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浮気して逃げた義弟嫁の結婚式代を払わされたので、もう一銅貨も出しません ~身辺調査までして私の財産を狙ったようですが、可愛い女は好きですよ。あなたが嫌いなだけです~

作者: tamy
掲載日:2026/08/08

「ねえ、エレノア。家族なんだから、それくらい出してやってもいいだろう?」


夫のアルベルトが、さも当然のことのように言った。


テーブルの上には、王都でも名の知れた大聖堂の見積書と、披露宴の招待客名簿が置かれている。


挙式料、料理、酒、衣装、楽団、馬車、装花。


最後に記された金額は、金貨三千二百枚。


私はもう一度、招待客名簿を最初から確認した。


「……新郎側、八人よね?」


「ああ」


「新婦側は?」


アルベルトは答えなかった。


代わりに義母のマーガレットが口を開く。


「百人を少し超えるくらいだったかしら。あちらはご親戚が多いのよ」


「百人」


思わず繰り返した。


ディランはアルベルトの双子の弟だ。


二人は顔だけでなく背格好までよく似ている。濃い茶色の髪に灰青色の瞳。初対面の頃は私も何度か間違えた。


そのディランが結婚する。


それはいい。


百人呼ぶのも好きにすればいい。


盛大な式を挙げたいのなら、それも二人の自由だ。


ただし。


「どうして、その百人分の結婚式を私が払うの?」


そこだけが分からない。


マーガレットの表情が曇った。


「そんな言い方をしなくてもいいでしょう。一生に一度のお祝いなのよ」


「私たち、一度もしてないけど」


今度はアルベルトが目を逸らした。


私たちが結婚したときは、役所へ届けを出しただけだった。


式もない。


披露宴もない。


旅行にも行かなかった。


当時のアルベルトに「家に余裕がない」と言われたからだ。


私自身、盛大な式に強い憧れがあったわけではない。夫婦で穏やかに暮らせるなら、それでいいと思っていた。


だから不満を言ったこともない。


その五年後。


夫の双子の弟が、私の何十倍もの客を招いて結婚式をする。


そして請求だけが私のところへ来た。


「エレノアには貯金があるじゃないか」


アルベルトが言った。


「あるわよ」


「だったら――」


「私が働いて貯めたお金よ」


若い頃から、いろいろな仕事をしてきた。


商店の売り子もした。


得意先を一軒ずつ回って商品を売ったこともある。


帳場にも座ったし、倉庫で在庫を数えたこともある。市場の早朝仕事だって経験した。


華々しい肩書きなんて何もない。


それでも、一枚一枚、自分で働いて貯めた金だ。


亡くなった両親や祖父母から受け継いだものもある。


だからこそ、余計に粗末には扱いたくなかった。


「兄嫁からの祝儀だと思えばいいだろ」


アルベルトは簡単に言った。


金貨三千二百枚を祝儀と呼べる人間と、私はどうやら結婚していたらしい。


「……分かったわ」


結局、私は払った。


今思えば、馬鹿だったと思う。


でも当時は、これで丸く収まるならと思っていた。


家族なのだから。


困っているなら。


今回だけなら。


そうやって人は、自分で自分に言い訳をする。



花嫁姿のリリアは、とても可愛かった。


これは悔しいが、今でも認める。


小柄で、華奢で、淡い色のドレスがよく似合う。


隣に立つディランとは大人と子供ほど身長差があり、その日だけは随分と踵の高い靴を履いていた。それでも彼の肩には到底届かない。


「お義姉様ぁ!」


私を見つけたリリアが、小さく手を振った。


裾がふわりと揺れる。


可愛い。


本当に可愛い。


――いいなあ。


正直に言えば、私は小柄な女性が羨ましかった。


私では丈が合わないような可愛らしい服も、彼女なら綺麗に着られる。レースもリボンも、少し大げさなくらい飾ったところで、服に負けないだろう。


私だったら、ああいう服も着てみたかった。


「本当にありがとうございましたぁ。私、一生忘れません」


「幸せにね」


このときは本心だった。


私は別に、可愛い女が嫌いなわけではない。


