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掌編「俺と彼女の冒険」

作者: かさのきず

四千字って短い。

「あー、かったるい」

 心電図検査で異常有り。そう言われた時は死ぬほど驚いたが、実際はなんのことはない。ただの検査ミスだった。

 そういう経緯があって、わざわざ電車を乗り継いでそこそこ大きな大学病院に行くことになったのだが、このまま何もせずに帰るのは癪なので、俺はその病院の中庭を適当に散策していた。

 しかし、これは失敗だ。どいつもこいつも辛気臭い顔をして、こっちの気が参ってくる。

 こんなことなら、変に意地を張ることなく帰っていたほうがよかったな。

 景観っていうのも人を癒す手段となるのだろう、中庭には綺麗な花が大量に咲いていたが、まあしかし、男って言うものは、特に俺みたいな男子高校生というものはこういうものに興味が湧きづらいものだ。特に目をやることなく歩き続ける。

 そんな時、ふと目に入る女の子がいた。

 こんなに女子どもが好きそうな花が咲いているのに、それに目をくれずひたすら本を読んでいる。

 同い年くらいか? 何かの病気なのだろうか、線が細い。針金……って表現だと、彼女を言い表すのにはふさわしくない気がする。

 そう考えた時、ふと大量の花が目に入る。

 そう、まるで花の茎のような細さ、ちょっと力を入れただけで手折れてしまうような女の子だった。

 俄然興味を持った。

 俺は女の子に近づいていく。それに気づいたのか、彼女は顔を上げた。

 すごいな……。それが彼女の顔を見た感想。

 完成している。そんな言葉が思い浮かぶほど、彼女は綺麗だった。

「よっ、何を読んでんだ?」

 俺は内心の動揺を隠しつつ、彼女にそう言った。

 彼女はふと、自分が手に持っている本を見る。そうした様子で俺はようやく彼女の顔から目を離すことができた。

「騎士アルヴィンの冒険か?」

 彼女は小さくうなずく。

 そのタイトルを俺は知っていた。いわゆる中世ファンタジーの冒険物語。こんな儚い少女が読むのは少し意外だと思ったが、彼女がそれを読んでいたことを少し嬉しく感じた。

「俺も読んだぜ、それ。もう全部読んだのか?」

 彼女との会話のきっかけになると思ったから。

「えっと……二十回くらいかな?」

 彼女は恥ずかしそうに言う。っていうか、二十回?

「そんなに読み込んだのか……?」

「うん……好きだから」

 俺も好きだけど、そこまでじゃない。精々数回最初から最後まで読んだ程度だ。

「かっこいいもんな、アルヴィン」

「うん」

 今までとは違い、大きくうなずく彼女。よっぽど好きなんだろう。

 ちょっと悪戯心が騒ぎ出す。部活柄、こういう時はロールプレイをするのが癖なのだ。

「では姫よ。どうか粗野なる私めに、御身のお時間を頂戴したく存じます」

 七十八ページ。姫に謁見したアルヴィンが、姫の身に危機が迫っていることを伝えるため、二人きりで話したいと言うシーンだ。

 俺がそう言うと、彼女はそわそわとあたりを見まわし始める。

 そして誰もこっちを見ていないことを確認すると、顔を真っ赤にしながら言った。

「私の騎士よ。何ゆえ私がそなたに時間を割かない等と言うこととなろう。そなたの申し出、ありがたく受けるぞ」

 さすが二十回読み込んでいるだけあるな。俺は感心しつつ、とても楽しい気分になった。



「こんな冒険してみたいな」

 毎週末に病院に通って、有香に会う。そんな生活を始めて一か月が経つ頃、彼女は言った。

 そして、自分が無理を言ったと思ったんだろう。俺を見て誤魔化し笑いをする彼女に、俺はなんてことないように言う。

「できるよ」

 簡単なことだ。俺は毎日のように冒険者を冒険に送り出している。

 別にこの世界が本当は中世ファンタジーで、俺は冒険者ギルドの職員で冒険者のサポートをしているとかそういう話じゃない。

 聞いたことくらいはあるんじゃないだろうか、テーブルトークロールプレイングゲーム。通称TRPGというものを。

 各プレイヤーがキャラクターシートに己の分身であるキャラクターを描き、ゲームマスターがその冒険者に冒険の舞台を用意する。

 サイコロと紙と鉛筆。それから人がいればできるそのゲームをやる部活に、俺は所属しているのだった。

「わ、私、旅の戦士エリーナみたいになりたい!」

 そのことを有香に話すと、彼女は大興奮でそんなことを言う。

 苦笑いしつつもそんな彼女に答えて、一緒にキャラクターシートを埋めていく。

 楽しいな。ふと、それが怖くなる。

 俺は有香がどうして入院しているのか知らない。ただ、彼女の言動からそれがすぐには終わりそうもないってことだけはわかる。

 本当はいつ死ぬかもわからない状態なのかもしれないし、ただの検査入院で明日にでも家に帰れるのかもしれない。

 有香と別れることになってしまうことが、俺は怖い。

 だから俺は、長い長い冒険の舞台を用意しようと思う。

 その冒険が終わるまでは、有香も俺と一緒にいてくれるような気がして。



 一年経った。

 冒険はまだ終わらない。

 でも、俺は受験期になった。

 毎日遅くまで勉強しているせいか、ここ最近は夢にまで数式が現れるようになった。

 それでも、俺は有香と冒険をしに病院へ行く。

「大丈夫? 頼野君」

「え? ああ、大丈夫」

 声をかけられて気付く。俺、今寝てた?

