お姉様の帰還
午後9時。学院のある駅に着いた僕は、車で迎えに来てもらう為、学院に連絡をした
外出を許される時間は午後10時まで。これを過ぎると、処罰を降される。本当にギリギリだ
車を待つ間、駅の中にある喫茶店に入って温かいレモンティーとケーキを頼む。時間が遅いからか、わりと広い店内なのにお客さんは僕しかいない
「お待たせしました」
「ありがとう」
渋い大人の店員さんが持って来てくれたチーズケーキを、ナイフで小さく切って一口。うん、美味しい
「…………ふぅ」
IDカードの偽造。普通に犯罪だ
そしてそれだけじゃなく、いずれもう一つの犯罪を犯さなくてはならない。出来ればそんな事態にならなければ良いけれど……
「……ごちそうさま」
紅茶も飲みきったところで、そろそろ車が来てもいい時間。外で待っていよう
店を出ると、ちょうど車が一台近付いて来た。学院指定の車で黒塗りのロールスロイス、相変わらず高そう
軽く手を挙げると車は僕の前で止まり、運転席から女性が降りてくる
「お待たせしました美里様」
「ご苦労様です、四海さん」
四海さんは学院付き運転手の一人で、僕を担当してくれている。安全運転第一の人だから、学院での信頼も高い
「お荷物お預かりします」
「はい、お願いします」
荷物を任せて、開けてもらった後部ドアから車に乗ってシートベルトを付ける。このフカフカな座席は、何度乗っても慣れることが無い
「美里様、何かお飲みになりますか?」
運転席に座った四海さんが、優しく微笑みながら聞いた。僕より少し歳上なぐらいだと思うのに、凄く落ち着いた人だと思う
「美里様?」
「あ、ごめんなさい。飲み物はいりません、ありがとうございます」
少し、ぼうっとしてしまった
「それでは出発致します。到着予定時間は9時45分となります」
車はゆっくりと発車し、学院のある山へと向かう。走っているのを忘れてしまうほど運転は静かで、気を緩めると眠ってしまいそうになる
寮に帰ったらお風呂に入って、夕凪の報告を受けたら直ぐに寝てしまおう。お土産を渡すのは明日だ
「……はぁ」
ほんと、つかの間の休暇だったな。せめてもの救いは、一人部屋ってことだね
これからまた始まる女装生活にウンザリしていると、車が止まった。まだ山の中間地点で、学院へは少し距離がある
「四海さん?」
「申し訳ございません、美里様。前方に妙な人影が見えた気がしましたので、一時停車させて頂きました」
「なるほど」
フロントガラスを覗き込み、目を凝らす。辺りは真っ暗でよく見えないが、少なくとも近くに人の気配は無い
「……気のせいだったようです。申し訳ございません」
「いえ。学院に忍び込もうとする方も多いらしいですし、そういった方かもしれません。林の中に隠れてしまったのではないでしょうか?」
四海さんは妙な、と言った。その表現を使ったからには気のせいではなく、何かを見たのだろう
「学院の警備部の方に報告致します」
車を再発車させながら、四海さんは無線で学院に一連の出来事を報告する
この程度の事でわざわざ報告をするなんて、大袈裟だと思われるかもしれない。けれど、私有地であるこの山に学院関係者以外の人がいたとしたら、それは極めて不自然であり警戒すべき事なのだ
何故かと言うと普通この山に一般の人が入ろうとすると、山の麓にある監視カメラによって発見されて、強い警告を受ける。それでも入ろうとしたら、即座に警備の人がやって来て拘束されてしまう
それだけ人の出入りに厳しい山に知らない人が入っていたとしたら、それは迷い込んだと言う類いのものではなく、特別な方法を使って忍び込んだと見るのが自然だ。そんな人は、学院に何らかの悪意を持っている可能性が高い
「直ぐに警備の者を派遣するそうです」
「そうですか」
学院の警備部は、常時30人待機させており、その人数は5つのチームに分かれて行動している。学院の外の見廻りはCとDのチームが行っており、特にDは山狩りを得意とするチームだ
「それでしたら安心ですね」
「お騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした。……こちら四海です、今より30秒後、門の前に着きますので開門をお願いします」
四海さんは再び無線で会話をした後、言った通りの30秒ぴったりで門の前に着いた。凄い
「到着致しました」
車は警備室の横に止まり、四海さんは素早く降りた。僕も降りたいけれど、ドアを開けてくれるまで待たなくてはいけない
「どうぞ」
「ありがとうございます。それでは」
開けてくれたドアから降り、会話もそこそこに寮へ向かって歩く
学院のルールの一つで、仕事中、余計な事や会話をしてはいけないと言うものがある。四海さんは自分にとても厳しい人なので、変に話し掛けたりすると迷惑になってしまう
「荷物は後ほど美里様のお部屋にお届けします」
「はい、よろしくお願いします」
荷物ぐらいは自分で運びたいけれどね