むしろ好きだ。


可愛いものは可愛い。


似合う服があるなら着せてみたくなるし、魅力のある子なら、その魅力を存分に使えばいいと思っている。


だからリリアのことも、最初から嫌っていたわけではなかった。


少し変わった経緯でディランと結婚した女性ではあったけれど。


二人は結婚前から同棲していた。


ある日、リリアは「ディランに暴力を振るわれた」と訴え、そのまま別の男と姿を消した。


私はそれを聞いたとき、当然二人は終わったのだと思った。


ところがディランは彼女を探した。


見つけ出し、話し合い、復縁した。


さらにリリアの両親とも話し合い、その結果として結婚することになったという。


当人同士が納得しているなら、私が口を挟むことではない。


そう思っていた。


まさか、その結婚式の費用まで私に回ってくるとは思わなかっただけで。



結婚から三か月ほど経った頃だった。


私は自分の口座を整理していて、妙なことに気づいた。


義母へ渡していた生活費。


ディランの装備を新調するからと、アルベルトに頼まれて貸した金。


義実家の屋根を直すと言われて渡した修繕費。


最近、妙に金額が増えている。


私は専門の会計士ではない。


だが、長く働いていれば、自分の財布からいくら出ているかくらいは分かる。


念のため領収書を出してもらった。


屋根の修繕。


家具。


生活用品。


そこまではいい。


ところが話を聞いていくうちに、辻褄の合わない金が出てきた。


リリアの新しい服。


宝飾品。


ディランとの旅行。


高級酒楼での食事。


劇場。


私が屋根を直すために出したはずの金の一部まで、いつの間にかそちらへ回っていた。


その夜、私は全員が揃った食卓で言った。


「来月から、お金を出すのをやめるわ」


マーガレットの手が止まった。


「何ですって?」


「今まで私が出していた分。全部やめます」


「ちょっと待ってくれよ」


アルベルトが眉を寄せる。


私は集めた領収書をテーブルへ置いた。


「屋根の修繕費で、どうしてリリアさんのドレスを買っているの?」


誰も答えなかった。


「ディランさんの装備費で、どうして二人で温泉へ行っているの?」


「それは……」


ディランが口ごもる。


隣でリリアが俯いた。


やがて大きな瞳に涙が溜まった。


「私……そんなつもりじゃ……」


ああ。


可愛い。


泣いても可愛い。


そこは認めよう。


だが。


「そんなつもりじゃなくても、私のお金よ」


「エレノアお義姉様、怖い……」


ディランがすぐに彼女の肩を抱いた。


「リリア、大丈夫だから」


何が大丈夫なのだろう。


私は首を傾げた。


「姉さん、そんな言い方しなくてもいいだろ」


「私はあなたの姉じゃないわ。兄嫁よ」


「同じようなものだろ」


「全然違うわよ」

アルベルトまで溜息をついた。


「エレノア。もう少し大人になれよ」


「大人?」


「リリアはお前よりずっと小さいんだ。そんなふうに上から責めたら怖がるだろ」


私はリリアを見た。


小さな肩。


潤んだ大きな瞳。


ディランの陰へ隠れる身体。


確かに可愛い。


私だって、あんなふうに生まれていたら、一度くらい誰かの後ろから顔だけ出してみたかった。


でも。


「私たち、同い年よ」


アルベルトが言葉に詰まった。


「……年齢の話じゃない」


「じゃあ何の話なの?」


返事はなかった。


小さいから。


華奢だから。


泣いているから。


守ってやらなければならないように見えるから。


それで、やったことまで軽くなるのだろうか。


「リリアさんが私より小さいことと、私のお金を勝手に使ったことに何の関係があるの?」


アルベルトは黙った。


ディランも黙った。


マーガレットだけが不機嫌そうに言う。


「家族でしょう?」


またそれか。


「家族なら、他人の財布を勝手に開けていいの?」


「誰もそんなこと言ってないでしょう!」


「同じよ」


私は領収書をまとめた。


「もう出さない。それだけです」


リリアが泣いていた。


