第11話 決戦準備配信
「はぁ…またダメか」
スマホの画面を睨みながら、俺は深いため息をついた。額に浮かび上がる汗を拭いながら、背中を座椅子に預ける。
朝から何度目かの「すみません、やっぱり協力できません」というメッセージ。今度は元サテライト所属Vのミクちゃんからだ。最近マネジメント会社を変えたばかりで、「迷惑をかけられない」と。
「くそっ…」
思わず呟いた声が、朝の静かな部屋に響く。カーテン越しの朝日が、散らかった部屋を容赦なく照らしていた。ストレスで散らかした空き缶が、オブジェのように部屋の隅に積み上がっている。
「大和さん、コーヒー入れました」
栞がキッチンから出てきて、テーブルにマグカップを置いた。彼女の存在だけが、今の俺の唯一の救いかもしれない。
「ありがとな」
コーヒーを一口すすると、苦みと共に少しだけ冷静さが戻ってきた。
「また…断られたんですか?」
栞は俺の表情から全てを読み取ったようだ。その青い瞳には不安と心配が混ざっている。
「ああ。三人目だ」
「私のせいで…」
「違う」
言い切ると、栞は小さく息を呑んだ。俺は彼女の目をまっすぐ見る。
「お前のせいじゃない。気にするな」
そう言ったものの、空回りする努力に、自分でも焦りを感じていた。
その時、スマホが再び鳴った。「白鳥アリス」からのメッセージだ。彼女はサテライトのVtuberで、ひそかに出演を引き受けてくれていた一人。
『ごめんなさい、私もやっぱり降ります』
そして続くメッセージ。
『本当は応援したいんです。でも、昨夜から知らない番号から何度も着信があって…怖くて……』
三行目は打ちかけで終わっていた。まるで誰かに見られることを恐れるかのように。
「ちっ…」
思わず舌打ちが漏れた。サテライトの社長、あの男が何をしたか明白だった。「圧力」をかけたんだ。おそらく契約書をちらつかせるような形で。
まるで沈黙の戒厳令とでも言うべき状況。声を上げようとする人たちの口を、あらかじめ封じていく。卑怯な手だが、悔しいけど俺に対しては効果てきめんだ。
スマホを机に投げ出すと、それが乾いた音を立てて転がる。隣で栞がビクッと肩を震わせた。
「す、すまん…」
謝りながらも、頭の中は混乱していた。出演予定だった人たちがばたばたと降りていく中、どうやって配信を成立させるんだ?
かろうじて出演を引き受けている二人も、「似たような経験があった」程度の話だ。社長の名前こそ出せるが、決定的な証拠は何もない。単なる言葉だけの告発になってしまう。
さらに「友達が話してたんだけど…」みたいな伝聞情報を持ち込む野次馬まで増えてきた。このままじゃ、配信の信頼性そのもが崩壊する。
額を手で押さえながら、ゆっくり息を吐く。焦りと疲労で、思考が回らなくなってきている。
「きっと……大丈夫ですよ」
気づくと、栞が俺の横に来ていた。震える指先で、彼女は自分の裾をぎゅっと握りしめている。目を伏せながらも、勇気を出して言葉を紡ぐその姿が、どこか痛々しく感じる。守るはずの相手に励まされる情けなさ。でも、その言葉があるから踏ん張れるのも事実だった。
「ありがとな、でも……この土壇場でこれは、やっぱきついな」
大きくため息をつく俺に、栞はそっと肩に手を置いた。その小さな温もりが、妙に心強かった。少しだけ頭が冴えてきたような気がする。
そうだ、今考えるべきは目の前の状況だ。あいつは必ず来る。サテライトの社長は逃げない。昨日、正式な「参加」のメールが届いていた。
『了承した。お時間通りに参加させていただきますよ。ただし、それなりの覚悟はしててくださいね?』
まるで上から目線で書かれたその一文が、むしろ俺を奮い立たせる。逃げも隠れもしないってことだ。見下してるのか、それとも余裕があるのか。
