第13話 最終暴露配信
画面越しに広がる緊張感は、もはや限界に達していた。
配信を見守る数万人の視線と、俺の背後で固く息を呑む栞。
この瞬間を迎えるまでに、どれだけの証言と覚悟を集めてきたか──
全てをぶつける準備は、もうできていた。
――やってやる。
一瞬、目の前の空気が張り詰める。心の奥で、どこか覚悟が定まった感覚があった。
ここで俺は遂に、反撃の狼煙を上げた。
「であれば、栞さんとの契約書を提示していただけませんか?」
玉木は一瞬躊躇うが、『構いませんよ』と応じる。
すぐにメールが届き、添付ファイルには黒塗りされた契約書のPDFが。そして俺にだけ別途送られてきた"黒塗りなしの原本"。
『個人情報保護のため、配信用には黒塗りにしましたが、西園寺さんにはすべて見せます。問題ないでしょう?』
「承知しました」
俺は送られてきた契約書をすぐにスマホで撮影する。見落としがないように、念入りに契約書に目を通す。
内容の字面を追いながら、ふと胸の奥が冷えていく感覚に襲われた。
ああ、これは“真っ黒”だ──どこをどう見ても、綺麗な契約じゃない。
「……やっぱりな」
そう呟いた俺の声は、自分でも驚くほど低く、乾いていた。
『何がですか?』と玉木が聞き返してくる。
「栞さんから聞いたサテライト事務所の契約書の形式について説明します。貴社では未成年などのトラブル防止のため、例え成人済みであっても親の同意書が必要な契約形式を採用していると聞きました。しかし栞さんは、『そこは明記しなくても大丈夫』と言われたそうですが?」
玉木は即座に否定する。
『そんな事実はありません。ご覧のとおり、契約書にはちゃんと親のサインと捺印がされています』
玉木は攻勢を強める。
『栞さんが親を騙してサインさせ、未成年を偽って事務所に入ったんです』
「……一点だけ、確認させてください。これは“初期契約書”ですよね?私が把握している限り、栞さんは一度、契約の更新を拒否していたはずです。なのに、ここには継続契約が結ばれていたことになっている……おかしいですね」
玉木はその指摘に声をひそめたが、すぐに何事もなかったように話し始めた。
『その件については、法的に問題ありません。こちらには記録もありますしね』
俺は返す言葉を探していたが、玉木は畳みかけるように──
『それよりも、大和さん……。親御さんに確認を取ってみてはどうです?』
あくまで強気な玉木の態度。栞が義理の親たちに知られたくないという思いを逆手に取っていることがわかる。玉木は親に証明させることが困難であることを知っているからこそ、こんな挑発をしているんだ。
……分かってやってる。こいつ、自分が一番それを突っ込まれたら終わりだって分かってるくせに。
ふざけんなよ。
栞が“言えない”ことを知ってて、その弱さにつけ込んで。守られるべき立場の子を、都合よく黙らせようとしてる。
理論という鎧を着て、人の痛みに土足で踏み込むような真似して。
──それでも大人かよ。
言葉に詰まった。反論できないのではない。理屈で上塗りされた“偽り”に、こちらが追いつけなくなっていく感覚。
背後で栞が小さく身を震わせているのが見える。
意を決して、これまで集めてきた情報を公開する。
「未成年に関係を迫った証言、性接待の強要、数々のパワハラ...サテライト事務所に関する悪行は証言だけでも山のようにあります」
しかし玉木は冷静に切り返す。
『それらは全て「業界の噂」としてよくあることです。度重なる契約違反で事務所を切られた未熟な子供たちの言い掛かりに、わざわざこうして付き合えるのは、君みたいな酔狂な人ぐらいなものですよ』
『感情的な叫びは結構ですが、我々は法に則って対応します。感情論で世の中は動きませんから。正義感だけで現実が動くなら、誰も苦労しません。──現場を知らず、浅い同情で首を突っ込んでくる自称ヒーローほど、厄介な存在はないんですよ。無責任な正義感が、誰かをもっと傷つけることだってあるんですから』
その侮蔑的な言葉に、背後にいた栞が耐えきれなくなったのか、突然動き出す。
栞の手が震えているのがわかった。
──そして、迷いのない足取りで別室へと向かう。その瞬間、彼女がチャットアプリのグループ参加ボタンを押そうとしているのに気づく。
「栞!?」
俺が振り返り、栞を見る。彼女は強く頷きながら、部屋を出た。
数秒後、画面に「栞」からの参加リクエスト通知が表示される。
一瞬、目を疑った。
まさか、あいつが自分の意志で? 画面を見つめながら、俺は深く息を吐いた。
……言いたい事があるんだな、分かったよ、来い。
参加を許可すると、チャットに栞の声が加わる。
『大和さんは、そんな無責任な人じゃありません!誰よりも真剣に私のことを考えてくれた、優しくて強い人です!──その人を馬鹿にするなんて、絶対に許せません!』
