色を賜る
リタの友達であるリリアンは、同年代ながらもリタより背が高い。そのせいか、なにかとお姉さんぶるところのある女の子だった。
「いーい、リタ。あなたのお母さんみたいな、勝ち組女子になるためにも、できるだけ色の濃い髪の色がなきゃだめなのよ。リタみたいなね。でもあたしってばそういう髪じゃないじゃない。リタみたいに、強い魔力を反映させました! なんて色じゃないのよね」
神殿学校からの帰り道。読み書き計算といった基礎教養を学んで下校する道すがら、リリアンはいつものように熱弁した。
「そうかなぁ」
そんなリリアンに幼い頃から振り回されてきたリタは、気のない返事をする。
「あーあ、私も色をたまわれたらなぁ!」
「そうだねぇ」
平坦な響きの声を気にすることもなく、リリアンはあははっと思い出したように笑った。
「去年リタってば、角のパン屋のお姉さんの髪が変わったってびっくりしてたじゃない。『染めたの?』って!それで私が『髪の色を染めるなんて、そんなことできるわけないじゃない! 神様からいただく色なのに、染められるわけないじゃない!』って言ったら、すっごくびっくりした顔してて」
「もう忘れた」
忘れたというか、忘れたふりを演じるが、この幼なじみに通じるはずもない。さらりと返事を流された挙げ句、リリアンはのたまった。
「リタって昔っから変なこと思いつくよね」
心外に思いつつ、首を傾げて、この前十一歳になったばかりの女子にとっては、わりと近い過去を反芻する。
「……なんかあったっけ?」
「ほら、理想的なぷろぽぉずについて、よ。リタってば白い馬に乗った王子様、なんて言うんだから」
「王子様は馬じゃなくて馬車に乗ってるんだって怒ってたよね、リリアン」
「馬に乗っててもてはやされるのは、騎士様だけよ。馬だけやけに立派な平民なんて、絶対外れくじなのよ。いーい、リタ。あたしはいつか、立派な馬車に乗った貴族に見初められて、苗床にしてもらうの」
「なえどこ」
「そーよ。平民のあたしが奥様になんて、さすがに無理があるかもしれないけど。でももし神様から色をたまわれたら、子どもを産む苗床に選ばれるかもしれないのよ。そう、リタのお母さんみたいな!」
「なんか違う気がする」
苗床という単語に違和感を覚えつつも、要は貴族の愛人的な立ち位置を友人が理想としているらしいことに気づき、訂正をする。
「お母さんはお父さんと結婚はしてないけど、事情があるって」
「リタ、男はみんなそう言うものなのよ」
「お母さんが言ってた」
「母親だってそう言うものなのよ」
「うーん?」
なんか違う気がするが、どこが違うのか言語化するのが難しい。うーん、うーんとうなりつつリリアンと別れ、帰宅したリタを出迎えたのは散らかりきった自宅だった。で、そこを掃除している父だった。少し小太り、とでもいうのだろうか。少しぷよっとした体でせっせと動いている。動く度にもにゅっとした体の肉と、青金の髪が揺れていた。
「やぁ、おかえり、パパの可愛いサクランボちゃん」
反射的に浮かんだ鳥肌に首を傾げつつ、リタは頷く。
「ただいま、パパ」
「ママは今、仕事終わりで眠っているよ。少し静かにしてあげようね」
そう言いながら、不器用な手つきで積み上がった分厚い本を片付けようとする父を、リタは制した。
「パパ、私がやるから」
片付ける気合いは充分なのだが、なんていうのだろう。実力が伴っていないのだ。
「すまないね、パパの大好きな林檎ちゃん」
「そういうの、いいから」
いちいち余計な比喩は要らない。父が本気なだけに、ちょっとうざい。そう思いつつも、二週間ぶりに会う父に、嬉しい気持ちもある。
「そういう冷たいところもママに似て可愛いよ、可憐な小鳥ちゃん」
「…………」
貴族ってみんな、こうなのかな? とリタは疑問に思う。母は町でも有名な女魔法使いーー魔女ーーなのだが、それでも平民である。その平民である母に、不器用に奉仕する父のような貴族が普通なのだろうか。それならばリリアンの言う苗床も悪くはないかもしれないが、なんとなくリタの心の奥がしっくりこない。否定的な感情が胸奥からこみ上げるのだ。
子どもだけではお皿洗いをしないこと、と母に言われているので、父と一緒に皿洗いをしつつ、貴族ってこういうものなんだっけ、という課題に頭を悩ませ続ける。
貴族は馬車に乗っていて、たぶんそれはものすごくお金がないとできないことで、さらに言うならばお金を使うことに慣れている人たちでもあるはずだ。きっと使用人だっていっぱいいるだろうし、そうであるならば片付けやお皿洗いなんて自分ではしないだろう。父は片付けは下手だが、お皿洗いは上手である。
