えた事よりも、大阪店が短時間でタマキから連絡先を聞けた事に店長として恥ずかしくなった。
大阪店からもらったタマキの連絡先に電話をかけた。プルル…と5コール目で留守電に繋がった。メッセージを残し数分後改めてかけたが、また留守電に繋がった。首を傾げながら電話を切った。その後、折り返しであろう電話が鳴った。電話を取ると、またも大阪店からだった。
「先ほどのタマキ様からまた入電があり『渋谷の奴はいつまで待たせるんだ』とかなり興奮状態でした、折り返しってまだされてないのですか?」
頭の中はハテナ状態だった。改めてタマキも連絡先を確認したが相違はなかった。
大阪店との電話を切り、すぐのタマキにかけた。すると4コール目で
「おい、いい加減にしろよ!いつまで待たせるんだ!」
とタマキが電話に出た途端に吠えた。
「申し訳ございません。2回ほどお掛けして留守電にもメッセージを残したのですが…」
タマキは、ご立腹状態のまま
「は?かかってきてねーぞ?わかった。今留守電みてやるよ…。履歴にすら無いじゃねーか」
同じ電話番号にかけて今繋がっている時点で連絡先の間違いはなかった。僕はこの時点で”さっさと本題にいきたい”という精神状態になった。
「そうでしたか、申し訳ございません。お時間取らせてしまっている為、すぐにお客様のご要望をお受けいたしますので、お伺いしても宜しいでしょうか?」
こんな奴に下手に出なきゃいけないこの職業が本当に嫌になる。
「その前に待たせられた分の電話代をよこせ」
とタマキが要求してきた。当然会社のルール上それはできない為お断りをしようとしたが、これまでの事を踏まえるとまた脱線すると思った。
「…お客様、申し訳ございません。お電話が遠い様でもう一度お伺いしてもよろしいでしょうか?」
僕はトボケるという虚構に出た。タマキは先ほどの要求と同じ事を伝えてきた。
「電話?あ、通話時間でしょうか?現在3分11秒です」
タマキはこのトボけに対して
「は?なんだって?」
と怒りから困惑状態になったのがわかった。僕はこの虚構を続けた。
「申し訳ございません。回線の状況が良くないのか、聞き取りづらくなっております」
するとタマキが呆れたのか
「もういいや、とりあえずシューズの…い、今聞こえてるか?」
僕は、キタッ!と思い、脱線させないようにした。
「あ、今安定したみたいで、聞こえております。シューズなにか不具合ありましたでしょうか?」
タマキはクレーム内容を僕に伝えた。
「シューズを防水と聞いてい買ったが水が靴に入ってくる。これはすごくがっかりした。返品したい」
ここからは、会社のオペレーション通りに進めた。商品が不良かどうかをまず確認する為にタマキには、来店するか配送してもらうかを聞き、来店を希望した為いつ頃来店するか続けて聞いた。
「2ヶ月後には行く」タマキは言い一旦この件が終了した。それから1年が経つがタマキの来店は未だにない。