「疲れてるなら、また来週にしようか」

「あ、いや。全然疲れてない。ほら、ここ日あたりがいいし、ちょっと太陽に誘われて眠気が……」

「来た時からカーテン閉めてたんだけど……」

 たしかに、見てみると部屋のカーテンは閉め切っていて太陽の光は完全に遮られていた。

「ね、休憩しよう?」

「はい」

 有無を言わせない口調で言う有香に、俺は頷くしかなかった。



 半ば無理やり、俺はベッドで横にさせられた。

 個室の病室の中にベッドは有香のものだけ。しかも俺が寝ているのに有香はその隣に入ってくる。

「狭くないか?」

「ちょっと」

 狭いのに、有香は楽しそうに言う。

 俺はと言えば、楽しいとかそういう以前に衝撃だ。

 寄り添う肩に彼女の体温を感じる。すぐ耳元で彼女の息遣いを感じる。

 すぐそばに誰かがいるっていう感覚。それが有香だっていう安心感。

 それは、ある意味で暴力的なまでの刺激だった。

「しばらく冒険は休む?」

 有香が俺にささやく。

 ささやき声っていうものはどうしてこうもドキドキさせるのだろうか。

 俺は跳ね上がる鼓動を必死に抑えつつ、首を横に振る。

 冒険が、僕と有香をつなぐ絆だって信じていた。だから、その冒険を一時とはいえやめることはしたくない。

「大丈夫だよ。あと数年は私はここにいる」

 頭に有香の手が触れる。

「聞いてくれる? 私の病状」

 俺は……頷いた。



 心臓の病気。不治の病らしい。医療の専門用語でなにやら小難しげな病名を言っていたが、俺にわかったのはそれくらいだ。

 ついでに、彼女の余命が後十年ほどだということ。

 十年。決して短いわけじゃない。けれど長いわけでもない。

 有香は逆のことを言った。

「十年は、決して長いわけじゃないけど、短くもないよ」

 想像してみる。十年後、自分はどうなっているのだろうか。

 今の俺は高校三年生。十七歳。

 十年後は二十七歳。仕事をしているのだろう。何をしているのだろうか、俺にはわからない。でも、きっと働き盛りな時期だ。

 世間の荒波に揉まれ始めて、ようやく慣れてきて、仕事も一丁前にできるようになって同僚と愚痴でも交わしつつ酒を飲み、もしかしたら結婚していて、帰ったら妻と子供が待っているのかもしれない。

 でもそれは、有香と出会わなかったときの未来だ。

「私は、余命十年って言われているけど、それだって最後のほうになれば寝たきりとかになるんだよ。介護とか必要になってくる」

 そう、有香のことを考えれば、仕事に打ち込んでばかりもいられないし、同僚と酒を飲んでいる暇なんてないかもしれない。

 有香と結婚しても、子供を産むことに彼女が耐えられるかもわからない。

「できることなら、私は頼野君と出会いたくなかった」

 有香はそう言って俺の顔を覗き込む。

「わがままを言っていいかな?」

 俺は頷く。

「私のこと、忘れてください」

 俺は、その頼みを聞いた。



 こうして、俺たちの冒険は道半ばにして途絶え、その後の二人は語られることもなく終わってしまった。

 あれから俺はTRPGを完全に断って、受験勉強に勤しんだ。

 意外にも勉強は楽だった。ああ、理由はわかってる。

 有香のことを考えずに済むからだ。

 ふと気を抜けば冒険の続きが頭に思い浮かぶ。

 目を閉じればあの日の冒険が目に浮かぶ。

 それは確実に俺の心を削っていく。

 だから俺は心を殺した。

 知識を貪欲に、ただ蓄えていく。

 大学に入ってからもがむしゃらに、すべてを己の糧にするように頑張った。

 それでも冒険は俺の心から消えない。

 壁にぶつかるたび、何かで立ち止まるたびにそれは俺を急き立てる。

 気づけばあの日の冒険から九年が過ぎていた。



「あー、かったるい」

 久々の日本の暑さは辛かった。

 湿度が高いせいで、欧米のそれに比べてひどく過ごしにくい。そういう知識は実際に暑さを感じている今、大して役に立ちそうにない。

 しかし、海外で学んできたそれは明らかに俺の力になった。

 その充実感を心地よく感じるが、本当にこれがベストだったのか、もっともっと学べたのではないかと自分を問い詰める。

 答えはすぐに出た。

 俺は必死でやってきた。

 中庭には綺麗な花が大量に咲いていた。

 しかし、そこは二十六歳独身男性。そんなもんに興味はない。

 そして、それは彼女も一緒だった。

 こんなに綺麗な花なのに、彼女はその手に持った騎士アルヴィンの冒険を食い入るような目で読んでいた。

 もう何回目なのだろうか、以前に比べて本の表紙はずいぶんと色褪せた気がする。

 彼女の前に立つ。それに気づいたのか、彼女は顔を上げて、そして俺を見た。

 俺は、彼女を病魔から救い出す騎士になって帰ってきた。

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