女神様のハッピーエンド論
翌朝は朝一番に集まろうと固く約束して、それから就寝準備をする。
これ、私にとってはとっても重要な、女性ホルモンの分解作業があるのだ。これを怠ると、たぶん出てくる。……胸が。モブになって受け君攻め君のラブいちゃを見届けたいという願望が叶わなくなるので、最重要な作業でもある。……あ、あとリタっていう貴族の庶子はここには来てませんっていう証明にもなるから大切なんだった。命大事に。
ちょっと早いけどもう寝ちゃおうと思い、狭いけどフィット感抜群のベッドに横たわって目を閉じるとーーお茶会に出席していた。
『そうなのよ。わたくしはちゃあんと分かっているのよ? 色々あるけれど幸福になるって。それなのに、我が愛し子は運命や神を呪ったりしてくるの。悲しいわよね……』
黒髪を解いているので、見えるのは顎の線と頬の輪郭だけだが、それだけでも美女と分かる女性が、そう嘆いている。
『貴女の愛って分かりにくいもの』
『どうして素直に幸せにしてあげないの?』
青い髪の美女と、赤い髪の美女にそう言われて、黒髪の美女が拗ねた口元を作る。
『だって……』
『わたくし、分かるわ。光が濃いほど闇も深いって言うじゃないの。それはつまり、逆もしかりなのよ。苦しく悲しい時間が長いほど、手に入れた光には価値がある……!』
緑髪の美女が握り拳を作ってそう訴えた。あ、この人見たことある。お洗濯の話してた人だ。背中に可愛い羽もあるし。ってことは、他の人にも羽があるのだろうか? よくよく目を凝らすと、青髪の美女には藍色の羽が、赤髪の美女には猛禽類のような赤茶色の羽が、黒髪の美女には白鳥のような形の、でも色は漆黒の羽がついていた。
私には分かる。つまりハッピーエンド論だと思う。
世の中にハッピーエンドの物語が多いのは、それがタンパク質とか炭水化物とか脂質とかの、基本的な栄養素だからだろう。だが人間、それだけでは摂取できない栄養がある。そう、ビタミンやミネラルなどだ。
勇者君とタリオン君が公式様では死に別れるように、両片思いの敵対関係、死にオチでしか得られない栄養素がある。愛しすぎるがゆえの嫉妬で恋人を殺してしまうメリバでしか得られない栄養素もある。目の前に迫ったハッピーエンドの直前で死に別れる悲劇でしか得られない栄養素もあるのだ!
『でも貴女、そう言いながらも愛し子に恨まれて涙目じゃないの』
憎まれていると勘違いしたまま苦悩を隠し、殺し合うことでしか得られない栄養素も! あるんだっ!
『どうして女神はこんな試練を私に……って恨まれるの……でもちゃんと幸せの種はまいているのよ? 辛くても進んでいけば得られる幸せは約束してあるのに……』
「分かる……分かります、それ……」
かつてーー前世だがーー二次創作した物語で、読者様からの感想にこんなのがあった。『これでもかと悲劇が起こるので、神様はなんてひどいんだと思いました』と。
人生で、神を自認する瞬間って、ある?
私にはあった。あの感想を読んだ瞬間、『神は私だ……』って思った。なんて貴重な瞬間。
じゃなくて! 違うんだよ! 設定したハッピーエンドに至るまで、ちょっと多少それなりに障害があるじゃん。それを乗り越えてのハッピーエンドっていうか、公式様が本編でまったり幸せを描いてくださればくださるほど、色んな紆余曲折がほしくなっちゃうじゃん! ずっと天国よりも、地獄を対比させての天国の方が、よりきらきら輝くじゃん? 結局天国なんだから、途中経過はちょっとだけ我慢してほしい気もあるじゃん?
そもそも人間には喜怒哀楽っていう感情があるよね? 愛憎とか。そういう生まれながらに備わったスペックをフルに発揮するのが、人生を味わい尽くすってことなんじゃないかと思ったりしちゃうんだよね。特にまったり幸せな公式様を拝読していると、生まれ持ったスペックを全力で注ぎ込みたくなる欲求とかさ……あるじゃん。あるよね? スポーツカーをフルスペックの最高速度でかっ飛ばしたくなるような瞬間ってあるよね? きっとみんな一度は思ったことあるはず!
「辛い境遇を乗り越えてこそのハッピーエンドですよね。ずっと多幸感ある物語もそりゃ素敵ですし、そういうのも嫌いじゃないんですけど、キャラによってはそれは違うってのもありますよね。不幸に耐えてこそ、不遇に耐えてこその輝きっていうか!」
熱く語った後の、沈黙。
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
……あ、あれ……?
今、私、誰に向かってオタク会話しちゃったかな?
四人の女性からじっと見られる。まるで大海に浮かんだ木の葉に乗る蟻の気分だ。波に揺れ、今にも木の葉から落ちそうになっているところに、深海から浮かび上がってきた鯨の群れに凝視されてるような気分。鯨が身じろぎしただけで、海に落っこちて溺れ死ぬ蟻。それが私。
あ、あばばばば。
『ふ、ふふっ』
黒髪の女性が小さく笑った。
『面白いわね』
青髪の女性が呟いて、赤髪の女性が頷く。
『ね、面白い子でしょ?』
緑髪の女性がそう微笑んだ。
職場でうっかりオタク語りをしてしまった、その一兆倍やばい空気にあばあば言って、滝のような冷や汗を流してるところで目が覚めた。
「っ吸入ステロイドは吸入後にうがいをしてくださいねぇぇっ!?」
うわ言のような声に、自分の方がびっくりする。半覚醒状態の寝言ってまじやばい。っていうかなんだあれ! なんだあの恐怖の時間! なんであんな状況でオタク語りしちゃった自分!
ちなみに喘息などで処方される吸入ステロイドは、すごいお薬なのだ! 効かせたい場所に集中的にお薬が散布されるシステム! 考えた人天才! ステロイド剤を錠剤で飲んじゃうと、全身に作用してしまい、その結果多彩な副作用が起こり得てしまうのだが、粉末状にした霧を吸い込むという薬剤の形状により、気管支に特異的に作用するという、すんばらしいドラッグデリバリーシステムを成立させたのである! 副作用は錠剤で服用するよりもずっと少ないのだが、吸入後そのまま放置すると声がかすれるとか、感染症とかの危険性もあり得るので、うがいは必須なのである!
……だがしかし、おっそろしい夢の後にどうして服薬指導しようとしたんだ私……。
「……あぁぁ気のせいだ気のせい絶対気のせい……」
洗濯女神様は腐属性の女神様疑惑がある。だって女神様向けの魔力で魔法が発現したもん。いやでも証拠はそれだけなので、実はただの夢幻かもしれん。だがその洗濯女神様が二度目の夢降臨。その上同格っぽい残り三人の女性……ま、まさか火属性や水属性、死属性の女神様ってことはないよな? バッドエンドみのあるハッピーエンド好きな女神様が死属性ってことはないよな!?
あぁぁ頼むよ女神様ぁぁユージーンの将来がかかってるんですよぉぉ……。もう本編はバッドエンドで終わったんで、二次創作は目こぼししてもらってもいいんじゃないでしょうかねぇぇ?
いや……私ごときが女神様とご対面したなんて、そんなことは決してないだろうけども……ただの不思議な夢ってだけなんだろうけども……。いや、絶対そう。鯨と蟻の対話が成立するのは哲学の分野だけだ。もしくは歴史。うん、リタ分かってた。あ、リタじゃなくってリオンだった。




