1 悪夢の通知
沢村 葵はいつものように、エステサロンのドアを開けた。白を基調とした落ち着いた空間、アロマの香りが漂うその場所は、彼女にとって仕事の緊張から解き放たれる、唯一の聖域だった。
極上のマッサージオイルが肌に滑り、熟練のセラピストの手が凝り固まった身体をゆっくりと解きほぐしていく。目を閉じ、意識を手放すように身を委ねる。
この日もまた、心ゆくまで「美」を享受し、彼女は満たされた気持ちでサロンを後にした。
数日後、局のデスクで翌日のニュース原稿をチェックしていた葵のスマートフォンが、けたたましく振動した。普段は通知音を抑えているのだが、それは緊急性を帯びた着信を告げるものだった。画面に表示されたのは、局の友人である女性ディレクターの名前。いつもなら他愛ないやり取りなのだが、今回は異様に焦った様子が伝わってくる。
「葵、今すぐ電話して! 大変なことになってる!」
心臓が嫌な音を立てた。何事だろう。胸騒ぎを覚えながら、席を外してすぐに彼女に電話をかけた。受話器の向こうから聞こえてきたのは、友人の震える声と、信じられない言葉だった。
「葵…アンタの、例のサロン…盗撮されてるって。動画が、ネットに…」
友人の言葉は、まるで現実離れした悪夢のようだった。盗撮。動画。ネット。それらの単語が、葵の頭の中でバラバラに散らばり、意味をなさない。しかし、友人が震えながらも詳細を伝えてくるうちに、それは恐ろしい形となって、葵の完璧な世界に亀裂を入れていった。
人気のエステサロンは盗撮の被害にあっていた。いつ、誰が、どのように、全てわからないまま、ただ現実に動画がインターネット上にアップロードされていること。そして、そこに映っていたのが、マッサージを受ける自分自身だということ。
「全裸…ハッキリと…葵だって、すぐにわかるくらい…」
友人の言葉が、刃物のように葵の胸を貫いた。血の気が引き、手からスマートフォンが滑り落ちそうになる。目の前が真っ暗になった。あの、誰もいないはずのプライベート空間で、無防備に横たわり、マッサージを受けていた自分の姿が、不特定多数の人間に晒されている。
「どうして…!?」
絞り出した声は、ひどく掠れていた。完璧に作り上げてきた沢村葵というアナウンサーのイメージが、一瞬にして音を立てて崩れ去っていくのが分かった。外見も内面も、誰にも見せないよう、必死に磨き上げてきたすべてが、たった一つの悪意ある行為によって、無残にも踏みにじられたのだ。
葵は呼吸もままならないほどに震えた。底なしの暗闇に引きずり込まれていくようだった。