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子爵令嬢の料理人

「リオさん、美味しかった」

「そう、良かったわ」

「できれば俺に毎朝味噌汁をつく「嫌」


 俺の言葉は無情にも遮られた。

 しかしそれは言葉の意味を正確に理解している証拠だ。現にシャリルは『味噌汁? 何ソレ、美味しいの』と小首を傾げている。

 言葉の意味が理解できるということから、もう一人の俺とさほど時代が変わらない日本人の記憶を持っていると予測できる。


「でもそうね、少し興味はわいたわ。厨房で話しましょうか」

「ちょっ、リオ。大丈夫なの!?」

「大丈夫でしょ。私に何かあったら、貴方やアイラがすぐに飛んでくるでしょうし」

「それはもちろん」

「それに直感だけど、こいつはヘタレよ」

「ヘタレ?」

「女の子に手を出す度胸なんてないって事」


 思わず反論したいところだが、ここで言い返すと、シャリルに追い出されてしまう。リオの記憶について確認するまでは大人しくするしかなかった。


「リオ、もし何かされそうになったら『ワード・クローズ』と言うのよ」


 そうシャリルが言った途端、俺の喉にはまっている首輪が一気に絞まった。目の前がチカチカして、声すら発する余裕がない。

 力が入らなくなり、膝から崩れ落ちた。


「ワード・オープン」

「けひっ……げほっげほっ、かはっ」


 シャリルの言葉で首輪が緩み、何とか呼吸ができるようになった。


「こ、殺す気かっ」

「大丈夫、10分は死なない程度にしか締め付けないから」

「なら安心ね」

「どこがだっ」


 反感は抱くが同年代の異性と個室にこもるとなると、多少は警戒するのは頷ける。

 ただこちらに知らせる事無く枷をはめていた件、それを勝手に発動させた件は、許せるものではない。

 俺がシャリルに詰め寄ろうとした気配を察して、アイラが身体を割り込ませてくる。


「不用意にお嬢様に近寄るようなら、実力で排除しますがよろしいでしょうか?」


 口調こそ丁寧だが、その瞳は鋭い。どのみち、俺がシャリルをどうこうできるはずは無いんだが、アイラとしては止めるのが仕事なのだろう。


「分かった。無茶を押し付けるのは今に始まったわけじゃないからな。ここは抑えるよ」


 俺は厨房へと移動した。




「さて、聞きたいことは色々あるんだが……」

「とりあえず、水は出せるか?」


 話しかけようとした俺に、リオが妙な質問をしてくる。


「魔法でか? 確か……清らかなる流れよ、我が手に集いて雫となれ。純粋ピュアなるウォーター


 リオが差し出した水差しに、魔法で紡ぎ出した水を満たしていく。それをコップに移して一口飲むと、リオは眉をしかめた。


「やっぱり硬いな」

「硬い?」

「ああ、地層の問題かこの国の井戸水はどれも硬いんだ」

「ああ、硬水、軟水って奴か」

「味噌汁を作ろうとしたら、軟水でないと旨味がでないからね」

「ふむ……」


 確か硬水と軟水の違いは、水に含まれる成分の違い。ミネラルが豊富に含まれていると、硬水になるはずだ。

 日本の水の多くは軟水で、出汁をとったり、煮付けするのに合っているらしい。

 味噌汁を作るのにも素材の味を引き立てる軟水であるかは、大事なのだろう。


「軟水か……何かイメージはないかな」

「イメージ? 口当たりが良くて癖がなく、さっと広がるような感じかな」

「まだ弱いか……見た目には違いはないの?」

「うう〜ん、基本は無色透明だしね。例えば鍾乳洞なんかの水は、硬水になりやすくて、日本の山川を流れてくるのが軟水になりやすい」

「むむ……難しそうだけどやってみるか」


 脳裏には田舎の山村を流れる小川。清く澄んで小魚が泳いでいるような情景。


