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この声が届くうちに

 いつだって、手を伸ばせば届く場所にある。

 俺とあいつの距離感は、そんな感じだった。

 手を伸ばせば、向こうに届く。声をかければ、必ず響く。

 それがずっと続くと、そう思っていたんだ。


***


 その日、俺――――寺沢てらさわ 連二れんじは諸事情で職員室に呼ばれていた。


「失礼しました」


 そう言って、俺は職員室のドアをそっと閉めた。ほっと一息をつく。

 放課後いきなり先生に呼び出された時には何事かと思ったが、話の中身はなんてことはなく、簡単な手伝いを頼まれただけだった。やけに重いトーンで呼び出されたもんだから、身構えてしまったじゃないか。

 ちらと窓の外の風景を覗くと、すでに町は鮮やかなオレンジ色に染まっていて、校舎内にも人影は少なくなっていた。

 どうやら先生に呼び出されて手伝いをしている間に、いつの間にか夕方になっていたらしい。閉所で作業していたから気付かなかった。

 時計を確認すると、もう6時近くなっていた。

 俺は、左肩のバッグをしっかりと掛け直すと、そのまま誰もいない廊下を昇降口に向かって歩き始める。

 鮮明な光を放つ夕日に眩しさを感じつつ、購買を通り過ぎて昇降口にたどり着いたときに、ふと気づく。

 教室にジャージを忘れた。

 あわてて今来た道を引き返し始める。

 うちの学校は第一校舎と第二校舎の2つの校舎があって、今俺がいるのは第一校舎一階の昇降口。ちなみに、おもに第一が各クラスの教室と職員室、後は図書室や購買なんかがあったりする。第二は逆に、特別教室や文化部用の部室、放送室何がある。

 俺が日常的に通う教室、2-5組は第一校舎3階の端のほうにある。

 急いで購買をすぐ通り去り、職員室の前を通過した後近くの階段を3階まで上り切り、すぐ視界の左側に移る俺の教室にまっすぐ向かっていく。と、そこで扉の前に立った時、教室の中に人影が見えた。


「……?」


 気にはなったが、確かめる手間も惜しかったので、とくに躊躇わずドアをがらりと開ける。すると、人影の主はびくりと体を震わせ反応した。

 そこにいたのは、机の上に座っていた一人の女子生徒だった。

 肩までかかるきれいな黒髪と、凛々しいながらもどこか小動物っぽい親しみを感じさせる表情。上から下まで礼儀正しく切られた制服。

 普段からよく目にする、見慣れた姿だった。


「なんだ、凛じゃないか。こんな時間に何してんだ?」


 そういって、俺は目の前の少女――――幼馴染である、赤沢あかざわ りんにいつものように声をかけた。

 教室最後列の机の上に腰かけている。両手にはなにか、メッセージカードみたいなものが握られていた。


「え、連二!? え、ええと」


 凛は、俺の姿を見ると途端に慌てて両手を背中側に回して隠した。まるで、動揺してるみたいに落ち着かない様子で、普段の凛らしくない。不思議に思って、俺は続けて問いかける。


「……どうした? なんかあったのか?」

「な、なんでもない……」

「いやいや、なんでもないはないでしょ」


 どう考えてもなんでもない言い方ではなかった。

 さっきから、視線はあっちこっちに飛び回っていて、そのくせこっちに目線を合わせようとはしたがらない。

 「えー」だの「うー」だのと唸っては、なんと話せばいいのか分からないように分かりやすく動揺している。その仕草は、小動物的で愛らしかった。

 しばらく悩んだ挙句、凛は「そういえば」と話を切り出す。


「れ、連二こそ、こんな時間になにしてたの?」

「先生の手伝いだよ。そういう凛は?」

「わ、私は、そのぉ……」


 どうやら、話題転換しようとして失敗したらしい。俺の質問に対して分かりやすいほどうろたえていた。視線だけでなく、体ごと右往左往し始めている。なんとも微笑ましい光景だったので、もう少しいじめてやるかと思って問い返す。


「そういや、さっき手になんか握ってなかった? なにあれ?」

「うえ!? ななな、なんのこと!?」


 ものすごく露骨に動揺した。どうやら隠したいものはさっきのカードらしい。なんとも分かりやすい奴である。

 俺は微笑みながら(きっと意地の悪い笑顔だろうけど)、たたみかけるように凛に聞き続ける。


「あれ、手紙か何か? 誰からもらったの? 俺が見てもいい奴?」

「えええ、ええと、ええと、それは、それは――――!」


 そろそろ動揺度がMAXに達したらしく、頭を抱えてなんとも形容しがたいポーズを取り始める。これが漫画であるなら、頭からボンッっという音を立てて湯気が飛び出していることだろう。

