第12話 静かなる告発配信
──今夜、すべてを話します。
俺は心臓の鼓動を感じながら、マイクに向かって言葉を紡いだ。
今夜のこの配信は──俺にとって、最後の賭けだった。もう、二度と引き返せない。
画面のカウンターはすでに一万人を超えている。想定を遥かに上回る数値。背中を冷や汗が伝うのがわかった。
「初めまして、西園寺大和といいます。今日は、ある芸能事務所の問題についてお話しさせていただきます」
コメント欄が瞬時に動き出す。
「キターー!!」
「マジで告発か?」
「ソースは?」
「これは見届けるしかない」
画面の端が視聴者の声で埋め尽くされていく。
「今日お話しするのは、『サテライトプロダクション』という事務所についてです」
スライドを表示させながら、できるだけ冷静に説明を始めた。
「まず、ひとりの少女の話をさせてください。「両親を亡くし、親戚の家での虐待から逃げ出した。その矢先、彼女はこの事務所にスカウトされました」
彼女の境遇を思うと、胸の奥が締めつけられる。
深く息を吸ったものの、言葉が喉の奥でつかえた。
彼女の境遇を語るだけでいいのか。ほんの一瞬、そんな疑問が頭をよぎった。
──ふざけんな、声を大にして言いたい。なんでこんなことが平然と行われてるんだと、怒りが込み上げてくる。
でも……感情で突っ走るだけじゃ、意味がない。
俺は視線を戻し、静かに語り始めた。
画面の向こうにいる誰かに届くように、言葉を選びながら続けた。
「最初は“無料体験”と言われ、モデル作成も費用は後払いでいいと。安心して通っていたそうです。しかし、“衣装代”や“プロフィール動画の編集費”など、徐々に請求の名目が増えていった」
カメラの死角から、栞がこちらを見つめているのがわかった。一瞬だけ視線が合う。彼女はわずかに頷いてみせた。
その小さな仕草が、胸に刺さる。
彼女のために、俺がやるしかない。
そうだ大和──お前がやらなきゃ、誰がやる。彼女が背負わされた負の連鎖を、ここで断ち切るんだ。
「住む場所もなく、頼る人もいなかった彼女にとって、それは“救い”に見えました。でも、違った。──彼女は16歳の未成年でした。寮費、レッスン代、3Dモデルの制作費……名目をつけて、気づけば三百万円の借金を背負わされていた」
コメントが激しく流れる。
「これマジ?」
「黒すぎだろ」
「証拠出せ」
俺は一呼吸おいて、口を開いた。
「そして……借金が返せないとわかると、こう言われたそうです。」
画面を見つめる俺の指先が、震える。
信じがたいその言葉を、声に出すのは想像以上に辛かった。
「『払えないなら、身体で払え』と」
一瞬、コメント欄が止まったような錯覚。
そして再び、荒れ始める。
『うわ……』
『録音とかないの?』
『事務所名は?』
「証拠はあります。順を追ってご説明します。まず、その発言をした人物の名前を明らかにします」
覚悟を込めて、名を告げた。
「──玉木 誠一。サテライトプロダクションの社長です」
唇がわずかに乾いた。だが、もう止まれない。
──昔の俺なら、絶対に言えなかった。
上司の顔色ばかりうかがって、無難な言葉しか選べなかったあの頃。
でも今は違う。
俺は……もう黙ってはいられなかった。
「そして彼は、彼女が未成年だと知りながら、その要求をしました」
ここからが勝負だ。
「もちろん、“言った”“言わない”で終わる話ではありません。だから今日は──この事務所の実態を、証拠とともに、明らかにしていきます」
マイクの音が、ほんのわずかに反響する。息を整えながら、俺は視線を画面に落とした。
「それでは、今から複数の証言者とTalkieのグループチャットでつながります」
手元のマウスを動かし、Talkieのアイコンをクリックする。グループチャットのリンクにカーソルを合わせると、ほんの少し指が震えているのがわかった。
ドキドキしすぎだな……落ち着け、大和。二十代も終わりに差しかかって、こんな大舞台に立つとは思わなかった。これを始めたのは自分だ。責任も、全部背負う覚悟でやってるんだ。
接続中の表示が数秒点滅し、最初に「マーベルぷよ子」のアイコンが緑色に変わった。
「まず一人目は、元サテライト所属Vの、マーベルぷよ子さんです」
『こ、こんばんは...マーベルぷよ子です。元サテライトの所属タレントでした』