以前の私なら、少しくらい罪悪感を覚えたかもしれない。


でも、その涙を見ながら私は初めて思った。


泣いている人が、いつも被害者とは限らない。



十二日後。


リリアから手紙が届いた。


『二人だけでお話ししたいです』


指定されたのは王都の喫茶店だった。


嫌な予感がしたので、私は小型の記録魔石を持っていった。


この国では契約や商談の記録にも使われる、ごく普通の道具だ。


リリアは窓際に座っていた。


薄桃色の服に白いリボン。


似合っている。


腹立たしいほど似合っている。


「来てくださったんですねぇ」


「用件は?」


「相変わらず怖いなぁ」


彼女は笑った。


店員が飲み物を置き、離れていく。


その背中が見えなくなった途端、リリアの声から甘さが消えた。


「ねえ、お義姉様。いつまで意地張るの?」


私は黙って彼女を見る。


「お金、持ってるんでしょう?」


「持っているから?」


「北部銀行にも預けてるよね」


一瞬、意味が分からなかった。


そこはアルベルトにも詳しく教えていない。


「どうして知ってるの?」


「調べてもらったの」


リリアはあっさり答えた。


「調査屋さんって便利ね。お義姉様、最近いろいろ動いてるでしょう?」


背筋が冷えた。


「私の身辺を調べたの?」


「だって、お金を隠されたら困るもの」


「私のお金よ」


「家族のお金でしょう?」


思わず笑ってしまった。


マーガレットと同じことを言う。


「それで、何が欲しいの?」


「口座を一つ、私に任せて」


「嫌よ」


即答すると、リリアは目を丸くした。


「どうして?」


今度は私が驚く番だった。


本当に分からないらしい。


「あなたのお金じゃないからよ」


「いっぱい持ってるじゃない」


「だから?」


「少しくらいいいでしょう?」


私は彼女を見つめた。


小さくて可愛い。


あんなに可愛らしい服が似合う。


男たちは守りたがる。


本人もそれを知っている。


正直、羨ましい。


私ならその容姿でもっと違う生き方をするのに、とさえ思う。


だからこそ腹が立った。


「リリアさん」


「何?」


「私、あなたの見た目は好きよ」


完全に予想外だったらしい。


彼女が瞬きをした。


「……は?」


「小柄で可愛いし、服も似合う。羨ましいと思ったことだってあるわ」


「何それ」


「でもね」


私は身を乗り出した。


「可愛い女が好きなのと、あなたが嫌いなのは両立するの」


リリアの顔から笑みが消えた。


「あなたが小さいから嫌いなんじゃない。可愛いからでもない。私のお金を自分のものみたいに扱って、勝手に身辺まで調べたあなたが嫌いなの」


「……調子に乗らないで」


低い声だった。


「ディランさんは私の味方だから」


「そう」


「アルベルトさんだって、お義母様だってそう。私が泣けば、みんな信じてくれる」


「でしょうね」


「だったら――」


「でも私のお金は、あなたの味方じゃないわ」


私は席を立った。


胸元の記録魔石を止める。


十分だった。



それから私は、離婚の準備を始めた。


別にアルベルトを破滅させたかったわけではない。


ディランにも、マーガレットにも同じだ。


ただ、もうこの家の財布でいるつもりがなかった。


自分の口座を分け、必要な記録を集め、専門家に相談した。


そして、これまで家へ入れていた金を完全に止めた。


問題は、その後だった。


生活水準を下げれば済む話だった。


リリアが服を買う回数を減らす。


旅行をやめる。


高い酒楼へ行かない。


それだけでいい。


だが、誰もしなかった。


マーガレットは息子たちを助けるため、勤め先の領地管理局から金を動かし始めた。


最初は小さな額だったらしい。


架空の修繕費。


水増しした備品費。


存在しない運搬費。


私はそれを知ったとき、一度だけアルベルトに言った。


「止めたほうがいいわ」


「母さんを犯罪者みたいに言うな」


「みたい、じゃないでしょう」


「お前が今まで通り少し出してくれれば、こんなことにはならないんだ!」


