愛しき人
「変態教師がまた見ているよ、サッサと首になればよいのに」
職員室の窓から校庭を見渡している先生を一緒に昼食を取っていた友人が目敏く見つけ、先生の悪口を口にした。
「噂だけどさ、スニーカーの神様の正体ってあいつらしいぜ。
って、あんた、スクープなのに全然驚かないのね?
そういえば、あの教師があんたを見てもあんた嫌がらないけど如何して?」
「だってあの先生のこと昔から知っているのだもの」
「昔から知っているって如何いうこと?」
「私のお婆ちゃんが先生の実家でメイド長をしているから知っているの。
小学校低学年の頃まで偶にお屋敷に連れて行ってもらって、先生に遊んでもらった事もあるから」
「メイド長って、あいつの実家そんなに金持ちなのか?
BMWなんかに乗っているから、金持ちだっていうのはなんとなく分かっていたけど」
「久手財閥って知ってる?」
「久手財閥だって、この国で知らない奴なんていないんじゃないの。
日本で1番、世界で5本の指に入る財閥じゃないか」
「うん、其処が先生の実家」
「えぇー! で、で、でも、……苗字が違うぜ」
「先生、奥さんの苗字継いでいるから」
「え、…………(思考停止中)…………
チョ……チョット待って、あ、あいつ結婚しているのか?」
「そうだよ、詳しく知りたい?」
「うん、うん、知りたい」
「スニーカーの神様の事を忘れるって約束してくれるのなら。
お、し、え、て、あ、げ、る」
「忘れる、忘れる、だから教えて」
「お婆ちゃんの日記を盗み見して分かった話しだから質問は無しね、分かった?」
「うん、うん」
今日、坊ちゃまの家庭教師に選ばれた女性とその娘さんで坊ちゃまの友達に選ばれたお子さんが、屋敷に来た。
奥様が50近くになってからお生みになられた三男で、一番下のお子様。
旦那様と奥様のお子様のうち一番歳の離れている上のお嬢様とは19歳、一番近い下のお嬢様とは13歳の歳の差があった。
お生まれになってから5年、下のお嬢様も来年大学生にお成りになる。
お屋敷の中で坊ちゃまの遊び相手がいなくなる事を危惧した旦那様が遊び友達をお探しになり、上のお嬢様が尊敬している大学時代の先輩で、最近旦那さんを病気で亡くされた方の娘さんが選ばれた。
お嬢様の先輩は坊ちゃまの家庭教師として、娘さんは遊び友達としてお屋敷に住んで頂く事が決まっている。
娘さんは坊ちゃまより3つ歳上の8歳。
歳が近い遊び友達ができて坊ちゃまは娘さんの後ろをついて回るようになる。
坊ちゃまが小学校に入学した頃から、坊ちゃまが屋敷で働いている若いメイド達の靴の匂いを嗅ぐという、変態的な行動をするようになった。
若いメイド達の動揺は私達古参のメイドが抑えたが、坊ちゃまの行動を旦那様や奥様にお知らせするべきか悩む。
そんな時だった。
坊ちゃまが娘さんの靴の匂いを嗅いでいる所を娘さんに見られ注意される。
その行為は女性に凄く恥ずかしい思いをさせる行為だから、嗅ぐ前に持ち主の了承を取り拒否されたら行わないようにと優しく諭してくれた。
その後も彼女は坊ちゃまの行動を良く見ていてくれ、間違った行動をしようとする度にその行いを訂正してくれる。
坊ちゃまはそんな彼女にべた惚れだった。
大旦那様や旦那様が彼女が大きくなったら婿を探してやろうなんて言おうものなら激怒して、「彼女は僕のお嫁さんになってもらうのだ!」って叫ぶくらいに。
坊ちゃまが中学1年にお成になり娘さんが高校1年になって半年、娘さんが心無い男達に乱暴された。
乱暴しながら謝罪もまともにできない男たちに、警察でキャリアとして働いておられる上のお嬢様を始めとして久手家の者全員が激怒。
久手家の財力に物を言わせ男達は全員無期懲役で刑務所に送られた。
大旦那様が「あのケダモノ共を二度と外に出すな!」と仰っておられたから、あの男達が刑務所から出て来ることは金輪際無いわね。
娘さんは病院に入院して身体に負った傷は治したけど、心にも傷を負っていて男性が近寄ることを激しく拒否。
坊ちゃまに対しても同じ反応を示す。
坊ちゃまの落ち込みようは見ていられないくらい酷いものだった。
半年ほど落ち込んでおられたのだがある日、意を決したように立ち直り合気道を習い始める。
私が合気道を始めた理由をお聞きしたら、坊ちゃまは大事な人を守れる男になりたいのだと話してくださった。
娘さんは学校を休学して2年程、外国にある性暴力を受けた女性のみを受け入れている病院で治療を受け、その後は男性の教職員が1人もいない全寮制の女子高に転入する。
高校を卒業する頃には女性が近くにいる時だけだったが、男性が近寄ってもパニックを起こさなくなった。
久手家はそんな彼女に、SPから引き抜いた元女性警察官たちを付き添わせて、彼女を大学に進学させる。
大学3年になる頃には女性が近くにいなくても親しい男性限定ではあるが、男性が近寄ってもパニックにならなくなった。
しかし大学4年になったとき彼女と久手家の者たちは頭を抱える事になる。
来年社会人になれば付き添いが傍にいる事は不可能であり、久手財閥傘下の会社に入社しても全く男性と接点が無い部署なんて無い。
旦那様を始め久手家の者たちと、娘さんと娘さんのお母さんが話し合っている所に坊ちゃまが現れ、娘さんに坊ちゃまが結婚を申し込んだ。
最初彼女はその申し出に対し、未だに男性恐怖症が完治しておらず結婚しても坊ちゃまを受け入れる事が出来ないと拒否した。
坊ちゃまがそれに返した言葉は忘れられない。
「僕はあなたと一緒に居たいのです。
抱き合う事が出来なくても良い。
同じ空間で息をして話し共に暮らして行きたい。
あなたと一緒にいると落ち着くのです。
お願いします、僕と結婚してください」
それを聞いて彼女は小さな声だがハッキリと「はい」と返事を返した。
「って、言うわけ」
「凄ーい、先生、初志貫徹したんだ。
でも本当の話しなの? あの変態教師と同一人物だとは到底思えないのだけど?」
「本当だってば! それにその変態行為も私達生徒の為らしいって聞いた事があるわ」
「え、嘘でしょう? 待って待って、本当の話しなの?」
「聞きたい?」
「うん、うん、うん」
友達が首を何度も上下させ頷きを返してきたとき午後の授業が始まる予鈴のベルが鳴る。
「あら、時間だわ、今度話してあげるね」
「絶対だよ!」
「うん」
私達はお弁当が入っていた紙袋を持ち足早に教室に向かうのだった。