 ちなみに今、凛が手で頭を抱えたことにより、あいつの手の中にあるさっきのカードが、頭のすぐ上に飛び出している。俺は、凛に近づくと、迷わずそれを手にとって奪い去る。


「あっ!」


 凛はすぐにとられたことに気づいて、俺からすぐに奪い返そうとする。

 俺はそれを華麗にひらりとかわして一歩後退。すぐに、手にしたメッセージカードに視線を移す。


「ちょ、まって!」

「まあまあ、ちょっと落ち着……」


 慌てる凛を鎮めようと手を伸ばしたしたところで、カードに書かれた文章が、俺の視線に飛び込んでくる。その中身をみて、俺は少なからず、動揺した。


『赤沢さんへ

 放課後、屋上に来てください。話したいことがあります。

                            山村』


「あー……」


 途端に、俺の胸が罪悪感でいっぱいになった。

 文章の中身だけではない、きれいで見やすく書かれたその字、カラフルなメッセージカードの色、そして何より、このカードを書いた人物である山村という名前が、このカードがどういう意味のメッセージなのかを鮮明に語っていた。

 ちなみに、山村というのは俺や凛と同じクラスの生徒で、簡単にいえば人気者の二枚目男子だ。よく彼女がいないのが不思議とよく言われていたが、そうか、好きなやつがいたのかあいつ。


「えと、悪いな。見ちゃいけないもの見たっぽい」


 俺が素直に謝ると、凛は申し訳なさそうな、悲しそうな、なんとも形容しがたい表情で答えた


「だ、大丈夫。別に、見られたらだめなわけじゃなかったし」

「そ、そうか」

「うん……」

「…………」


 そこで、二人の間に沈黙が生まれる。

 非常に居心地の悪い。いやな間だった。互いに、何を話せばいいのか分からなくて、会話を繰り出すことができないでいる。俺も凛も、困惑の表情を浮かべている。


 しかし、凛に好意を持つ男子がいたとは。いやはや、知らなかった。これでも、いまでも幼馴染同士として結構学校でも一緒にいるんだが、全く気付かなかった。

 ……いや、違うか。凛が、そういう人気があるっていうのは、結構前からわかってた。

 人気が出たのは中学校くらいからか。凛は、結構外見も整っているし、性格も癖がなくて接しやすくて優しいから、これまでに男女問わずいろんな好意向けられてきた。きっとそのなかにも、いくつも恋愛感情を持ったやつらがいたはずだ。

 ずっと隣で歩んできたからあまり意識したことはないが、幼稚園児の時のわんぱくだったときから、ずいぶん魅力的に成長しているんだろう。俺も、「かわいい幼馴染がいてうらやましい!」とひがまれたことがあるし。

 凛とは、家が隣同士で、幼稚園だけでなく、小中高とずっと同じ学校だった。生まれたときから近くに凛がいるのが当たり前だった。だからずっと二人で並んで歩んでいくのだと思っていた。

 けれども、俺たちももう高校生だ。自分の将来って物をしっかり考えだす時期になったんだ。

 きっと、凛と並んで歩くのが当たり前の日々も、いつかは終わる。俺は、いまさらそのことを認識した。いつかは分からないが、その瞬間は必ず来る。

 それは、社会人になった時かもしれないし、高校を卒業した時かもしれないし、もしかたしたら、今この瞬間にはもう終わっているのかもしれない。

 ――――もしそうだとしたら、俺の声も、もう届かないくらい遠い場所に行ってしまったのだろうか。


 今、俺は教室の窓から差し込む夕日を全身で浴びている。しかし、その夕日は凛のところまでは届いてはいない。そこには、なんだか見えない境界線があるような気がした。

 いつか、こんなふうに、お互い違う場所で歩み始めるのだろうか。

 それは、嫌だな。


「えっと、さ」


 沈黙破った俺の声に、凛は顔を上げた。

 俺の声は震えていた。凛と一緒にいられなくなる未来を想像して、みっともなく怯えてしまったのだ。

 おそらく、このままでいれば、いつかそうなる。

 ならば、今、変えねばならない。

 けれども、口走った言葉は、いつもと変わらない軽口だった。


「その、屋上にいったの?」


 違う、聞くべきことはそうじゃない。そもそも、聞くということ自体が間違っているのだ。

 俺の質問に、凛は弱弱しくに頭を縦に振る。

 こんなことを聞くのが目的なんじゃない。そう頭では理解しているのだが、勝手に語りだす俺の口を止めることができない。言葉にするのをずっと避けてきたせいで、本能的にその言葉を言うのを避けているのだろうか。


「それで、何の話だって?」


 俺はどれだけ馬鹿なんだろうか。あまりにもプライバシーに欠ける質問だ。大体の内容は文面で察したんだから、聞かなくてもいいだろう。というか、そもそも答えてもらえるはずがないだろう。

