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雨と涙

その日は朝から雨が降っていた――。


雨は嫌い。特に梅雨入りが発表された後の雨は、気分を憂鬱にさせる


僕は教室の窓からシトシト降る雨を見つめ、軽くため息をついた


「どうかしたのかに? 美里」


そんな風に黄昏れていた僕に、軽くからかう様に夕凪が声を掛けて来た


「ううん、何でも無いよ夕凪。ただちょっと雨が嫌だなって思っていただけ」


「ん〜まぁねぇ。ほっとくと直ぐパンにカビが生えるしねぇ」


実感ありそうな言い方


「……ちゃんと冷蔵庫に仕舞おうね」


「し、仕舞ってるわよ!」


慌てて否定する夕凪を見て、何だか少し気分が晴れてきた


「ありがとう、夕凪」


「……本当どしたの?」


今度の声は純粋に僕を心配する響きを持っている


その響きにほだされて、僕は思わず昔の事をぽつりと語った


「十三年前の七月、今日と同じ様にじめじめとした嫌な雨が降っていた日の事」


あの時、僕は七歳で東ヨーロッパにあるボスニア・ヘルツェゴビナと言う国に居た


何故その場所に居たのかは思い出せない、記憶が無いんだ。

 ただ、新城 美里と名前だけはしっかりと覚えていた……忘れてた方が良かったかも



――その国は酷い有様だった


セルジア人とボスニャック人そしてクロアチア人が己の覇権を競って争った戦争は、三年以上も続く


憎しみ。その一単語が国中に萬栄し、ただの市民であった者でさえ憎しみに駆られ、銃を手に取って相手を殺す


強い人達は戦った。殺された弟の、奪われた恋人の、焼かれた故郷の復讐の為、相手を悪鬼と見立て出会えばただ殺した


弱い人達は逃げた。お年寄りや女性、子供達は故郷や男達を置いて流浪の民となる


そんな人達に僕は拾われた。そして逃亡の果てスレブレニツァへとたどり着く


そこは…………


「地獄だった」


安全地帯。そんな事を言われていた場所だった


でも実際は四方をセルジア人に包囲され、食料どころか水すらもまともに手に入らない場所だった


『大丈夫。大丈夫だからね』


言葉は判らなかったけれど、僕を拾ってくれた優しい顔の女の人、セシルさんはそう言っていたんだと思う



七月。日が経つにつれ弱ってゆく人達。遂には餓死する人まで現れる


もう駄目なのかな


僕は自分の死を悟り、僕に回ってきた僅かな食料をセシルさんへ渡そうとした


その時セシルさんが何と言ったのかは判らない


ただ酷く怒り、早口で何かた後、僕をきつく抱きしめた


息が詰まる程の抱擁と突然の解放


『貴方が食べなさい。そして生きなさい』


涙に濡れていたセシルさんの瞳は、確かにそう言っていた



七月十一日。終わりが始まった


スレブレニツァ包囲していたセルジア人達が、進攻を始めたのだ


進攻はあっという間に制圧という形になり、僕らは捕虜となる


捕虜となり、雨がぽつぽつと降り始めた午後の広場で、僕らは何箇所かに集められ、トラックに乗せられる


僕とセシルさんも手を繋ぎながらトラックへと乗り込む途中、セシルさんは三人の兵に止められ、小屋の方へと連れて行かれた


僕はトラックから飛び出し、その兵の足に体当たりをして噛み付いて……


「……撃たれたんだ、僕を庇って」


セシルさんは銃を構えた兵に飛び付き、兵がそれを振り払おうとしている内に、一発の銃弾の音が強くなった雨が降る広場に響いた


撃たれたセシルさんはよろよろと、僕に覆いかぶさる様に倒れ、下敷きになった僕には冷たい雨の代わりに温かい血……


「もう良いよ美里」


いつの間に濡れていたのだろう僕の目を夕凪は優しくハンカチで拭いた


「ご、ごめん。此処まで話すつもり無かった、どうして話しちゃったんだろ?」


ゴシゴシと袖で目を擦る僕の頭を、夕凪は胸で抱きしめた


「ありがとう、話してくれて嬉しかった」


「…………うん」


涙は夕凪以外、誰にもばれて無い。僕は急いで涙を止める


そして涙が消えたのと同時に、丁度良いタイミングでチャイムが鳴った


「その後、佐久間さんに見初められたのね〜」


明るい夕凪の声。救われる


「出会った時はあんなに変態じゃ無かったけどね」


クスクスと笑いあって、夕凪は自分の席へと戻ってゆく



「…………ふぅ」


夕凪が席に戻ったのを見て、ため息。泣いたからか、少し頭が痛む


僕は何となしに上着のポケットから銀色のロケットを取り出した


それは形見。


いつも何処かに身につけている銀のロケット。

 それを開くと笑顔のセシルさんと、逞しい男の人。そして七歳ぐらいの男の子の写真が入っている


「……セシルさん」


感傷を振り切る様に窓から空を見上げた。

 見上げた空には薄明かりが差し込み、雨がもうすぐ止む事を僕に教えてくれる


「……ありがとう、セシルさん」


僕は最後にそう呟き、もう一滴だけ零れて来た涙を軽く指で拭って、もうすぐ始まる授業へと意識を切り替える事にした

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