その言葉を聞いて、私は怒るより先に疲れた。


「私がお金を出さないと、お義母様は公金を盗むの?」


アルベルトは答えなかった。


ディランも、


「少し融通してくれれば済む話だろ」


と言った。


そこで終わった。


私は離婚した。


家を出て、王都から離れた港町へ移った。


新しい仕事を探し、小さな部屋を借りた。


住所は必要な人にしか知らせなかった。


これでようやく終わる。


そう思っていた。


三週間後。


新居の扉が叩かれた。


開けると、リリアが立っていた。


「見ぃつけた」


笑っていた。


さすがに、ぞっとした。


「どうしてここを知っているの?」


「前にお願いした調査屋さん」


悪びれもしない。


「お義姉様、急にいなくなるんだもん」


「もう義姉じゃないわよ」


「え?」


「離婚したから」


初めて、リリアの顔から完全に余裕が消えた。


「……嘘」


「本当」


「アルベルトさん、そんなこと言ってなかった!」


「元夫があなたに何を話しているかなんて知らないわ」


「ちょっと待ってよ。じゃあ、お金は?」


そこだった。


私ではない。


アルベルトでもない。


離婚でもない。


最初に出てきたのは金だった。


妙に納得した。


「あなたには関係ない」


「困るんだけど!」


「私は困らないわ」


「お義姉様!」


「帰って」


リリアが私を睨み上げた。


可愛い顔だった。


怒っていても、やっぱり可愛い。


そこだけは本当に得だと思う。


「調子に乗らないで」


「それ、前にも聞いたわ」


私は扉に手を掛けた。


「次に私の住所や財産を調べさせたら、正式に届け出ます」


「そんなことしたら、みんなに何て言われるか――」


「好きに言えばいいわ」


扉を閉める直前、私は付け加えた。


「でも証拠は残してあるから」


翌朝。


私は監察院へ向かった。



半年後、領地管理局の横領事件が表沙汰になった。


私が暴いたわけではない。


私は、自分が持っていた記録と、リリアによる身辺調査について届け出ただけだ。


調べたのは監察院だった。


そして調べれば、出るわ出るわ。


マーガレットが動かした公金。


アルベルトが母親に頼まれて作った虚偽の書類。


ディラン夫妻へ流れた金。


さらにリリアが依頼した調査屋からは、私以外の人間についても違法な調査を繰り返していた記録が見つかった。


私が呼ばれたのは、春の夜会だった。


監察院が関係者を集め、証拠を確認するための場として、一部の区画を借りていた。


そこに四人もいた。


アルベルト。


ディラン。


マーガレット。


そしてリリア。


「お義姉様!」


私を見るなり、リリアが声を上げた。


「この人です! この人が私を陥れようとしてるんです!」


相変わらずだった。


大きな瞳には、もう涙まで浮かんでいる。


監察官が私を見る。


私は肩をすくめた。


「私が提出した記録は、そちらで鑑定済みですよね?」


「ああ。改竄は認められなかった」


それだけでいい。


監察官が記録魔石を起動した。


喫茶店でのリリアの声が流れる。


『お金、持ってるんでしょう?』


『調べてもらったの』


『私が泣けば、みんな信じてくれる』


ディランの顔が青ざめていった。


「リリア……」


「違うの!」


「何が違うんだ?」


「これは、お義姉様が怒らせるから!」


「でも君、自分で――」


「私を信じないの!?」


リリアが泣いた。


いつものように。


ディランが黙る。


アルベルトが弟を見る。


マーガレットも何も言わない。


以前なら、ここで誰かが彼女を庇ったのだろう。


けれど今回は、その前に監察官が次の記録を読み上げた。


違法な身辺調査。


虚偽申告。


他人名義の金銭への不正な接触。


横領された資金の受領。


さらに調査の過程で判明した、複数の男性との関係。


リリアの表情が変わった。


「何よ」


涙が止まった。


「みんなして何なのよ!」


ディランが後ずさる。


