私の好きな人
今ブレーク中のアイドルが、お洒落な喫茶店の個室で雑誌の取材を受けていた。
「好きな食べ物は何ですか?」
「焼肉とフルーツです」
「フルーツ?」
「フルーツだったら何でも好きですなんですけど、特に好きなのはイチゴとメロンです」
「そうなの。
それじゃあ、好きな人はいるのかな?」
「はい、います」
「え! いるの? 誰が好きなのか聞いちゃって良いのかな?」
「……好きな人って言っても、歳が私より10歳くらい上なのと顔しか分からない方なので……」
「どういう事ですか?」
「えっと、話し長くなりますけど良いですか?」
「私は構いませんが」
そう言いながら女性記者はアイドルの隣に座るマネージャーの方を見る。
「大丈夫です、今日の仕事はこれでおしまいですから」
マネージャーが了承の返事を返した。
マネージャーの返事を聞き、アイドルはその時の事を思い出すように目を瞑り話し始める。
家族にアイドルになるんだって啖呵を切って一昨日家を飛び出し、新宿や渋谷や原宿などの繁華街周辺を歩き回ったけど、全然スカウトされない。
小学校のクラスメートや近所の人達皆んなが私の事可愛いって言ってくれているのに、何故?
あちこちの繁華街を歩き回っているとき見つけた洋服屋さんとかで色々買い物したら、持ってきたお小遣い無くなっちゃた。
まだ大丈夫、まだ大丈夫、って感じで買い物してたら帰りの電車賃まで無くなっちゃったよ、どうやって家に帰ろう?
持たされていたスマホは電池切れで、家族に迎えに来て貰う事も出来ない。
電車賃まで使っちゃって歩き回っていたから足が痛くてもう歩けない。
大きな駅の駅前の広場のベンチに座って思案していたら、頭上から声をかけられる。
「嬢ちゃんどうしたんだい?
こんな時間まで遊んでたら駄目だろう」
顔をあげると、脂ぎった顔で教頭先生くらいの歳の男の人が見下ろしていた。
「ご飯食べさせてあげるから小父さんと遊ばないか? お小遣いもあげるよ」
男の人は私に話しかけながら私の身体を舐め回すように見ている。
怖くて黙り込んでいると、男の人は隣に腰掛けて私の肩に手を回し乱暴な言葉を吐く。
「餓鬼が無視してるんじゃねーぞ。
小遣もくれてやるって言ってるんだ、優しくしてる間について来い」
「ヒィ」(怖いよ、ママ!、助けて!、誰か助けて!)
恐怖で声が出ず、身体を縮こませ下を向いて震えている私の耳に別な男の人の声が聞こえた。
「ごめん、ごめん、遅くなってごめんね、あれ? あなた何方ですか?」
顔を上げて声が聞こえた方を見る。
大学生だと思うけど若い男の人が立っていて、隣に座る男の人に声をかけていた。
「何だ、お前は?」
「僕ですか? この子のお兄ちゃんの友達です」
(え、私のお兄ちゃんまだ中学生だよ)
「本当かぁ? オイ! こいつの事お前知ってるか?」
隣に座っている男の人が私の肩を乱暴に揺さぶり聞いてくる。
首を横に振った。
「こいつお前の事を知らないみたいだぞ、獲物を横取りするつもりか?」
「そりゃあ知らないでしょう、直接会ったのは今日が初めてですから。
僕は友達に以前見せて貰った写真と、ピンクの帽子を目印に探し出したのです」
「だったら兄貴の名前を言ってみろ」
「言いますけど、その前にあなたの身分証か名刺を見せて頂けますか?」
「何でだ?」
「当然でしょ、あなたはこの子の個人情報を求めた。
見ず知らずの人に個人情報を晒すように求めるなら、先に自分の個人情報を晒すのが礼儀ではないのですか?」
「なんだとー!」
「ああ、時間の無駄ですね、警察を呼びましょう。
僕はこの子のお兄さんに身元を証明して貰えますが、あなたはどうなのでしょうね?」
「チィ! 分かったよ! 糞がぁ! 覚えてろ!」
「僕はあなたのような人を覚えている気はありません。
でも、其処とあそこに区が設置した監視カメラがありますから、あなたの事を記録している事でしょう」
それを聞いて男の人は慌てて顔を両手で覆い走り去った。
走り去る男の人を見送ったお兄ちゃんが私に声をかけてくる。
「中学生? 小学生かな?