若い女性の、かすかに震える声がスピーカーから聞こえた。背後で、栞がわずかに身を乗り出すのが気配で伝わってくる。
「ぷよ子さん、今日は本当にありがとうございます。差し支えない範囲で、サテライトでの出来事を教えていただけますか?」
『えと、はい……私の知る範囲で』
言葉を選びながら、彼女が話し始める。その声の震えが、モニター越しにも伝わってきた。
「具体的に、どんなことがあったんですか?」
『イベント後の「打ち上げ」と言われて、スポンサー企業の男性と食事に行かされました。断ろうとしたら、「契約書にそう書いてあるだろ」って言われて……。私、一度もそんな説明受けてなかったのに、怖くて席を外せなかったんです』
彼女の声は震えていたが、必死に言葉を繋げていた。
『それに、給料も……毎回いろんな名目で引かれて。「モデル使用料」とか「レッスン代」とか「事務所手数料」とか……最後にはほとんど残ってませんでした』
一瞬、音が止んだような気がした。
その静けさの中で、彼女がぽつりと呟く。
『……でも、それでも辞められなかったんです。配信が、好きだったから。もうちょっとだけ、って、ずっと我慢してて……』
静かだけど、重い声だった。
背後から、そっと栞が俺の手を握る音が聞こえた。
俺はディスプレイを見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。
でも……これだけじゃ、まだ足りない。
「もう一人、話してくれる人がいます」
マイクに向かって言葉を置くように口を開いた。
「次は、元サテライト所属タレントA子さんのパートナー……Bさんです。匿名を希望されているため、このままAさん、Bさんと呼ばせていただきます」
Bと表示されたアイコンの枠が光り、少し間をおいて男性の声が届いた。
『はじめまして、Bと申します。彼女のAは現在、鬱病で治療中のため出演できません。その代わりに、私から話させていただきます』
Bさんは、A子さんが体験したことを淡々と、でもどこか苦しげに語り始めた。寮での生活制限、病気の時の違約金、給料の実質ゼロ──そのひとつひとつが、現実だと思いたくない内容だった。
「つまり、病気で出られなくなったのに、違約金を請求されたということですか?」
『はい。……しかも、医師の診断書を提出したにもかかわらずです。その月の給料も、“違約金を差し引かれて”、ほとんど残らなかったと聞いています』
『……すみません、ちょっと……』
一瞬、彼の声が詰まった。
かすかな吸気音が、スピーカーから伝わる。こっちの胸まで、きゅっと締めつけられるようだった。
しばらくの沈黙のあと、彼は感情を押し殺すように続けた。
『……彼女は今でも、そのときのことを夢に見て、泣いて目を覚ますことがあります』
言葉が、出なかった。
でも、沈黙を破ったのは画面だった。コメント欄が怒涛の勢いで流れ始めている。
『サテライトクソすぎる』
『よくぞ言ってくれた』
『証拠がほしい』
『複数人の証言は強い』
『これって演出じゃないよね?』
『真実ならヤバすぎる』
肯定と疑念が入り混じった言葉たちが、画面を埋め尽くしていく。
その熱とざわめきの中で、俺はじっと画面を見つめていた。
……これが今の空気か。過去にも、空気に流されて何も言えなかったことが何度もあった。油断すれば、また同じになる。
深く息を吸い、マウスに指を戻す。
手のひらが、ほんの少し汗ばんでいた。
そのとき、スマホに通知が入った。画面を見ると、差出人の名前に目を奪われる。
サテライト社長 玉木誠一──。
『今から出演可能。リンクを送ってください』
一気に心臓の鼓動が強くなる。ついに、来た。
背後で気配が動く。栞が立ち上がろうとしたのを察して、小さく手を後ろに伸ばし、そっと止めた。
視線を合わせず、軽く首を横に振るだけで、どうやら意図は伝わったようだ。
「玉木社長から連絡が来た。グループチャットに招待する」
すぐにチャットの設定を開き、招待リンクを送信する。その間に、証言者の二人にも事情を伝えておいた。
数秒後、Talkieの画面に新たなアイコンが追加された。
『こんばんは、サテライトプロダクション代表の玉木誠一です』
中年男性の声。落ち着いていて、どこか知的な響きすらある。だが、その裏に何か張り詰めたものを感じた。
「玉木社長、今晩は。お忙しい中ありがとうございます。先ほどから証言があったように、貴社では──」
