懸念と嫌悪
「戻ったぞ~……って、何だこの量!? すげえな!」
ヤタが屋敷に戻り、執務室に顔を出すと大量の巻物に埋もれて仕事をしている麟とマオの姿があった。積みあがっている書物は、もはや足の踏み場もないほどだ。
「お帰り、八咫烏」
麟は顔を上げず、筆を持つ手を休めることなく、仕事を捌いている。マオは着物を襷で縛り、処理の終わった書類を他のあやかしたちと共に保管庫へ運び出している。
「帝釈天はどうだった?」
「あぁ、あいつは相変わらずだったよ。いつも思うが、あの陰湿な話し方どうにかなんねぇのか」
「彼はふざけているようで、真面目なんだよ」
腰に手をやり悪態をつくヤタに、麟は笑う。
何気ない会話をしながら、ヤタは部屋から誰もいなくなるのを見計らい、麟の机に手を着いた。
「……麟。屋敷にまたあいつらを配備できないか?」
ぐっと声を落としたヤタの言葉に、麟の手がぴたりと止まる。そしてようやく下げていた視線を上げた。
「……それはつまり、そういう話だった、ということか」
「あぁ」
「そうか……」
麟は筆を置くと、入り口を閉めるようヤタに目配せをすると、ヤタは何も言わずあたりの様子を窺ってから部屋の入り口を閉め、麟を振り返る。
室内は一気に重たい空気に変わった。
「すでに、動きはあったみたいだ」
ヤタはその話を、声を落としたまま麟に話し始める。
その時、保管庫から戻ってきたマオが部屋の扉が閉まっていることに気が付き、何も言わずその場を立ち去ろうとした。
「もしそうなれば、またあんたが危険に晒されることになる」
マオはぴくっと耳を動かし、足を止めた。
盗み聞きをするような趣味はないが、麟に関することとあれば話は別。マオはそっと壁に近寄り、二人の話に耳を澄ませる。
「帝釈天は、ひなが阿修羅と雪那の子供だってことはわかっていた……」
その言葉が聞こえた瞬間、マオは思わず声が出そうになり慌てて口を塞ぎ、目を見開いた。
息を詰めたまま、だが胸の奥からじわじわと湧き上がってくる高揚感が心拍数と呼吸を荒くする。
マオは足音を立てず、その場から離れた。
炊事場まで駆けてきたマオは、胸元を押さえて乱れた呼吸を整える。だが、早鐘のように鳴る鼓動は治まらない。
「そんなことが、ある……?」
誰にいうでもなく、水場の縁に手をかけて震える声でそう呟き、同時に体が小刻みに震え始めた。
「ふ、ふふふ……」
マオの口元には薄っすらと笑みが浮かび、溜められた水に映る自分を見下ろした。なんと恍惚とした、歓喜に満ちた顔をしているのだろう。
「待ってたのよ……足元が崩れるような、この瞬間を」
マオは声を殺し、しかし心から楽しんでいるように笑っている。そして、水場の縁を握る手に力が込められた。
「あの女、罰があたったのよ。よりにもよって孕んだ子が阿修羅との子供ですって? こんなおかしい話、今まであったかしら?」
口元には笑みを浮かべ、瞳孔が開いた状態で呟く。
体中の毛が逆立つような興奮を覚えながら、しかし、すっと真顔になる。
「通りで気に入らないわけだわ。一目会った時からあの子は危険な感じがしたのよ。早く、追い出さないと……」
マオはそういうと、襷を外しながらいそいそとその場を後にした。