栞の声は震えていた。だが、言葉の端々には、揺るぎない決意がにじんでいた。
『大和さんは……私の声をちゃんと聞いてくれた、初めての大人なんです!あなたみたいに、立場を利用して黙らせようとする人とは違う! 弱い子を傷つけて、何様のつもりなんですか!?』
勢いのまま、栞が感情をぶつける。俺も、玉木も、一瞬言葉を失う。コメント欄も大荒れだ。
『これは演出?』
『いや、ガチだろ…...』
『栞ちゃん泣きそう…...』
『社長には人の心とかないんか?』
しかし玉木の声が、わずかに低くなった。
『……言いたいことは分かりました。ですが、感情論では何も解決しません』
抑えた声に、嘲るような響きが混じる。
『ああいう年頃の子は、“味方してくれる人”がいるとすぐに勘違いする。──まったく、都合のいい自己正当化です』
玉木の言葉に、喉の奥が詰まるような感覚が広がった。
せっかく勇気を振り絞ってくれたのに、栞の叫びすら、この男には届かないのか。
絶望感が押し寄せてくる。このままでは全て水の泡だ。
だけど──終わらせるわけにはいかない。
胸の奥に、まだ何かがくすぶっている。
諦めきれるわけがない。
その時だった。
ポケットの中で、スマホが震える。
『鑑定結果:契約書の署名に関して、対照資料との比較分析の結果、筆圧特性、筆順特性、字形特性において――』
胸の奥に灯った希望を、噛みしめる。
この時を、ずっと待っていた。
──きっかけは、栞が落とした健康診断票だった。そこに書かれていた“義理親の署名”を見た瞬間、何かが引っかかった。
さらには、視聴者から届いていたDM──『契約書、ちゃんと見直した方がいいですよ』
そして、佐久間が会社でやらかした“契約書名偽造”……
その三つが、あの瞬間、頭の中でピタリと重なった。
迷わず動いた。署名部分をスマホで撮影し、筆跡鑑定を依頼。すべては、その時のための下準備だった。
これは、最初から仕込んでおいた――俺の切り札だ。
「玉木社長……いや、もう『社長』なんて呼ぶ必要ないな。玉木、その契約書の署名──筆跡鑑定を依頼しておいたぞ」
声を出した瞬間、自分の中で何かが弾けた。もう止まれない。
「あんたが契約書を送ってきた直後──俺は署名欄を撮影して、専門の鑑定士に送った」
『……は?』
「全部、最初から仕込んでたんだよ。あんたが余裕ぶっこいて、俺にだけ『黒塗りなし』の契約書を出してくるって踏んでな」
画面の向こうで玉木の顔がこわばるのが、想像できた。
「結果は、“筆圧も筆順も一致しない”。“雪”の縦画、“原”の終筆、どれも別人。──つまり、お前が偽造したってことだ」
『っ……そんな、ひ、非公式な鑑定で……!』
「非公式? 上等だよ……公式だろうがなんだろうが、関係ねぇ……とことん付き合ってやる。覚悟しろ、玉木」
『ふ、ふざけるな!そんな、適当な鑑定が証拠になるはずがない!裁判じゃ無効だ!正式な手続きもしていない、ましてやオンラインなんて……っ!』
今度は俺が言葉で玉木を追い詰める
「未成年相手に契約書を偽造しておいて、今さら逃げられると思うなよ!刑法第159条、『私文書偽造罪』だ!それだけじゃねぇ、十六歳の子に性的要求までしやがって……絶対に許さねえ!」
玉木は声を荒げながらも、歯切れ悪く『しょ、証拠能力に限界が……ある』と粘る。
俺は声を張り上げる。興奮で体中の血が煮えたぎるのを感じる。
「おい玉木、お前がずっと言ってたよな、でるとこ出るって。脅しのつもりだったんだろ?だったら好きなだけ訴えろよ、そん時は正式な鑑定書持参で行ってやるよ!逃げるなよ?今度こそ徹底的にやってやる!」
コメント欄が一斉に沸き立つ。
「キターーー!」
「西園寺の反撃だ!」
「社長顔真っ青だろwww」
その時、スマホが鳴る。小糸からの電話だ。
「もしもし、小糸?今絶賛取り込み――」
『大和……』
小糸の声は疲れ切っている。
『……スタジオじゃ無理だった。だから、知り合いの伝手で大学の研究室に頼み込んで……何とか、解析した……』
声に疲労が滲んでいる。それでも、芯のある言葉が続く。
『データ、今送った……任せたからね』
通話が切れる前に、最後に消え入りそうな声で、でも強い意志が感じられる声で小糸が言う。
『大和..……やっちゃえ』
「へっ……お得意の専門用語はどうしたよ?」
皮肉交じりに言うと「カデンツァ……決めて……」と、小糸のか細い返事が返ってきた。
相変わらず意味不明だなおい……でも――
通話が切れ、俺は急いでメールを確認する。
メールを開くと、動画ファイルが添付されていた。
感謝と興奮で、胸がいっぱいになる。
小糸……美味しいとこ、持っていきやがって。
……けど──
お前は、やっぱ最高だ……!
