7・回想(6)
実行に時間は掛かったけれど、エノンを安心させる為の口約束ではなく、ワコさんとご主人のヤースさんは本当に夫婦そろって、スエートに引っ越して来た。
のだが、その時すっかり園での生活に、馴染んでしまっていたエノンが退寮を渋り、結局親子1つ屋根の下では暮らしていない。
主にワコさんと時々ヤースさんが、エノンの顔を見に園へとやって来る。
エノンと一緒に御家へお邪魔する事もあって、玄関でなぜか僕まで額にキスをされる。
エノンのキス癖はワコさんの影響だなと、お陰ですぐに気付いた。
「この人だ! と思ったら、すぐに唇を奪ってものにするのよっ!」
その上、ワコさんは僕にまで、そう教え込んで来る。
ヤースさんが帰宅した時も、今度はちゃんと(?)もちろんキス。
ヤースさんはこうして、ワコさんのものになったのだな……ほほう、だ。
ワコさんとヤースさんに、家は10歳以降のエノンの援助を申し出たらしい。
その時に何か感じるものがあったのか、別に両親と僕の関係を、あれこれ話したわけではないのに、ワコさんは僕に言う。
「教育上には良くない事だけれど、要はご両親にバレなきゃいいのよ。駄目だって禁止されたくない事は、始めから秘密にしておくの。それとバレているんだろうな~と思っても、直接注意されるまでは素知らぬ顔で続けちゃう」
エノンの能力だけを注視しているのだと、両親についた嘘。
ワコさんはその罪も、赦してくれるだろうか?
両親に括り付けられた鎖は今でも断ち切れないが、どんどん禁止条項が増えて、身動きさえ取れなくなりそうな中で、ほんの少し逃げ道を作ってもらった様な気がした。
「……リティ」
「ん? どうしたの、エノン」
名前を呼ばれ、僕は物思いを止めてエノンを見る。
「リティ。リティの婚約者って、どんな人だッ?」
「え……っ?」
婚約者とはつまり、将来結婚の約束をしている相手の事。
問われた言葉に驚いて、ついエノンの顔をまじまじと凝視してしまった。
今までエノンから、恋愛話は一切出ていない。
そして、興味本位で聞いているわけでもなさそうだった。
「そんな話、どうして急に?」
「あのさ、父さんと母さんから聞いた。10歳過ぎても園で勉強したいなら、そのお金をリティの家が出してくれるって」
どうやらエノンと、ワコさんとヤースさんで、将来についての家族会議がなされたらしい。
僕は頷いて、先を促す。
「お金を出してもらうから、卒園したらリティの家の仕事を、しなくちゃいけなくなるっていうのは分かるんだ。でもその時、ちゃんと仕事が出来なかったら、リティの家の人から色々意地悪をされるかも……って」
「……意地悪」
家にとっては、ただ少々の投資の失敗というだけで、エノンが使えないと分かったら、切り捨てついでに、文句のいくつかはあるかも知れない。
しかし意地悪にまで及ぶだろうか?
たぶんエノンが理解出来る様に、そういう言葉を使ったのかなと思ったが、あまりにエノンが真剣な表情をしているので、僕は口を噤む。
「リティは貴族だから婚約者もいるだろうし、そうなっても助けてもらえない……って」
僕にとってはエノンの能力を、エノンと関わる為の、両親に対する嘘に使ったつもりだった。
貴族や豪商に対しては、家が目を掛けている者だから、エノンに悪しき手を伸ばすなという警告も匂わせられていたはずだ。
ところがエノンにとっては、プレッシャーになってしまっている。
「僕に婚約者なんていないよ、エノン」
お腹の中にいた時からいたらしい婚約者は、僕が能力を開花させなかった時点で解消されている。
「もしいたとしてもエノンに意地悪する婚約者なんて、大切に思えるわけがない」
今までも、これから先も、きっと一生、エノンへの気持ちは変わらない。
「もしエノンが何か言われたら絶対、僕に言って。エノンの事を家に話したのは僕だから、僕が許してもらえるまで謝る」
心の中で、意地悪をした目の前の誰かではなく、エノンに対して謝るから……。
「リティに謝ってもらうのは、何か違う気がする」
「いいからいいから」
実際、両親が言って来るとしたら、僕にだろう。
それに正直、エノンの能力に陰りが出そうな様子は、今のところ全く見えない。
「ところで、エノン。そんな心配をするという事は、園で学び続けたいと思っている?」
そう尋ねると、エノンは話すか話すまいか、少し悩んだ表情を浮かべて教えてくれる。
「実は、うん。治癒術だけじゃなくて、医薬についても勉強したいんだ」
「そうなの?」
「始めは治療院で、雑用係として働きながらって考えてたんだけど、園が続けられるなら、本や資料も見れるし。試してみたい事もあってさ」
「試してみたい事って?」
治癒術に関わる事かなと思いつつ、更に問いを重ねたのだが、途端にエノンが慌て出す。
「あっ、これはいくらリティでも秘密っ!」
「えぇっ?」
「だめだめ、教えないっ!」
「ここまで教えてくれたんだから、ついでに全部教えてっ」
しばらく粘ってみたが、その秘密は明かしてもらえず、何かあったら2人で一緒に謝るという事で決着がついた。
結局嫌な相手と結婚するくらいなら、オレとっ! という言葉はエノンから聞けなかったのが少し寂しい。
エノンにとって、結婚なんて夢のまた夢だから……と思う事にした。