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相反するビタースイートⅡ

 楽しかった夏休みはあっという間に終わって、九月がやってきた。夏と秋の境目の季節だというのに、学校は残暑に覆われてみんな気怠そうだ。みどりは教室の椅子に座って、下敷きを団扇代わりにして涼をとっていた。

 がらりと教室の戸が開き、朱莉が入ってくる。まだランドセルも背負って、カプチーノのイラストが入ったトートバッグを持ったままみどりの目の前まで歩いてきた。みどりがこんがりと日焼けしているのに対して、朱莉は全くといっていいほど日焼けしている様子はなかった。

「久しぶり、みどり。ちゃんと書いてきたわよね?」

 今日は宿題である生活作文の提出日でもある。ここで知らんぷりできるほど、みどりの肝は座っていない。引き出しから原稿用紙を取り出して、手渡した。

 朱莉がぱらぱらと中身を見て、さして内容も見ずに口元を緩めた。その表情はなんだか、見ていて気持ちの良いものではない。朱莉はトートバックに原稿用紙を仕舞うと、「また来年も頼もうかな」と鼻で笑いながらロッカーへと歩んでいく。感謝の一言もなかったことに対して、みどりは思わず拳を強く握りこんだ。だが、反論する言葉は喉に絡まって、外に出ることはなかった。


 二限目のあとは少し長い二十分間の昼休憩になる。元気の良い男子たちは猛暑のなか、外に出てドッジボールに興じている。一部の女子は連れ立ってトイレに行って戻ってこないし、普段一人でいる子はノートに何かイラストを描いているようだった。突っ伏して寝ている子もいる。

 みどりは特にやることもなかったので、教室の後ろにあるロッカーに向かう。ロッカーの上には、クラスメイトたちが作った自由工作の作品が並んでいた。ペットボトルを切り抜いた貯金箱や、自作のスライム、ホームセンターなどで買えるただ組み立てるだけのものなど様々だった。中でも目立つのが木製の将棋盤だった。駒まで綺麗にやすりで削ったのか、角が丸く触り心地が良さそうだった。

「中々、骨がおれたよ」

 ふいに声をかけられて、みどりは肩を震わせた。横を見ると、いつの間にか横に来ていた冴木が手を伸ばして、駒の一つをつまみあげたところだった。

「飛車と角将ぐらいは達筆に書きたかったんだけど、難しかった」

「これ、冴木君が作ったんだ。駒の裏面とか、なんて書いてあるのか読めない感じになってるよね」

「うん、よく知ってるね。将棋できるの?」

「ううん、お父さんとお兄ちゃんがやってるのみてたぐらい」

「そっか……。みどりちゃんは何作ったの?」

 冴木がロッカーの上に視線をめぐらせる。

「わたしは、これ」

 みどりは少し離れた場所にあった工作品を手に取る。冴木が訝しげな様子を浮かべた。

「……お弁当箱?」

「うん、でもちょっと違う。駅弁とかでさ、紐ひくと温かくなるやつあるでしょ? それだよ」

 みどりは文庫本サイズの弁当容器を振ってみせた。しゃかしゃかと音が鳴る。

「へぇ……駅弁って食べたことない。どういう仕組みなの?」

「生石灰っていうのに水が触れることで発熱するんだって。最高で百度近くまで上がるんだよ」

「そんなに? 危なくないの?」

「これはそんなに量が入ってないし、お水を入れなければ大丈夫だよ。でも、ほとんどお母さんに手伝ってもらったの」

「すごいね、さすがお弁当屋さんの子って感じ」

 冴木に褒められて、みどりは生石灰の化学反応とは別の力で顔が熱くなるのを感じた。

「加熱式容器を、お母さんの伝手つてで何個か貰ったんだ。今度お弁当の日にでもそれで持ってこようかなって」

「いいね、どれぐらい温まるのか見たいな」

「うん、いいよ」

 普段、冴木が物事にあまり関心を抱いたところを見たことがなかったので、見たい、と言われてみどりは素直に嬉しかった。

 話に一区切りついたからか、冴木がもてあそんでいた将棋の駒を戻して、席に戻ろうとしたのが分かった。しかし、みどりはまだもう少しだけ話がしたかった。折角の長い休み時間なのだ。