深呼吸ひとつ。マイクのスイッチを確認し、改めて画面を見据える。
「……まだ逃げるつもりかよ、玉木……!だったら、これをよく聞け!」
「これが──てめえが大好きな“証拠”ってやつだ!」
ファイルを開いて、配信画面に再生を乗せる。
映し出されたのは、過去の生放送。
栞が突然、画面の中で泣き出す。
その後ろから、怒号が飛ぶ。
『本番中に泣いてんじゃねえ!おい、配信止めろ!たく、これだから十六のガキなんか使いたくなかったんだ……くそっ!』
拡張された音声は雑音混じりだが、怒鳴り声の主が誰かは、おおよその見当がついた。
栞が言っていた──「マネージャーに配信を止められた」と。
おそらく、これがその声だ。
コメント欄が止まる。
視聴者全員が、息を呑んで画面を見つめているような、異様な静寂。
「玉木──これが、お前が今まで散々弱者を食い物にし、栞にやったことの全てだ!もう逃げ場はねぇ……!お前の悪事は、ここで終わりだ!!」
しばらく、沈黙が続いた。
音声越しに、小さく呼吸の乱れが聞こえる。
『何で……これっ……!』
焦りと怒気と、何かを押し殺すような声。
『……くっ……!やってられ──』
プツン。
接続が、切れた。
……逃げやがった。
その瞬間、嵐のようにコメントが溢れ出す。
『玉木アウトー!!』
『社長逃げたwww』
『大和マジ神!』
『栞ちゃん良かったね』
『マジでやりやがったぞこいつw』
『神回確定』
『チェックメイト!』
耳の奥がじんじんする。
緊張と怒りで張り詰めていた全身が、一気に力を失い、どっと座椅子にもたれかかった。
……終わったんだ。
俺は画面に向かって、静かに、しかし力強く言い放つ。
「これが真実ってやつだ。弱い立場の人間を食い物にする奴らを、俺は絶対に許さねぇ。今日見届けてくれた皆、ありがとう」
……数秒間、埋め尽くされるコメント欄を眺めたまま、画面の前で黙っていた。
いままで押し潰されそうだった怒り、悔しさ、情けなさ──
すべてを詰め込んだ戦いが、今、終わったんだ。
ゆっくりとマウスに手を伸ばし、配信を終了する。
……静けさが戻る。
体に残る熱と疲労で、呼吸が浅くなる。震えが止まらない。
部屋の空気が、やけに静かだった。
キーボードに手を置いたまま、しばらく動けずにいた。
その時、ふと――誰かの気配を感じた。
ゆっくりと振り返ると、栞が泣いていた。いつの間に戻って来たのか、声も出さず、ただ涙をぽろぽろとこぼしていた。
「……大和……さんっ」
彼女が小さく、でもはっきりと口を開く。
「ありがとう……っ。本当に、ありがとうございました……!」
栞はそう叫ぶようにして俺に駆け寄り、その勢いのまま俺の胸に飛び込んでくる。突然のことで戸惑うが、今だけはいいだろうと思い、優しく抱きとめてやる。
「あの時、私の声を拾ってくれて……場所から救い出してくれて……私のこと、信じてくれて……守ってくれて……」
涙で濡れたサファイアの瞳が、まっすぐに俺を見つめる。
「私……っ、今だけでいいから、大和さんの隣にいさせてください……」
俺はそっと手を伸ばし、彼女の手を握る。
「バカやろう、今更遠慮なんてすんな……」
涙がシャツを濡らす。
俺は静かに栞の背中を撫でながら、今感じているこの温かな充実感を、胸に刻むように息を吐く。
その瞬間、心が静かに重なった気がした。誰にも邪魔されない、俺と栞だけの、静かで温かい時間だった……。




