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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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極楽の番人、帝釈天

「それで、人の子は大丈夫だったのかい?」


 裾の長い白い衣服を身にまとった男性は、頬杖をついて問いかけた。

何を考えているのか全く読めない表情。目は笑っていない。それでも、その顔には薄い微笑が湛えられている。そこに、悪意はない。だが、善意でもない。彼の手の中でひらひらと揺れ動く白い手紙が、やけに鬱陶しく感じるのは、あえてそう見せているようだった。


ヤタはその男――帝釈天を睨むように見つめ、それでも態度だけは崩さない。


「……はい。無事に保護できました」


 奥歯を噛み締めたまま、語るヤタの様子を、帝釈天は面白がるように目を細める。

 同時に、手にしていた手紙をくしゃりと手の中で丸め、すぐ傍にいる従者の手に渡す。


「そうか。それはご苦労だったね。それにしても、その子が現世でやってきたことは、かなり凄かったみたいだねぇ? 次から次へ魂が押しかけて、幽世も大変だろう」


 帝釈天は自分の爪を見つめながら、気持ちの籠っていない労いの言葉をかける。

ヤタは膝の上の手を硬く握りしめた。


「……そこにおいては、我々の力不足です」

「そう! これは怠慢だよ。麒麟は甘過ぎるし優し過ぎる。それに加えて部下の失態? ほんと、君たちのおかげでこっちまで面倒なことになってるんだ」


 その言葉に、ヤタのこめかみに青筋が浮かぶ。

 許可が下りるならばすぐにでも掴みかかってしまいそうな衝動を、自分の中で捻じ伏せる。同時に、早くこの場から解放されたいと思った。

 帝釈天は体を起こし、ヤタを見下すように見つめる。だが、その口元の笑みは消えていない。


「地獄だろうと極楽だろうと、新しい命を足掻得るにふさわしい魂を磨き、育てるのが我々の仕事だ。余計な仕事を増やさないでくれ」


 言っていることは間違いではない。だが余計なことを口走ればさらに輪をかけた厭味ったらしい説教が続いてしまう。だからこそ、ヤタは必要以上を語らず、沈黙を守る。


「肝に銘じ、麒麟様にもお伝えいたします」

「あぁ、そうしてくれ」

「では……失礼します」


 唸るような低い声で手短に答えると、ヤタはくるりと踵を返し、足を踏み出す。

 一刻も早くこの場から立ち去ろうとする背中に、帝釈天は再び声をかけた。


「あぁ、待て待て。話はまだ終わってない」


 その言葉に、ヤタの動きが一瞬止まり、ぎこちなく露骨に不機嫌な顔で振り返った。

 その顔を見て一瞬目を丸くした帝釈天だが、すぐに性根の悪い笑みを浮かべた。


「そんな顔してやだねぇ」

「……ご用件は何ですか」


 うっかり、刀を掴みそうになる衝動を必死に堪える。

 神経を逆撫でるような会話しかできないのでは、話をする気にもならなくなる。


「麒麟が拾ってきた、その子のことなんだけどな」


 ヤタはぴくり、と小さく肩を揺らした。


「ひな、ですか……?」

「ふぅん。ひなって言うんだ? まぁともかく、察しのいいお前はもう感付いているだろう? ……その子が抱えている危険因子が、誰のものなのか」

「……」


 帝釈天は腕を組み、真顔で椅子の背もたれに深くもたれかかる。

 ヤタは視線を彼からそらすことはしなかったが、一瞬、言葉に詰まった。


「阿修羅……ですよね」


 握りしめる拳に、緊張感を持った声で答えると、帝釈天は頷き返した。


「そう。あれは間違いなく阿修羅のものだ」

「やはり……」

「少し前、閻魔からも連絡があってな」


 そういうと、帝釈天は従者から手渡された黒い手紙を見せる。その目はどこか鋭さを秘め、緊張感を漂わせていた。


「地獄の果て……閻魔が管理している洞窟の奥に、阿修羅は今も監禁されているんだが、先刻、なにか動きがあったらしい」


 ぴくり、と眉が動き、瞬間的に息が詰まる。眉根を寄せたまま目を見開いて帝釈天を見れば、彼は手紙を従者に返しながらちらり、とヤタを見る。


「原因の一つに、お前たちが対峙した黒蛇。あれの亡骸の片鱗が、地獄に流れ着いた……」


 ヤタの表情が更に硬くなり、汗が一筋流れる。


 ――そういった予感は、嫌なことによく当たるものだわ。


 少し前に話した獅那の言葉が脳裏に蘇る。


「……阿修羅は、先の対峙で死んだと思っていましたが」


 その発言に、帝釈天はふっと鼻で笑う。

「あいつは殺したところで死にはしない。いつもギリギリのところで生きることを定められた男だ」

「……!」


 驚いた表情を見せるヤタに、帝釈天は澄ました顔で彼を見やる。その表情からはやはり何の感情も読み取れない。


「あれは……そうするよう、自ら呪いをかけている」


 帝釈天は顔の前に手を組み、肘を膝について前のめりになる。瞳は真っすぐにヤタを見据えた。その目は、決してこれまでのような茶化したものではない。


「その意味、先の戦で共闘したお前は、わかるだろう?」


 ごくり、とヤタは喉を鳴らした。


「今後はひなと麒麟。二人の守護を徹底するように」


 ヤタの固く握りしめていた拳が、更に力が込められ、きしりと鳴る。


「……承知」


 表情硬く、ヤタが頭を下げると、帝釈天は表情を柔らかくして緊張感を開放する。短く息を吐き、顔の前で組んでいた手を解いて涅槃像(ねはんぞう)のように長椅子に横たわる。


「ま、堅苦しい話はこれくらいにして。とにかくこれ以上厄介事を持ち込まず、日々の業務を怠らないよう、頼んだよ」

「……」


 ヤタは最後の最後で説教をくれた帝釈天をじろり、と睨み見てから、一礼して広間を後にした。


「おお、怖いねぇ……」


 ひょいと肩をすくめて呟く帝釈天に対し、傍に控えていた従者が呆れたように呟く。


「帝釈天様……いい加減、彼をからかうのは止められた方がいいと思いますが?」

「いや、ついな、つい。あいつをからかうと面白いからさ。水蓮だってそう思うだろ?」

「……いい趣味してますね」

「誉め言葉として受け取っておくよ」

「……」


 皮肉のつもりでいった言葉も、帝釈天にはまるで響いていない。

 水蓮は呆れ返ったように長い溜息を吐いて、その場を立ち去った。

 誰もいなくなった部屋に一人になった帝釈天は、柔らかな表情を解いて真顔になる。そしてゆっくりと起き上がり、長椅子の傍に置いてある水瓶を見た。


「……まだ、やるつもりなのか」


 呟きと共に、帝釈天の胸の奥が軋んだ。


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