第149話 早くセラさんに会えてたら良かったのにな。
雲平の記憶は戻らなかった。
セムラのアピールは失敗した。
2人で帰って草団子を食べて、「この匂いが好きなんです」と言い、「お兄様も日本に来たことがあるんです」と続ける。
違和感を覚えた雲平は、「ごめんなさい、少し気持ち悪いです。寝ます。明日から春休みだから、明日出かけましょう」と言って、真っ青な顔で寝室に行ってしまった。
残されたセムラは草団子を見つめて泣いた。
思い出させることは雲平の為にならない。
雲平を困らせて苦しめる。
失敗したら世界が破壊される。
そもそも雲平はそれを願っていなかった。
そう思った時、セムラは悲しくて辛くて声を上げて泣いた。
それでも、この広い安倍川家では誰も出てこない。
その時に初めて雲平がずっと孤独だったことを理解した。
言葉で聞いてわかった気になっていたが、確かに雲平は孤独の中にいた。
かのこを不安がらせない為に強がったのだろう。
病気の時なんてどうしたのだろう?
1人で身の回りをやっていた?
幼い時から使用人達に囲まれていたセムラからしたら、信じられない話だった。
だからこそ自身がシェルガイに行ったらと、見捨てられない祖母の事を思いながら夢想してしまい、それが力の源になっていた。
・・・
セムラは雲平に明日謝ろうと思い風呂に入る。
安倍川家の風呂場の姿見は大きい。
それを見てセムラは雲平との夜を思い出す。
肉体は一年と少し先、だがあの日から5年が過ぎた。
今でも忘れられない温もりと程よい重たさ。
あの日の雲平は何を考えただろう?
本当に自分を受け入れてくれたのは、愛の感情なのか気になった。
寝間着は以前と同じものをあんこ達がバニエに手配してくれて手に入れていた。あんこの着ていたジャージは生憎手に入らなかった。
髪を乾かして寝室に入ると、雲平は穏やかな寝息を立てていた。
「ごめんなさい雲平」
セムラは謝って布団に入る。
雲平は気持ち悪くてもセムラの布団を敷いてくれていた。
その時になって、ふとアチャンメの「なあ姫様、寂しかったら自分で腕でも揉んで待ってりゃあーすぐだって」と言った言葉を思い出してしまった。
5年間、特に夢で雲平が出てきて、あのジヤーからレーゼを目指した日々を思い出した日なんか、夢の中で腕を揉まれて独特の感覚に嬌声を上げたところで目を覚まし、真っ暗な部屋の中で泣きながら自分で腕を揉んでみて、何も感じなくてさらに惨めになった。
黙っていたかったのに、苛立っている日に腕のことを聞かれて、「自分でしても意味がありません!気持ちよくなんてありません」と言ってしまい、恥ずかしくて泣きそうになった。
今、なんでその言葉を思い出してしまったのかわからなかったが、無性に雲平の側にいて、腕の事を思い出したら揉まずにはいられなかった。
・・・
自分で揉んでも楽しくもなんともない。
「雲平…、雲平…」
それでも雲平の部屋で雲平の息遣いを感じながらセムラは腕を揉んで泣いていた。
「セラさん?」
「え!?あ!?」
セムラはハッと気付くと、雲平が心配そうに顔を覗き込んできていた。
あまりの恥ずかしさで顔から火が出そうなセムラだったが、雲平はそこではなく「セラさん、泣いてました。何か悲しいことがあるんですね?話してください」と声をかける。
セムラは頷くと雲平のベッドに座り、横に雲平を座らせると、何を言えば良いのか悩んでしまう。
口にすることで雲平が苦しんでこの世界が壊れるかもしれない。
そう思うと口にできなかった。
「俺じゃあ役に立てませんか?」
何も言えないセムラに悲しげに話しかける雲平。
「ちが…違います!」
「でも、セラさんは俺じゃあダメみたい…」
「雲平さんが私の話で気分を悪く…」