繁華街に隣接するこんな所でこんな時間まで彷徨いていたら駄目だよ、早く帰りなさい」
お金が無いことをお兄ちゃんに伝えようとしたとき私のお腹がキュゥゥゥって鳴く。
お昼に食べたの小さな菓子パン1つだけだったから。
お腹が鳴る音を聞いてお兄ちゃんが聞いて来た。
「お腹すいているの? もしかして君、家出しているの?」
お兄ちゃんの顔を見上げ私は小さく頷く。
アチャーって顔になったお兄ちゃんは暫く考え込んでから、また話し掛けて来た。
「スマホかケータイは持ってる?」
「電池切れちゃって」
「そ、じゃあこれで家に電話しなさい、家の電話番号は分かるよね?」
「はい」
返事を返しお兄ちゃんに渡されたスマホで家に電話を掛ける。
電話に出たお母さんと少し話してからお兄ちゃんにスマホを渡した。
会話の内容を耳を澄まして聞く。
お兄ちゃんは私との出会いをお母さんに説明していて、食事を済ませてから自宅まで送り届けると約束していた。
電話を切ってからまたお兄ちゃんが聞いて来る。
「それじゃ食事に行こうか、何か食べたいものある?」
「焼き肉……」
「焼き肉かぁ、それじゃちょっと歩くけど美味しい焼き肉屋さんがあるからそこに行こう」
そう言いながらお兄ちゃんが私の前に背中を向けて膝まづいた。
「え?」
「君、足を痛めてるだろ、だから背負うよ」
お兄ちゃんは私を背負い私が買い込んだ洋服なんかが入っている紙袋を持って歩き出す。
焼肉屋さんに入ると個室に案内された。
メニューを店員さんに渡されメニューを開く。
え? メニューの値段が書かれている欄の殆どが時価ってなっている。
お兄ちゃんの方を盗み見たら、メニューを指差して此処から此処までを2人前ずつって注文していた。
そんなアバウトな注文で良いの?
店員さんが個室から出て行くとお兄ちゃんは家出の理由を聞いて来た。
だから私はアイドルになりたくて家出したことを話したの。
注文したお肉や野菜などがテーブルに並べられると、お兄ちゃんがそれらを焼き始める。
焼き上がったお肉や野菜を次々と私のお皿に乗せながら聞いて来た。
「君はアイドルになるのに何か努力したのかい?」
「努力?」
「そう、可愛いっていうだけでアイドルになれるのなら、この世界はアイドルで溢れているよ。
アイドルを目指している人達は皆んな努力しているのではないかな?
例えば、歌手になりたい人は歌の勉強をしているだろうし。
ダンサーを目指しているのなら踊りの勉強を。
役者を目指している人なら劇団とかに入って努力しているのでは?
皆んなそれぞれ目指しているものの為に努力して、勉強に励んでいると思うよ。
君はまだ小学生、これからアイドルになるために努力して頑張ればなれるかも知れない。
頑張りなよ、ね」
「はい」
食事を終えてから車で家まで送ってもらう。
一昨日家出してから24時間営業のファーストフード店やゲームセンターで夜を明かしていたから、車の心地良い振動に揺られて寝ちゃったのだろう。
起きたら自分のベッドに寝ていた。
お兄ちゃんの事なんにも聞いてないのに。
お母さんはお兄ちゃんの身元を知っているみたいなんだけど教えてくれない。
寧ろ「怖い思いもしたから本人も反省しています、だからあまり叱らないでやってください」って言って帰って行ったんだから、ありがたく思い詮索するのは止めなさいって言うだけだった。
そこまで語ったってアイドルは目を開ける。
「そのお兄さんが好きな人なのですか?」
「はい、それからお兄ちゃんに言われた通り歌や踊りの教室に通い、中学生になってから演劇部に所属して演技の勉強していたら、去年、今の事務所にスカウトされたんです」
「聞いた限りで頭に浮かぶのは、スニーカーの神様かな」
「スニーカーの神様?」
「都内の繁華街周辺で、神待ちしている女の子達の間で噂になっている人です」
「どういう人なのですか?」
「よく分からないのです」
「え、どういう事?」
「噂だけの存在なのか、実在しているのか分からない、私は都市伝説の類ではないかと思ってますけど」
「そうなんだぁ」
記者がアイドルとマネージャーに頭を下げ取材に応じてくれた礼を言う。
「今日は遅くまでありがとうございました」
「「此方こそありがとうございました」」
アイドルとマネージャーは記者に返事を返し出口に向かう。
歩きながら考え込んでいるアイドルにマネージャーが声をかける。
「駄目よファンに呼びかけて探して貰おうなんて考えたら。
あなたが探しているお兄さんがスニーカーの神様かどうか知らないけど、もし同一人物だったら、お礼を言うどころか迷惑をかけてしまう事になるからね。
分かった?」
「うん、分かってる」
アイドルはマネージャーに返事を返し2人は喫茶店を後にした。