いずれにしても、あの男は姿を見せる。
俺は立ち上がった。窓の外には、いつもと変わらない街の風景が広がっている。あの日々が、あまりにも遠くに感じられた。
「今日、全部賭けるしかないな」
そう言って振り返ると、栞が小さく、だけどしっかりと頷いていた。
その瞬間、ポケットの中でスマホが震え始めた。画面を見ると「小糸」からの着信だ。
なんだ?朝から珍しいな。
「悪い、今バタついてて……」
電話に出ると同時に、小糸の慌てた声がスピーカーから飛び出してきた。
『アンタ、SNSに何投稿したの??』
「……え?」
思わず聞き返す。SNSには昨日の夜、配信の予告を投稿しておいただけだった。それほど大げさな宣伝でもなかったはずだ。
『いいから早く見てみなよ!アンタの投稿が拡散されまくってるから!』
小糸の焦った声に、俺は慌てて座り込み、SNSアプリを開いた。すると、目を疑うような光景が広がっていた。
俺の投稿が反響の嵐になっていて、さらにコメントが止まらない。通知欄は未読のアイコンが滝のように連なり、もはや追いきれないほどだった。
「なんだこれ……」
画面を指で上下にスクロールしながら呟く。ざっと目を通すだけでも、見知らぬ人たちが次々と反応している。
『大手配信者のレイランが拾ったんだよ。プロのイラストレーターでめっちゃ影響力ある人。『これは見逃せない』って言って、アンタの投稿とチャンネルを紹介しちゃったの。で、あちこちに飛び火してるっぽい』
小糸の説明で状況が飲み込めてきた。その配信者は登録者数数五百万の大物だった。そのチャンネルで取り上げられたから、この爆発的な拡散が起きている。
「……これ全部、俺宛て……? うわ……でも、狙ってたのはこういう流れだ。なら、上出来だろ」
当初は数百人規模の配信を想定していた。それが一気に数千、いや、下手すれば数万の視聴者が集まるかもしれない展開に……。
不意に笑みがこぼれる。「これで、もっと大きな波になる」
小糸のため息が電話越しに聞こえてきた。
『浮かれてる場合? 今アンタが立ってるのは"一音も外せないソロステージ"』
その言葉がピシャリと俺の背中に突き刺さる。
『リズムひとつ外しただけで、曲ごと破綻する。やり直しもアンコールもない──たった一度の本番よ』
小糸特有の音楽用語を使った表現だが、言わんとすることはハッキリと伝わってきた。今まで以上に、全てを賭けたステージになる。
「……分かってる。これが最後の一戦だ。俺の、すべてを賭ける場所」
そう言いながら、栞の方を見る。彼女は少し離れた場所で、こちらの会話を不安そうに聞いていた。その表情に、責任の重さを再確認した。
『ま、アンタは昔からそういうとこあるし』
小糸の声が、少しだけ柔らかくなった。
『追い詰められてる時ほど変に頼もしくなるっていうか……。せいぜい踏ん張りな。こっちも、まだ試せることは試してみるから』
欠伸混じりのその一言に、連日寝ていない彼女の様子が透けて見えた。こうして協力してくれる仲間がいることが、今はただ有り難かった。
「ありがとな、小糸。お前の気持ち、ちゃんと届いてるから」
そこまで言って、思わず頭をかいた。照れくさくなって、つい本音が漏れた。
『なに言ってんの?気持ち悪っ!』
慌てて否定する小糸の声に、思わず笑みがこぼれる。小糸らしい反応だ。
電話を切った後、改めて自分の置かれた状況の重大さを実感した。
もはや後戻りできない。大きな注目を集めてしまった以上、中途半端な結果では済まされない。
「じゃあ、引き続き準備するか」
体を起こしPCに向き直る。残された時間は少ない。今できることに集中しなければ。
小糸の言葉が頭の中でリピートする。「一音も外せないソロステージ」。その重みが、肩にずっしりとのしかかる。