「あ…、それで…。ごめんなさい。でも俺頑張ります。だから教えてください。聞かなければいけない。そんな気がしています」
真剣な雲平の目。
それを見てセムラは断れなかった。
「私は…ある人が……帰ってきてくれるのを待っています」
「……とても…大切な人なんですね」
悲しげな雲平の顔。
「雲平さん?」
「その人を待っていたら、仕方ないかなって思いました」
「何をですか?」
「この暮らしが楽しくて、セムラさんから目が離せないから、このままうちに住みませんか?と誘いたかった…。父さんは日本だとダメ親父なのに、シェルガイだと良い仕事をしているらしくて、お給料の残りを俺にくれているのに、それが結構な額なんです。あ、妹のよもぎや母さんも仕事をしてるからかもしれません。だからウチには余裕があるから、セムラさんにいたいだけいてもらおうと思ったんですけど、帰りを待つ人がいたらお願いできないですね」
今の雲平は自身をずっとセムラと呼んでいる。
今も雲平の中に雲平は眠っている。
あと少し、あと少しなんだと思うセムラ。
「いても良いですか?」
「良いんですか?」
「はい。その方はまだ当分帰ってこない人です。きっとここに居ても怒りません。逆に謝ってくれます」
「優しい人なんですね。早くセラさんに会えてたら良かったのにな…」
雲平はこんなに熱心だったのだろうか?
セムラは混乱してしまう中、やはり聞いてもらおうと思った。
「私は前に魔物に襲われました」
「あれ?シェルガイって昔は魔物がいたけど今は…」
「はい。私が待つ方が魔物を隔離してくれました。初めて会った日、その人は初めてなのに魔物を倒してくれて、私を救ってくれました」
「うわ、それじゃあ俺には勝ち目ないや…」
「ふふ。それでその人は巻き込まれただけなのに、私を守り続けてくれました。ですが、優しい人なので人や魔物との戦いで疲弊してしまい、その疲れた心は私を支えにして耐えてくれました」
「本当…辛かった…初めてゴブリンを倒した日は必死だったし、チュイールを殺した日に、俺に斬られて楽になりたいって言った人達…辛かった。なんとか名前だけでも日本に連れ戻してあげたかったんです」
セムラは雲平の変化に気付いても下手な事を口にせずに、「私はその人の救いになる事で耐えられました。それでも様々なことが起きて、私の中では2人で支え合って想いが通じたと思っていて、最後に魔物を隔離したその人は旅立ってしまいました」と話を続ける。
「なんでですか?」
「魔物を全て隔離する力は反動があります。それが収まるまでは 帰ってこれないのです」
「そうなんですね」
「はい。私はずっとその人と想いが通じて相思相愛だと思っていますが、結局の所はわかりません。その人は優しいから私を拒めなかっただけかもしれません」
雲平は「そんなことないですよ!セムラさん!」と言う。
「雲平さん?」
「あれ?俺、セラさんを悲しませたくなくてなんて言ったんだろう?」
雲平は自身の言葉を思い出そうとしたが、上手くいかずに「くそっ!」と憤る。
「雲平さん、ご自身を責めないでください」
「責めますよ。それでセラさんは泣いていたんですか?その人を思い出して?」
「はい。その人は照れながら私の腕を揉むんです。私の名を呼びながらずっと揉むんです」
「…それで腕を揉んでいたんですね?」
「でも自分の手じゃ…慰めにもなりません」
雲平はセムラが袖をまくって見せた二の腕をじっと見て真っ赤になっている。
「雲平さん?」
「綺麗です。…俺も触ってみたいです。ダメですか?何度もセラさんの名前を呼びながら揉みますから、その人に怒られたら殴られますから!お願いします!」
セムラは悩んだ。
雲平への冒涜に感じてしまった。
だが雲平の顔と声と掌を見て断れなかった。
セムラは顔を真っ赤にして「お願いを聞いてくださるなら…」と言った。