「パパって……貴族じゃないんじゃない?」
「なんだい、急に」
「貴族の人ってお皿洗いが上手なものなの?」
「……パパの可愛いウサギちゃんは本当に賢く育ったねぇ……パパは嬉しいよ。賜色式がもうすぐになるはずだ。あっという間に大人になって、いつかどこぞの男をパパに紹介するようになって……う、うぅっ、大人になったらパパと結婚するなんて台詞、リタからは聞けなかったのにっ」
「父親とは結婚できないってリリアンが言ってた」
「切ない! 娘の交友関係が憎い! 一度でいいから聞いてみたかった!」
やっぱりこの人、貴族じゃないかもしんない。そう思ったリタは、だが、と首をひねる。それならばどうして別居しているのだろう。一緒に住めばいいのに。貴族じゃないなら、家庭外の女性に子どもを産ませるという行為ーーリリアンによると苗床という行為ーーは推奨されてはいない。むしろ神様には禁じられている。カンインとかなんとかで。貴族は神様から選ばれて許されているから、苗床行為も許されているとかなんとか。全てリリアン情報ではあるが。
「もうすぐ可愛い娘も賜色式か……どんどんパパの手から離れて……うっ、うぅっ」
「育ててくれたのはママだし」
二週間とか一ヶ月に一度しか帰宅しない父なのだ。育ててもらったというのはちょっと違う気がする。
「ぐはぁっ! ……兄上……今ものすっごく恨んでる……」
「お兄さん? いるの?」
父の家庭の話題は滅多に出ない。彼がリタたちの家にいない時間、どこでどんな風に暮らしているのか、リタはほとんど知らないのだ。父に兄がいたなんてことも、たった今知った。
「もう亡くなったけどね。……さぁ、詳しい話は賜色式が終わってからにしよう。今夜はパパが食事を買ってきたからね。リタも大好きなモーギュの煮込みだぞぉ」
ちらっと隣の父を見上げ、それからリタはわーい、と声を上げた。これでもリタは、空気の読める女子なのである。続けたくないと思われている話題にしがみつくほど、お子様ではないのだ。
「なぁに? モーギュの煮込み?」
後ろから母の声がした。
「ママ」
「起きたのかい、私のアレクシア」
「ん。おはよ、ブレンダン」
ちゅ、と二人が目覚めのキスをしている。シュクジョであるリタはさりげなく視線を逸らしている。小さい頃からいやというほど出くわしている場面なだけに、手慣れているのだ。
「お腹すいた」
母が甘えるように父の肩にもたれかかり、その母の手がリタの頭に伸びて、優しく髪の毛を梳いた。やっぱりリタには、母が苗床だというリリアンの見解に違和感を覚える。なんかこう……苗床感がないというか。普通の家族っぽいというか。
「すぐに準備しよう。愛する可愛い人」
「あんたはいちいちくさいよね」
そして母は文句を言いながらも、赤金の髪を揺らしながら笑った。
翌月の神殿に、父は来ることができなかった。どうやら本宅の方で外せない用事があったらしく、母宛の女々しい手紙が届いていた。リタには豪華な髪飾りが届いたが、明らかに貴族仕様だったため、家に安置してある。やっぱり貴族なんだろうか、父は。
「ま、ブレンダンがいなくてもいいでしょ。別にあれがいたってなんの役にも立たないし」
「ママの横にいると目立つもんね」
赤髪の高名な魔女が中年男性を連れていると、さすがに注目の的になると思われる。いちおう平民の多い方の神殿ではあるが、父の顔を知っている下級貴族とかがいると面倒な気がするし。そもそも父が貴族かどうか、いまだ確証は持てないのだが。
「ま、どんな属性を賜るにしても、リタがこれまで頑張って魔力増やしてきた努力は裏切んないから。だから安心して賜ってきなさい」
母にそう背を押され、頷いて同年代の子どもたちが座っている席に向かう。
「あ、リタ、こっちこっち」
手を招くリリアンに頷いて、その横に座る。
「リリアン、そのドレス似合ってる」
いつも学校の往復に着るような、簡素なワンピースではない。少しいい布地を使って、ふわりと寄せた薄紫色を縫い上げたドレスは贅沢に見えた。リリアンのドレスは可愛らしい薄紅色だ。
「リタも……なんか、お嬢様みたい。ちょっと大人びて、リタじゃないみたいに見えるわ」
「あー、パパがね……」
「さすが貴族……! なんとしても色をたまわって、苗床目指さないと!」
魔力が少なくても、色を賜ればよい結婚相手が見つかるらしい。リリアンはそういうのを目指している。
「何色がいいの?」
「色をいただけるならなんでもいいけど……あぁ、でも! 緑だけはごめんだわね」
「緑?」