だが、今はそれを感じている場合じゃない。今日の配信で、すべてをぶつけるんだ――
――時間は刻一刻と過ぎていった。午後からは配信の準備に追われ、機材のチェック、音声テスト、話す内容の最終確認。証拠の整理や、万が一の対応策も何度も見直した。集中力が途切れて同じところを何度も確認することもあった。
窓の外から差し込む光が徐々に色を変え、夕闇に染まりはじめた頃、ようやく全ての準備が整った。
時計の針は十八時五十五分を指している。開始まであと五分だ。
簡素な配信部屋。俺は機材のセットアップをようやく終えて、深呼吸した。照明を調整し、マイク位置を確認する。何度もチェックして、問題ないことを確かめる。もう取り返しのつかないミスは許されない。
部屋の片隅では、栞が静かに座っていた。
彼女の表情は少しだけ強張っている。それでも、以前のように怯えた目ではなくなっていた。その青い瞳には、かすかな決意の光が宿っている。
「……なんか、すごいことになってるみたいですね」
彼女は控えめな声で切り出した。手元のスマホを見つめながら、少し震える指先でスクロールしている。
「ああ。もう、戻る選択肢はどこにもない」
そう答えると、栞はゆっくりと顔を上げた。俺の目をまっすぐ見つめてくる。
「本当に、あの人と…対決するんですね」
その言葉に、改めて状況の重みを実感する。サテライトの社長。栞を追い詰めた張本人。俺たちの前に現れるのか。
「ああ。来るって言ってるからな」
配信ソフトのウィンドウを見ると、待機人数がどんどん増えていく。もう三桁を超え、四桁に迫ろうとしていた。想定を大きく上回る人数だ。
リアルタイムのコメントは既に動き始めていた。
「はじまるぞ……」
「これがチなん?名誉棄損まったなしじゃんw」
「運営逃げんなよ」
「マジで本人出てくるの?」
「これ炎上狙いじゃねーよな?」
「証拠あるって言ってたけど、出るんか?」
「アーカイブから、初見です」
「震えて待つ」
画面を見つめながら、喉の奥が乾く。こんなに多くの人が見ているなんて。それだけに責任は重い。
栞が小さく息を吐き、口を開いた。
「……正直、こわいです。震えてます」
その言葉に振り返ると、確かに彼女の肩が小刻みに震えていた。それでも、顔を上げて続ける。
「でも……でも、それ以上に、大和さんがいてくれたことが……」
一瞬言葉に詰まった彼女は、ふと目を伏せた。その白い頬がわずかに赤く染まる。
「"信じてくれてありがとう"って、何度も言いたくなりました」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。あの時、半ば勢いで助けると言ったけど、今はきちんと彼女を守り切りたいと思っている。
……この子、変わったよな。前は泣いてばかりだったのに。今はちゃんと、自分の足で立ってる。
そう思いながら、俺は言った。
「……お前がそう言ってくれるなら、迷ってる暇はないな」
画面右下の数字が跳ね上がる。九千人、一万人…いや、それ以上──。
コメント欄の文字の流れが目に見えて速くなる。画面の向こうには、大勢の見知らぬ人たちがいる。その全てに、真実を届けないといけない。
待ってる人がいる。見てる人がいる。だったら、逃げ道なんて、最初から無い。
心の中でそう呟いた。
もしこれで倒れても、俺たちは──黙らされる側じゃないってことを、最後まで見せつけてやる。
ライトの明るさを最終確認し、栞にも小さく頷く。彼女も緊張した面持ちで、こちらに頷き返した。
俺の指が配信開始ボタンに触れる。一瞬の躊躇いの後、深く息を吸い込んでボタンを押した。
配信ソフトの赤いON AIRのサインが点灯する。
ゆっくりとマイクに向かい、俺は語り始めた。
「──今夜、すべてを話します」




