序章
暗闇の中ふと目を開けると自分と同じ顔が今にも泣きだしそうな表情をして私を見ていた。
「せーら、いないの」
泣きだしそうな顔はそう言った。
「おかあさん、いないの。おうち、あかいの」
そう言われて辺り見るが特に変化は見えなかった。
「1階…あかいの」
そう言われて、不思議と納得した。自分の数分後に生まれたこの可愛い弟は見てしまったのだ、と。
可愛い弟が言う「あかい」の意味をすぐに理解出来たのは何故か。それは今でも分からない。けれど、あの時1階がどんな状況なのか、弟が何を見てしまったのかがすぐに理解出来た。
「…のえる、おかあさんにはもうあえないよ」
「…それって…」
弟は元々聡い子だったから、混乱から抜け出すとすぐに理解したようだった。
「…そっか…。せーらとぼくだけなんだね」
「…うん…」
小さな手は自然と繋がれていた。2人だけは絶対に離れないというように。額を合わせて互いの呼吸を感じる。完全に二人の世界だった。
その後すぐに黒い服の男達が部屋に入ってきたところで、記憶は途切れている。
次に目が覚めた時にはどこか知らない部屋だった。最初に何と言っていただろうか。「ボス」と呼ばれる人がいたことは覚えている。目が覚めて間もなく、更に幼い頭には何と言われたのか理解できなかった。ただ、泣きじゃくる可愛い弟を見て、覚悟を決めたことだけははっきりと覚えている。
何があっても、弟だけは守り抜く。
―――あの笑顔を守りたかった。
綺麗なあの瞳が、輝くのなら。
―――絶対に助けると誓った。
綺麗なあの瞳を、もう一度。
星と月は青と紫を胸に、それぞれの誓いをたてた。
星と月がまた隣で輝くために。
「遥か遠くの星と月」
生徒の賑やかな声が響く朝の学校。主に女子生徒の声がよく目立つ。女子生徒の視線の先には1人の男子。他の男子生徒の視線もあるが、それには嫉妬の眼差しも混ざっている。
「ノエルくんだー!朝から見れるなんて幸せ!早起きして良かったー!!」
女子生徒の熱い眼差しの先には、人形のような綺麗な顔をした男。
周りと同じ制服を身につけているが、その存在は一際目立つ。
羨望と嫉妬の混ざった眼差しを受けるのは、「神代叶月」というごく一般的な男子生徒だった。主観的に見れば、の話だが。
太陽の光を浴びて輝く少し紫がかった黒髪。前髪は右側に流されており、左耳に髪が掛けられている。その左耳に蒼いピアスが光っている。眩しそうに細める目は紫だ。
客観的に見ると、とても一般的ではなかった。
「(何これ、今日何でこんなに人多いんだ……?)」
本人は至って普通に登校しているだけなので、騒がれる謂れはない。1年間で既に慣れた視線を一身に浴びながら彼は校舎へと入っていった。
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時を同じくして、そこにいたのは人形のような綺麗な顔のした少女。
濡れ羽織のような艶のある黒髪とそこから覗く蒼の瞳。それらが白磁の肌をより白く見せていた。
人形のような少女―――「神代星望」は姿を偽るために近くにあった茶髪のウィッグを手に取る。艶やかな黒髪は隠され、ミルクティーのような甘い茶髪へと変化していた。そして、茶色がかった黒色のカラーコンタクトをし、その姿は完全に別人のものとなっていた。
「(毎日これは大変だな……)」
視界に入る茶髪を指先で遊びながら心の中で溜息をつく。無意識に伸びた指が次に触れていたのは耳に輝く紫。肩の力が自然と抜けていくような気がした。これだけが今の彼女を動かしている。
「叶月……」
幼い顔が脳裏を過ぎる。止まったままの笑顔に思いを馳せ、ミルクティーを揺らしながら扉を開けた。
―――――――――――――――――
「絶対に助けるから!僕が、絶対に!!」
「姉さんのことはいいから…!!はやく、にげてっ…!!」
小さな2つの手が離れる。
その瞬間、、
「…い、おい!ノエル!」
「!!……なんだ、お前か…」
教室までは覚えているがいつの間にか眠り、夢を見ていたようだ。懐かしく、絶対に忘れられない誓いをたてたあの日。
「おいノエル、今日転校生来るらしいぜ」
「…ふーん…で?」
「うわー、何だよお前のその興味無さそうな声!そんなんじゃ一生彼女出来ないぞ」
「必要ない。姉さん以外要らない」
実際に興味が無いのだから仕方ない、というような顔をしながら顔を逸らす。
「ほんと、あの人以外に興味ないよな、お前」
「当然。あの人は俺にとって特別なんだよ。最早俺自身だから」
「……でももう10年だろ。…もしかしたら…!」
男子生徒が顔を上げると、さっきまでそっぽを向いていたはずの綺麗な顔が、蔑むように見ていた。
その目にはそれ以上言ったら何をされるか分からない、無言の圧力があった。
「…もしかしたら…何?あの人は絶対にいる。俺にはわかる。あの人は俺なんだから。必ず見つけて一生隣にいる」
「あ、ああ、そうだな。悪かった」
無意識に1歩下がっていたようだ。背中には嫌な汗が流れている。こいつを怒らせたらまずいと、身をもって体験した。叶月の前で姉の話はしないようにしようと心に決めた。
キーンコーン………
「あ、やべ、チャイム鳴っちまった。じゃあな!」
男子生徒は叶月から逃げられてこれ幸いと、そそくさ自分の席に戻って行った。
「(まったく調子良い奴だな…。…………星望……今、どこにいるんだ)」
祈るような願うような気持ちのまま机に突っ伏してした。ただただ早く自分の手で彼女を抱きしめたい。
担任が教室に入り出席を取っていく。
「よし、じゃあお前らに転校生紹介するわ。入って来い」
ガラッ
その時、教室の時は止まった。否、止まったようだった。誰もが声を忘れ、その扉の方を見つめていた。
「えっと…じゃあ神田。自己紹介してくれ」
「はい。神田望です。よろしくお願いします」
声を忘れたはずの教室が一気に沸いた。
可愛い、綺麗など、称賛の言葉が止まらない。
「じゃあ、神田は神代の隣な」
教室の1番後ろを指差し促す。
「神代、後は頼んだ」
促された通りに叶月の隣へ腰を下ろす。しかし、肝心の叶月はまるで興味ないように机に突っ伏したままだった。
「よろしくね、神代くん」
叶月はちらっと一瞥しただけでまた元の体制に戻ってしまった。
しかし、彼女にはそれだけで十分だった。彼女の席は彼の左隣。彼の左耳に光る蒼を見つけてしまった。よく見れば、髪型も昔と全然変わっていない。彼女は泣きだしそうなのを必死で我慢した。