色を探す旅する画家
おじいさんと精霊を見送った数日後。
湖畔の停留所の朝は優しい陽の光が降り注いでいた。
「ルカ、湖が透明だど」
窓辺にいたツムギが不思議そうに外を眺めていた。
「今日はきっとそういうお客様が来るわ。 色を持たないからこそ何にでもなれる……そんな心を持った人が」
ルカの方を振り向くと彼女が持っている瓶に気づき鼻をヒクヒクさせるツムギ。
「茶葉だべか? でも匂いがしないど?」
「今はね。 でも、このお茶は飲む人の『心に秘めた色』と出会った時にだけ香りと色を放つのよ」
カラン、コロン……。
控えめな、どこか遠慮がちな鐘の音が響く。
入ってきたのは、くたびれた灰色のコートを纏い背中に大きな四角い荷物を背負った青年だった。
彼の指先にはいくつもの色が複雑に混ざり合い、結果として濁ってしまったような黒ずんだ絵の具の跡がこびりついている。
「……すみません、ここは? 船の案内人に『色を探してる』と聞いてみたら、ここに寄ってみるといいと言われて……」
「ここは湖畔の停留所。 温かい飲み物と少しの休息を売る場所ですよ」
ルカが優しく微笑み、青年に椅子を勧める。
「その荷物重そうだな。 こっちに置いてお茶でも飲むべ」
「ありがとう」
ツムギの言葉に安心したのか、荷物を下ろすと椅子に座り青年はふぅーと息を吐いた。
「これなんだべか」
「……これか? これはキャンバスだよ。 でももうずっと……白いままだ。 自分に何色が似合うのかどんな色で世界を描けばいいのかわからなくなってしまって……見ての通りこんなに汚れてしまったよ」
青年は力なく笑い自分の指先の汚れを見つめた。
ツムギは青年にとことこ寄り、黒ずんだ指先に鼻を近づけクンクンと匂いを嗅いだ。
「おめぇさんの手、いろんな色が混ざってて湖の底の石みたいだべ。 オラ嫌いじゃないど」
「……え?」
「一生懸命色を探した証拠だべ? 汚れたなんて思わなくていいんだど」
「……お待たせしました。 本日のメニューは『名もなき雫』です」
ルカが置いたのは、まるでお湯のように透き通ったお茶。
「色がない……僕みたいだ」
青年が自嘲気味に呟き一口すする。
「……不思議な味だ……船の案内人が言っていたんだ。 ここは『答え』が見つかる場所だと」
青年が必死にルカを見つめる。
ルカは静かに首を振って微笑む。
「ここは答えを教える場所ではありません。 あなたが自分の中にある『色』に気づくまで、ただ温かいお茶をお出しするだけの場所ですよ」
青年は立ち上る無色の湯気を見つめながらぽつりぽつりと話し始めた。
「……街の人たちはみんなわかりやすい色を求めていたんだ。 太陽のような赤、海のような青、森のような緑。 僕も期待に応えたくて必死に絵の具を混ぜた。 でも誰かが喜ぶ色を作ろうとすればするほど僕の心の中は濁っていって……最後には何を描いてもこの指先と同じ、暗い灰色にしかならなくなってしまった」
青年は震える手でカップを包み込んだ。
「自分は何色なんだろうって、必死に世界を旅して探したんだ。 でも、どこへ行っても僕の色は見つからなかった。 僕はこの真っ白なキャンバスを汚すだけの存在なんじゃないかって……」
すると無色だったお茶がほんのり虹色に色づき、まるで寄り添うように灰色がぽっと浮かびあがった。
「これは……そうか。 僕は灰色を消そうとしていた。 でもこの色も僕が必死に生きてきた色だったんだ」
青年は自分の手を愛おしそうに見つめる。
「オラ、この色合い好きだ」
ツムギが尻尾をブンブン振りながら身を乗り出してカップを覗き込んだ。
青年が残りのお茶を飲み干したときには晴れやかな表情になっていた。
「やっぱりここは」
青年の言葉を最後まで聞かず首を横に振るルカ。
青年は優しい笑みを浮かべて「たまにはこうしてゆっくりお茶を飲むのもいい。 ありがとう」
そう言い、停留所を出た。
カランコロンと鳴った鐘の音はさっきよりもずっと軽やかに響いた。
船へと向かう彼の背中はもう灰色のコートに負けないくらい確かな輪郭を持って歩き出していた。
「ルカ、次はどんな色が来るべかな?」
「そうね。 どんな色が来ても美味しいお茶を準備しておかなくちゃね」
二人は青年の足跡が続く湖畔の道をいつまでも静かに見守っていた。