「そう。腐属性だけはいや。それくらいなら色無しの方がいいわ。裕福な貴族には嫌われる色だし、よっぽど問題のある貴族にしか相手にされないもの。それだったら平民らしく、小さな幸せを見つけてみせるわ、あたし」
「へぇ」
どんな属性がどんな色かについて、両親からそういえば聞いていなかった。火が赤で水が青。両親の髪色から推察するに、分かっているのはそれだけだ。
「できたら水属性がいいわ。でも地属性も素敵。だって実りに直結するもん。お金持ちの農家のお嫁になったりするかも。でもでも、炎熱の魔女の火も素敵。リタのお母さんみたいなの。強い女って格好いいわよね」
「ふむふむ」
地属性はもしかすると、茶色だろうか。金茶の髪色も、リリアンの少し気の強い美少女顔には似合うだろう。赤金も、母と同じく似合いそうだ。
集められていた聖堂ホール正面横の扉が開き、神官が入ってきた。先頭に白髪の老人がいて、その後ろに三人ほど若い神官たちが従っている。リタたちは椅子から立ち上がった。床に両膝をつき、両腕を胸の前で交差させて頭を垂れる。
「女神へ感謝を」
ホールの正面は三段ほど上に設置されていて、その中央に立った老神官がそう唱えた。それにリタたちも唱和する。
『女神へ感謝を!』
唱和の後、沈黙が落ちる。数瞬後、老神官の声がリタたちを促した。
「顔をお上げなさい。座りなさい。これより先は、女神からの偉大な贈り物を受け取る時間です。色を賜ることができなかった者も失望することはない。そなたらには色が必要ないと女神は、判断なされたのです。そして色を賜りし者よ。決して傲ることなく、女神のご意志に沿った使い方をするように。……それでは一人ずつ、前に出ておいで」
前列に座った少年たちが立ち上がる。端から順に、老神官の前に進み出ていった。
「女神に乞い願う。この子へ色を賜らんことを」
一人目の少年に手をかざし、老神官がそう唱えた。……何事も起こらず、少年は肩を落としつつ神官の前から立ち去る。それが続いた五人目。老神官がかざした手が光を発した。眩しい光が少年の頭を包み込み、それが消えた後には少年の髪は、金茶の色に染まっていた。
「すごい! ね、リタ、見た? あれよ、あたしが目指してるのは!」
興奮したリリアンの囁きは、少年少女らを見守る親族らのどよめきに負けつつも、どうにかリタの耳に届いた。
「すごいね、リリアン」
本当に、髪の色は変わるのだ。それを目の当たりにして、普段冷静なことの多いリタもさすがに興奮してきた。父も母も色を持っている。だからリタにもあの奇跡は起こるのではないだろうか。そう思うと急に、この儀式が身近に感じるようになった。今まではどこか、他人事のような感じがしていたのだが。
「わ、あの子もだわ。なんて羨ましい。苗床一直線じゃないの!」
少年の後は少女たちの番だ。その一番目の少女が再び光り、リリアンの興奮はさらに高まっていた。
「色をたまわった子は、そういう子だけを集めた専門の学校に行けるの。そこで苗床の打診を受けるんだわ……なんて素敵……」
うっとりしつつも、列はリリアンまで進んだ。お互いにぎゅっと握った後、手を離してリリアンは老神官の前に進み出た。
「女神に乞い願う。この子へ色を賜らんことを」
祈るように見つめるリタの前で、しかし光は生まれなかった。ちらりと振り返ったリリアンの目が、悲しげに揺れている。その目に胸を締めつけられるような気持ちになりながら、リタは老神官の前に進み出た。少しずつ近くで聞こえていた声が、リタの真上から聞こえてくる。
「女神に乞い願う。この子へ色を賜らんことを」
ぎゅっと目をつぶる。強く閉じた目の奥からさえ、光を感じて目を瞬いた。間違いない。光っている。色を、賜ったのだ。
どよめきを感じる。それが、光が消えゆくとともに、小さな悲鳴が混じり始めた。
「…………?」
「その色も、女神の思し召し。前を向いて進みなさい」
光ろうが光るまいが何も言ってこなかった老神官が、リタにだけはそう囁いた。リリアンが去って行った方に目を向けると、口元を押さえて悲壮な目で見つめ返す友人の姿があった。
そっと背中に手を回し、三つ編みにくくられた自分の髪を持ってくる。その髪は、金がかった緑だった。
緑は、腐属性だった……?
腐……腐? 腐属性……なんかダブルミーニングなあれやこれや……。
腐……腐ってる。そう、物じゃなくって性癖がっ!
いぃやぁっっっふぅぅぅっっっ!!
ふふぅぞくせぇぇい!! ばんざぁぁぁいぃっ!
突如脳内に響き渡った、腐属性万歳ラッシュにリタの意識はゆっくりと落ちていった……。