「君は……僕と結婚した後も?」


「だから何!?」


声が大広間に響いた。


「あなたが勝手に私を探して、勝手に復縁したんでしょう!」


ディランの顔が固まった。


「私は別に頼んでない!」


それは、おそらく彼にとって一番聞きたくない言葉だった。


「リリア……」


「何よ! あんたなんか、お金もないし、お義母様がいなきゃ何にもできないじゃない!」


「お前……」


アルベルトが前へ出る。


「弟に何てことを――」


「あなたも同じ!」


リリアが振り返った。


「弟思いのいいお兄ちゃんのつもり? 結局、お義母様の言うこと聞いてただけじゃない!」


「黙れ!」


「嫌よ!」


騎士が間に入った。


リリアはなおも叫んだ。


マーガレットを罵り、ディランを罵り、アルベルトを罵った。


最後に私を見た。


「全部あんたのせいよ!」


その瞬間だけは。


少しだけ気分が良かった。


私は聖人ではない。


散々こちらの金を使い、身辺まで調べた相手が追い詰められている。


可哀想だとは思えなかった。


「違うわよ」


私は答えた。


「私はお金を出すのをやめただけ」


それだけだった。


そこから先に何をしたかは、全部この人たち自身が決めたことだ。


「それからリリアさん」


「何よ!」


「前にも言ったけど、私、可愛い女は好きなの」


「……は?」


「あなたが嫌いなだけ」


リリアが絶句した。


これだけは、どうしても言っておきたかった。



裁判には長い時間がかかった。


マーガレットは公金を動かした責任を問われた。


途中で心身を大きく崩し、一時は命まで危ぶまれたと聞いた。


だからといって、私は喜べなかった。


彼女には彼女の責任がある。


それだけだ。


アルベルトも、虚偽の書類作成に関わった分の責任を取った。


ディランも同じだった。


二人について、ざまあみろとは思わなかった。


もう私には関係のない人たちだった。


ただ。


リリアに判決が下ったと聞いたときだけは。


少しだけ。


本当に少しだけ。


「ざまあみろ」


と思った。


誰にも聞こえない部屋で、一人で言った。


それくらいは許してほしい。


私は聖女でもなければ、聖人でもないのだから。



それから三年。


私は港町で働いている。


一つの仕事にこだわることはなかった。


商会の帳場を手伝うこともあれば、市場の取引を仲介することもある。人手が足りなければ店先にも立つ。


忙しいけれど、悪くない。


ある日の帰り道。


服屋の前で足が止まった。


窓辺に、小さなドレスが飾られていた。


たっぷりのレース。


細いリボン。


腰からふわりと広がるスカート。


可愛い。


私には似合わない。


というより、たぶん丈が合わない。


リリアなら似合っただろう。


そんなことを考えて、自分でも呆れて笑った。


あれだけ嫌いになった相手でも、似合うものは似合う。


小柄なのが羨ましかったのも本当だ。


私だったら、あの容姿でもっと上手く世の中を渡ったのに。


そんな馬鹿なことまで、今でもたまに思う。


「エレノアさん?」


一緒に歩いていた同僚が振り返った。


「その服、欲しいんですか?」


「まさか」


私は笑った。


「私には小さすぎるわ」


「じゃあ、何を見てたんです?」


少し考える。


「昔、ああいう服が似合いそうな人を知ってたの」


「へえ。お友達?」


「いいえ」


即答した。


「二度と会いたくない人」


同僚が吹き出した。


私も笑った。


それでいい。


嫌いなものを、好きになる必要なんてない。


腹が立ったことを、美しい思い出に変える必要もない。


許さなくても生きていける。


忘れなくても笑える。


それに。


可愛い服は今でも好きだ。


可愛い女の子だって好きだ。


そこまであの女に持っていかれてたまるものか。


「さ、行きましょう」


私は店の窓から離れた。


もう振り返らなかった。


――了

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