「小川を下りし清らかなる流れよ、我が手を伝い注ぎいでよ。純粋ピュアなるウォーター


 先ほどとは違って日本ののどかな田園をイメージしながらの詠唱。イメージを明確に持って詠唱した分、同じ魔法でも出てくる水の量が増えていた。

 用意された水差しを溢れ、少しこぼれてしまった。


「ちゃんと調整してちょうだい」

「初めての試みなんだ、許してくれよ」

「それはこの水のでき次第……ん!?」

「どうだ?」

「これはいいかも知れない。ちょっと待ってて」


 そう言って水差しに注いだ水を沸かし始める。最初に出した水と併せて2種類のお湯が用意されると、それを使ってお茶を煎れてくれた。


「緑茶なんかもあるんだ」

「緑茶も紅茶も茶葉は一緒だよ。それを発酵させるかどうかで色が変わる。硬水だと香りが引き立つから、ヨーロッパでは紅茶文化が発展したんだよ。そして軟水だと茶葉の旨味や甘みが溶け出るので、緑茶に向いているんだ」


 そういいながら2杯のお茶が用意される。どちらかが新しく出した水と言う事か。素人の俺で分かるのか?

 半信半疑でお茶を口に含むと、すぐに違いが分かった。明らかに一方のお茶の方が美味しい。


「うん、いけるね。これなら和食が作れるよ! 毎朝とはいかないけど、味噌汁を作ってあげるくらいはしてあげるよ」


 リオが嬉しそうな笑顔を向けてくれた。




「私はメンドーサ子爵領の農村で産まれた。さほど貧しいわけではないのだが、いかんせんこの世界の食文化は未発達だった」


 麦粥や黒パン、近くで採れた山菜や野兎などの肉。食材はそれなりに豊富なんだが、食べ方がなってない。

 塩などは確かに貴重ではあったが、不足するほどでなく、そして何よりも豆を育てていた。

 リオは産まれた時から、もう一人の記憶を持っている。それは料理学校を卒業し、自分の店を持つのを夢見て洋食屋で働いていた女性のものだ。

 その記憶は途中で途切れているが、豊富な料理に関する知識が詰まっていた。


 貧しい食生活を送る家族を助ける為。何より自身が美味しい物を食べたいがゆえに、農村にあるものを駆使して様々な食事改革に乗り出した。

 麦の製粉作業から、パンにする際の工程。麦をより良く食べるための技術を披露した。

 そして日本人であったもう一人の記憶から引き出した豆の使用法だ。

 日本人の食文化は大豆に始まり、大豆に終わる。味噌、醤油、豆腐に薄揚げ、納豆に枝豆。

 様々に形を変えて食卓を彩る豆料理の数々は、人々に活力を与えた。


 食が豊かになると農作業への意欲も俄然変わってくる。更には新たな食文化は商売にも繋がり、村の収益は一気に増えた。

 すると領主たるメンドーサ子爵の耳にも届いてくる。献上品として持ち込まれた見知らぬ品々に、興味を刺激されたシャリルは自ら現地へと赴き、その中心であるリオを見つけ出した。

 後はメンドーサ家、シャリルお抱えの料理人として腕を振るい、シャリルを虜にしてしまっていた。



「先人の知恵でのし上がるのは気が引けるけどな」

「それで喜ぶ人がいるなら、文句を言われる筋合いはないだろ」


 それから俺も農村に産まれて、農業を見直して収穫を上げていった話をした。



「転生者が他にもいるとはな」

「俺は帝魔に来て、その可能性は感じてたけどな」


 明らかに外とは違う洗練された町並み。時代を無視する帝魔の制服。随所に外とは違う文化の匂いが混ざっていた。

 帝魔というシステム自体が、転生者が作り出した物なのかもしれない。


「ま、何にせよ悩みの種だった水の問題が解消されたし、私は夢に向かって突き進むのみ」

「夢?」

「ああ、自分の店を持って、一人でも多くの人を笑顔にする!」


 そう宣言した彼女の表情は眩しかった。

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