「ねぇ、冴木君。読書感想文はこのあいだのグリム童話のを書いたの?」

「いや、家にあった別の本にしたんだ」

「何の本?」

「ヴァン・ダインの推理小説。翻訳してあるのは、初めて読んだんだ」

「すごいね。推理小説って、殺人事件とか起きて、探偵が事件を解決するんでしょう?」

「うん。推理して、犯人の行動を読み解くのは面白かった。けど……」

「けど……?」

「読書感想文にするのは難しかった。だって、先生に犯人が誰か分からないように書かなきゃって思っちゃって」

 確かに感想文なのだからトリックや、犯人にまつわる話も書きたいところだろう。だがこれは手品のタネと同じで、推理小説の犯人を明確にしてしまうことは禁忌のように思える。みどりも納得して、自分なら書けなさそうだ、とこっそり思った。

「それでも書いたんだから、すごいね」

「……みどりちゃんも書いたんだよね? 読書感想文」

「あ、うん。ちゃんと書いたよ」

 冴木が振り返って教室を見渡した。そしてまたこちらへ向き直る。

「生活作文も?」

「……うん」

 今、教室に朱莉はいない。それを確認したんだろうな、とみどりは理解した。脅されて書かされていると、他人に知られたとばれた暁には、冴木にも被害が及びかねない。

「でも、大丈夫だよ。お兄ちゃんにも助言もらったりしたから」

「……分かった、もう言わないよ」

 予鈴が鳴って、冴木が席に戻る。なんだかぎくしゃくした会話になってしまってみどりは肩を落とす。でも、冴木が心配してくれたという事実だけでも、少し心が晴れ晴れとした。


 月日が流れるのは早いもので、夏休みがあけてもう三週間近く経っていた。いまだ残暑の残る木曜日。六限目の算数が終わるとすぐに帰りのホームルームが始まる。先生がどこからともなく大きなファイルを取り出した。

「では、夏休みの宿題で書いてもらった作文を返却しますが、このあいだも言ったとおり、良くできている作品をコンクールに応募しました。結果として、うちのクラスの瓦田朱莉さんの生活作文が入賞することになりました。みんな、拍手!」

 わっ、と拍手が巻き起こるなか、みどりは呆然としていた。なぜならその生活作文を書いたのはみどりなのだから。朱莉はさも当然のような表情をして賞賛を受け止めている。みどりにとってその姿は、ひどく滑稽に思えた。

 先生が一言交えながら、順繰りに作文を返していく。みどりの手には、読書感想文。そして、朱莉の手元にみどりが書いた生活作文が戻ってきた。先生がおめでとう、と前置きしてから言葉を続けた。

「朱莉さん、明後日の土曜日に隣の公民館で授賞式と作文のスピーチがあるんだけれど、参加してもらえる?」

「はい、分かりました」

 朱莉は特に嫌がる顔もせずに受け応える。そして作文を一度満足げに眺めてから、カプチーノのイラストが描かれたトートバッグの中にしまった。

 休みの土曜日にまで、学校の行事に出なきゃいけないのは苦ではないのかとみどりは一瞬考えたが、朱莉の親がPTA会長なのだということを思い出した。作文のコンクールの授賞式に娘が選出されたとなれば、誇らしげに顔を出すに違いない。それがクラスメイトを脅して書かせたものだとも知らずに。

 不当な評価を受け入れ、夏休みに兄の助言をもらいながらみどりが書きあげた生活作文を読んでいる朱莉の姿を想像すると、無性に腹が立った。だが今更、実はそれは私が書きました、とみどりが言ったところで気でも狂ったのかと思われるのが関の山だ。朱莉の周りにはクラスでも発言力のある子が揃っている。みどりが一人声を荒げたところで、もうこの評価は揺るがないだろう。たとえそこに一人、冴木が加わったとて現状を変えるほどの衝撃ではない。

 みどりは、トートバッグに仕舞われた作文を睨みつける。コンクールに応募したのはコピーかなにかしたほうで、朱莉に返却されたのは原紙だろう。そして、土曜日はあれを頼りに壇上で読み上げるはずだ。

 みどりの中で燻っていたなにかが、ゆらりと勢いを増した気がした。

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