 そう思っていたのだが、凛は少し居心地悪そうにみをよじりながらも、ポツポツと答えだす。


「その、山村君がね、私のこと、好きだって……」


 ガツーンと、頭をハンマーで揺さぶられた気分になった。心なしか、視界に移る景色が歪んだ気がした。

 予想していた答えではあった。けれども、その事実を突き付けられた時のショックは、予想より大きかった。


「……そう、なんだ」


 俺は、これを聞いて何をする気だったんだろう。言うべき言葉は決まってるのに、何かが変わってしまうことを恐れて、踏み出せないでいる。

 喉もとでつまって、塊と化している言葉を、しかし吐き出せずにいる。

 と、そこで不意に凛が立ち上がって、窓際まで移動する。俺に背を向けて外を眺めながら、俺に静かに問いかけ始める。


「ねえ、連二」


 そういって、凛が振りかえる。

 純度の高い水晶みたいな、透明な笑みを浮かべながら。


「……私は、どうしたらいいと思う?」


 その姿は、夕日とのコントラストのせいか、どこか儚げで、幻想的で、淡く見えた。そして、その問いの真意を、俺はすぐに理解した。

 ――――ああ、俺は、俺はなんて愚鈍なんだろうか。大切に思う人を、ここまで悩ませていたなんて。

 変わることを恐れていた。失わないことを願っていた。だから、いつだって最後の一歩を踏み出さないようにしてきたのだ。今がずっと続くと信じていた。

 けれども、この「今」には、終わりがあるのだから――――

 幼馴染に甘んじるのは、もうやめだ。

 俺は、窓際の凛に向かって一歩を踏み出す。見えない境界線を破るように。二人を遮る壁を壊すように。一歩、また一歩。前へと進む。

 そうして近づいて、手を伸ばせば凛に届く場所まで近づいたところで、俺は大きく息を吸い込む。

 逃げるな。今踏み出せなければ、きっと一生後悔する。今の思いを、すべて届かせるんだ。

 言葉で、伝えろ。


「俺さ、凛、お前が好きなんだよ」


 言った。言ってしまった。もう戻れないところに踏み込んだ。

 凛の息をのむ音が聞こえた。その呼吸に、どんな意味があるのだろう。

 わからない。今は凛の顔をちゃんとは見れない。どうしようもなく不安が襲ってくる。けれども、伝えるしかないのだ。今、この声が届くうちに······!


「ずっと、幼馴染みっていう立ち位置にいてさ。こんな日がずっと続くなら、それでもいいかと思った。けど、それじゃあダメなんだって、今気づいた」

「どういう……意味?」


 凛のその問いに、俺は視線をまっすぐ凛に向けて、答える。


「俺、ずっとお前の隣で歩いていきたい。この先の人生で起きる、つらいこととか、悲しいこととか、楽しいこととか、うれしいこととか、お前と一緒に感じていきたいんだ」


 そこで一度切って、俺は右手を凛の前に差し出す。


「だから……もし、お前もそう思ってくれるなら、この手をつかんでくれないか?」


 そうして、静寂が訪れる。

 一度は視線を合わせた俺だけど、今はまた視線を凛から外してしまっている。だから、俺の言葉を聞いて、目の前の彼女がどんな反応をしたのか、わからない。

 差し出された手に、まだ凛の手は握られていない。

 視線を上げれば、わかるのだろうか。けれども、凛の困惑したような表情が脳裏をちらついて、視線を上げられずにいた。

 どうしようか、そう思った時、ふと、彼女の足元に水滴が一滴、ポタリと落ちた。

 これは――――涙?

 俺は、そこで視線を上げた。

 そこに移った、彼女の表情は。


「……ありがとう。うれしいよ」


 その時、俺の右手に、確かな感覚。

 凛が、俺の右手を彼女の右手に、確かに握っていた。


「私も、ずっと連二と一緒にいたいな……」


 彼女は、笑っていた。両目から静かに涙の雫がこぼれだしているものの、頬を赤く染めながら、優しく微笑んでいた。

 その笑顔を見て、俺は心から安堵した。

 届いたのだ。俺が伝えたかった思いが、凛に届いた。その事実が、どうしようもないくらいの喜びとなって俺を包んでいくような気がした。

 俺たちはどちらからともなく、もう少しだけ距離を詰める。具体的に言うと、お互いの呼吸が聞こえるくらいの距離に。

 二人の視線が重なる。今度はそらしはしない。いや、むしろそらしてたまるものか。もう不安に思うことはなくなったのだから、そらす意味はないのだ。

 こうして見つめあうのは、どうにも照れくさいけれども、不思議といやな気はしなかった。

 ――――こうして二人見つめあっている『今』もそのうち終わる。

 なら、俺は。


 もう少しだけ、この雰囲気を味わっていたいと、そうおもった。




***


 ちなみに。

 最終的に、俺と凛はこの後70年くらいずっと一緒に人生を歩んでいくことになるのだけれど。

 それはまあ、別の話だ。


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