『まず申し上げておきたいのは、こうした匿名の告発には慎重であるべきだということです。名誉毀損は重大な問題ですからね』
その冷静な切り返しに、俺は一瞬、言葉を探した。
だが、すぐに別の声が割って入った。
『私は匿名じゃないです!マーベルぷよ子として、名乗ってます!』
ぷよ子が声を張った。
玉木は動じる様子もなく、さらりと言った。
『ぷよ子さん……そう、あなたのことは記憶しています。契約期間中、複数の男性から金銭援助を受けていた件、覚えていますよ。いわゆる“パパ活”ですね』
『そんなことない!』
『加えて、未成年で飲酒をしていたことも確認済みです。写真も残っています。今時の子に在りがちですが、何でもかんでもSNSに投稿するのは、どうかと思いますがね……』
突然の逆告発。ぷよ子の声が震え出す。
『そ、それは……っ』
数秒の間、何も返ってこなかった。
そのまま、ぷよ子の接続が切れた。
画面に残ったのは、灰色のアイコンと無音の空間だけだった。
さっきまで必死に話していた彼女の声が、急に奪われたようで──胸の奥にぽっかりと穴が開いたようだった
「ぷよ子さん!?」
ハッとして呼びかける。だが応答はなかった。
「ぷよ子さん……」
……まずい。
一つの証言が、あっけなく押し潰された。その衝撃の余韻が、まだ胸の奥でくすぶっている。
玉木の声だけが配信に残っていて、まるでこの場全体を支配しているみたいだった。
俺は手のひらをじっと見つめた。汗で湿っていた。さっきまでの確信が、ぐらついていく。
けど、ここで折れたら意味がない。
少しだけ口を閉ざして、呼吸を整える。
──次は、Bさんか。
『残念ですね。では、次は……Bさんでしたか』
一拍置かれたその言い回しに、底冷えするようなものを感じた。
『Bさんについても、既に確認済みです。元ホストで、客に“飛ばれた”ことで借金を抱えた。そして、その返済をA子さんに頼っていた。鬱を発症して退社した彼女に代わって、今回は慰謝料目的での告発と受け取っています』
『違う!そんなつもりじゃない!俺は彼女の……っ』
言葉が詰まり、Bさんの声が止まった。
『……くそっ、もういい!』
短く吐き捨てるような声とともに、接続が切れた。
最後に聞こえたのは、怒りというより、やり場のない悔しさだった。
目の前で殴られたのに、何もできなかったような──そんな無力さが、のしかかってきた。
「Bさん……」
俺は画面を見つめたまま、言葉を失った。
玉木の発言によって、二人の証言者が沈黙に追い込まれた。
コメント欄も、空気が変わりつつあった。
『社長の方が理路整然としてるな』
『証拠出さないと厳しいかも』
『大和、大丈夫か……?』
汗が背中を伝う。
玉木の冷静な声がまた響く。
『……ところで、栞さんの話は出ないのですか?』
『本人の声が聞きたい』
『この子がどう思ってるかが一番大事だろ』
コメントの言葉が、突き刺さる。
……栞は、玉木の声を聞くだけで怯えていた。絶対に出せない。
だったら、俺が──
『西園寺さん、これが名誉毀損・損害賠償の対象になる可能性があることはご存知ですか?こちらも、法的措置を検討せざるを得ません』
その言葉が、空気を明らかに変えた。
コメント欄が再びざわつき始める。
『……これ、マジで訴えられるやつじゃね?』
『やばくね?大和』
それでも、俺はマイクに向かって口を開いた。
「しゃ、社長……栞さんについて、改めてお聞きします。──彼女が未成年だったことを、知っていたのではありませんか?」
玉木は、即座に応じた。
『いいえ。彼女は“十八歳”と申告してきました。こちらは騙された被害者です』
その答えに、一瞬、言葉が止まる。
冷静で、論理的。言葉としては破綻していない。
……たしかに、理屈としては通っている。
画面のコメント欄も、静まり返っていた。
でも、そこには妙な違和感もあった。
玉木は、最初からこのセリフを用意していたような口ぶりだった。
最初から二人の過去を握っていた。どこかで情報を得ていたとしか思えない。
昔の自分なら、ここで黙って頷いてたかもしれない。誰かの顔色をうかがって、嵐が過ぎるのを待つだけだったあの頃の……。
でも今は、あの時とは違う。ここで引くわけにはいかない。守るべき存在が、俺の背中にいるんだ。
この空気を変えるために、賭けに出る。
俺は、これまで積み上げてきたものを──信じるしかないんだ。




